第242話 進発準備、再び(DAY1-6)

 すべての装備を整え、いつでも進発できる状態になってから早や小一時間が経過し、さすがの士郎も徐々に苛立ちを隠せなくなりつつあった。


 既に滑走路には30機以上の強襲降下艇『飛竜』が駐機して弾薬装備その他の積み込みを終えており、いつでも離陸できる態勢を整えている。

 後は号令一下、飛び立つだけなのだ。

 だが相変わらず士郎たちは、広い格納庫の中で馬鹿みたいに呆けた顔をして出撃命令を待っている。


「士郎……まだかなぁ?」

「――まだだな……」


 久遠が隣でしゃがみこんだまま、もう何度目かの同じ質問をする。それに対する士郎の答えも、最初に答えた時と寸分たがわない。

 そのぶっきらぼうな返事の中に、苛立ちの色が含まれていることに気付かない久遠のは、ある意味才能だ。苛ついている人間に、なぜ苛ついているのかわざわざ聞く奴ほど鬱陶しい者はいない。

 そういう意味では、やはり久遠は士郎の副官にピッタリなのだろうと思う。


「あの……士郎くん……コーヒーどうぞ?」


 今度は未来みくが、紙コップにブラックコーヒーを入れてきてくれた。


「あ、あぁ……」


 意外そうな顔をしながら、士郎はコーヒーを受け取り、グイッとそれを一気に飲み干した。


「――ぅわっちッ!!」

「あははっ……ふーふーしなきゃ」


 未来が楽しそうに笑う。「はひー」と火傷しかかった喉を冷ましながら、士郎は思わず未来を見つめ、彼女が少しだけ心配そうな顔つきをして自分を見ていることにようやく気づいた。


「あ……す、スマン……もしかして、気を遣わせたか……!?」

「――大丈夫だよ……でも……気負わないで……」


 未来はまるで聖母マリアのような慈愛に満ちた目で士郎を見つめ返す。それはあたかも「どんな士郎だって受け容れる」とでも言わんばかりだ。

 彼女の場合は久遠とは真逆のやり方だが、やはり士郎には必要なアプローチだった。


 二人の接し方があまりに居心地良くて、士郎は徐々に落ち着きを取り戻していく。

 と同時に、指揮官としての器の小ささに少しだけ自己嫌悪に陥る。部下に気を遣わせるなんて――!

 士郎は「ふぅーーーっ」と大きく深呼吸して、自分の気持ちを入れ替える。


 とはいえ、一刻も早くどこでもいいから前線投入してくれ――というのが、今のオメガ特戦群隊員たち全員の偽らざる心境であった。

 現在の戦況は極めて厳しい。こうしている間にも、日本各地で多くの無辜の市民が命を奪われ、仲間たちが傷つき倒れているのだ。

 国防軍最強の特殊部隊であると自負する我々が、最前線に赴かなくてどうするのだ!?


「中尉! 発令所からです」

「ようやくか!」


 通信兵からの報告に、弾かれるように立ち上がった士郎は、迷わず受話器を奪い取った。


「……はい……はい、え? ……はい、……わ、分かりました……」


 士郎は、黙って受話器を返す。周囲の誰もが、彼の発する次の言葉を待っていた。いつの間にか自分の周りを取り囲んでいる皆をグルリと見回し、士郎が口を開く。


「みんな――出撃は一旦中止だ」

「は?」

「えっ!?」

「ど、どういうことです中尉ッ!?」


 思わず周囲がどよめき、皆が口々に詰め寄る。その衝撃的な発言は、さざ波のように格納庫全体に広がり、あっという間に駐機場にまで伝わった。

 血相を変えた機付整備員たちが、エプロンの向こうから走ってくるのが目に入る。


「まぁ落ち着け! 誰も戦わないなんて言ってない! 今からある人たちを待つ。それが準備できたら、一緒に出発だ。進発予定は恐らく夜になる」

「ある人たちって?」

「いいか!? 聞いて驚くなよ――ヂャン将軍以下、元華龍ファロンの中国兵たちだ」

「マジで――!?」

「そのせいで出撃が遅くなるんですかッ!?」


 誰かが棘を含んだ言葉を投げつける。それはそうだ。今は一刻を争うのだ。中国兵どものせいで待たなきゃいけないのだとしたら、とんだ本末転倒だ。


「いや、違う。我々の攻撃目標も決定された。目的地は――宮崎県の高千穂だ!」

「高千穂?」

「あぁ! 敵の大部隊が続々出現している、今いちばん敵がうじゃうじゃいるところらしい。俺たちはそこに切り込む!」


 おぉー……というざわめきが全体を覆う。先ほどのさざ波とは違う熱波のようなものが、あらためて拡散していく。


「いいか!? つまり俺たちは、敵主力のど真ん中に殴り込みをかけることを命じられた! ということで、歩兵だけじゃダメだってんで、急遽機甲科も合流することになった!」

「航空団はッ!?」

「もちろん俺たちの尖兵となって空爆だ!」

「艦隊はッ?」

「いいか!? 聞いて驚け! 今、台湾の第6軍が、九州に逆上陸すべく急遽日本に向かう準備を進めているそうだ。空母打撃群はその上陸部隊の大艦隊を構成しながら東シナ海に展開中だ。準備でき次第、8万人の海兵が突っ込んでくるぞ――俺たちはその露払いとして、敵の中心部に空挺降下して暴れ回るんだ」

「第6軍が?」

「水陸機動旅団が来るのか――!」


 辺りは一気に火炎のような熱気を帯びてきた。

 それは、先ほどまでの多少トゲトゲした雰囲気とはまったく異なる、恐ろしく高揚した空気だ。


 大反撃が始まる――!!


 士郎が語っただけでも、この反攻作戦がどれだけ大掛かりな作戦行動かが垣間見える。今朝からの絶望的なニュースしか見ていない兵士たちは、ともすれば最悪の思考に支配されがちであったのだが……そう言えばそうだった――!

 我々は奇襲を受けただけで、別に負けたわけではないのだ。しかも、海軍も空軍も、そして宇宙軍も電脳軍も、その戦力はほとんど無傷で残っている。おまけに、海外各地に展開している部隊だって、いざとなったら日本に戻ってこられるのだ。現に台湾の第6軍は、身の丈を知らない愚かな敵に怒りの鉄槌を喰らわすべく、急いで戻ってくると言っている。そして、つい半年前まで自分たちが居た大陸にだって、精強無比の5個師団が控えているじゃないか。

 そして自分たちは――世界最強の特殊部隊である我々は――今から敵の横っ面を張りに行く!

 士郎がやにわに立ち上がった。


「おい貴様ら! 半日くらい出撃が遅くなるからって、うろたえるんじゃない! その分みっちり準備して、超特大のげんこつを敵に喰らわせてやろうじゃないか!?」

「ウゥオッ! ウゥオッ!! ウゥオッ!!!」


 全員の目の色が変わった。苛立ちの色は、既に誰にも見られなかった。士郎が、ガラにもなくマッチョな発言を試みる。


「――今のうちに、家族や彼氏・彼女にお別れを言っておけ! 攻撃目標地点は軍機だが、それ以外は随時私用連絡を許可する!」

「「「おぉー」」」


 その瞬間、大半の兵士たちが、さっそく自分の携帯端末を取りに自室に走った。


「中尉、100点満点ですよ、さすがです」

「あ! 曹長!」


 田渕だった。士郎の初陣からずっと、戦場の彼を見てきた男だ。


「今回は、久々に中尉の小隊で先任やらせてもらいますんで、よろしくお願いします」

「わーい! 田渕さんよろー」


 ゆずりはたちが、嬉しそうにベテラン曹長の周りに飛びついていった。


  ***


ヂャン将軍、お久しぶりです」

「こちらこそ――ご恩返しができることになって、ありがたいかぎりだ」


 士郎がガシっと握手を交わしたのは、アジア解放統一人民軍ALUPA・元黒竜江省軍団長のヂャン秀英シゥインである。ハルビンでの神代未来奪還作戦で日本に政治亡命した、元敵将だ。

 その顔つきは彼の現役時代を彷彿とさせる、極めて精悍なものであった。ただし、その表情はまるで憑き物が落ちたみたいに晴れやかだ。

 一時は生死の境を彷徨うほどの重傷を負っていたのだが、例のクリーが引き起こした大破局に伴う未来の謎の再構築リビルド現象と、そして日本の最先端医療のお陰で、今は五体満足――見たところピンピンしているようだ。肌艶もいい。


「――随分養生させてもらいました。お陰で昔の若い頃に戻ったようだ」

「それは良かったです……ですが、今度の敵は同じ中国軍のようですが……よろしいのですか?」

「あぁ、それについては先ほど叶少佐から一通りお聞きしました。こちらの世界の存在ではないらしいではないですか……ならば問題ありません」

「あの、もしお辛いようでしたら、現地に降りても後方で待機していてくださって結構ですから――」


 士郎は気を利かせたつもりだった。いくら別の世界線の兵士だとはいっても、こちらの世界のそれと見た目はそんなに変わらないのだ。それこそ階級章とか、ちょっとしたところが違うくらいだから、同士討ちみたいな感情に襲われるかもしれない。自分だったら、異世界線の兵士と言えど、同じ日本軍の兵士を攻撃するなんてとてもじゃないが心情的に不可能だ。

 だが、将軍はきっぱりと言い切った。


「いえ、お気遣いはありがたいが、これは言ってみれば元部下の不始末に片を付ける――という意味合いもありましてな……」


 言うまでもなく、元部下とはALUPA――別名「華龍ファロン」――科学部門総裁の李軍リージュンのことだろう。一連の経緯を考えると、上海のことも含め、先日から続く異常現象とこの大軍勢の出現は、すべてあの李軍が裏で手引きしているとみて間違いない。


「――あれらは、この世界に本来現れてはいけない存在なのです。それを無理やり呼び込んだのが彼奴きゃつだとすれば、それに引導を渡すのも私の務めだろうと思うのです。ここにいる者たちすべて、私と同じ考えです」


 将軍の後ろには、楊子墨ヤンズーモー大校をはじめ、あの時日本軍に投降し、その後亡命を果たした元華龍の面々が神妙な顔つきで立っていた。


「――あ、みなさんっ!」


 突然弾むような声が格納庫の向こうから響いた。


「未来ちゃん!!」


 中国兵たちを見つけ、向こうの方から未来が駆け寄ってきた。彼女が大陸で拉致され、ハルビンの華龍本部に連れてこられて以来、彼らとは数か月を一緒に過ごした仲だ。彼女の扱いは客人以上のものであったから、未来には彼らを恨む道理はない。それどころか、李軍のクーデター以降、命を狙われた彼女を匿い、一緒に戦った戦友だ。

 そもそも彼らが日本に亡命したのも、もしかすると未来の件が原因ではないかというくらいの関係性なのだ。


「未来ちゃん! 綺麗になったねぇ!」


 隊長(仮)こと音繰オンソウが人懐っこい笑顔を彼女に向ける。心なしか下腹が出て、頬もふっくらしている。


「何言ってんだ隊長! 未来ちゃんは前から美人さんだっつーの!」

「わははははッ! 言ってみたかっただけよ!」


 彼の小隊にいた面々も、相変わらずだ。未来は懐かしそうに彼らをぐるりと見回す。


「――今回は皆さんも作戦参加するって聞きましたけど」

「あぁ、そうなんだ! 見てくれよこの格好」


 そういえば、彼らは全員が国防軍の戦闘服を着ていた。馴染み過ぎて最初は気にならなかったのだが、元「華龍」の兵士たちが、日本兵の格好をしている!


「おかげさまで俺らも大出世というか……まさか自分が旭日旗を纏うことになるとは思ってもみなかったねぇ」


 そういって肩口のワッペンを叩く。濃緑の迷彩服に、目立たないよう縫い付けてあるのは、旭日旗ワッペンと、そして何やら見たこともない部隊章だった。


「それって……」


 不思議そうに見る未来に気付いたのか、ヤン大校が孫娘を見るような目で未来に近付いてきた。


「――やぁ、お嬢さん」

「こんにちは」


 お互い、どれだけ激闘を潜り抜けてきたか知っている仲だ。自然と敬意を持って相手に接する。大校の襟元には、国防軍大佐の襟章が縫い付けてあった。


「四ノ宮中佐の計らいでね……この老兵にわざわざ大佐職を付けてくださった」

「俺っちは『伍長』だぜ」


 音繰が胸を張る。音繰伍長か。それをきっかけに、音繰小隊の面々が口々に報告してきた。「俺は『上等兵』」「『二等兵』……」。


「――てか、未来ちゃんって一等兵曹だったんだ!? てことは俺らの上官なのかぁ……」


 兵士たちが、未来の襟章を見て驚いていた。彼女はそんな一同を、楽しそうに見つめる。


「――未来どの、今度の戦いでは、みんな日本に恩返しするつもりです。どうかお力添えをお願いしますぞ」


 老将が、あらためて彼女を見下ろした。


「えぇ、こちらこそよろしくお願いします」


 そして……本当は一番先に声を掛けるつもりだった、張秀英にあらためて向き直る。


「――将軍」

「未来……」


 二人はお互いをじっと見つめる。それ以上の言葉は、どうやら必要なさそうだった。

 ふと、秀英が話題を変える。


「そういえば……連中の部隊章を見ただろう。今回我々は『第101独立混成旅団』通称『狼旅団』を拝命することとなった」

「狼旅団!?」

「あぁ――これを見てくれ」


 そういって秀英はやはり肩口のワッペンを未来に見せる。そこには、白いオオカミの横顔が描かれていた。そしてその瞳部分には――青色で鋭い目が描かれている。


「これって――!?」

青藍せいらんは元気かね!?」


 ――――!


 青藍とは、未来のペットの是灰狼ハイイロオオカミだ。“ペットの狼”という時点で、日本国内では普通に飼うことが許されないため、現在はこの基地の一角で隊員たちに共同で飼われている。

 飼われているといっても、結構広いスペースを与えられて半ば放し飼いのような感じなのだが、実は今回の作戦で部隊と行動を共にすることになっていた。軍用犬ならぬ、軍用狼として訓練に明け暮れていたのである。


「――そうなのか!? ではまた肩を並べて戦うことができるのだな」


 秀英は感慨深そうに未来を見つめた。青藍は、もしかしたらかつての自分の部下――兵卒の浩宇ハオユーが遺伝子結合していた個体かもしれないのだ。感慨もひとしおだった。


 今回彼らは、そんなハイイロオオカミを部隊の象徴とする新設部隊の兵員として、国防軍に加わったのだ。未来の胸にも、さまざまな想いが去来する。


「――じゃあ、全体ブリーフィングやるぞ!!」


 士郎が号令をかけた。

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