第15章 侵略

第237話 侵略(DAY1-1)

『――現在福岡、松山の両都市域ミッドガルドとの連絡がついていません……』

『羽田―福岡便の全日空機が消息を絶ったとの情報があり――』

『首都圏へ向かう北日本からの物資輸送ラインは現在仙台で足止めされていて……』

『国防軍関係者によりますと、山陰海岸の各監視哨との通信は現在途絶している模様です――』


 各メディアのニュース速報が、先ほどから日本国内各地の異常事態を告げていた。現在各局は、すべての定時番組を中断して特設のニュース番組を編成している。


『――今回の事態にあたり政府官邸内に特別情報収集チームが設置されました』

『一部の目撃者の情報によりますと、所属不明の武装勢力が出雲市付近に上陸したとの……』

『山梨県警の発表によりますと、銃器を所持した未確認集団が市街地を移動しており――』

『……住民の皆さんは不要不急の外出を避け――』


 基地内にある食堂では、兵士たちが共用モニターの前に鈴なりになっていた。


「これ、ヤバいんじゃないの!? どう考えても自然災害じゃないでしょ」

「問題は事態の規模感だな。武装テログループの国内浸透だろ」

「――情報部は何やってたんだ」


 まさにその兵士の言うとおりだった。戦時下の日本では、外国勢力の先制攻撃を阻止するため、相当広い範囲で海と空に絶対国防圏を設け、24時間警戒監視に当たっている。

 海でのそれは、沿岸から200海里(約370キロ)沖合まで設けられている排他的経済水域EEZをそのまま本土制海圏とし、不審な外国船の侵入を一切許さない体制を取っている。空についても防空識別圏ADIZを設定しており、ここに侵入を試みるすべての航空機にその都度空軍がスクランブルをかけている。

 当然、海と空でこれら軍の警戒や警告を無視してなお侵入を試みようとする者に対しては、有無を言わさず実弾射撃で撃沈、撃墜するという措置を講じているから、四周を海に囲まれている日本がこの絶対国防圏をすり抜けて突然本土に攻撃を受けることなど、どう考えてもあり得ないことだった。


 だが、実際はそうでもなかったようだ。目の前のモニターは、国内各地に正体不明の敵性勢力が侵入していることを告げていた。海空でアリの這い出る隙間もないほど厳重な警戒態勢を敷いている軍にしてみれば、今の状況は正規の入国ルート、すなわち空港や港湾などからテログループが紛れ込んだとしか思えなかったのである。それらの管轄は当然情報部だ。


「あれ? やっぱり帰ってきたか」


 兵士の一人が、食堂の入口にふらりと現れた私服の若い男に声を掛ける。今日は朝から外出許可を受けて久々の休日を楽しむ予定だった奴だ。


「あぁ、途中で帰隊命令だよ。少なくとも横浜市内の私鉄はすべて運行中止になってた。横須賀も憲兵隊が各所で検問始めてる」


 その時、モニターに映るキャスターがあらためて姿勢を正した。


『――ただいま入ってきたニュースです。政府は現時刻をもって、日本全土に戒厳令を発布しました。繰り返します……』

「おい! 戒厳令だとよ」

「マジか!?」

「征伐戦争以来じゃねぇのか?」


 征伐戦争とは、今から20年以上前、日本が朝鮮半島を殲滅するために決行に踏み切った作戦の、一般的な名称である。当時は、該国からの潜入工作員スリーパーセルや武装テログループの国内浸透があちこちで頻繁に繰り返されていたから、通常の警察官職務執行法では不審人物への対処ができないとして、緊急避難的に戒厳令が敷かれたのだ。

 また、ニュースが慌ただしくなった。


『――こちらは上空からの博多市内の映像です……市内のあちこちで黒煙が噴き上がっています……音声は拾えませんが、明らかに市街地が炎上している様子が見られます――』

『今、海軍から発表がありました。消息を絶っていた福岡行き全日空機の残骸が、室戸岬沖30キロの洋上で発見されたとのことです。墜落原因は不明ですが、海上の広い範囲に当該機の残骸が浮遊しているとのことです……』

『……これは明らかに戦闘状態と言えるものです。我が国は今、所属不明の武装集団に攻撃を受けています!』


 キャスターたちの悲痛な叫びに、兵士たちの顔色が変わる。食堂内が一気にガヤガヤと騒がしくなった。部隊付軍務長の大尉が現れたのはその時だ。


「総員傾聴! 特戦群各員は、ただちに完全装備のうえ〇九〇〇マルキュウマルマル時に練兵場へ集結のこと!」


 ザンッと兵士たちが敬礼する。その直後、兵士たちは脱兎のごとく食堂から駆け出していった。

 武器庫に走る者、兵舎に戻る者、その他各自が自分の判断で今なすべき最優先事項を片付けるために基地内は一気に騒然となる。

 若い兵士が、走りながら隣の兵士に声を掛けた。


「おいッ! これって国土防衛戦争ってことだよな!?」

「あぁ、当然そうなるさ!」

「だが、俺たちはいったい誰と戦うんだ?」

「知らねぇよ! とにかく目の前の敵をやっつけるだけだ」


 彼らの疑問は、まさしく今、日本国民全員の気持ちを代弁したものだった。絶対国防圏をすり抜けてまんまと日本本土に侵入を果たした敵とは、いったい何者なのか――!?


 米中戦争から続く『東アジア大戦』を戦う中で、国民の大半は軍に絶対的な信頼を置くようになっていた。弾道弾攻撃など、本土に直接攻撃を受けることは今までもちろん何度もあったが、軍はその都度それらの敵を撃退して市民の平穏を取り戻していたからだ。

 途中から国防方針を変え、敵基地先制攻撃ドクトリンを採用してからは、軍はますます国民からの信頼を勝ち取っていった。継戦状態が長く続く状況の中で、もちろん戦死する兵士は夥しい数に上り、国家全体の戦争被害はここ数十年で天文学的な数字に膨らんでいたが、少なくとも内地への直接攻撃はある時期を境にぱったり途絶え、国民の日常生活は徐々に平穏を取り戻していったのである。それが軍の活躍によるものであることは、誰もが知っていたことだ。


 だから、今回のようにいきなり敵勢力が日本国内各地に出現することなど、当然誰もが想定していなかったのである。目下の主敵である北京派武装勢力は、専ら中国大陸での小競り合いに終始していたから、国民は時折ニュースで戦線の状況を窺い知るだけで、血生臭い戦争の現実からは民間人の多くがしばらく遠ざかっていたのだ。


  ***


 号令から約30分後――

 さすが国防軍随一の精鋭部隊というべきか。たまたまこの日、司令部に駐留していた特戦群兵士およそ1,200名は、完全装備の状態で一糸乱れぬ隊列を練兵場に作り上げていた。

 群長の四ノ宮が指揮台に登る。


「総員、傾聴――!」


 軍務長の大尉が号令をかけた。


「――諸君!」


 四ノ宮が凛とした声を張り上げた。一旦間を置き、整列した兵士たちを睥睨する。


「この場にいない海上部隊、宇宙軍、航空団の隊員たちもよく聞いてくれ」


 オメガ特戦群は、国防軍初の5軍統合任務部隊である。基地に駐留せず、水上艦で勤務する者や惑星低軌道上の宇宙艦に常駐する者など、今ここにいない隊員たち500人余りもこの訓示を衛星通信で聞いている。


「――我が国は本日未明、国籍不明の武力集団から突如として侵略を受けた。その兵力も装備も、今のところ詳細は掴めておらん。現在日本国内は各所で寸断され、最新の情報では既に壊滅した都市もあると聞く」


 兵士たちは、シンと静まり返っていた。今の状況が、思ったより深刻だということが全員の腹に染みていく。


「――現在軍は、各地で暫時迎撃戦を展開中であるが、実際のところ、既に通信が途絶している部隊も少なくない。状況は極めて深刻だ。いずれにせよ――」


 四ノ宮は、あらためて兵士たちをゆっくりと見回した。


「これは祖国防衛戦争である! 我々が膝を折れば、国民は座して死を待つのみである。各員それぞれの能力を最大限発揮し、この国難に対処せよ!」

「ウゥオッ!!」


 四ノ宮の檄に、兵士たちが地響きのような鬨の声で応じる。


「――作戦の具体的詳細は、このあと各級指揮官より伝達する! 全員命はないものと思え! 国家に殉じよ! 正義を遂行するのだ! 以上」

「ウゥオッ! ウゥオッ!! ウゥオッ!!!」


 誰もが苛ついていた。一刻も早く、助けを求める誰かの元へ駆け付けたいと思っていた。そのために、自分たちは死に物狂いで訓練し、何度も実戦経験を積んできたのだ。誰だか知らないが、この借りはとっとと返す。倍返し――いや、十倍返しだ。


  ***


 『街角ぐるめリポート』は、浅井真琴がようやく勝ち取った自分のコーナーだった。

 本当は局アナを目指したかったのだが、どうやってもキー局には受からなかった。仙台や大阪、福岡の地方民放からは内定通知を何度か貰ったのだが、今の時代、ローカル民放局の番組が全国にネットされることは万に一つもない。地方の情報は基本的にニーズがないからだ。民間人の旅行が厳しく制限されている以上、どんなにローカル情報を発信しても、他地域民がそこを訪れる可能性は皆無だ。したがってこの時代、地方番組はエリアの生活情報に終始していた。

 さらに首都圏を広域に管轄する東京都市域ミッドガルドは既に人口飽和状態で、地方からの転入には極めて厳密な審査がある。一旦地方都市域ミッドガルドに出てしまえば、その瞬間に全国ネットへの道は絶たれるのだ。

 そこで真琴は、なんとかして東京キー局の契約キャスターに潜り込んだ。これなら局アナほどではないが、プロデューサーの覚えめでたければワンポイントで番組に使ってもらえる可能性があった。

 もともと報道志望だった彼女にとっては、グルメコーナーの担当なんて本音で言えば何のやりがいもなかったのだが、とにかく今は全国ネットの番組で使ってもらえること――それが一番大事だったのである。


 だが、今目の前に広がっているこの状況はいったい何だ!?

 現場入りした朝方は、平凡な日常が穏やかに流れるどこにでもある商店街だった。今朝のリポートは、サラリーマンのお腹を満たす『おススメモーニング特集』。よくある喫茶店の、名物モーニングを生中継でお伝えする僅か5分の――だが真琴にとっては珠玉の5分間の――渾身のリポートをお送りする予定だったのだ。

だが、放送開始まで残り5分を切ったところで状況は一変した。

 突然商店街の一角が大爆発を起こしたかと思うと、出勤と通学途上のサラリーマンや学生たちが多数、道路に血だらけになって横たわったのである。

 真琴は最初これが、ガス爆発か何かの事故だと思った。だとしても、これは突如舞い込んできたスクープだった。


 “平和な商店街で突如爆発事故――怪我人多数!”


 報道志望の真琴にとって、これは自分の力量を局に認めてもらう千載一遇の大チャンスだっだ。

 幸い、中継の準備は整っている。急いでプロデューサーに電話して「いつでも中継リポートできます!」と叫んだ瞬間、その電話がいきなりぷつっと途切れた。と同時に、隣に立っていたカメラマンが突然小さな呻き声を上げたかと思うとその場にくずおれる。

 最初何が起きたのかさっぱり分からなくて、真琴は馬鹿みたいにその場に立ち尽くした。

 だが、それからものの30秒もしないうちに、自分が何かとんでもないことに巻き込まれていることに気が付いたのだ。だって、カメラマンが斃れた理由が分かったからだ。足許に転がる彼をよく見たら、眉間を撃ち抜かれて絶命していた。


 気が付いたら、真琴の周囲には銃弾が飛び交っていた。

 激しい連射音。道路を走ってくる車が、まるで映画のように蜂の巣にされて、電柱に激突した。突如、耳を弄する轟音が真琴の鼓膜に襲い掛かる。

 ツンっ――と耳が聞こえなくなり、身体の前面がカァーっと熱くなった。衝突した車が、真っ黒な黒煙を噴き上げて炎上したのだ。


 タタタタタッ――――!!

 ピィンッ――!!

 ブォン――!!


「きゃあッ!!!」


 突然自分の周りが恐ろしい射撃音と空気を切り裂く何かの風切り音で満ち溢れた。必死の思いで短く悲鳴を上げてみたが、あまりのことに息ができなくなって、その場にへたり込む。

 はぁッはぁッはぁッはぁッ――!!!


 何度も肩で息をしようとするが、肺が思うとおりに拡がってくれない。息が出来なくて、どんどん胸が熱くなって苦しくなってきた。胸の真ん中あたりを切り裂きたい衝動に駆られる。苦しくて、涙がボロボロ零れてきた。


 私……このままじゃ死んじゃう――!!


 真琴は必死で周囲を見回した。あちこちで、知らない人が倒れていた。商店街の建物が、無残に崩れ落ちていた。いくつかの可愛らしいお店は、メラメラと炎を噴き上げていた。その場の全景が、白いもやがかかったようにくすんでしまって前が見えない。

 目の前に、血だらけの誰かが倒れていた。来ていた制服が、煤で薄汚れていた。女の子――高校生くらいだろうか……履いていた靴が、片方どこかに消えていた。地面に押し付けられたように貼り付いたその顔は、まるで人生最後に恐ろしい何かを見てしまったかのように恐怖で歪み、血走った眼を開けたままだった。


 たっ……たすけてっ――――

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