第238話 防人(DAY1-2)

 今自分にできることは、せいぜい残りの弾薬をありったけ掻き集め、残存の分隊員たちと共に最期の突撃を敢行し、少しでも敵の戦力を削ぐことくらいだった。

 広田少尉は覚悟を決めた。決めざるを得なかった。


 目の前の敵部隊は、少なく見積もっても千人――大隊規模はあるだろう。なぜこんなところに突然この連中が現れたのか、どれだけ考えてもその理屈は思いつかなかったが、少なくともコイツらがこの百道浜を占拠しつつあり、このあと福岡市街地へ突入を図ろうとしているのは明白だった。

 背後に広がる市街地が大混乱に陥り、あちこちから黒煙を噴き上げている様子に、広田は内心忸怩じくじたる思いだった。先ほどからロケット弾のようなものがむやみやたらに撃ち込まれ、そのたびに後方から大きな炸裂音と人々の悲鳴が聞こえてくる。被害は相当なものだろう。死傷者も半端ないに違いない。

 突然の攻撃を受けてしばらくは救急車やパトカーのサイレンが響いていたのだが、今ではそれすらも聞こえない。あまりの被害の大きさに対処しきれていないのか、あるいは彼ら行政車両すらも市街地にパラパラ先行して潜り込んでいるであろう敵遊撃兵に攻撃を受けて全滅してしまったか――

 いずれにせよ、事態は極めて深刻であることが誰の目にも明らかだった。


 それにも関わらず、師団司令部には先ほどからまったく連絡がつかない。あらゆるチャンネルで呼びかけてはみたものの、途中で一瞬繋がりかけただけで、通信機はすぐに沈黙してしまった。一瞬通じたその瞬間も、酷いノイズの合間に何やら叫び声が聞こえていたから、恐らく司令部も緊急事態に陥っているのだろう。

 こうなったら、自力で出来ることをやるしかない。今この博多湾に面した百道浜、そして博多港、海ノ中道エリアは、自分が指揮する監視哨の管轄で、そこを守る軍事力は最初から自分たちしか存在しないのだ。


 福岡駐屯地麾下の第4偵察戦闘大隊に所属する広田護は、博多湾監視哨を担当する第42小隊の指揮官である。

 一応指揮官なのだが、広田には実は実戦経験がない。

 たいていの「少尉」は士官学校卒業後すぐに大陸に送られて、それなりに経験を積んでいくものなのだが、彼は例外だった。一人っ子だったことを軍が考慮してくれた可能性もあるが、恐らくは卒業時の成績が最大の理由だろう。彼はとにかく実技が駄目なのだ。射撃はまともに当たったためしがない。体術も駄目。手榴弾を投げたら後ろに飛んでいく。迫撃砲を撃ったら不発弾。唯一行軍だけはなので、人並み。

 まったく、よくこんな成績で士官学校を卒業できたなと感心するしかないが、どうやら上層部は彼の「頭脳」を買ってくれたらしい。実技はからっきしだが、座学は常にトップクラスだった。総合成績は間を取ってちょうど中間くらい。悪くはないが、良くもない。平々凡々な少尉の一丁あがりだ。


 だから、軍は彼を大陸に派遣しなかった。同じ大陸でも、後方の支援部隊で任務に就かせるという選択肢もあったはずだが、それさえも叶わず結局国内配置だった。こんなアテにならない士官、部下の命がいくつあっても足りないと見做されたのだろう。

 だが配属は「第4偵察戦闘大隊」。名前だけ聞くと、なんだか凄い実戦部隊に配属されたみたいに見える。実際この部隊は勇猛果敢な精鋭部隊なのだが、今はローテーションで国内に駐屯している。大陸派遣はどの部隊も基本18か月交替だ。だから大隊が次に大陸に展開するのは約1年後で、その頃には広田も転勤して無事に新しい内地部隊に着任するはずだったのだ――きっと。


 だが、こうなったら今はとにかく必死で戦うしかない。幸い部下は精兵で、ポンコツ少尉でもなんとか小さな戦線を維持している。だがそれももう限界だった。もとより僅か30人の小隊で、一個大隊を相手にできるわけがない。先任軍曹は「思ったほど敵火力に力がない」と言って果敢に抵抗を続けてくれているのだが、やはり多勢に無勢。戦闘開始から僅か1時間ほどで、監視哨に備蓄していた弾薬は底を尽きかけていた。

 既に小隊は半数以上が死傷している。まともに戦えるのはせいぜい10人余りか。戦術的にこれ以上敵を釘付けにすることは不可能だ。降伏してむざむざ殺されるくらいなら、いっそ一人十殺の覚悟で爆弾を抱いて敵陣に突撃した方がいい。そうすれば、自分たちの背後に広がる美しい福岡・博多の街に住む人々が、少しでも逃げ延びる時間を稼げるかもしれない。

 広田は運動神経こそ壊滅的だったが、別に兵士として出来が悪いわけではない。責任感は人並みにあるし、愛国心だってそれなりだ。少なくとも、国民を守るために自分の命を投げ出すくらいの覚悟は出来ている。

 もう一度、ラーメン食いたかったなぁ……それだけが、唯一の心残りだ。


  ***


 かつて福岡は、大陸・半島への玄関口として明治以降大いに栄えた都市である。中でも県庁所在地である福岡市は、その最盛期に人口158万人を数え、東京都市部を除く全国の主要都市ランキングでも、横浜市・大阪市・名古屋市・札幌市に次ぐ5番目の規模を誇る政令指定都市であった。

 ただ、九州随一の大都市というイメージのある福岡であるが、意外にその繁栄は近代になってからのことである。江戸期以前の九州を代表する都市といえば実は長崎、そして鹿児島である。

 長崎は鎖国中の日本が唯一海外にその門戸を開放していた貿易都市として、鹿児島は西日本一の大藩である薩摩藩が治めていた土地として、それぞれ繁栄を謳歌していたのだ。


 その雲行きが変わったのは、明治維新のことである。ペリーの来航で長崎はその相対的地位を徐々に落としていき、鹿児島は西南戦争で官軍に潰された。

 代わりに台頭してきたのが福岡だ。この地は元々中世から「博多」と呼ばれる商人たちの自治都市が形成され、大陸との交易で活況を呈していたし、関ケ原以降は黒田氏が入城して城下町を形成した。結果、市街地の西側は「城下町・福岡」として、東側は「商人町・博多」としてそれぞれ発展していったのである。


 だが、同時に発展を遂げていったのが熊本だ。熊本はもともと地政学的にも重要な地で九州の中心にあり、交通の要衝でもある。加藤清正の代から始まった近代的城下町の形成は細川氏に引き継がれ、江戸期はどちらかと言うと福岡・博多よりも繁栄していたという。

 それがやはり明治維新期の西南戦争で熊本城を含む城下町はすべて灰燼に帰し、近郊の田原坂では凄惨な戦闘が繰り広げられて、都市としての勢いは削がれていくこととなる。

 いっぽう九州全体に目を光らせるという明治政府の意向により、熊本のど真ん中には陸軍第6師団が駐屯することとなった。これによりいわゆる「軍都」としてこの街はあらためて発展を遂げていくわけだが、同時にその巨大な軍施設により市街地が分断され、結果として都市の合理的近代化が阻害されるという不運も重なった。


 ちょうどその頃、福岡では博多港や九州帝国大学などの開設が進み、都市機能としては次第にこちらの方の地位が向上していくこととなる。結果的に20世紀初頭、ついに福岡が熊本の人口を抜き、九州ナンバーワン都市の地位を手中に収めたというわけだ。


 ただ現在――2089年の日本では、九州の中心都市としての地位を再度熊本が取り戻していた。理由は2つある。

 ひとつは、中国大陸への睨みを効かせるために大規模な軍事拠点を構築するにあたり、広大な軍用地を確保するには都市化の進んだ福岡より元々「軍都」の伝統のある熊本の方が容易だったこと。その結果として九州方面を統括する第5軍司令部が熊本市に置かれて街が活性化したこと。

 もうひとつは、福岡方面が大陸からの放射能汚染大気の流入により準汚染地域に指定されてしまったこと。当然人口の流出が始まり、福岡の街は徐々に寂れていった。


 そんなわけで、軍の展開にあたっては、都市規模に比べると福岡拠点が極めて手薄であったことは否めない。辛うじて福岡市に隣接する春日市というところに自衛隊時代から続く駐屯地があって、そこに第53師団1万5千名が駐屯していた。

 そして、いわゆる「城下町・福岡」方面には、詰所的な小拠点――監視哨――のみあって、それは言ってしまえばせいぜい交通機動隊の詰所的な規模の施設にしか過ぎなかったのである。


 そんな、申し訳程度の小さな砦である博多湾監視哨と第42小隊は、だが十分過ぎるくらい善戦していたと言っていいだろう。ロケット弾攻撃は如何ともしがたかったが、少なくとも敵本隊の市街地侵入はもう小一時間以上食い止めていた。

 この時間稼ぎを利用して、多くの市民が内陸方面へ逃げ延びていったはずだ。避難する市民の中には、踏みとどまって戦う彼らの後ろ姿に手を合わせる者も少なくなかった。みな知っていたのだ。兵士たちが身を挺して自分たちの盾になっていることを。そして彼らは恐らくここを死守して、このあと全員が玉砕するであろうことを。

 確かにそれが兵士の務めであり、日本軍の伝統でもあった。市民が残っている状態で軍が先に撤退することなど、万が一にもあり得なかったのである。


「――少尉ッ! そろそろ頃合いかもしれません!」


 先任軍曹の一木が激しい砲煙弾雨の中で広田に声を掛ける。辺りは既に硝煙に包まれ、十数メートル先も見通せない。


「りょ、了解だ――市民の退避状況は!?」

「見る限りもうこの辺りにはいないようですッ! 死んだ者以外、退避完了と判断しましょう!」


 もとより市民全体の避難状況など分かるはずもない。だが少なくとも、自分たちの目に見える範囲内でまだ民間人がうろついているようでは、好き勝手に死ぬわけにもいかないのだ。勝手に死んだら、そのあと誰が彼らを守るのだ!?

 だからこの遣り取りはある種の様式美だ。「死んだ者以外は退避完了」という言い回しは、もうこれで死んでも文句は言われまい、という兵士たちの符牒なのだ。


「――分かったッ! では全員覚悟はいいな!?」

「もうすっかり腹は括ってあります! あとは死に花を咲かせましょう!」


 百戦錬磨の一木がニヤリと笑みをこぼした。あちこち傷つき、その顔はドス黒く煤けている。額から垂れていた赤黒い流血痕が乾いてバリバリになっていた。


「よ、よぉーし! 全員乗車! これから敵本陣に突撃するッ!」


 広田は、目の前に防塁代わりに停めていた八七式指揮通信車と七六式機動戦闘車を仰ぎ見た。もともとこれらの車両は偵察戦闘大隊の標準装備で、偵察を主任務とする部隊らしく車輪による高速走行が可能な装甲車輛だ。先ほどから敵兵が撃ってくるライフルは確かに軍曹の言うとおり威力が思ったほどではなく、車体に当たるとガキンガキンと弾丸を跳ね返している。

 つまり、これに乗って敵軍本陣まで突入すれば、万に一つ敵指揮官の首を挙げられるかもしれない。そうなったら一気に形勢逆転だ。敵の侵攻自体を押し返すことすらできるかもしれない。別に自分たちは死に場所を求めて突入するわけではないのだ。死ぬ覚悟は出来ているが、あくまでも“勝つために”突撃するのだ。


 ドルルゥーン――


 各装甲車輛の運転席に転がり込んだ兵士たちが、間髪入れずエンジンをかける。防塁にしていた時は、エンジンに弾を喰らって炎上しても困るので、機関停止していたのだ。

 その力強い音を聞きつけ、周辺に展開していた隊員たちが急いで駆け戻ってきた。全員どこかしら負傷していて、どう見ても助かる見込みがなさそうなほど重傷を負っている者すらいる。だが、誰もが相変わらず士気旺盛だった。ここを自分の死に場所と定め、最期の瞬間まで、敵に牙を剥き続けようという気迫に満ちた目。それはまるで、今から800年以上昔、この地に襲来した蒙古軍を迎え討った鎌倉武士たちのようでもあった。

 彼らはまさしく、それ以来この地に配備されたという防人さきもりの末裔であった。元寇の時みたいに、サムライの意地を見せてやろうじゃないか――


 二台の装甲車に分乗した残存隊員たちに、広田が檄を飛ばした。


「全員! 今から敵本陣に突撃する! できるだけ敵を斃し、あわよくば敵大将の首を討ち取るッ!」

「オォーーーッ!!」

「命を惜しむな! 名こそ惜しめッ! 突撃ィーーーッ!!」


 いい将校だな……一木は、広田の若武者のような横顔を眺めていた。

 どういういきさつでうちの隊に配属されたのか知らないが、彼ならきっとどこの部隊に行っても通用しただろう。残念ながら、彼の勇戦奮闘を記憶する者は誰もいないが、俺たちが一緒になって突撃して死んでいったという事実が、きっとなによりの証拠になる。最期の指揮官がアンタで良かったよ……


「……少尉、お世話になりました」


 一木は、隣で気を張っている広田に聞こえるか聞こえないかのような小さな声で、一言だけ礼を言った。

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