第243話 空爆(DAY1-7)

 薄暮の西空に小さな黒点が複数、突如として現れた。


 それは最初、夕焼けの眩い金色の光に溶け込んで、ぼんやりとした小さな黒いシルエットにしか見えなかった。だから、最初にそれに気付いた兵士は、その黒点を「鳥の群れ」だと勘違いしたのだ。

 だが、やがて空全体に割れんばかりの轟音が満ちていくと、その遥か下の山の稜線近くを本物の鳥の群れが驚いたように飛び去って行き――つまり、最初に見た黒点が鳥ではないことに、兵士はここでようやく気付く。

 

 周辺監視の役割を負って見張り台の上に立っていたその兵士は、夕焼けで茜色に染まる西の空をもう一度覗き込もうとする。双眼鏡で覗いてみようとも思ったが、太陽の方向にレンズを向けたら失明してしまうかもしれない。眩しく光る赤い光線を避け、目をしばたたかせながらもう一度西空に視線をやると、いつの間にか黒点は先ほどよりも3倍ほどの大きさになっていた。

 おまけにその数はいきなり増えていて……10……20……いや、それ以上の数が、今や空を埋め尽くすように高速でこちらに突っ込んでくる!


 敵襲だ――!!


 兵士は直感した。慌てて見張り台から下を覗き込み、近くにいた兵士たちに大声で何事か叫ぶ。その途端、地上では大勢の兵士たちが慌てて駆け出した。兵士は慌てた様子で見張り台の手すりに括り付けていた手動サイレンに飛びつき、その把手を必死で回す。


 ウゥゥゥゥゥゥゥ――!!!


 辺り一帯に、突如として空襲警報が鳴り響いた。

 何人かの兵士たちが、あらかじめ設置されていた高射砲陣地に飛び込んでいく。それ以外の大半はどちらかというと逃げ惑い、近くの壕に飛び込んだり、建物の中に走り込もうとしていた。


 兵士は再び西空を見上げた。

 もはやそれは間違えようもなく、敵航空機のようだった。今や30機以上は確認できるその黒いシルエットは、彼の視界いっぱい――というか西の空をほとんど覆いつくしていて、先ほどから空全体に満ち満ちた指向性ゼロの雷のような轟音は、見渡す限りの空間を二重にも三重にも取り囲んでいるようであった。

 彼はその轟音が、音速を超えた航空機が発する衝撃波ソニックブームのノイズであることを知らない。


 ドンドンドンドン――!!


 突然、複数の高射砲台が火を噴き、敵編隊の黒いシルエットに向けて多数の弾幕を張り始めた。途端――

 敵機はまるで蜘蛛の子を散らすように大空に散開し、一気に高度を下げる。


 高度を下げた――!?


 普通対空砲火が放たれたら、たいていの航空機は上空に逃げる。もちろん撃墜を恐れての退避行動だ。だがこの連中は逆に高度を下げてさらにこちらに迫ってくるではないか。今や一部の敵機は左右に回り込み、全周からこの辺り一帯を狙っている。


 ドンドンドン!! ドンドンドンドン――!!


 高射砲が、狂ったように敵機を狙い撃つ。上空が、あっという間に黒い爆発球で埋め尽くされた。

 だが敵編隊は、数機ずつ見事に連なりながら次々と地上に肉薄し、そしてまた上空に舞い戻っていく。まるで高射砲の弾幕などそこに存在しないかのように……自由自在に大空を舞い、好き勝手に飛び回る。その様子は、まるで地上の獲物をあれこれ品定めするかのような動きであった。


 兵士は一瞬で理解した。要するに、あれらの敵機はものすごく速度が速いのだ。こちらの砲弾が目標に届く頃には、とっくに別の位置に移動している。これじゃあ歯が立たない。


 今や高射砲陣地は、四方八方に滅茶苦茶と言っていいくらい対空砲火を撃ち上げていた。だが、その弾幕はかすりもしないどころか、相変わらず全然見当外れの空中でボンボンと黒煙の塊を破裂させているだけだった。


 ガァァァァァァッ――!!!!


 突如、兵士の立つ見張り台のすぐ傍を、敵機が暴風のように通り過ぎた。その距離は、10メートルも離れていなかっただろう。通り過ぎる一瞬、兵士はその敵機が恐ろしく巨大で、何やら恐ろしい黒とグレーと灰白色のツヤ消し迷彩柄に包まれた、不格好に扁平の、未来小説に出てくるような機体であることを辛うじて視認した。


 プロペラがついていないじゃないか――!?


 これが、日本軍の戦闘機なのか!!?

 いや、爆撃機――!?

 その機体の腹は魚のように妙に膨らんでいて、大きな三角形に近い翼の下には、多数の爆弾のようなものが吊り下げられている!


 こんな機体、見たことがないぞ!?


 すると突然、何の前触れもなく、一斉に、上空を飛び回る数十機の敵機が示し合わせたように水平飛行に移行した。

 刹那――


 その翼の下から無数の細長い白煙が飛び出した。その数は……100本以上か――!?

 それらは見る間に地上に吸い込まれていき、そしてほぼ同時に着弾した。


 グワァァァァァァ――――ン!!!!

 ダァァァァァァァァン――――!!!!


 耳を弄する炸裂音が、辺り一帯を覆いつくす。その瞬間、地面が数十センチ隆起したのではないかと思えるほどの衝撃が、空間全体を包み込んだ。

 同時に、すべての存在が黒煙と大火球の洗礼を受け、この世界から消滅する。


 最初に黒点を見つけた見張り兵も、跡形もなく蒸発していた。


  ***


『バイパー01より前哨基地コマンドポスト――目標を撃破ターゲットクリア第二波攻撃セカンド・ストライクの要ありと認む。繰り返す――』


 とりあえず視界に入る地上の敵火力がすべて蒸発したことで、編隊はそれまでの激しい回避機動マニューバを解除し、みな通常飛行に戻っている。

 先頭二機編隊エレメントの編隊長を務める山本少佐は、眼下に広がる焼け野原を改めて見下ろした。


 まったく……酷い有様だ……

 

 記憶に残る美しい九州山地、特に国見岳から祖母山にかけてと、そこから連なる阿蘇の山々の豊かな緑は、今や無残にも失われようとしていた。

 まるでガン細胞のように我が国土に湧き出てきた敵軍勢。中でもここ、宮崎県と熊本県の県境に近い高千穂地方は、神話の時代、天照大御神の命を受け、瓊瓊杵尊ニニギノミコトが高天原から降り立ったと伝えられる「天孫降臨」の舞台とされた、神聖な地である。

 よりにもよってそんな特別な場所に敵軍が現れるなど、今でも信じがたいのであるが、先ほど攻撃の直前に行った強行偵察では、確かに敵大部隊が地上を埋め尽くしていた。

 通常であれば、宇宙軍によって事前に大気圏外から地表の偵察が行われるのだが、今回なぜだかそれが出来なかったのだという。なんでも「電離異常」ということらしく、宇宙空間からの画像データが一切入手できない。

 やむを得ず、対地攻撃直前に獲物を目視確認するという離れ業をやってみせたのだが、敵はどうやら手も足も出なかったようだ。一番恐れていた地対空ミサイルSAMも結果的に存在せず、それどころかえらく旧式の高射砲が登場してきて、逆にこっちが驚いたくらいである。


 ちなみに、ここからほど近い熊本市中心部は、残念ながら既に灰燼に帰していた。オメガ司令部によると、敵軍はこの高千穂地方のどこかから湧き出してきて、推定10万の大軍で熊本市街地に襲い掛かっただろうということだった。

 その推測を裏付けるかのように、先ほど通り過ぎた際に確認した市街地には、上空から確認できただけでも大小無数の激しい戦闘痕が残されていた。

 あそこは第5軍の司令部があるところだ。もともと駐屯していた二個師団は、恐らく誰と戦っているのかも分からないうちに、市民の盾となって壊滅したのだろう。市内のあちこちで擱座している戦車や装甲車など無数の戦闘車両の残骸が、兵士たちの無念を無言で訴えかけているようだった。


 もちろんその市街地にも、無数の敵部隊を確認している。山本が率いるF-38戦闘爆撃機は第6世代の最新ステルス機であるから、地上に貼り付いた敵部隊に見つかる心配もなく、行きがけの駄賃で上空偵察を済ませてある。帰隊したらさっそく情報部に画像分析してもらって敵味方の識別を行い、空から報復攻撃を絶対に行ってやる――


 先ほどの攻撃もそうだったが、今のところ上空からの空爆は“民家が存在しないところ”に限定されている。攻撃前に周辺一帯を目視確認したのも、攻撃目標を確認することもさることながら、自国民がいないかどうかの確認を徹底していたという事情があるからだ。つまり、市街地を占領された状態での航空攻撃が難しいのは、自国の市民が敵占領地域に混在している可能性があるからだ。

 本来「空爆」とは、面制圧を図るものだ。もちろん、ドローンを飛ばしてピンポイント攻撃を行うことも可能だが、今回のように敵の大軍が市街地を圧倒している場合、逆にピンポイント攻撃では効率が悪すぎる。最小単位の二機編隊エレメントで戦場上空をウロウロして、うっかり1機100億円以上の機体を撃ち落とされでもしたら、とんでもない損失だ。

 かといって、自国民の犠牲を無視して敵軍の壊滅を図るほど日本国は無慈悲ではない。ただでさえ、僅か50年で人口が半減したのだ。国民一人一人の命の重みは、むしろ今の時代の方が遥かに重い。

 だから、先ほど山本たちが焼き払ったのは、高千穂町の中心部から少し外れた無人の山間部だ。敵が大軍過ぎて、町域から溢れ出しているところを叩いたに過ぎないのだ。結果、敵も焼き払えるが、美しい森もそのたびに消えていく。


 早く地上に特殊部隊を侵入させて、ターゲットピンを打ち込んでもらい、巡航ミサイルのつるべ打ちを遂行するしかないのだ。

 敵の排除とは、害虫駆除と同じくらい手間暇がかかるものなのだ。


『ファルコンよりプリースト。前方およそ6マイル(10キロ)――第二次攻撃隊を視認』

了解ロジャー――』


 僚機ウィングマンの“ファルコン”こと加藤中尉から山本プリーストに無線が入る。攻撃を終え、西進する山本たち第一次攻撃隊に正対するかたちで、やはり30機以上の大編隊が再び高千穂方面へ向かっている。

 第一波と同様、夕陽を背に突入するのだ。


 それからものの数十秒後、二つの大編隊は上空で擦れ違った。両隊の編隊長機が、軽くバンクしてお互いを見送る。


『――あれは……瑞鶴飛行隊ですね』


 擦れ違った瞬間、尾翼の部隊章を見たのだろう。相変わらずファルコンの動体視力は人間離れしているな……と山本は思った。


 頑張れよ――と心の中で彼らを激励しながら、山本は母艦の赤城が遊よくする海域へ、ゆっくりと機首を旋回させた。


  ***


「赤城および瑞鶴空母打撃群より入電。目標エリアは第四次におよぶ波状攻撃を実施、市街地以外の敵勢力無力化を完了――とのことです」


 発令所のオペレーターが声を張り上げた。


「よし――協力に感謝する、と各打撃群に伝えてくれ」

「アイサー」


 四ノ宮が別のオペレーターに向き直った。


「第7軍の進発はどうか!?」

「はッ! 現在先行して第7師団を空挺準備中とのこと!」

出発予定時刻ETDは!」

「――あと180分です」

「急がせろッ!」

「はッ!」


 このあと、赤城・瑞鶴空母打撃群は、台湾から進発予定の第6軍を護衛してもらわなければならない。北海道に駐留する第7師団は、今回重輸送機で直接千歳から長駆九州・高千穂にアプローチし、多脚戦車部隊を空挺降下する手筈だ。

 赤城と瑞鶴、両飛行隊による空爆で、現地の敵部隊は恐らく大混乱に陥っていることだろう。その騒ぎに乗じて石動いするぎたちを現地に乗り込ませる。第7師団が同じタイミングでエントリーしてくれると間違いがないのだ。


「――ワクチンは!?」

「伊豆半島沖上空で空中受け渡し予定」

「よし」


 オメガが参戦する以上、現地で接触する可能性のある第7師団の兵員には、イスルギワクチンの投与が不可欠だ。これを怠ると、例の無差別殺戮が起こってしまう。輸送機の飛行ルートをわざわざ横須賀沖を通過するように設定したのもそのためだ。

 準備は着々と進んでいた。


  ***


 空爆成功の報せは、格納庫で待機する士郎たち特戦群地上部隊を奮い立たせていた。


「――よぉし! 次はいよいよ俺たちだな」


 兵士たちのテンションはますます盛り上がる。

 そこへ、ヂャン将軍以下『狼旅団』の面々がようやく準備を整えて格納庫に戻ってきた。

 ただ、彼らは元々一般歩兵だ。士郎たちのように、空挺降下訓練は一切受けていないし、そんなもの付け焼き刃でどうにかなるものでもない。

 というわけで、今回彼らは、いわゆる『降下鞘』を使って現地に投下されることになっていた。しかも、それは士郎たち特殊部隊員が使うようなパワー・バイ・ワイヤ型――自分で操縦して任意の地点にまるで航空機のように突入するタイプ――ではなく、自律飛行で一定エリアにばらまかれるタイプの自律鞘オート・ポッドである。PBWは基本的に操作性がピーキーなため、少しの操縦ミスでとんでもないところに飛んで行ってしまう危険性があったから、空挺降下に慣れていない狼旅団には使いこなせないだろうという配慮だった。

 ただし、オート・ポッドの欠点は、地上で乗り込んでおかなければならないという点だ。安全性に最大限配慮しているため、ポッドが大型で、降下艇には折り重ねるように積み込まなければならないからだ。


「――では、よろしくお願いする」


 張将軍が、オート・ポッドの中に横たわりながら士郎に声を掛けた。それはまるで、吸血鬼が棺に戻るようなイメージだ。

 同じように、狼旅団の面々がポッドの中に横たわる。


「では、現地でお会いしましょう」


 そう言うと、士郎は全員に向けて敬礼を送った。その瞬間、自律鞘オート・ポッドの外面キャノピーが音もなく閉じられる。ブォン――と低い音がして、ポッドが作動を開始した。

 そして、格納庫の中に整然と並んだ百個近い漆黒のポッドの周りを、自律型リフターが忙しく走り回り始めた。彼らは、まるで働きアリが巣穴に餌を運び込むように、『飛竜』の貨物室にそれをどんどん運び込んでいく。


 これの積み込みが始まったということは、ほどなく進発命令が出る、ということだ――

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