第229話 神の守護者
朝廷――!?
広美が思わず口走った単語は、22世紀が視界の片隅に入ってくるようになったこの時代に、あまりにも似つかわしくないものであった。
もちろん「朝廷」という言葉の意味自体は十分理解できる。“君主制のもとで政治を行う組織・政体”のことだ。
日本では一般的に「天皇が政治を行う場、政権そのもの」のことを指し、天皇以外――「将軍」とか「総理大臣」など――の政権・政体に対しては決して使われない用語だ。
なぜ“君主”が政治を行う時にのみその言葉が用いられるかと言うと、そもそも「朝」という言葉には“君主の
「
そういう意味では、神道の最高位の祭主である天皇の行為はまさしく祀り事であり、
そういうわけで、日本の政治史においては古代より江戸末期までの歴代の天皇政権はすべて「朝廷」である。ただ、鎌倉幕府以降、断続的に武家政権が成立して事実上の日本の統治者になると、政治の実権そのものはこれら武家政権に移行し、「朝廷」という名称はただ単に「天皇家およびそれに連なる官位・官職の者のみを指す言葉」となる。さらに幕末、徳川幕府が大政奉還して天皇親政――いわゆる王政復古――を果たし一時的に「太政官制」を復活させ、その後1885年に「内閣制度」に移行したことで、ついには「朝廷」という伝統的な呼び名、そして実態は完全に消滅する。
つまり、この言葉は今から200年以上前に完全に消え去ったはずの用語なのである。
それを彼女は当たり前のように口走った。
「――咲田さん、“朝廷”とはどういうことですか!? 日本には今、その名称で呼ぶべき政体は存在しないはずだ」
歴史マニアの士郎の目はごまかせない。
「――あわわわわわ……こ、この言葉は、あくまで私たち宮内庁が身内の中だけで使っている言葉でして……」
「……ふむ……ということは、単なる隠語ということですか?」
四ノ宮が彼女にツッコミを入れる。
「い、隠語といいますか……朝廷は朝廷です」
「だが、日本はもう200年以上『議院内閣制』だ。天皇陛下は国民統合の象徴ではあるが、政治を担っておられない」
「せっ……政治なんて国民に任せておけばいいのです。陛下のお役目はあくまで神から与えられたこの装置をお守りすることなのです」
「――では、なぜ朝廷と称する?」
「そそそそれは、陛下が今でも変わらずこの国の代表者であられることを神々に示すためです」
先ほどから極めて重要な単語をスルーしていることに、士郎は気付いた。
「咲田さん、先ほどから仰っている『神』とは何のことです?」
「あわわわわわ――でででですから、知的生命体のことですぅ!」
「グレイやレプティリアンが『神』だと仰るのですか!?」
「だっ! だれもそれらが『神』だとは申しておりません! 我らが戴くのはあんな連中ではありませんっ!」
どういうことだ!?
先ほどから広美は「知的生命体」とはいわゆるグレイやレプティリアンのような、一般的には「宇宙人」と称する者たちのことだ、と説明していた。そして天皇家は代々、その知的生命体からの命を受けて、天皇陵ということにしてカモフラージュしていた何らかの「装置」を守護する役割を仰せつかっていたのだという。
つまり、その任務を与えたのはグレイやレプティリアンのような存在、ということで間違いないのではないか……?
「グレイとかレプティリアンとか、ここ数十年の間、巷で流布していた“宇宙人モドキ”は、あれは然るべき組織が作り上げた
広美の目がグルグルになっていた。もうすぐ、目を回して倒れそうだ。
叶が論点を再度整理する。
「えっと――もう一度話を整理しよう。まず、大仙陵古墳の地下にあったあの遺跡のような装置は『知的生命体』が造ったもので、歴代の天皇家はその装置を守護する役割を担っておられた。
また、その役割を果たすべき存在であることを証明するために、天皇家および宮内庁は、彼らに対し自らを『朝廷』と称している――日本政府がそれを承知しているかどうかはこの場合問題ではない――。
なお、この件に関わる『知的生命体』というのは、今まで我々が“宇宙人”の代表的なイメージだと思っていたグレイやレプティリアンのようなものではなく、もっと別の存在である。
さらに、われわれ自身はその『知的生命体』の劣化コピーであり、何らかの生命体同士を掛け合わせたハイブリッド――すなわち“キメラ”である……
これで間違いないかね!?」
広美が激しく頭をこくこくする。
「――まさに、どこからツッコんでいいのか分からないくらい驚愕の話のつるべ打ちですよ……」
士郎が呆然と呟く。
いったいどこまで信じればいいのだろうか!? いや――このクソ真面目な官僚である咲田広美が大真面目に話しているのだ。与太話とは思えない。しかも今回の件、宮内庁は
彼女が嘘やデタラメを言う動機もメリットも何もない。だとするとやはり、彼女の説明はすべて真実だと考えた方がよいのだろうか――!?
その点、叶は既にその段階を軽く跳びこえていた。これらの話がすべて真実という前提で、どんどん話を進める。彼の問題解決能力の高さは、こういうところにあるのかもしれない。与えられた条件や設定を受け入れ、その先にとっとと進むのが彼の持ち味だ。
「――ではあらためて訊こう。畏れ多くも陛下が
叶の視線をまともに受けた広美は、ゴクリと唾を呑み込んだ。
「それは――」
「それは!?」
他のメンバーたちも、全員が広美に注目する。彼女はいったい何を語るのか――!?
「――分かりません」
「「「「「「はぁー!?」」」」」」
まさにズコーである。これだけ引っ張っておいて「分からない」はないだろう!?
「――咲田さん、ここまで言っておきながら、最後の核心部分は伏せるつもりなのか?」
四ノ宮が、今にも噴火しそうである。だが、既にその全身から発せられる殺気で、広美は死ねるかもしれない。
「ひっ――ひぇっ……べ、別に隠すつもりはなななないですよ……」
「じゃあどういうつもりなのです?」
四ノ宮が、死に物狂いで自制しているのが、痛いほど伝わってきた。このままでは「プランD」を発動しかねない……
「ひゃっ……ひゃいっ! えとっ! 分からない――というのは、今の私たちには知覚することができない……という意味でして……」
「――では、知覚はできないだけで、その正体自体は分かるのだな!?」
士郎は、四ノ宮のその視線だけで広美を
「……そ、そうですね……そういう意味では、お伝えすることができるかもしれません……神々とはすなわち――」
「すなわち!?」
「あ、
「あまてらすぅ!?」
それって、日本神話の話じゃないか!? 古事記の記述ではないか――!?
「咲田さん、我々は別に、日本神話の話をお聞きしたいのではないのですよ。確かに古事記では、天照大御神は
「でっ……ですからっ……天照大御神さまはですね……一般的には『太陽神』とされていますが、これがホントはちょっと違っていまして……」
「――違う?」
「そ、そうなんです……大御神さまはホントはシリウス神なのですよ」
「――シリウス!?」
「そそそそそぅなんです! シリウス! またの名をソティスあるいはソプト・コプト! 中国では天狼星、日本では古来より地域によっていろいろな名前で呼ばれていて――」
「――冬の大三角!」
未来が口を挟む。数十年に及ぶ孤独な生活で、彼女は星座を見上げて過ごすことが多かったらしく、意外にこういうことに詳しい。叶が補足する。
「そうだね。太陽を除けば、地球上から見える最も明るい恒星……オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオンと共に、冬の大三角を形成する非常に明るい星だ」
「そそそその通りです! えと……このシリウスはですね、地球からたった8.6光年の距離にありまして……大御神さまはもともとこのシリウス星系からお越しになったとされています」
ようやく『知的生命体』の話と繋がった。つまり、陛下に遺跡の守護を命じられたのは、我々日本人が古くから天照大御神の名で呼ぶ「シリウス星人」だということなのか――!?
「――では、天照大御神が統べる高天原というのは、シリウスのことなのか?」
四ノ宮が詰問する。こうなったら、とことん広美から聞き出してやろう、という雰囲気だ。
「……そ、そうかもしれません……し、そうでないかもしれません……『シリウス』というのはあくまで太陽と同じ『恒星』のことでありまして――」
「そうか、つまり太陽に対しての『地球』と同じように、シリウスにも何らかの『惑星』が存在し、その惑星こそが高天原だと言うんだな!?」
「――東子ちゃん、でもシリウスは連星で、実際にそこに地球型惑星が存在するかどうかは分かっていないんだ」
叶が釘を刺す。「連星」というのは、その名の通り、二つの星がお互いをぐるぐる回っているという仕組みの星のことだ。またの名を「双子星」ともいう。
確かに叶の言うとおり、シリウスには「シリウスA」と「シリウスB」という、二つの恒星がお互いの周囲を回っている。今のところ地球の観測技術では、そこにさらに惑星が存在するかどうかまでは分かっていない。だが広美は――
「いえ! そこには惑星が間違いなく存在します。大御神さまとその一族は、確かにその星系からおいでになったのです」
なんということだ――!?
彼女の説明が仮にすべて正しいとすると、我々日本人は地球外知的生命体を「神」と仰いでいたことになる。
もっとも、ここでいう「神」とは、キリスト教やその他の一神教のようなものではなく、神道、あるいは神社に代表されるような、まさに人々の生活に根付いた文化あるいは慣習として、暮らしの中に刻み込まれているものだ。
「みっ、皆さんは神社の向きを意識したことがありますかっ?」
広美が問いかける。神社の向き――?
「大御神さまをお祀りしている伊勢神宮をはじめ、多くの神社はたいてい南の方角を向いています」
「そうなんですか?」
「えぇ……日本の神社の半数以上は南向きです。次に多いのが東向き。北や西を向いているものはほとんどありません」
「……それが何か……」
「南を向くのは、それがシリウスの方角だからです!」
――!!
「もちろん、長い歴史の中で、シリウスとは関係のない神社も多くなりましたから、全部が全部南を向いているわけではありませんが……」
「南向きなのは、太陽信仰の現れなのでは……?」
「――そのように考える人が多かったため、大御神さまは太陽神だと誤解されていったのです。しかし、ご存知の通り大御神さまは女性神――女神です。それに対して世界の多くの太陽神というのは――」
「男性神だ……」
叶が驚きの表情で呟く。
「――エジプトの太陽神『ラー』も、ギリシャ神話の『ヘリオス』も、みな男性神だ」
「そうなのです。たたた確かに世界各国の神話の中で太陽神を女性神とするものも存在しますが、それらは誤って伝承されたもので、基本はみなシリウス神なのです。中でも大御神さまは別格の存在です」
「なぜそんなことが言えるのです!?」
「みっ……皆さんは国旗というものの由来を考えたことがありますかっ!?」
「はぁ……普段はそんなに……」
「――世界各国の国旗はさまざまあれど、日本の国旗である『日の丸』……日章旗は数少ない天文をモチーフにした国旗です」
確かに、そう言われてみればそうだ。
一般的に国旗は三色旗など幾何学模様をモチーフにしたものが多い。アメリカの国旗「星条旗」は州の数に由来しているし、イギリスのユニオンジャックは、イングランド・ウェールズ・スコットランドの各国の旗をレイヤーしたものだ。
「……そうですね……真っ赤な太陽を表したものです」
士郎たち軍人にとっては、忠誠を誓うべき存在だ。
「でも、太陽って赤色でしたっけ!?」
「え――!?」
広美の思いがけないツッコミに、士郎たちは思わず声を失った。
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