第227話 非パラドクス

 オメガ特戦群司令部地下施設のとある一角にある「作戦検討室」。

 この部屋は、その名の通り各種作戦の企画立案検討を行う、参謀たちのいわば「ラボ」のようなものだ。部屋の端末からは、古今東西のありとあらゆる戦闘に関する資料を検索し閲覧することができるし、どの時代のどこの国の兵器や兵装も、可能な限り視覚的に確認することが出来るようになっている。

 当然、最新の情報データベースにもアクセスしてこれらと比較検討することも可能だ。さらには、参謀たちの検討をサポートする戦術検討AIも適宜利用することができる。


 今、検討室の3Dホログラフィックディスプレイに表示されているのは、先日第605偵察分隊が上海で撮影してきた多数の動画や画像などだ。これらが大小さまざまな形でサムネイル化され、部屋の中央にボゥッと映し出されている。


「――よく撮れてますね曹長……予想以上の成果です」


 叶が驚いたように声を上げる。先ほどから彼が見入っているのは、兵士の目線カメラで録画された、中国兵との戦闘シーンだ。音声はなく、無音の中で淡々と記録された激しい戦闘シーンが、余計に現場の生々しさを伝えているようだった。


「――恐れ入ります。その動画は、たまたま人道判断で民間人を救出する際に戦闘になった場面を記録したものです」


 映像には、ボロボロになったアビゲイル・ヨナハンの様子が時折映り込んでいた。彼女の周りに多数確認できるのは、中国兵だ。彼らからは、極めて荒々しい雰囲気が伝わってくる。人の命を何とも思っていない者特有の、暴力的な仕草だった。

 そんな中国兵たちは、だがあっという間に射殺され、地面に転がっていく。樋口曹長率いる分隊員たちが、極めて効率的にこの連中を無力化していくさまが克明に記録されていた。


「――ここだッ! 止めてくれ」


 叶が叫ぶと、動画はピタリと止まった。ちょうど中国兵が上半身を撃たれて仰向けにひっくり返る、そのほんの数瞬の場面だ。


「――やはり階級章が着いていますねぇ」


 叶がしみじみと呟く。


「そうだな……大仙陵の中国兵たちと同じ――ということか」


 応じるのは、群長の四ノ宮だ。樋口には、この二人が何を確認しているのか今ひとつ分からない。


「――あの」

「あぁ……まぁ気にしないでくれ」


 四ノ宮が樋口を制する。自分たちが必死に撮影した映像は、どうやらこの二人のお眼鏡に適っていたらしい。だが、それが何なのかはサッパリだ。とはいえ、根掘り葉掘り聞くつもりも毛頭ない。軍隊とはそういうところだ。我々兵士は、ただ言われた通りのことをしていればいい。


  ***


 樋口が退室すると、改めて四ノ宮は叶に向き直った。


「――しかしだな元尚。確かにあの連中は、本来つけていないはずの階級章を付けていた、というだけで、の連中だという証明にはならんのではないか!? もう少し時代が下った時の紅衛兵かもしれないではないか」


 東子はどうしても信じられないのである。

 百歩譲ってあれが「別の時代の」紅衛兵なら分かる。いや、ほとんど分かっていないが……今までだってタイムトラベルは散々SF小説のネタになってきたのだ。何かの拍子に、別の時代の軍隊が現れることだって、無いとは言い切れない。

 だが、この男が言っているのは「別の時代」どころか、「別の世界」の紅衛兵が現れた、ということなのだ。

 とは何だ!?


「――でもね東子ちゃん……あれが仮に別の時代の紅衛兵だとすると、いろいろとおかしなことが起きるはずなんだ」

「おかしなこととは……?」

「ほら、単純なことだよ。もしも彼らが過去の紅衛兵なら、この時代に現れて死亡した時点で、未来みらい――つまり今の時代の情報がいろいろ書き換えられていなきゃいけないじゃないか」


 要するに、タイムパラドクスである。極端な例だが『過去に戻って親を殺してしまったら、自分が生まれることはそもそもなかった』という、例のタイムトラベルにおける“原因と結果”の矛盾の話だ。


「大仙陵古墳でも十数人の兵士が死んでいたし、今回上海でも、彼らは数百人単位で死んでいる筈だ。小規模とはいえ、各国の駐留兵士も必死で抵抗しただろうからね。それに、今の映像だけ見ても、数十人単位で敵兵が死ぬ様子が映っていた。本来ここで死ぬ予定のなかった兵士たちが、これだけの規模で命を落としたんなら、現代の我々の世界の中で、何らかの大きな影響が出ていてもおかしくない」

「……ふむ……」

「――だが実際は、彼らの死によってこの世界の何かが改変された形跡が一切ないんだ。どうしてだと思う?」

「……それが“異世界説”の根拠というわけか……」

「――別の世界の中国兵なら、ここで何人死のうがこちらの世界の歴史――すなわち時間軸には何の影響も及ぼさないからね」


 実際のところ、世界には、我々3次元の住人には知覚できない別次元が隣接するように存在しているのだという。いわゆる「並行世界パラレルワールド」というものだ。科学者たちによればそれは「5次元」の世界だという。


  ***


 この宇宙の真の姿とは、いったいどんなものなのだろうか。

 人間はこのことについて、今までに随分思索を巡らせてきた。それは単なる哲学的な思考に留まらず、数学や物理学といった科学的・論理的な思考においてもだ。


 1次元。

 これは、いわば「線」の世界だ。空間にAとBの二つの点があるとしよう。一次元とは、そのAとBを単純に繋ぐだけの直線移動の世界だ。ちなみにこの線には「幅」や「厚み」という概念もなく、ただそこに「線」が存在して両者を繋いでいる。

 まぁ、分かりやすく言うとA駅とB駅を直線で繋ぐだけの電車の路線だ。


 2次元というのはそこに平面的な広がりを付け加えたものだ。いわば「紙の上の平面的な存在」だ。高さは存在しないから、2次元の住人はそれを自分で知覚することはできないけれど、そこに何らかの平面的空間の広がりが存在するのだろう、ということは想像できるかもしれない。絵画や漫画、2Dアニメなどはまさにこの「2次元の世界」だ。アニメのキャラしか愛せない偏愛主義者がよく「二次元嫁」などと口走っているのはコレのことだ。

 敢えて例えるならば、空を飛ぶことのできない「自動車の世界」のようなものか。


 3次元は誰もがよく知っているだろう「私たちの世界」だ。平面である2次元に、縦方向のベクトル――すなわち「高さ」あるいは「奥行き」を付け加えたもの。それは、我々人間が住むまさにこの立体空間であり、この世界の基本的な姿だ。

 ニュートン力学などの原則的な物理学が支配する世界。我々人類は、この3次元世界を基準に、世界のことを理解することができる。


 だが、人類はここで大きな壁にぶち当たった。19世紀までの世界は、すべての自然現象をニュートン力学で説明できていた。しかし人間が宇宙に目を向け始めた途端、今までの物理学では説明しきれない様々な例外現象を実際に観測するようになったのである。

 それは例えば『水星の近日点移動』問題だ。太陽系で一番内側を回る惑星――水星は、一周するごとに太陽に一番近づく位置を変える。ニュートン力学における最も基本的な定理「万有引力の法則」に従えば、その近日点の計算は容易なはずだった。だが実際の観測結果は、万有引力の定理に基づいて計算した位置よりもズレていたのである。

 つまり――それまで完全だと思われていたニュートン力学はのである。


 結果的にそれは、かのアインシュタインが導き出した特殊相対性理論によってようやく説明がつくこととなった。その際、彼が用いたのは、縦・横・高さ(奥行き)という三つの次元に加えて「時間」という新たな次元の概念である。

 簡単に言うと、時間は空間に影響を与えるということだ。それまでまったく別の存在――異なる概念と考えられていた「時間」と「空間」。宇宙では、これをひとつのものとして考えなければ説明がつかないのである。だからアインシュタインはこの二つを一緒にして「時空」という概念を生み出した。特殊相対性理論の何が「相対」しているのかというと、この『時空』なのである。


 では、いよいよその『時間』という次元について考えてみよう。ここからは、3次元より上の「高次元」の世界だ。


 まずは4次元。縦・横・高さという三つのベクトルに加え、今度は「時間軸」というものが加わるとされる世界だ。念のために言っておくと、ここから先は「数学的な」多次元構造は考えない。数学の世界にかかれば、次元はいくらでも増やして計算できるからだ。ただ、それは単なる数学シミュレーションに過ぎない。ここで議論するのは、実際の空間構造の問題だ。

 いや、人間は「時間」を知覚できるぞ――だからこの世界は3次元ではなく既に「4次元世界」なのではないか? という問いをよくされるのであらかじめ解説しておくと、基本的にn次元世界というのは、そのn次元を自由に操作できることをもってその世界の住人と見做す。

 人間は、平面(2D)を折り曲げることもできるし、立体構造(3D)も自在に操ることができ、その空間を移動することもできる。だが「時間」は自由に操作できないし、自由に行き来することもできない。ただ過去から未来へと、一定のスピードで不可逆的に移動するのを見守るだけだ。

 この場合、人間が自在に操れるn次元の「n」は「3」までだ。だから人間の存在する世界は「3次元世界」と定義するのだ。

 では「4次元」世界の住人は――? 当然ながら「時間」というものを自在に操れるのだろう。まるで川の水が上流から下流に延々と流れるように一方通行でしか「時間」と接することのできない人間とは異なり、自由自在に好きな時間に移動し、覗き、そして戻ってこられるのだ。

 タイムマシンを操れるのは、おそらくこの4次元世界以上の高次元の住人だ。


 さて、いよいよ5次元である。


 ここでも念のために言っておくが、今議論しているのはあくまで物理学的な次元の話であって、スピリチュアルな次元上昇アセンションの話をしているのではない。魂が一体化するとか、すべての人の意識が繋がるとか、そういう類の話ではないことを先に断っておく。


 では話を元に戻そう。5次元は、少なくとも3次元世界の私たちにはまったく知覚することのできない次元である。

 人間が知覚できるのは、「縦」「横」「高さ」という三つのベクトルの空間と、「時間」という概念(次元)までだ。4つ目の次元――すなわち「時間」は、認識はできるが操作はできない。その操作できない4次元よりもさらに上位の次元のことを「余剰次元」と称するが、人間という存在では、この「余剰次元」がどうやっても認識できないのだ。だからここから先の話はあくまで仮説である。

 仮説であるという前提で、物理学者たちはその世界を次のようにイメージしている。


 5次元とは「異なる時間軸で進む別の世界」だ。

 どういうことなのかというと、物体は常にエネルギーを放出しており、そのエネルギーはそれぞれ独自の時間を有していると想定されるから、物体が存在するだけ別の時間軸がある――というものだ。

 もうこの時点でまったく理解できない。そりゃそうだ。何せ3次元世界の人間は「余剰次元」を認識することができないのだから。

 「時間」は、何に対しても平等に作用するのではないか、と考えるのが自然だ。ぶっちゃけると、どんなに偉い人でも歳を取るし、老化の先には等しく「死」が待っている。貧乏人も金持ちも、死は平等にやってくる、というのが私たちの世界の基本原則のはずだ――と言うと、これはそういうことを言っているのではないのだという。


 すなわち「並行世界」――パラレルワールドの存在だ。

 この宇宙には無数の時間軸があり、私たちが知覚している世界は、その無数の時間軸の中の、ほんの一つにしか過ぎないという。宇宙では、世界の進み方はたったひとつではなく、Aという可能性、Bという可能性、Cという可能性……というように、あらゆるタイミングであらゆる可能性があって、しかもそれは単なる可能性ではなくて、キチンとA時間軸、B時間軸、C時間軸……という具合にそれぞれが実存として並行して進んでいる、というのだ。

 だから、実はこの宇宙――物理的な空間の広がりという意味ではない――には、無数の自分が居て、それぞれが違う時間軸で異なる意思決定を行い、異なる運命を辿り、異なる結果の中に存在しているということなのだ。

 ただ、「自分」という存在はそうそう異なる決定をしないだろうと思われ、どの世界に行っても大抵似たような生き方をしているのではないかと言われている。だからこの無数の時間軸は、それぞれがお互いを認識し合うことはないけれど、恐ろしく似通った世界なのではないかと思われるのだ。


 しかし「因果律」の世界では、時間を重ねれば重ねるほど些細な変化が後に重大な違いをもたらすとされている。「バタフライエフェクト」とも呼ばれる概念で、日本では「風が吹けば桶屋が儲かる」という理屈で知られている考え方だ。

 そういう意味では、違う世界の存在というのは、時に自分たちの世界とは決定的に異なっていることもあるし、一見同じで、ごく些細な部分にしかその違いが現れていないこともあるという。


 今回の中国兵で言えば、本来自分たちの世界の史実では「なかった」はずの「階級表示」があった、というごく些細な違いだ。

 まったく――こんな違いなど、むしろ気付く方がどうかしている。


 だが逆に、このあり得ない些細な違いを見つけたことで、図らずも叶たちは実際に“自分たちの世界とは異なる並行世界”の存在を間接的に認識してしまったと言えるのだ。

 ただ、叶が指摘した通り、これによって今回我々はタイムパラドクスの罠に陥らずに済んだのだと言える。つまり、並行世界とはすなわち「非パラドクス」――因果律に支配されない極めて便利な安全装置なのだ。彼らの元居た世界は、彼らが存在しなくなった――こちらの世界に引っ張り込まれた――ことで、そこから新たな時間軸をただ進んでいくだけなのだ。


 問題は、理屈上決して交わることがないはずの並行世界の存在が、なぜこの世界に現れてしまったのか、ということだ。

 そしてそれは今回、どう考えても「人為的」なものなのだ。


 ならば、誰が、どんな方法でそれをなし得たのか――

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