第223話 洋上の再会

 いったい何が起こったのだ――!?

 ほんの数秒前まで、血走ったケダモノの目で自分を見下ろし、欲望のままにのしかかろうとしていたその男は、今や顔面をザクロのように破裂させ、違う意味で自分の上に倒れ込んでいた。噴き零れる鮮血が、まるで消火栓から水が噴き出すような勢いでアビーの上半身に降りかかる。


「――――!?」


 あまりのことに、彼女は悲鳴すら上げることができない。狼狽し、困惑し、そして、誰かにこの状況を説明してもらいたくてキョロキョロと辺りを見回す。


 困惑していたのは、周囲の兵士たちも同じだった。彼女を押さえつけていた力を思わず緩め、周りをキョロキョロと見回し――

 と思ったら、今度はその兵士たちが突然横殴りに薙ぎ倒された。ものすごい血飛沫を上げ、もんどりうって地面に叩きつけられる。

 ドシャドシャとアビーの周りに崩れるように斃れ込んだ兵士たちは、馬鹿みたいにその目を見開き、口から真っ赤な泡を吹いて痙攣していた。その途端――


「Are you ok――!?(大丈夫かい)」


 中国兵たちとはまるで違うトーンの男の声が頭上から聞こえてきたかと思うと、彼女の身体に優しく何かが覆いかぶされた。毛布だった。

 慌ててその声の主を探して彼女が見上げた先には、全身黒ずくめの戦闘服に身を包んだアジア人が、いたわるような目で彼女を見下ろしていた。


「――あ……」

「You don’t have to worry(心配しなくていい) ――Good work(よく頑張った)……You had a narrow escape(君は助かったんだ)」


 あぁ……神さま――!!


 彼の肩口には、目立たないように黒の戦闘服と同系色でワッペンが刺繍されていた。だが――間違いない。それは彼女の憧れの国、日本の……そう……日本兵であれば誰もが付けている『旭日旗』マークだった。

 日本は、間違いなくアメリカの同盟国だ。つまり私は――助かった!?

 アビーはようやく、事態を飲み込み始める。つまり、追い詰められた私たちをこの日本兵たちはどういう訳か見つけてくれて、間一髪助けに来てくれたのだ!

 そして、彼らはこのケダモノたちを、目の前で血祭りに上げてくれたのだ! 容赦なく、無慈悲に、圧倒的力で!

 ざまぁみろ! ざまぁみろッ!!


 見ると、あれほどいた中国兵たちは、知らないうちに殆どが地面に斃れ伏していた。そのどれもが、血塗れだった。あらためて見ると、その黒ずくめの頼もしい兵士たちは、ほんの4名しかいなかった。つまり彼らは、たったこれだけの人数で、数十人のケダモノのような中国兵を瞬殺したのだ!


 サイコーだ! こんなにクールなことってある!?

 さすがは合衆国ステーツの同盟軍だ。100年以上昔、アメリカと日本は血みどろの戦争をしたらしいけれど、今は世界中のどこの国よりも仲良しだ。つまり、日本軍の兵士は海兵隊マリーンズと同じだ!


 弟のイジーも、日本軍の兵士たちに優しく介抱されているようだった。彼も、この頼もしい兵士たちが日本軍だと分かったらしく、泣きはらした目をしていたが白い歯も見せていた。兵士の一人がイジーに親指を立ててみせると、彼もはにかんだような笑みを見せる。あぁ――あなたは最後まで勇敢に戦ってくれた。

 そして――


 あぁ、マム……どうやら彼女も無事だったようだ。私たちを守って、盾になってくれたマム。頭部から酷く流血しているけれど、衛生兵と思しき兵士が手当てをしてくれている。何やら会話も交わしているようだ――きっともう大丈夫。

 アビゲイルは、自分の家族をこんなに誇らしいと思ったことはない。

 そこでようやく、彼女はこの兵士たちに掛けるべき言葉を思い出した。


「Thank you!! Thank you so ――so much……I……I truly……」


 結局言葉にならなかった。


「――さぁ、脱出しましょう! こちらへどうぞ」


 兵士たちが、ヨナハン一家を誘導する。

 その瞬間、目の前がゆらゆらと揺らめいたかと思うと、大きな黒い物体が現れた。私たちを地獄から救い出してくれる、魔法のゴンドラだ。


  ***


 『瑞鶴』は、日本海軍の誇る8万トン級正規空母だ。


 どんなに時代が移り変わって戦争の概念が新しくなり、戦略や兵法、兵器システムが進化したとしても、国家にとって“空母”とは常に戦略的攻撃システムの要である。

 たとえばこの時代、航空機の航続距離は飛躍的に延びた。内燃機関によるジェット推進に替わり、電磁推進マグレヴ方式が一般化したからだ。無線給電システムを使って飛行中に絶えず電力を補給すれば、理論上は永遠に飛んでいられるというわけだ。

 だからといって軍用機もすべてこの推進方式にしてしまえ、そうすれば対象がどんなに遠くても自国の領土から出撃して敵を叩き、帰還することができるではないか――という理屈はあまりにも乱暴だ。

 まず、ジェット推進と比較すると、マグレヴシステムはあまりにもパワーが小さすぎる。巡航速度で延々と推力を発生させる分には申し分ないが、瞬発的に大推力を必要とする馬力勝負の空中戦闘には適していないのだ。

 美味しい中華料理を作るには、電磁調理器より大火力のガスコンロのほうがいいのと同じ理屈だ。


 だからマグレヴが主に用いられているのは、基本的に民間の旅客機であり、輸送機である。軍用で用いられるのは主に静粛性を必要とする偵察機や、せいぜい隠密行動を主とする降下艇くらいのものだ。

 そんなわけで、敵とガチンコでやり合うことを前提とした戦闘機や攻撃機などは、未だにジェット推進が主流だ。たとえば「重力を自在に操れるまったく新しい概念の推進システム」でも完成しない限り、このパラダイムはそうそう覆らないだろう。


 となるとやはり、敵基地攻撃能力を持つ最も合理的かつ効果的な手段は、敵勢力圏の奥深くまで展開できる空母に攻撃用の航空機を搭載し、敵国の喉元に突きつけることだといえるだろう。


 さらにいえば「空母」という艦種は単独では機能しない。その攻撃力が極めて高いとされているのは、イコール「艦載機の攻撃力」なのだ。したがって、航空機が一機も搭載されていない状態の空母というのは、単なる洋上の飛行場に過ぎない。実際、自艦を防御する最低限の対空ミサイルや機関砲などもほとんど装備されていないのが実情で、艦のすべての機能はいかに航空機を離着艦させるかということに注力されているのだ。

 だから空母は基本的に「艦隊」を組む。自分を中心として、その周囲に対空用のミサイル駆逐艦をぐるりと並べ、さらにその外周に今度は対潜用の駆逐艦を張り巡らすのだ。さらに水面下には、露払いの攻撃型潜水艦を忍ばせていることも多い。もちろん複数の補給艦も常に随伴しているから、継戦能力も半端なく高い。

 これらをすべて合わせると、空母一隻あたり15から20隻規模の艦隊を布陣させることになる。そうなると今度は、単艦では極めて攻撃力の高い「戦術兵器」に過ぎなかった空母が、途端に「戦略システム」として機能するようになる。この大規模な艦隊は、それ自体が小さな国ひとつと余裕で渡り合えるくらいの作戦能力を有するようになるからだ。


 これを称して「空母打撃群」という。


 日本海軍は、この空母打撃群を全部で6群保有していた。普段から東シナ海を担当海域としているのは『赤城』である。このほか『加賀』『蒼龍』『飛龍』『翔鶴』がそれぞれ西太平洋、南太平洋、インド洋、そして南シナ海を遊弋している。

 『瑞鶴』は日本海の担当だ。本当はこれに加えて交替用の中型空母もあと何隻か保有しているのだが、今それは横に置いておこう。

 戦史に詳しい者はピンとくると思うが、この6艦はすべて太平洋戦争の初期、ハワイの真珠湾を攻撃した帝国海軍の機動部隊に所属していた艦名を引き継いでいる。そのこと自体について、海軍は「他意はない」としているが、多くの国民は、それがかつて帝国海軍が西太平洋全域を席巻した時のこれら空母の武運にあやかったとみている。さらに言えば、その後ミッドウェイ海戦で撃沈された悲劇の教訓を忘れないための戒めでもあるのだ、という人もいる。


 もともとこういった本格的な空母機動部隊をまともに運用できる外洋ブルーウォーター海軍ネイビーは、世界中で日本海軍とアメリカ海軍くらいのものだ。「空母」という兵装を世界で始めて実用化し、実戦に投入したのはそもそも大日本帝国海軍だし、その帝国海軍と空母同士の艦隊決戦を幾度となく繰り広げたのは世界中でアメリカ海軍だけだ。戦史上も、日米の空母決戦以外、人類は正規空母同士の戦いを見たことがない。

 その日米は、今や世界の海を分担してそれぞれの作戦海域の制海権を確保している。大西洋と東太平洋はアメリカ海軍、そして西太平洋とインド洋は日本海軍の分担だ。ハワイは今や、日米の共同管理下におかれる一大補給基地だ。


「――マムっ! 見て!!」


 イジーが偵察ヘリの窓に顔を押し付けていた。洋上には、まさに要塞と呼んでも差し支えないような巨大な軍艦がその威容を惜しげもなく晒している。フルフラットの巨大な飛行甲板の上に、航空機が何機か止まっている。空母だ――


「あれは我が海軍の『瑞鶴』です。今回の事変で急遽日本海から東シナ海まで進出してきました」


 樋口がヨナハン一家に説明する。周囲を見渡すと、空母のすぐ傍から水平線の彼方まで、百隻以上はいると思われる軍艦が海域を埋め尽くしていた。二個空母打撃群だけでなく、台湾・高雄や佐世保鎮守府からの艦隊まで展開しているのだろう。まさに大艦隊だ。


「……すごい……」


 メリッサは思わず呟く。アビーも弟と一緒になって窓にほっぺたを押し付けていた。


「ヤバいね……あれ見てると、全然負ける気がしない」


 彼女にとって、既に日本軍は海兵隊マリーンズと同じくらいヒーローだ。目の前の空母――『ズイカク』ってどういう意味だろう?――の艦体右舷側に寄せるように屹立する艦橋構造アイランドのマストには、白地に赤い太陽光線――『旭日旗』が翩翻へんぽんと翻っている。アビーにとっては、今や幸運のシンボルだ。


「――今からあそこに着艦しますよ」

「うそッ!? それってめっちゃクール!」

「やったぁ!」


 子供たちは無邪気なものだ。

 上海から無事脱出し、一路東シナ海を目指した偵察ヘリは、1時間も経たないうちに『瑞鶴空母打撃群』の支配空域に到達した。そこから先は、直掩の戦闘機が入れ代わり立ち代わりヨナハン一家の乗ったヘリを守って来てくれたのだ。

 だが、このあとは――!?

 日本は自分たちを受け入れてくれるのだろうか。とりあえず人道処置で戦場から救助してくれたのは分かる。だが、それはあくまで緊急避難なのだということくらい、メリッサには分かるのだ。

 日本は世界で一番「難民認定」の厳しい国だ。仮に入国を認めてくれないとなれば、どこか中立の第三国あたりに送られて終わりだ。夫であるジェイコブの安否がまったく分からない状況で、自分たち3人は合衆国ステーツに帰国してもいいのだろうか。いや、そもそも帰国できるのか!?

 自分たちは着のみ着のままで、現金もカードもパスポートも、何も持っていないのだ。上海に住んでいた私たちの身元素性を保証してくれるはずの、頼みの綱の駐上海アメリカ大使館はもはや存在しない。もとより、帰国したって生活のアテはまったくないのだ。

 自国の軍隊が保護してくれない在外民ほど、身分の不安定な者はない。アメリカがこの極東から戦略的撤退を果たしてはや十数年だ。ステーツはとっくの昔に「全世界に自国の軍隊を24時間以内に派遣する能力」を失っている。だからこそこうやって日本と地域を分担するようになったのだと聞く。

 今でこそ日本軍は私たちをこうして手厚く保護してくれているけど、彼ら心優しき兵士たちの手を離れた瞬間、私たち家族はそもそも「アメリカ人」であることすら証明する術を持たない、ただの身元不明の西洋人にしか過ぎないのだ。

 メリッサは頭の回転が速い分、これから先に起こるだろうさまざまな難問が想像できて、暗澹たる気持ちにならざるをえない。


 そうこうしているうちに、どうやらヘリが着艦態勢に入ったようだ。

 いつのまにか巨大な空母の飛行甲板直上にホバリングしている。そのまま垂直に下降していくと、機体から何かをストンと落とす音が聞こえた。ほどなく、ヘリはひゅぅーっと滑るように高度を下げ、まるでエレベーターに乗っているような快適さで、あっという間にストンと着艦した。


 と思った瞬間――

 

 ガラララッ――と機体のスライドドアが開いて、びゅうっ――と強い海風が吹き込んできた。


「――着きましたよ! さぁ、降りましょう」


 樋口たちが家族を促す。

 子供たちは、明らかにワクワクした様子で、弾むように空母の甲板に降り立った。

 その瞬間――


「メリッサ! アビー! イジー!!」


 オーマイ……!!!


「ジェイコブ!!」

「「ダドっ!!!」」


 家族は、あまりのサプライズに声を失う。

 ジェイコブとその妻、娘、息子は、まるで強力な磁石がくっつきあうかのようにお互いに飛びつき、そして力を込めて抱き合った。

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