第228話 知的生命体

 それはあまりにも巨大すぎて、我々人類にはその0.0001パーセントすらイメージすることができない存在だ。

 たとえるならそれは、地べたしか知らないアリに「海」を想像せよ、というようなものだろうか。

 海と言っても、そこは単に水がたくさんあるだけの単純な場所ではないことを人類は知っている。太平洋や大西洋のような大海洋もあれば、地中海のような内海、多数の氷山が浮かぶ極寒の北極海や、熱帯地方のハリケーン渦巻く荒々しい海洋もある。地上の山脈などより遥かに大きな海底山脈があったり、地獄の底まで届きそうな海溝が口を開いていたり――

 そこは実に複雑で、次々と想像を絶する光景が現れる神秘の世界なのだ。


 しかもそこには無数の生命が息づいている。浅瀬に棲みつく可愛らしい生き物から、深海に潜む曲者、外洋を何千キロも回遊するような強壮な生物も多数存在する。その形状も実に多種多様だ。目に見えないほど小さなバクテリアから、逆に体長数十メートルにも及ぶ巨大海棲生物まで。魚類のようなスタンダードな形状のものもいれば、甲殻類、貝類、そして、他に例えることのできないような複雑怪奇な形状をした謎に満ちた生命体の数々。そこに棲息する住人の多彩さには驚かされるばかりだ。


 だが、アリはそんなもの見たこともないだろうし、知ろうとも、理解しようとも思わないだろう。

 なぜなら彼らは所詮地上の、ごく狭い範囲で暮らす生き物で、海には棲めないからだ。そこは彼らの世界ではなく、わざわざそこに進出する必要がないからだ。

 そしてアリは思うのだ。この世界には、自分たちしかいないのだと。

 すぐ傍に、巨大で神秘的で魅力的で生命に満ち溢れた未知の世界――海――が存在していたとしても、アリはそれを一生知覚せず、そしてそのまま、その生涯を終える。


 宇宙――


 人類にとっての『宇宙』は、アリにとっての『海』と同じだ。

 すぐ傍らに、自分たちの住む世界とは桁違いの、想像を絶する世界が広がっていても、その存在があまりにも巨大すぎて、私たちはそこに息づくさまざまな奇跡を想像することすらできない。


 我々の太陽系が属する銀河系には、およそ2,000億個の星があると言われている。そして宇宙には、その銀河系のような銀河が、さらに1,000億個以上存在する。

 それだけ巨大な宇宙の中で、「知的生命体」が我々人類しか存在しないと考えるのは、あまりにも自意識過剰で傲慢な考えだとは思わないだろうか。


 アリ社会では、巨大な巣穴を地下に構築している。

 それは彼らにとってとてつもない技術スキルであり、能力だ。高度に社会化され、その生命の営みは同じ昆虫類の知能の中では最高度に洗練ソフィスティケートされた文明なのかもしれない。

 だからもしかするとアリたちは、自分たちがこの世界で一番優れた生命体だと思っているかもしれない。

 だが、実際のところ彼らのすぐ傍には、想像すらできないような知的生命体「人類」が存在し、この地球上の覇者として君臨しているのだ。


 だからまぁ、普通に考えればこれだけ巨大な宇宙の中には、我々人類と同等の知的生命体はおそらくゴマンといるだろうし、そんな我々を「アリ」レベルだと思うくらいに超絶的に知性の発達した生命体だっていくつも存在している――と考えた方が自然だと思うのだ。


 つまり、宇宙には人類以外の知的生命体が間違いなく存在する。確率論からいっても、それはもはや揺るぎようのない事実なのだ。

 見たことがないからと言ってその存在を否定するのは、アリ以下の無分別だ。この話は「幽霊」や「妖精」たちの存在を議論しているのとはそれこそ次元が違う、科学的知見に基づいた、必然性の問題なのだ。


「――なるほど、よく分かりました。確かにそう考えた方が自然ですね」


 士郎は相槌を打った。

 目の前には、咲田広美がやや興奮気味にふんぞり返っている。


 比較的小柄で華奢な体つき。地味目の黒っぽいスーツを着込み、相変わらず化粧っ気はほとんどない。近視矯正手術がものの30分で済んでしまうこの時代にあって、銀縁眼鏡を掛け、肩口までの黒髪ストレート。まさに典型的な“ザ・公務員”。

 そう、彼女は宮内庁書陵部・陵墓課に所属する女性官僚なのだ。


「で、なんで宇宙人の話になっているんでしたっけ?」


 士郎が広美を問い質す。

 彼女は先ほどから、この宇宙における知的生命体の存在可能性について、熱い持論を開陳していた。生徒(?)は、士郎を始めオメガ小隊の面々、そして叶、四ノ宮、新見など、特戦群の幹部連中だ。


「なんでって……あなた方が私を尋問しているからではないですか!」


 広美は顔を真っ赤にして反論する。何を馬鹿なことを――という顔つきだ。


「はぁ……ただ我々は、大仙陵古墳の地下にある、例の謎システムについてお聞きしたのです。それがなぜ宇宙人の話になっているのかがちょっと……」

「宇宙人ではありません! その言い方は極めて主観的かつ煽情的です! 私の話を意図的に貶めることを狙っているとしか思えませんっ!」

「わ、分かりました――宇宙人ではなく『知的生命体』ですよねっ」


 くるみが割って入る。広美は既に成人しているが、今の興奮気味の彼女とくるみを見比べると、なんとなくくるみのほうがお姉さんのように見えてしまうのだ。


「――そそそそうですっ! この宇宙以外の知的生命体から見たら、我々こそが『宇宙人』なのですよ? それに、その呼び方をすると、途端に彼らがタコみたいな足を持った怪物のような印象を受けてしまうではないですかっ! 印象操作は慎んでください!」


 タコみたいって……彼女は宇宙人に対して、いったいどんな古めかしいイメージを持っているのだ!? そこはせめてリトルグレイとか、レプティリアンとか、そういう言い方をしようか。


「……それで、広美ちゃん。君は、古墳の話を聞いたらうちゅ……知的生命体の話を始めたわけだが、それはつまり――あの地下遺跡とうちゅ……地球外知的生命体に、何らかの関連性がある、ということが言いたいのかな?」


 一向に話が進まないことに痺れを切らして、叶が論点を整理する。

 つまり、先ほどからの広美の宇宙人話は、今から披露されるだろう驚きの事実を補完するための、予備知識としての前振りなのだ、という理解でいいのだろうか。


「……え、えーと……どう……ですかね……私は別に、宇宙人がどうこう言うつもりはないので――」

「あー! 宇宙人つった!!」

「えっ?」

「あれぇー!? ひろみん『宇宙人』ってNGワードだってさっき力説してなかったっけ?」

「あ、いや……」

「なんだ、やっぱり広美ちゃんも宇宙人だと思ってんじゃん」

「あわわわわ」

「――ん、ヴヴヴん!」


 四ノ宮が咳払いをする。たぶん、広美が兵士だったらとっくに一喝されているところだ。彼女の話は、どうも要領を得ない。


「要するに、君は何を言いたいのだね? 我々は既に、先日大仙陵古墳に出現した謎の外国軍兵士と、今回上海に突如として現れた中国兵が同じ連中なのではないか、という確証に近い推測を得ているのだ。そのために、あの古墳の管理者である君に事情を伺っている」

「は、はひっ!」


 広美は、あっという間に震えあがる。まぁ確かに、四ノ宮みたいな強面の上司は宮内庁にはいないだろう。


「――しかも、ここにいる叶少佐の話では、あの謎の外国兵は現れたらしいじゃないか!? あの古墳の地下に、連中を引き寄せる何らかの触媒があったからだということのようだが!?」

「ひゃっ……ひゃいっ」

「我々が聞きたいのは、その部分なのだ。あの地下遺跡は何なのだ!? なぜこの世の者ではない異なる世界線の外国兵が突如として現れるのだ!?」


 四ノ宮が畳み掛ける。広美は既にしどろもどろだ。


「――ですから知的生命体の話を……」

「そこがよく分からんのだ。なぜ、古墳の秘密の話をしようという時に、宇宙人の話が出てくるのだ!?」

「でっ……ですからうちゅ、宇宙人ではなく――」

「あぁー、そうだったな――知的生命体! そう、知的生命体がどうしたというのだ!?」

「ですからあの遺跡は、その知的生命体が建設したものなんですっ!!」


 は――――!?


 いったい何の話だ!?

 古代日本の天皇陵として――大仙陵古墳は一応仁徳天皇陵とされている――宮内庁が長年管理してきたあの古墳の地下にある謎の装置を作ったのは、古代日本人ではなく、宇宙人だと――!?


「え、えっと……広美ちゃん? 確認なんだが、君の言う『知的生命体』というのは、知的生命体のことなんだよね!?」


 叶が困惑しながら念を押す。どんなに信じられない現象が目の前に現れても、およそ驚くことのない叶が、さすがに戸惑っていた。


「――いえ! ですから『知的生命体』イコール『宇宙人』とは一言もいってません! 宇宙人の定義は極めて難しいのです」

「うん? では君の考える“宇宙人”とはいったい何だね?」

「そ……そうですね、それはつまり――地球人型生命体とは系統の違う、非遺伝子型生命体……のことです」

「――非遺伝子型?」

「そうです。この宇宙には、私たちの知らないことがたくさんあります。当然、我々の世界の物理法則や生命法則とは異なるプロトコルに基づいた生命体も、多数存在しているわけです。それらは『非遺伝子型生命体』と呼んでいいと私は考えています」


 驚いた――

 「生命」とは、それがどんな形状をしていて、どんな性質を持っているものであったとしても、基本的にはタンパク質とヌクレオチドによって成り立つ分子結合体だと思っていた。地球は生命に満ち溢れていて、生物の種はそれこそ何十万、何千万種も存在している――あるいは存在――が、基本的にその素材や構造はすべて同じだと言える。

 ところが、今広美が言ったのは「生命とは、それだけとは限らない」ということなのだ。

 『非遺伝子型』?

 では、その生命とはいったいどういう存在なのだ――


「えと、たとえばどういう生命体がその『非遺伝子型』なのですか?」


 士郎が問い質す。いや、別に責めているわけではない。ただ、本当に分からないのだ。人間のように「高分子結合体」ではない存在とは、いったい何だ!?


「――そうですね、こちらの宇宙にあるもので例えるならば……気体のような、あるいは電磁波とか水、のような意識体とか、ですかね……」


 広美がこともなげに言う。


「気体のような生命!? とても想像できないぞ……」


 久遠が戸惑ったように呟く。困惑しているのは、当然彼女だけではない。


「――ええ、ですから『宇宙人』なのです。我々の宇宙とは別の世界の住人……それが、正確な意味での『宇宙人』です」

「で、では、よくあるステレオタイプな宇宙人は、宇宙人ではないのか?」

「それはもしかして、グレイとかレプティリアンのことを言ってます?」

「――そ、そうだな……」

「はぁー……」


 士郎の困惑に、広美は深い溜息で応えた。


「あれらはすべて『遺伝子型生命体』――すなわち我々地球人と同じプロトコルで形作られた生命体です。今は地球外に存在していますが、もともと同じ生命体です」


 もはや広美が何を言っているのか皆目見当がつかない。というか、彼女の口ぶりは、まるでグレイやレプティリアンが存在することがのような言い方ではないか!?


「あのー……」


 未来が遠慮がちに口を挟んだ。


「わたし、宇宙人……というか、知的生命体? がこの世界に存在するって話、とっても素敵だと思うんです。でも、その……まだ私たち……うちゅ、じゃなくて人間以外の『知的生命体』が存在するかどうか!? っていうところで止まってて……」

「そ、そうなのです……話についていけてないのです……」


 亜紀乃も同調する。正直なところ、士郎もまったく同感だ。

 ふと叶をチラ見すると、徐々にその顔が紅潮しているのが分かった。どうやら、いつものエンジンが掛かってきたらしい。

 案の定、叶がアクセルを踏み抜いた。


「――つまり、こういうことだね? 我々の地球には、いわゆる“グレイ”や“レプティリアン”みたいな生命体が確かに来訪している。ただし彼らは『宇宙人』ではなく、あくまで我々人類と同じこの宇宙に息づく生命体で、我々ヒトと基本的な仕組みは変わらない存在だと……」

「そ! そうなんです! まったく、おっしゃる通りですっ」


 広美が、我が意を得たりといった顔つきで叶を見つめ返す。


「――で、この古墳の地下遺跡は、彼ら人類とは異なる外見をした知的生命体が作ったものだと」

「そそそそうです! 本来この地球の支配者は、彼ら知的生命体なんです。我々人類は、彼らの劣化コピー版――キメラに過ぎない――ただの留守番役の番犬なんです」


 キメラ――!?


 また新しいワードが出てきた!

 というか、人類がグレイやレプティリアンの劣化コピー版?

 キメラ?


 キメラというのは、別種の生命体を掛け合わせて作られた、いわばハイブリッドのことだ。では、人間は「何」と「何」を掛け合わせたハイブリッドなのだ!?

 というか――


「あ、あのー、ひとつ聞いていいですか!?」


 士郎が割り込む。とても大事なことを、どうしても聞いておきたいのだ。


「その……咲田さんは、なぜそこまで詳しいのです? まるで――すべてをご存知のような口ぶりだ」

「だって――」


 広美がキッと士郎を睨みつける。


「私たちは、数千年の昔から――彼らからこれを守護するように仰せつかった守護者だからです!」

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