第216話 コード・レッド

 大阪行政区、堺市域にある大仙だいせん陵古墳は宮内庁の管轄である。なぜ「古墳」という遺跡を文部科学省や文化庁ではなく宮内庁が管轄しているかというと、それが皇統第16代「仁徳天皇」の陵墓と治定されているからだ。

 もともとこの辺りには大小さまざまな古墳が多数あって、それらをまとめて百舌鳥もず古墳群と称するが、この大仙陵古墳――いや「百舌鳥もず耳原のみみはら中陵のなかのみささぎ」は、その古墳群の中で最も巨大なものである。古墳群の中どころか、その周囲を覆う巨大な濠の水中下に没するヘドロに埋まった部分まで含めた体積で計算すると、エジプトのピラミッドや秦の始皇帝陵よりも巨大で、つまり「墓」としては世界最大という代物である。

 あまりに巨大すぎて、だから遠景で眺めると単なる小山にしか見えない。空中から件の古墳を偵察すると、ようやくその特徴的な――まるで鍵穴のようなかたちをした――「前方後円墳」と、その周囲をぐるりと取り囲んだこれまた巨大な濠が確認され、それでなんとかこれが巨大な「古墳」なのだ、ということが分かるといった有様である。

 

 ところでこの「仁徳天皇陵(大仙陵古墳)」という世界最大の古墳は、20世紀のうちからたびたび物議を醸してきて未だその論争は終わっていない。

 何が議論になっているかというと、それは本当に「仁徳天皇」の御墓所なのかという点だ。

 最初に科学的な視点で論ずると、第16代仁徳天皇、第17代履中天皇と続く御陵において、実は先に崩御された仁徳天皇陵の方が、次の履中天皇陵よりも年代測定でいうと新しい、という決定的な証拠があるのだ。分かりやすく言うと、「親の墓の方が子供の墓より新しいってあり得るのか?」ということだ。

 次に、直感的な違和感だ。比較的近隣にある「誉田こんだ御廟山ごびょうやま古墳」は、仁徳天皇の御父上、第15代応神天皇陵だとされているが、これは仁徳陵の大きさの半分しかない。庶民の窯の煙が立たないのを見て下々の困窮を悟り、自らも質素倹約に務めたとの逸話でも有名な仁徳天皇が、畏れ多くも父上の墓の倍の大きさ――しかも世界最大とも呼ばれる――の巨大陵を果たして造らせたであろうか。恐らくその造営には多数の庶民を数十年もの長期間駆り出し、奴隷労働を強いたはずだ。あるいはそれ自体困窮する庶民のための「公共事業」だったとでも言うのだろうか。


 本来であれば、こうしたモヤモヤを解消するため古墳の発掘調査を行えばよいのであるが、もともと宮内庁管理で明治期以降まったくと言っていいほど調査をさせてもらえないばかりか、2019年に世界遺産に指定されてしまったため、遺跡保護が最優先事項とされ、この時点で開かれた学術調査研究の手段は永遠に失われてしまった。

 もっとも、これには当然といえば当然の理由がある。なんと言ってもそれは、皇統が未だ健在であるという点だ。エジプトのピラミッドにせよ、秦の始皇帝陵にせよ、その他世界各地の王族の墓や王宮跡とされる無数の貴重な遺跡が当たり前のように発掘など学術調査研究の対象になっているのは、それらの王朝が既に途絶えてしまっているからだ。

 その点、日本の皇室は世界でも類例のない長期に亘り、ずっとその王朝を維持して現在に至っている。これほど長期に亘り、古代から現代に至るまでその血統が絶えることなく連綿と続く王朝は他に存在しないのだ。その現役王朝が先祖の墓と指定する遺跡を第三者が勝手に掘り起こしてあれこれ調べるのは、祖先尊崇の精神を持つ日本人の一般的心情からすれば、それが仮に「皇室」という、日本最高のエスタブリッシュメントに関わらないものだったとしても、当然憚られることである。だから仮に学術的には本当は間違いかもしれない、という可能性があったとしても「そっとしておこう」という判断が先に立つのであり、大多数の国民は「まぁそれでもいいか」と考えているのだ。


 ただ、さすがに教科書の記述は21世紀になってこっそり変更されている。昔はこの古墳のことを「仁徳天皇陵」と明記していたが、今ではその地名を取って「大仙陵古墳」とだけ記載するようになった。その割に世界遺産の登録名は相変わらず「仁徳天皇陵」だ。これはユネスコの世界遺産委員会ICOMOSのルールに従い、その対象が現地で一般的にどのように呼称されているのかを優先して登録名にするという仕組みに則ったせいだ。地元住民は相変わらずこの古墳を、親しみを込めて「仁徳さん」と呼んでいる。


 実際のところ、今さらこの「仁徳さん」が本当は「仁徳さん」じゃなかったとしても、それで得する人間はほぼいない。いや、もしかしたら一部の天皇制反対を唱える政治勢力にとっては、まさに鬼の首を取ったかのような勝利なのかもしれないが、それで本当に天皇制に一矢報いることができると思っている人間がいるとしたらおめでたいかぎりだ。どうであれ、そんなことで皇統の権威には1ミリも傷はつかない。


 だが、今回の「事件」がその仁徳天皇陵で起こったとなれば話は別である。事態はまさしく緊急事態コード・レッドと言っても過言ではなかった。


  ***


「――これは……」


 叶をはじめとしたオメガ一行に加藤博士を加えた――一応ということで急遽同行を認めてもらった――「現地緊急調査隊」は、目の前の惨状に声を失っていた。

 横須賀のオメガ特戦群司令部にいた群長の四ノ宮中佐からの緊急回線でただちに現地に向かうよう指示された一行は、関西地区を管轄とする憲兵隊差し回しの車両によって急遽この大仙陵古墳に駆けつけたばかりである。

 御陵に到着すると、ちょうど宮内庁の担当職員が東京からヘリコプターで現着したところであった。この官僚も事の重大性を認識しているのか、青ざめた顔で今にも倒れそうだ。さすがにこの光景は、文民には少し刺激が強すぎるかもしれない。

 いっぽうで、現場に立ち会っている憲兵隊大尉はさすがに軍人らしく、努めてその表情は冷静を装っていた。発見時の状況を一同に報告する。


「――第一報は御陵警備に当たっていた皇宮警察官からです。何やらもの凄い音と光がする言うんで、慌てて駆け付けたら、石室の入り口からぎょうさん出てきおったいうわけですわ。そんで、こりゃアカン、御陵の中ではあるけど背に腹は代えられん言うて拳銃撃とうとしたら、急に光が消えてコイツらもあっさりくたばりおったちゅう話ですわ」


 コイツら――というのは、今目の前で石室の石壁やら地面やらと半分その身体が癒合するようにめり込んで絶命している国籍不明の謎の兵士たちのことである。中には、その身体の一部が――つまり、内臓やら何やら、普通なら皮膚の下に収まっていなければならない人体の各種臓器・器官がまるで体表に暴露された状態で――死んでいる者たちもいる。

 いずれにしても、どれひとつとしてまともな死体はなかった。


「――その皇宮警察官から話は聞けるかね?」

「さぁ、どうでしょう? 若いのでしたから、本人は相当ショック受けておるみたいで、第一報の時も最初要領を得なんだんです」

「まぁ、無理もないか……じゃあその巡査は後で話を聞くとして……」


 叶は、同席していた宮内庁の職員に向き直る。


「君、大丈夫かね?」

「……は、はい……何とか……」


 彼女は、今にも吐きそうな顔をしながら、それでも気丈に振る舞おうとしているようであった。目の前にいる女子高生のような少女たち――実は全員統合軍の特務兵だと聞いている――が、この惨状を目の当たりにしてケロッとしている以上、自分もしっかりしなきゃいけない、という思いだけで気を失わずに歯を食いしばっているのだ。ここでへこたれたら「だから女は」と言われてしまう。


「なら良いのだけれど……叶です」

石動いするぎです」


 この人たちは、こんな光景を見てなんで平気なんだろう。やっぱり軍人というのは、こういうの平気なんだろうか。彼女は、肩口で切り揃えられた清潔そうな黒髪の片側をついと耳に掛ける。そのせいで、眼鏡がずれたことにも気づかない程度には、やはり動揺を隠せないでいた。


「く、宮内庁書陵部、陵墓課の咲田ひっ……広美です」

「ひっひろみ? 珍しい名前だな」


 久遠が大真面目に反応する。いや、それは多分違うと思うぞ……


「いっ……いえ! あの! ひろっ……広美です。ただの広美ですっ」

「ただの? さきたじゃないのか?」

「ひぇっ! ち、違いまひゅっ! ひゃのっ!」

「こら久遠! 大人をからかうんじゃない」


 士郎が堪らず助け舟を出す。この人は兵士じゃないんだ。そこは空気読んでやれ。


「――すいません咲田さん、コイツら戦場帰りなんで、こういうの見慣れちゃってるんですよ。咲田さんが動揺している理由が分からないだけなんです」


 石動、と名乗ったこの人は、どうやらこの中で一番まともそうだ。少なくとも私の気持ちは理解してくれているみたい。それに引き換え、このJKども……!


「いやいやー、ひろみんごめんなさーい! この子、ちょっとズレてるんで気にしないでください」


 なんだこのカワイイ声は!? しかも、見た目もそんじょそこらのアイドルなんかよりよっぽどカワイイじゃないか! よく見たらこのJKたち、みんな美少女揃いだ! 私、完全にオバサンじゃないか!? てか「ひろみん」って何だ!?


「――私、変なこと言ったか?」


 この長身の女の子は、黒髪ぱっつんの前髪にさらさらストレートだ。切れ長の瞳が嘘のように透明感があって、超スタイルもいい。まるでモデルさんじゃないか! それに引き換え私はちんちくりんで、おまけに内股ときてる――!


 あー、駄目だ。東京から大阪まで来て、女として勝てる気がまったくしない謎のJK軍団みたいな子たちと、こんな猟奇的で血生臭いスプラッタ現場でいったい私はこれからどうすればいいの――!?


「……さん、咲田さん!」


 突然意識が戻ってきた。気が付くと、先ほどの若いイケメン将校に抱きかかえられていた。男の顔が、自分史上一番近い位置にある。


「ふえっ!!?」


 広美は思わず素っ頓狂な声を出す。男性に抱きかかえられたのなんて、初めてなのだ。


「――大丈夫ですか? さっき急に倒れそうになって……やはり少し休みますか!?」


 え――? 私、いつの間にか気を失ってたの!?

 それで、知らないうちに男性に抱きかかえられたの――!?


「いっ! いえっ!! だだだだ大丈夫ですっ!!!」

「よかった――! では一緒にイキましょう」

「えっ////」


 広美は、突然のことに顔を真っ赤に染めた。そりゃあ、あれほど情熱的に抱かれてしまったのだから、責任を取ってもらう必要がある。男の人って、あんなに筋肉質なんだ……でもそんな……急にイクだなんて//// これはどう考えても緊急事態だ。私まだしょ――


「どうしました? 咲田さん? 宮内庁の人が一緒じゃないと、これ以上奥にんですが――」

「ひぇっ?」


 気が付くと、一行が石室の奥にある小さな穴をくぐろうとしているところだった。

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