第222話 見敵必殺

 必死の思いでようやく日本人学校に辿り着いたメリッサ、そして17歳になる娘のアビゲイル、8歳の息子イザイアであったが、肝心の学校は既にもぬけの殻であった。酷い破壊痕を見る限り、ここも中国兵たちに襲われたのだろう。

 日本人たちの安否は不明であったが、目下のところ脅威なのは、通りの向こうから近づいてくる中国兵たちの一団であった。みな手に手にライフルのようなものを持っている。


 メリッサの脳裏に、昨夜の身の毛もよだつような光景が浮かび上がる。

 全裸にされ、生きたまま手の平に直に針金を通されて繋がれた欧米人たち。子供や老人は泣き叫んでいたが、中国兵たちは顔色ひとつ変えていなかった。彼らの残忍さは想像を絶するものだ。

 今捕まれば、自分たちもあんな目に遭うことは間違いなかった。それだけではない。連中に捕まった時、年頃のアビーが何をされるかは火を見るよりも明らかだった。

 なんとかしなきゃ――

 メリッサは不安と恐怖を必死で押し殺しながら、辺りをキョロキョロ見回す。

 目の前の日本人学校の門扉は、固く閉じられていた。鉄製で、あちこちに弾痕があるし、観音開きの扉の中心部分には、爆発物で破壊を試みたような黒い火薬痕が飛び散っていた。

 あれ――? もしかしてこれって……突破されたわけじゃないんじゃないか!?

 襲撃の痕跡は多数見られるが、よく見たら扉を破られた形跡は――ない。


 彼女は慌てて再度、敷地内を覗き込む。周囲に巡らされた高い塀は鉄柵で出来ているから、隙間から中の様子がいくらでも見えるのだ。だが――

 やはり校内には人の気配がない。しかし同時に、メリッサは途端に希望が湧いてくるのが分かった。敷地内に入ってしまえば、中国兵たちは侵入できないのではないか!?


 その時、中国兵たちが急に何かを怒鳴りつけるように大声を上げると、やにわに走り出した。真っ直ぐこちらに向かってくる。見つかったか――!?


「こっちよ!!」


 メリッサは子供たちに怒鳴りつける。悠長に構えている暇はないのだ。正門の横にある通用扉のドアノブをガチャガチャするが、案の定ビクともしない。

 目の前に、インターホンがあった。ボタンを押すが、こちらも反応がない。


「――お願い! 開けてッ!!」


 マイクに向かって必死で叫ぶ。


「子供がいるのッ! 私たち、アメリカ人よッ!!」

「マム! このインターホン、電気が切れてる……やっぱり誰もいないんだよ!」


 アビーが絶望した顔でメリッサの肩を抱いた。


「――あぁ……そんな!」


 その間にも、中国兵たちは口々に叫びながらこちらに突進してくる。

 ほどなく、3人は日本人学校正門の大きな鉄製扉を背にして、数十名の兵士たちに半円上に取り囲まれた。


 万事休すだった。


 メリッサは、子供たちを背中に庇いながら、中国語で毅然と言い放った。


「――私たちは、アメリカ合衆国市民よ! 兵士じゃない。見ての通り、ただの民間人だわ。ジュネーヴ条約に基づき、非戦闘員としての取り扱いを要求する!」


 すると、中国兵たちは一瞬ポカーンとした顔をする。だが数秒後、突然彼らは爆笑し始めた。

 いったい何がおかしいのだ。メリッサは、キッと彼らを睨み付ける。すると、それに気付いたのか兵士がひとり、彼女のすぐ目の前にズイッと一歩踏み出してきた。その瞬間――


 パシィィィィ――ン!!


 メリッサの頬をいきなり平手打ちする。不意をつかれた彼女は、横っ飛びに吹っ飛んだ。


「マムっ――!」


 アビーが金切り声を上げて母親に駆け寄った。イジーも慌てて追い縋るが、既に泣きじゃくっている。すると中国兵たちは薄笑いを浮かべながら早足で親子の傍まで歩いてきて、ぐるりと取り囲むように多数のライフルを突きつけた。

 その中の一人が、アビーの髪を引っ掴み、無理やり立たせる。


「やめてッ! 触らないでッ!!」


 彼女も必死で抵抗するが、数人の兵士たちに腕を掴まれ、揉みくちゃにされてなすすべがない。兵士が何やら下卑た会話を交わしているのが分かった。


「やめろッ! アビーに手を出すなぁ!!」


 イジーが必死で兵士たちに取りすがり、引き離そうとする。だが、8歳の少年にはどうすることもできない。纏わりつく子供に苛ついたのか、兵士の一人が彼を思い切り突き飛ばす。


「イジーッ!!」


 畜生ッ――!! コイツらは人間の皮を被ったケダモノだ。

 すると突然、兵士の野太い腕がアビーの胸元をまさぐった。それとほぼ同時に、今度は別の手が彼女のシャツを引き千切る。


「いやぁぁぁぁぁッ――――!!!」


 殺してやる! 殺してやる!! 殺してやるッ!!!

 アビーは往復ビンタを喰らいながら、それでもなお中国兵たちを睨みつける。


  ***


「――機長! 日本人学校の傍の通りを中国兵の一団が歩いています。あれにしましょう」


 第605偵察分隊の樋口曹長が、偵察ヘリの観測ボウルに頭を突っ込んだまま機内無線で話しかけた。機体の両サイドに半球状に突き出たキャノピーは、まるでガラス製のサラダボウルのような形状をしている。

 先ほどからヘリはステルス飛行を行っていた。まぁステルスと言っても、蒼流久遠のように完全に不可視化ができるわけではない。あくまでレーダー波の反射を極限まで小さくするために、そのポリゴンのような不格好な機体の周囲に、さらに可視光を分散させる特殊なガスを噴き出しているといった状態だ。さらに言うとこの機体は電磁推進だから、旧来のようにバカでかいローター音も発しない。ヒーンという比較的高周波のプラズマ推進音は、静寂の中でじっと耳を澄ませてようやく聴き取れるかどうかという静粛性だ。

 つまり、それと意識して上空を常に監視していないと、普通なら見逃してしまうくらいにはこの偵察ヘリは上手く周囲に溶け込んで隠密飛行を行っている。


『了解――後ろから回り込みます。仰角45度くらいが限界ですが』

「――それで構いません。見つかったら元も子もない」


 バヤンカラで叶と別れ、楼蘭に帰投したばかりのことだった。「大至急確認してもらいたいものがある」との司令部からの緊急通信で、今度は上海まで転進する羽目になった。“侵攻してきた中国兵のなるべく鮮明な画像を撮影してこい”という命令だ。

 いやさすがに人遣い荒いだろうと思ったが、樋口の分隊に話が行ったのには、どうやらそれなりに筋の通った理由があるのだという。


 第一の理由は、上海への偵察ルートだった。

 侵攻に合わせ、北京サイドは空域封鎖を始めたらしい。北京から上海に至る広大な空域を勝手に“防空識別圏ADIZ”だと宣言し、いかなる国家・組織の所属であってもそこに侵入した航空機はすべて撃墜する、とのステートメントを発表したのだ。

 もちろん、そんなものは無視して一気にこちら側から仕掛ければいいのだが、上海エリアは日本の管轄外だ。友邦国の判断――これが馬鹿馬鹿しいほど浮足立って混乱しているらしい――が出ない以上、管轄外の日本が先走って空爆等を行うわけにはいかない。

 結局のところ、北京が「勝手に」設定したADIZを避けて上海に肉薄するには、南西方面からアプローチするのが一番手っ取り早いのだ。

 というわけで、楼蘭に駐屯していた樋口たち第605偵察分隊が最も適任、という結論に至る。


 第二の理由は、情報統制だ。

 今回の偵察行動は、例の叶少佐案件がらみだという。どうせ樋口たちは、バヤンカラで超一級の最高極秘案件を目撃しているのだ。ということは、彼らほどの適任者は他にいないということだ。情報は、可能な限り限定された者だけに留めておいた方がいいのだから。


 そして最後の理由は、その任務の危険性だ。上海の街は、あっという間に敵の手に落ちたのだ。僅かに駐留していた欧米各国軍は完全に油断しており、なす術もなく潰走した。あげくに自国民の保護さえ放棄したと聞いている。

 つまり、今やこの街は完全に敵支配下にあるのだ。そんなところに、いくら稀代の天才とはいえ、オメガ特戦群のいち高級将校の思いつきで大事な将兵を送り込むなど正気の沙汰ではない、というのが各軍指揮官の判断だ。だから結局のところ、偵察任務は同じオメガ特戦群の兵員を差し向けるしかなかったのである。


 それにしても、敵兵を撮影してこいとは……衛星写真じゃ駄目って、どういうことなんだろう。


『ん? 曹長、学校の傍に、民間人と思しき人影!』


 反対側のサラダボウルに頭を突っ込んでいた隊員が大声を上げる。

 民間人――?

 日本人学校の児童生徒保護者は、すべて海軍の緊急展開部隊がピックアップしたと聞いていたが……!?


『――あれは……日本人じゃありませんね』

「機長、少し姿勢を変えられますか? 一旦撮影はペンディング!」

了解ロジャー


 樋口は、機体の旋回に合わせて視界に入ってきた対象を目視する。鉄帽に装着した電子双眼鏡の倍率を大幅に上げると、女性が2人、そして小さな男の子が1人――家族だろうか!?

 いずれにしても、中国兵たちは既にこの3人に気付いた様子で、一斉に走り出していた。


 あぁ……あれは、十中八九殺されるな……樋口は考える。

 上海空域に入って以来、地上には夥しい数の遺体が転がっていた。戦闘に巻き込まれたらしいものも多数確認できたが、胸糞が悪かったのは、それとは別にあちこちに遺体の山が築かれていたことである。それは明らかに偶然ではなく、一箇所に集められ、それから意図的に殺されたことを意味していた。つまり――集団虐殺だ。

 中国兵たちは、そんな遺体の山の傍に、平気でたむろしていた。中には、遺体から何かを取り外そうとしている輩も何度か見受けられた。さらに、遺体の半数以上は、半裸もしくは全裸に剥かれ、抵抗する気力を奪ったうえで殺害した様子が見て取れた。そのうえ犠牲者は男女問わずで、そして子供や老人までも確認することができた。

 だが、樋口も一応ベテラン偵察兵だ。義憤にかられ、撮影を中止して地上の中国兵たちを攻撃してしまいたいという衝動を、先ほどから必死になって押し留めていた。我々が見つかってしまえば、司令部の欲する情報を送ることができなくなるかもしれない。


『曹長、あれを!』


 中国兵たちは、先ほどの家族を取り囲むと、まるで鮫が獲物をいたぶるように小突いたり蹴飛ばしたりし始めていた。女性の一人――母親だろうか――は、殴り飛ばされたのか地面に突っ伏している。それを庇うような仕草をした残る2人――恐らく彼女の子供たち――は乱暴に扱われ、そして――

 数人の中国兵が少女を乱暴に押し倒し、両手両足を押さえつけている様子が手に取るように視界に入った。


 くそッ――


 相手はか弱い民間人で、女性と子供だぞ――!!

 それを、数十人の兵士が取り囲み、やりたい放題とは――!!

 あの押し倒された少女は、このあと数十人の兵士たちに凌辱の限りを尽くされ、そして殺される運命なのだ。


 樋口の思いは、みな同じだった。

 サラダボウルから頭を離し、振り返って機内を見ると、いつの間にか隊員たちがジッと樋口を見つめていた。皆何も言わない。偵察任務最優先であることは百も承知だからだ。

 だが……


 偵察ヘリの機長が口を開く。


『曹長、あと3人くらいなら乗せられます』


 つまり、そういうことだ。樋口は決意する。


「――義を見てせざるは勇無きなり――見敵必殺!」

『ウゥオッ!!』


 全員が、オメガ特戦群の鬨の声を上げる。我々は最強の特殊部隊員オペレーターだ。要するに、奴らの撮影をしつつ、家族を救出すればいいだけの話だ。その後は一目散に空域から離脱する――それだけだ。


「全員、直ちに降下よーい! 水橋は家族の保護、その他は敵兵の殲滅! 懸垂降下ラペリングでアプローチだ!」


  ***


 両手両足を力いっぱい押さえつけられ、地面に仰向けに組み伏せられたアビーは、号泣しながらそれでも必死で抵抗を続けていた。弟のイジーはそんな姉を助けようと何度も何度も中国兵たちに立ち向かおうとするが、彼らは面倒臭そうにそんな少年を突き飛ばしては嘲笑っている。メリッサは口元から血を垂れ流し、先ほどから地面に横たわったままだ。一応目を開けてはいるが、焦点は定まらない。脳震盪でも起こしたのだろうか。


 突然、兵士の一人がアビーの着ていたシャツを捲り上げた。気が付くと、履いていたはずのジーンズがどこかに消えている。先ほど揉みくちゃにされた時に無理やり脱がされたに違いなかった。彼女の白いお腹が、無数の下卑た視線に晒される。それだけではない。下半身は既にショーツ一枚で、兵士たちはそんなアビーを血走った目で舐め回すように見つめている。


 いやだッ――!


 こんな奴らにッ!!!


 誰かッ……たすけてぇ……


 すると、そんなアビーの願いを蹂躙するかのように男が一人、彼女の上に覆いかぶさってきた。ハァハァと激しい息遣いを浴びせながら、その不潔な手を彼女の胸に滑り込ませる。


 死ねッ!! 死ねッ!!! 死ねェェ――!!!!


 その瞬間だった。

 バシャッ――!!

 男の顔面が、突如として爆発した。大量の返り血が、彼女の顔面に噴き零れる。


 え――?

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