第249話 虜囚(DAY2-6)
突然物凄い悪寒に襲われ、久遠は唐突に意識を取り戻した。
意識を取り戻したと言っても、まだ目は開けていない。脳が覚醒したということだ。頭の上で、微かに話し声が聞こえる。抑制された、ごく小さな囁き声だ。
意識が、全身をくまなく探る。
背中と臀部が、やたらゴツゴツして痛いのか気持ちいいのかよく分からなかった。手脚は――
手脚は特に何も異常はなさそうだった。試しにその指先に少しだけ力を入れてみる。すると、両手の指も、つま先も、自分が思った通りに僅かに動かすことが出来た。
寒い――
だが、身体の上には何か布のようなものが掛けられているようだった。そのおかげで、ガタガタ震えずに済んでいるような気がする。できれば熱い湯船の中にこのまま浸かりたい気分だったが、まだ何とか耐えられそうだった。
突然、腹部に鋭い痛みが走った。
「いつッ――」
久遠は思わず小さな声を上げる。
すると突然、頭の周りに何人もの気配が湧き起こった。
「あっ――気が付きましたよ!」
小さな声で、だが鋭く、誰かが声を発した。久遠は思わず目を開ける。
そこには数人の女性が、お互いに頭を擦り付けるようにして久遠を覗き込んでいた。
「――よかった」
「はぁ……ホントによかったねぇ」
「大丈夫?」
口々に小声で囁く彼女たちをぼんやりと見上げた久遠は、腹部の酷い痛みに思わず顔を歪める。
「やっぱり痛いっちゃね……」
「無理したらいけんよ」
「動いちゃ駄目だよ」
久遠は、あらためて自分が置かれた状況を確認しようと少しだけ首を起こして周囲を見回した。
薄暗い、何かの建物か何かの中にいるようだった。いや――
ここは建物なんかじゃない。先ほどから妙に背中や臀部が痛いのは、下がゴツゴツしているせいだ。それはまるで岩か砂利の上に寝かされているようで――
そうだ……ここは外だ。外というか……洞窟――!?
そう、洞窟だ。薄暗いと思ったのは、ここが洞窟で、外の光がほとんど入ってこないからだ。見上げると、確かに頭上も薄暗い岩のような天井だ。自分はその洞窟の地面に寝かされ……いや、身体の下には何か布切れが敷いてある。申し訳程度だが、そのお蔭でトゲトゲした岩の鋭い表面に直接肌が当たらずに済んでいたのだ。
そして自分の身体には、やはり何か布が掛けられていて……
そうだ! 自分は素っ裸だったのだ。その全裸の身体に掛けられていたのは……服……?
何枚もの服が折り重なるようにうち掛けられていて、自分は裸体を晒されずに済んでいたのだ。
見ると、先ほど自分を覗き込んできた女性たちは、やたら薄着であることに気付く。するとこれは、本来彼女たちが着ていたはずの服――!?
この寒い中、わざわざ脱いで自分に掛けてくれていたのか!?
「あ……あ……」
久遠はお礼を言おうと思って声を出そうとしたが、喉が潰れているみたいに上手く言葉にならなかった。ガラガラして、喉から空気がひゅーひゅーと出るだけだ。
「――大丈夫、無理にしゃべったらいけん。大人しくしとかんと」
「お腹の傷はどうね?」
そう言われて、久遠はようやく自分が撃たれたことを思い出した。先ほどの腹部の激痛は、そのせいだったのだ。慌てて腹部をまさぐり、患部に手をやると、そこにはまるで腹巻のように布がぐるぐるに巻かれていた。べったりと濡れているのは、おそらく出血だ。
くッ――と顔をしかめながら、久遠はなんとか上体を起こそうとする。途端にわぁわぁと女性たちが泡を喰うが、それでも起き上がろうともがくと、今度はゆっくりと身体を支えながら引き起こしてくれた。
あらためて、彼女たちを見る。みな、そこそこ若い子たちだった。久遠と同い年くらいの子もいれば、明らかに年下っぽい幼さの残る子、逆に、少し年上のような落ち着きを持った女性もいる。
「――あ、ありがとう……」
今度はようやく声が出る。
「……あの……お腹は……?」
同い年くらいの子が、腹の傷を心配して恐る恐る訊ねてくる。
「えと……大丈夫……弾は貫通しているみたいだから、止血さえできれば――」
「あんた、軍人さんね?」
年上の女性が割って入る。イントネーションのニュアンスから言って、軍人なのか?と聞いているのだろう。
「う、うん……」
「あらぁー、若いのに……偉いっちゃねぇ」
「わっ……私たちを、助けに来てくれたの!?」
年下の子が、目に涙を浮かべて聞いてきた。この子だけ、言葉に訛りがない。
久遠はようやく悟る。この女性たちは、民間人だ。恐らくこの高千穂町――地元の人間なのだろう。敵の襲撃から生き残って、助けを待っていたのだ。
「――そ、そうだ。私は偵察中に撃たれて……」
「やっぱり思った通りだ。それにしてもアイツら酷いことしよる! 女の子捕まえてから裸にひん剥いてからに――」
「そうよね、あんたぁ裸でここに放り込まれたけん、私ら慌てて服被せて隠したんよ」
「ねー!」
彼女たちは、口々に敵兵の非道をあげつらう。そうか――私はあのあと捕らえられ、ここまで連れてこられたんだ。ということはつまり……ここは敵陣の中……彼女たちはもともと敵に捕まっていたということか――
「あの……私はもともと裸だったのだ……」
「は? どゆこと?」
「裸で戦場をうろついとったんね?」
「えと……」
久遠は、どうしたものかと思案する。まさか自分が透明化できるなどと話すわけにもいかないだろうし……
「――と、特殊な任務だったのだ。それがたまたまバレてしまい……」
「え? 特殊!? それってもしかしてと……と……特殊部隊……だっけ?」
「それ! 特殊部隊! スゴい……特殊部隊が来とるん!? じゃあアイツらもそのうち全部退治してくれるハズやね!」
「ざまぁみろやね!」
「よかった!」
彼女たちは、口々にまくしたてる。今までよほど悔しかったのだろう。その瞳に、希望の光が灯るのを久遠は見逃さなかった。よし、そういうことなら――
「あー、その……私はたまたま捕まってしまったが、このあと本隊がここに攻撃を仕掛けてくる手筈になっている。そのために――」
「マジで!? やったぁ!! 絶対に親の仇取っちゃらないけん!!」
皆まで言う前に、さらに彼女たちのテンションが上がる。
「いや、ちょっと待て! 落ち着いて……その本隊の攻撃のために、ここのことを詳しく教えて欲しいのだ。私は斥候だ。情報を持って部隊に戻らねばならん」
「せっこうって何ね?」
「よう分からんけど、あれこれ調べる忍者みたいな奴やろうもん」
「よかよ、何でも聞いて?」
「てかアンタ、お腹の傷は大丈夫ね?」
その時だった。
「しッ――!!」
年下の子が、急にみんなを制する。「寝たふりしてッ!」同い年くらいの子が久遠に声を掛けると、途端に皆が床にゴロンと寝転がった。身体を折り曲げ、不快そうに眠ったふりをする。
すると、洞窟の向こうから、コツコツと歩く音が近づいてきた。
その足音は、久遠たちがいる空間を覗き込み、ライトのようなものを一人ひとりの顔に無遠慮に当てる。
皆が寝ている様子を確認した足音は、そのまま何事もなかったかのようにその場を再び離れていった。
「――行った?」
誰かが小声で訊ねると、「行ったよ」という囁き声が返ってくる。
「……ふぅー、ホントあの見回り鬱陶しいね」
「ホントよ」
「あの、あれは……」
「敵の見張り。一時間か二時間おきくらいにああやって見に来るけん、気をつけんといけんよ」
「――つまり、ここはやはり敵の陣地なのか?」
「うん、悔しいけどね……本当はここは町の大事な聖地だったけど、アイツらが勝手に占領しよって」
「聖地? 占領? 詳しく教えてくれないか!? その――」
「あぁ、はい……軍人さんやもんね! 私たちが知っとうことなら何でも答えるったい」
それから久遠は、彼女たち3人組にここの状況を詳しく訊き出した。
***
それによるとつまり、こういうことだ。
まず、この町は一昨日まで特に異常はなかったそうだ。
それが昨日の日の出とともに、突如として大軍が押し寄せ、一気に町は占領されたのだという。
彼女たちは、その敵軍のことを「中国軍に間違いない」と言っていた。確証は持てないが、しゃべっている言葉が中国語だったのだという。
どこから現れたのか訊いてみると、それが少し曖昧なのだが、高千穂峡の崖をよじ登って出てきた連中と、天岩戸神社方向から出てきた連中と、二手に分かれていたという。峡谷をよじ登ってきたのは主に歩兵、そして車とかトラックとか、戦車みたいな乗り物はすべて神社の方から出てきたそうだ。
その時、町の人たちはどうしたのだと聞くと、彼女たちは途端に悲壮な顔つきになった。
「――中国兵たちが町の人たちをみんなまとめて何か所かに集めちょった」
「言うこと聞けば手ば出さん言っとっちゃけど、そのうち女の子にちょっかい出し始めたけん……」
「男ん人たちが怒りんしゃって、中国兵に文句ば言いよったと……」
「――そしたらいきなり……」
兵士たちは、丸腰の男たちを射殺したのだという。それを見ていた婦人会の人たちも酷いことすんなって猛抗議したら、彼女たちも一緒になって殺されてしまったそうだ。
ちなみに彼女たちの一人、久遠と同い年くらいの梨香は、その時に両親を目の前で殺されていた。彼女は、目に涙をいっぱいに溜めて、絶対に中国兵たちをこの手で殺してやる、と呟いていた。
その後、虐殺された多数の町民の遺体は、どこかに運び出されたそうだ。久遠は、そんな遺体なら峡谷の川の中に沈められていたとは口が裂けても言えなかった。
そして残った町民たちはまず男女に分けられ、次いで年代別にグループ化され、自分たち若い女性グループはここ、『
問題の供述はここからだ。
梨香たちがこの洞窟に連れてこられて以来、その奥の方からどんどん中国兵たちが現れてくるようになったらしい。だが、その後続部隊は、どう見ても数千人、数万人規模だったという。
「――あんな数、とてもじゃないけど洞窟の中にあらかじめ潜んでいたとは思えなかったです」
彼女たちは口を揃えてそう証言した。何せその隊列は、昨日の日が暮れるまで続いたらしいのだ。
じゃあその大軍がどこに行ったかと言うと、そこまでは知らないのだそうだ。まぁ、捕まえられた洞窟の入口で、兵士たちが目の前を通り過ぎるのを見ていただけだから、その部分は知らなくて当たり前だ。
久遠は、その連中がきっと熊本まで進軍していったのだろうと確信する。
「――で、なぜみんなはここに連れてこられたのだ!?」
久遠が聞くと、彼女たちは一様に同じことを口にした。
「そんなん人質に決まっとるけん……」
「そうよ、アイツらここが大事なところやて知っとうけん、私らを盾にして日本の反撃から守ろうとしとるんよ」
「――ちょっと待て、ここが大事なところって!?」
久遠はまさに話の核心が浮き彫りになってきたのだと直感する。
「大事も大事、何せここは天岩戸やけん――」
「アンタその話知らんね!? 天照大御神さまのお隠れになったちゅう――」
「……い、いや……何となくは知っているんだが……だがそれはいずれにせよ、神話の世界の話ではないのか!?」
「ま、まぁ……神話は神話やけど……ここは昔っからよう子供が神隠しにあったり、逆に随分昔に行方不明になった人が急に帰ってきたりしとったけん――」
「そう! だから急に人が湧いて出てきたりするんは、私らからしたら、そんなに違和感はないし」
「だからアイツらもそれを知っとって、天岩戸を使って出てきたちゅうんは私らにも分かる」
なんということだ――!!
作戦ブリーフィングで聞いたあの話……敵がゲートを使って異世界から軍隊を送り込もうとしているという途方もない仮説は、地元の彼女たちからすればあながち嘘ではない、というか、むしろ「やっぱりか」という程度の十分あり得る話だというのだ。
間違いない。ここは例のゲートで、地元住民の話から言ってもそれは十分確信に満ちた話で……そしてここには彼女たちをはじめ、多くの町民がやはり「人間の盾」として囚われている。
早く報告に戻らなければ――!!
「――ところで、今は何時?」
久遠はふと気になって彼女たちに訊ねる。撃たれて気を失い、ここに運び込まれて目を覚ますまで、いったいどのくらいの時間が経過していたのか、そう言えば確認していないではないか。報告に戻るにしても、士郎たちはまだ峡谷の川面で待機してくれているのだろうか。それとも――!?
「……えと……私たちも時計とかみんな取り上げられちゃったから正確な時間は分かんないけど……」
「まぁ、多分夕方だよね……」
「夕方っ!?」
「……うん、アンタがここに放り込まれたのは昨日の夜遅くやけん。それから朝になって昼過ぎて……だから、今はもう夕方近くになっとると? 多分やけど……」
なんてことだ――
ということは、4時ポイントの部隊はもはや全滅しているのではないだろうか!?
私が早く戻らなかったばかりに――!
いったい、今の戦況はどうなっているのだ!?
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