第247話 水中探索(DAY2-4)
高千穂町の市街地部分は、周囲をぐるりと峡谷に囲まれたような、特殊な地形だ。
言ってみれば、全体がまるでホールケーキのようなもので、ケーキの表層部分の平らなところに市街地――町の主だったインフラや住宅――が造られ、その外周は切り立った崖となって、崖下の皿の縁の部分に川が流れていると言えばいいだろうか。その峡谷部分が、いわゆる「高千穂峡」と呼ばれている一帯だ。
今回の作戦は、ケーキの表層部分、すなわち市街地を狼旅団が、そして皿の縁部分、高千穂峡一帯を士郎たちが受け持って、それぞれ制圧する手筈となっていた。
士郎たちが峡谷の攻略を割り当てられた理由は至極単純である。
どう考えてもそこは、戦術的に極めて不利な戦いを強いられることが想定されたからだ。“皿の縁”と形容したが、実際は峡谷だから、言ってみれば地面の割れ目に分け入って底の部分で戦うのだ。当然両方の崖上から狙い撃たれるだろうし、川筋に沿って前後から挟撃されたら一切逃げ道がない。さらに言えば、その「底」に当たる部分は「川」で――つまり足場が一切ない。
これを、オメガたちの圧倒的戦闘力と、世界に冠たる実力を持つ特殊部隊兵士たちのポテンシャルでなんとかするのだ。
何故わざわざこんな難しい地形を攻略する必要があったかと言うと、敵軍勢が湧いて出てくる具体的な出現ポイントが、まさにこの峡谷のどこかではないかと推測されたからだ。
空中偵察によると、それはまさに「割れ目から漏れ出してくる」ように見えたのだ。だとすれば、そのゲートは峡谷の川面まで降りてみなければ、特定することができない。
強襲降下艇『飛竜』が士郎たちを降下させる際、町の外周を回るように峡谷に沿って飛んだのはそれが理由だ。およそ1,000名の隊員が、全部で5隊に分かれて峡谷に分散降下する。
そして今まさに、士郎たちはあと数秒もしないうちにその峡谷の底に着水するところだったのだ。
バシュゥゥゥン――
着水の直前、士郎たちは脚部のスラスターを逆噴射させて急減速した。川面の水が、派手な噴水のように噴き上げる。数瞬後、つま先が水面に接触した。そのまま音もなく水中に没していく。
その瞬間、バイザーのイルミネーターが水中視野を確保しはじめた。現在は深夜なので、当然ながら実際の川の水の中は真っ暗闇なのだが、被覆鉄帽から発する微弱な音波――潜水艦のソナー波のようなものだ――によって、自動的に水中地形を視覚化し、目の前に映し出す。
士郎たちはそのままズブズブと沈降していって、川底に着底した。水深はざっと5メートルほどか――
イワナと思しき淡水魚が、ビックリしたのか目の前でパシャリと尾びれを振った。透明度は極めて高く、昼間なら水面から川底まで肉眼で見えるかもしれない。
『オメガリーダーより各員――状況を報告せよ』
水中なら、却って電波を拾われる心配もない。士郎はオープン水中回線で隊員たちに呼びかける。
『こちら久遠! 問題ないぞ――川底に着いた』
『くるみです。
『亜紀乃も大丈夫なのです』
『ゆずだよー! お水の中きもちぃー』
『
少女たちは全員、無事川底に着底したようだ。装備が重いので、それがそのままウェイト替わりだ。
『こちら田渕です。第一小隊異常なし』
『第二小隊――』
続々と健在確認が入る。士郎が率いる約200名は、全員が水中降下を果たし、川筋に沿って縦に長く隊列を作る。水の中にだ。
降下の際一切攻撃を受けなかったのは、おそらくケーキの表層部分で狼旅団が派手な戦闘を開始したからだ。数万の敵の注意はすべて彼らが引き付けてくれた。恐らく今頃は、市街地で激しい戦闘が繰り広げられていることだろう。
他の降下ポイントは果たして無事に着水できただろうか――
大まかに言って、この峡谷の形は上から見ると「U」の字のようなものだと思えばいい。それを時計回りに、一番右上の先端――時計で言うとちょうど2時部分、次に4時部分、U字の一番底の6時部分、次いで8時部分、最後に10時部分、という具合に全部で5班が均等にエリア分担して分散降下している。
士郎の隊はオメガたち5人がいるから一番戦闘力が高い、ということで、6時部分――すなわちU字の底部分を担当していた。これであれば、左右どちらにも一番早く駆け付けられるというわけだ。敵を引き付けているであろう
『中尉――とりあえず、どちらに向かいますか?』
田渕が訊ねてくる。
『ひとまず左右に広がって、水中探索だ。異常がなければ水面に顔を出して、崖の法面を確認する』
『了解――』
まずは自分の受け持ち区域――おおよそ5時から7時部分――をしらみつぶしにチェックするしかない。
どのみち戦闘服の水中稼働時間は、内臓酸素タンクの容量の関係で延べ15分ほどしかない。隊員一人あたり3メートルくらいの範囲を受け持って横に広く展開すれば、200人で全長600メートルは確認できるわけだ。それ以上水中でバラバラになると、深夜ということもあり遭難する恐れもあるし、不意の遭遇戦に対応することも覚束なくなってしまう。
『――全員に再度注意喚起! 不自然に日本人がいた場合、その周辺に警戒せよ! なんらかの戦術的、戦略的ポイントである可能性が高い』
士郎は、敵が“人間の盾”として町民たちを理不尽に捕えている可能性を再度考慮する。だが、場合によってはそうした「人質」は、必ずしも生きているとは限らない。奴らなら、平気で死体さえも使いかねないのだ。
『よぉーし! 全員聞いただろ!? 散開しろ!』
田渕がきびきびと指示を出し始めた。隊員たちは、おもむろに等間隔を取り始める。
オメガリーダーである士郎も、例外なく水中検索の一員だ。自分の受け持ち範囲が確定すると、士郎はおもむろに水中を歩き始めた。
ふわりふわりと水底を歩くと、底に堆積している砂礫が舞い上がる。どのみち暗くて肉眼では水中を見通せないからあまり気にする必要もないのだが、自然と慎重に歩を進める。
ヘルメット内のイルミネーターは、相変わらず川底の複雑な地形を忠実に再現して視覚化していた。大きな岩もゴロゴロしているのが手に取るようにわかる。そんな水中の岩のひとつを足場にして一歩踏み出そうとするのだが、時々ぬるりと滑って姿勢を崩してしまう。岩に水苔か何かが貼り付いているせいだろう。音波による画像生成は、さすがにそこまで忠実に再現してくれない。基本的に緑色のワイヤーフレームで疑似3D表示されているだけだ。
すると、視界の端に赤いワイヤーで何かが表示されているのがチラリと映った。人工知能が、「川底にあると不自然な造形」を認識し、注意喚起しているのだ。
あれはいったい何だ――!?
士郎は、慎重にそちらの方へ歩いていく。岩陰を超えた瞬間――
その赤いワイヤーフレームは、くっきりとその本来の形状を再現してみせた。それは――
人間だった。
明らかに人間の形状をした物体が、川底に沈んでいた。
それも、一体ではない。少なくともそこには、十数体がさまざまな姿勢で倒れ込んでいるではないか――!?
『クソ――曹長、何人か連れてこっちに来てくれ』
『――了解』
応援が来るまでの間、士郎は意を決してリアル表示モードに移行する。ちょうどヘルメットのこめかみに当たる左右部分に付けられたヘッドランプを点灯すると、漆黒の水中にはおぞましい光景が広がっていた。
『――うわ』
『どうした士郎!?』
『士郎さんッ!?』
思わず出てしまった声に、オメガたちが反応する。
『――い、いや……詳細はこれからだが、どうやら町民が多数、殺されて水中に沈められていたみたいだ……』
人間の死体を水中に放り込むと、最終的には体内の腐敗ガスが膨張して水面に浮かび上がってくるのだが、死んでからまだそんなに時間が経っていなければ、今のように水中に没したままだ。つまり、この人たちは殺されてまだそんなに経っていないのだ……
『――中尉ッ!?』
田渕がようやく、数人の兵を連れて水中を駆け付けてきた。すぐに、底に沈む遺体に気付く。
『こりゃ酷い――』
同行していた兵たちも、一様に溜息を漏らした。
底に沈んでいたのは、10~30代と思しき比較的若い複数の男性、そして中壮年と思しき婦人たちだった。いずれも眉間を撃ち抜かれていたり、口腔部分が激しく損傷している。もしやと思って口元が酷く破壊されているそれらの遺体の後頭部を見ると、案の定小さな丸い穴が穿たれていた。銃弾は後頭部から、しかも比較的高い位置から斜め下向きに頭部を貫き、反対側のちょうど顎の部分に突き抜けたのだ。破壊力の大きな軍用拳銃だと、射入口より射出口の方が大きく人体を破壊する。
つまり――彼らは処刑されたのだ。
おそらくはひざまずき、後頭部に銃口を押し当てられ、そのまま引き金を引かれたのだろう。被害者がみな若い男性と中年の婦人であることからも、何がきっかけで処刑されたのかおおよその見当はつく。
彼らはけなげにも敵兵に抵抗し、そしておそらくは脅威認定され――排除されたのだ。
子供や老人、若い女性などの遺体が含まれていないことも、その推測を裏付ける状況証拠だった。こうした人々は――その心中はともかく――少なくとも表面的には侵略者に抵抗しなかったのだ。
あるいはここに眠る人々は、そういった弱者――自分の家族や恋人など――が理不尽な暴力に晒されるのを見て、命を懸けて大切な人を守ろうとしたのかもしれない。
いずれにしても、この水中のおぞましい光景はやはり、今回の敵の残虐さを窺い知る一端であった。
『――中尉、これ……心情的にはほっとけないとは思いますが……』
田渕が恐る恐る話を振る。
『あぁ――分かってる……可哀想だが、今は先にやることがある……』
『……すいません』
『謝る必要はないさ……その代わり、キッチリ仇をとってやろう……』
丸腰で敵に抵抗した勇敢な町民たちの無念を晴らすべく、士郎たちはさらに探索を続ける。
すると、今度は未来から連絡が入った。
『――士郎くん……気になるものを発見』
『なんだ?』
『足跡です――たぶん、たくさんの人が通った跡だと思う……』
『今行く!』
といっても、未来は比較的端の方を受け持っていた。何せ水中だから、100メートル進むのにもそれなりの時間がかかる。
ましてや峡谷を流れる川の底だ。それなりに水流もあって、岩もゴロゴロしており、なにより深夜のことだから水中も真っ暗闇で、目視では何も見えない。身体の6割が機械化されている士郎だからこそ、これだけの短時間で彼女の元に駆け付けられたのだ。
とりあえず田渕たちは遥か後方に置き去りにしたままだ。
『――未来』
『士郎くん』
二人は真っ暗闇の水中でお互いの位置をイルミネーター越しに確認すると、そのまま特に意識することなく近付いてハグし合った。水中だからこそ出来たリアクションだ。
ふと、バイザー越しではなく、直に相手の顔を見たいなと思ってしまう。相手も同じように考えているといいなとお互い考えながら、それでもなんとか戦場にいることを思い出した。
『――何を見つけたんだ!?』
『それが……コレ見て?』
未来が自分のヘルメットのヘッドランプを点ける。すると、川底に確かに何か通り道のようなものが黒々と続いていた。
『――これ、どうやって見つけたんだ?』
『んー、たまたまなんだけど、このあたりを通ったら、急に流れが変わったの。それで気になってライトを点けたら……』
『これを見つけたというわけか……』
確かに、その水中の通り道のようなところに身を乗り出してみると、一定方向に流れる強い水流を感じる。
そしてその道のような痕跡は、やがて川の端の方に曲がっていき、そのまま片方の岸に延びているようであった。恐らく陸に上がるルートだ。
『もしかしてこれ――』
『やっぱり士郎くんもそう思う?』
そう、つまりこの痕跡は、あの大軍が通った跡ではないかと思ったのだ。水中だからハッキリしたものではないが、それでもそこはかなり広い幅で川底が抉れ、全体的に水苔に覆われている岩も、ある部分だけは完全にツルツルになっている。踏みしだかれ、水苔が剥がれたに違いない。
それにしても水中を進軍とは――!?
『……だからね……逆にこの痕跡を遡って行けば、ゲートに辿り着くんじゃないかって……』
――――!!
確かに未来の言うとおりだった。確証はもちろんないが、その可能性は十分ある。士郎は、その通り道が延々と水中に延びているのを目視確認する。方角としては、いわゆる4時ポイントの方向だ。そこにあるのは――!?
天岩戸神社か――!!
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