第239話 兵士たち(DAY1-3)

 二台の装甲車両は、濛々と土煙を上げながら敵兵士たちで埋め尽くされた最前線に猛然と突進していった。

 当然、おびただしい銃弾の雨が注がれる。だが、堅牢な車体は派手な火花を撒き散らしながらそれらの銃弾をことごとく撥ね返し、なおも変わらず突進を続ける。

 辺りには削岩機のように腹に響く敵火砲の射撃音と、それに重なるような軽機関銃のパパパパパという軽快な音が入り乱れた。濃密な硝煙が、その場にいる者たち全員の喉を焼きつかせる。


 突然、車体側面の銃眼から何本もの黒い棒状のものが突き出したと思ったら、その先端が派手に火を噴いた。乗車している隊員たちが、中からライフルを乱射しているのだ。

 周辺にいた敵兵たちが次々と薙ぎ倒される。すると、今度は装甲車の進行方向を遮ろうと敵の一団が回り込んできた。敵兵たちは一斉に銃を構え、正対して向かってくる装甲車を狙い撃ちにする。

 だが――


 装甲車は一度も速度を緩めることなく、前方の敵集団に突っ込んでいった。


 ドガッ――!

 グシャッ――!!


 ギャァァァ――という悲鳴とともに、多数の敵兵がそのまま跳ね飛ばされ、圧し潰され、引きちぎられた。時速80キロは出ているだろう重量13トン余りの鉄塊は、敵兵たちをまさにミンチにしながら突き進む。

 まるで怒り狂ったハリネズミのようになって、殺意を剥き出しにしながら突き進む装甲車は、もはや誰にも止められない。周辺には即座に死体の山が築かれていった。


 ほどなく車両は敵部隊の中枢に肉薄した。ここはことさら敵火力が分厚く、そのあまりの集中砲火にたまりかねたように二台の装甲車がようやく停止する。

 すると、すかさず車体後方のハッチがガバと開いて、中から隊員たちが躍り出てきた。彼らはすぐさま迫撃砲を地面に突き刺し、ポウッポウッと立て続けに敵集団に撃ち込む。それは敵兵たちの中心で炸裂し、そのたびに千切れた腕や脚、そして捩じ切られた頭部が宙を舞う。


 敵火力が一気に弱まった。その一瞬の隙をついて、今度は別の数名の兵士たちが一気に敵陣に飛び込んでいく。その手には、ギラリと光る刀身。


 日本軍お得意の、抜刀襲撃――


 その中には、先任軍曹の一木の姿も認められた。敵味方入り乱れて超至近距離の肉弾戦になった時、ライフルよりも日本刀のほうが敵を圧倒しやすいのだ。

 隊員たちは、渾身の斬撃を繰り出していく。

 次々に手脚を切り落とされ、胴体を袈裟切りにされていく敵兵たち。噴き出す鮮血、こぼれ落ちるはらわた。あたりは一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図に変わり――敵集団は、完全にパニックに陥った。

 すると、突如として火炎地獄が一帯を覆った。たまりかねた敵が、味方もろとも火炎放射器でサムライたちを焼きにかかったのである。

 全身火だるまになり、動きを止める一木。だが次の瞬間――


 ダァァァァァァァァン!!!!


 耳を弄する轟音とともに、辺り一面が一瞬にして吹き飛んだ。

 彼の胴体に括り付けられていたプラスチック爆薬が、火炎の熱で誘爆したのだ。半径30メートル余りにいた敵兵が、道連れになって軒並み爆散する。


 それを皮切りに、広く散開していた日本兵たちが次々に自爆攻撃を仕掛けた。

 一人十殺――

 戦場のあちこちで、不意に榴弾攻撃を受けたかのような巨大な爆発が相前後して起こる。


 周囲を見渡すと日本兵が一人、まだ生き残っていて、ふらふらと歩いていた。だが、その歩みには明確な意思があった。兵士が視線を向けているその先にいるのは、十数人の敵兵集団。よく見ると、その中心には明らかに将校と思われる男が顔面蒼白になって立ち尽くしていた。

 彼我の距離は目測15メートルくらいか。

 将校の周囲に立って壁を作っている敵兵たちが、口々に何かを叫びながら向かってくる日本兵に銃を構え、威嚇していた。

 ほどなく、敵兵の一人が発砲する。それをきっかけに、回りの兵士たちも次々に発砲した。

 十数発の銃弾を受け、もんどりうって倒れる日本兵。

 だが、地面に倒れた彼はまだ息絶えていなかった。もぞもぞ動いたかと思うと、ようやく仰向けになる。次の瞬間――


 兵士がニヤリと笑ったように見えた。


 と同時に、大爆発が起こる。辺りは一瞬真っ白な閃光に包まれ――

 そして再び周囲が見えるようになった時、そこに立っている者は誰もいなかった。先ほどの敵兵集団は無残に吹き飛ばされ、その半分ほどはまさに全身がバラバラになり、肉塊と化していた。そして残りの半分は、爆発の圧力のせいか身体中の穴という穴から鮮血を噴き出し、絶命しているようだった。


 倒れていた日本兵のいた辺りには、ボロボロになった軍刀が落ちていた。


 その柄部分には、桜に菊水のマークが刻印されていた。陸軍士官学校を卒業する時に、新任少尉の任官記念として下賜される、青年将校なら誰でも持っている日本刀だった。


 この博多湾迎撃戦で、敵は兵士半数ほどを喪失し、指揮官と幕僚多数を失うこととなった。その結果、福岡市街地への敵侵攻は、当初の予定より二日ほど遅れることとなる。

 多くの市民がこれにより無事逃げ延びることができたのは、言うまでもない。


  ***


 相田和希がそこに居合わせたのは、本当に偶然だったのだ。

 いつものように長い夜勤を終え、ようやく職場を離脱したのがほんの1時間前。本当は今頃帰宅して、敷きっぱなしの布団に潜り込み、泥のように眠りこけているはずの時間だった。

 だが、相変わらず自分は血まみれになって見知らぬ誰かを介抱している。これじゃあ残業しているのと何一つ変わらない。既に連続20時間以上働いているのだ。いくらなんでも、もうヘロヘロだ。

 だが、目の前の惨状を放っておけるほど、和希は神経が図太くない。というか、これは自分に与えられた使命なのだ。医療従事者として、目の前で苦しむ人に手を差し伸べないわけにはいかないのだ。泣き言なんて言っていられない……


 ただ――普段ならこんなショッピングモールの広場みたいなところで緊急手術は行わない。いつもなら、もっと最新の医療設備に囲まれて、清潔に保たれた手術室にいるはずだ。それに比べたら、ここは野外とさほど変わらない。これじゃあまるで、野戦病院だ――


「相田さんッ! この人もお願いします!」


 そう言って駆け込んできたのは、自分と同じように行きずりでたまたまここを通りかかった名前も知らないおじさんだ。いや、名前は確かさっき聞いた気がする。だけど、一瞬でそれは記憶から消し飛んでしまっていた。今はそれどころじゃないのだ。おじさんのスーツは既に煤でドロドロになり、白いワイシャツの襟もとには、ドス黒い血痕が染みついている。


 運び込まれてきたのは、歩けなくなった老婦人だった。腰を「く」の字に曲げ、苦しそうにあえいでいる。


「どうしましたッ!? どこが痛いの?」


 和希は老婦人を抱きかかえながら大声で訊ねる。だが彼女は、パクパクと口を動かしただけで、声を発しようとはしなかった。その目は明らかにうつろだ。和希は慌てて彼女の瞳孔反応をスティックライトで確認する。反応は鈍く、意識が薄れつつあるのが分かった。


「――この人は黄色! その辺に寝かせておいて!」

「わ、分かった!」


 おじさんが、先ほど渡したトリアージタグの先端をベリベリと千切ってタグのふちを黄色にしたものを老婦人の首にかける。

 本当は「赤」すなわち緊急治療を要す、にするべきだと彼女の経験が頭の中で警告を発していたが、ここにはもっと緊急性を要する重傷患者がゴロゴロしている。「おばあちゃんゴメンね」と心の中で謝った。


「あーッ、キミ! 早くこっち来て!」


 ドクターが、和希を呼んだ。彼はさっきから、ありあわせのテーブルを何枚か合体させて作った簡易寝台のところで、平服のまま手術をしている


「は、はいッ!!」


 見ると、膝から下が完全に挫滅している男の子の大腿下部を切断したばかりらしく、ドクターはその手に子供の脚を一本握り締めていた。


  ***


 和希の職場は大学病院の緊急救命室ERだ。つまり彼女は――看護師ナースである。


 和希の勤める病院は「高度救命救急センター」として、普段から県内全域はおろか隣接県の患者まで受け入れている。もともと山がちな県ということもあって、県内一帯の交通の便はさほど良くない。だからうちの病院にはドクターヘリもあって、常時稼働している。

 自分もいずれはフライトナースになるのが夢だった。今はそのための経験を積むための修業期間だ。最低5年は、ERでの実務経験を積まなければならない。


 もともと引っ込み思案の彼女がここまできびきびした性格に変わったのも、すべて今の職場のお陰だ。この時代、民間病院には軍医上がりの医者がゴロゴロしていた。彼らが凄いのは、とにかくどんな容態の患者が運び込まれても、顔色一つ変えないことだ。

 たとえば工作機械に腕を挟まれて、まるで百合の花のように腕が滅茶苦茶に裂けた患者が運び込まれたとする。だが人間は、腕を切り落としたくらいでは失神しない。もちろん動脈を切断していれば失血して意識不明に陥るが、この時代は応急止血パウダーが民間でも十分流通しているから、取り敢えず大抵の現場では昔のように失血死という事態がほぼ撲滅されていた。

 代わりに生まれたのが激痛に苦しむ患者の姿だ。血は止まっているから生命維持に問題はないし、もちろん意識も失わない。だが――なにせ人間、肉を断ち切られれば痛い。ものすごく痛い。痛みで気絶できたらまだマシだ。だが大抵は、自分の状態にビックリしてアドレナリンが大量に分泌されているから、普通の大人ならどうやっても気絶できないのだ。

 そんなわけで、ERに運び込まれる重傷患者は大抵絶叫し、動く手脚をバタつかせて悶絶している。その光景は本当に凄まじく、歴戦のナースでさえ尻込みするほどだ。


 そんな時、軍医上がりのドクターは本当に頼もしい。

 まず、怪我の具合で怯むことがない。それはたぶん、戦場でとんでもなく酷い怪我を無数に見てきたからだ。それはきっと、自分たちのように戦場を知らない者には想像もつかないような残虐な傷なのだろう。それに比べたら、日常生活での怪我など綺麗なものらしい。

 もうひとつ、泣き叫んで絶叫する人のプレッシャーを、いつも涼しい顔で受け流してしまう。恐れもしないし同情もしない。いや、本当は心の中でいろいろ感じているのかもしれないが、少なくとも表面上はただ淡々と対応している。

 そして何より、彼らの処置は早いのだ。まず、あっという間に患者のペインコントロールを行ってしまう。時にそれは、痛みの原因となる異物の除去だったり、裂傷などの場合は関係している神経をあっという間に見抜き、そこに麻酔をかけてしまうことだったりする。

 とにかくそうやって患者を痛みから解放してやると、あとは矢継ぎ早に自分たちナースに細かい指示を繰り出して、どんどん患者を治療していく。彼らはとにかくアバウトなことを言わない。常に必要十分な指示を下し、ナースはまるで兵士のようにその指示に従うのだ。


 そう――彼らの下で医療を行う時、私たちはになるのだ。

 そんなドクターが仕切るERで3年も務めれば、そりゃあ意識も行動も別人のように生まれ変わる。私たちはあくまでナースであって兵士ではないけれど、でもそういう経験のお陰で、和希は引っ込み思案でおっとりした自分の性格が、今や完全にプロフェッショナルになったことを実感していた。


 だから、さっき帰宅途中でこのショッピングモールの前を通りかかった際、建物がボロボロに崩れ落ちて黒煙が噴き上げているのを見て、きっとここには多数の怪我人がいて私は使命を果たさなきゃいけないんだと直感したのだ。

 そしてモールに一歩足を踏み入れた時、ERで馴染みのドクターが半分崩落した建物の中で淡々と患者を診ているのを見た瞬間、私はまた、いつも通りになろうと思ったのだ。


「――おお、キミか。助かるよ……手伝ってくれ」


 ドクターは相変わらずだったが、心なしか笑顔を見せてくれたような気がした。私の存在を、必要としてくれたのだ。


「了解です先生! さぁやりましょう!」


  ***


 だが……相変わらず重傷患者は次々に運び込まれてきていた。

 プロフェッショナルに徹しようとしていた和希がほんの少しだけ弱気になったのは、その人数が半端なかったからである。

 

 そもそもどうしてこんなことになっているのだ!?

 辺りはまるで戦争が起きたみたいな有様だ。それに、さっきから銃で撃たれたような怪我を負った人がどんどん運び込まれている。

 銃撃戦――!?

 まさか――!!?


 その時だった。


 ダダダダダダダッ――!!


 突然雷が落ちたような、何かが激しく衝突したような衝撃音が辺りに響き渡った。


「きゃあぁァァァァッ!!」


 人々の悲鳴が上がる。

 何事だ? と思った瞬間、それまで淡々とまるでマシーンのように患者の治療に当たっていたドクターが、ドゥンっと何かに突き飛ばされたかのように後方に吹き飛んだ。


「えっ!? 先生ッ!!」


 和希は驚いてドクターに駆け寄ろうとする。だが、彼は床に仰向けの状態でひっくり返ったまま視線をこちらの方へ向けると、少しだけ右手を上げて手首を数度振った。まるで……私を追い払うように――

 その口が、何かを呟いていた。なに……!?


 ニ……ゲ……

 ニゲ……ロ……?


 その瞬間、モールの入口から、大人数の集団がドヤドヤ駆け込んでくるのが視界の端に映った。

 建物内の照明は既に切れている。外の明かりで逆光になっているため、集団は黒い影の塊となってよく見えなかった。和希が目を凝らした瞬間、そこからオレンジ色の花火のような火炎が噴き出したような気がした。


 刹那――

 和希は全身に激しい痛みを感じて全身が何かものすごい力で突き飛ばされた。

 すぐに視界は真っ黒になり、それから何も感じなくなった。


 彼女の人生で、最期に憶えているのはそれだけだ――

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