第215話 神々の業

「クリーちゃん、念のためもう一度確認したいんだが……君自身は『天刑星』という神のことを知っていたのかい?」


 あらためて叶が問い質す。先ほどからの彼女の狼狽ぶりを見る限り、答えは明白だった。


「……いえ……辟邪という神さまがいたことも知りませんでしたし……天刑星なんて聞いたことも……」

「おーけい、いいよ――ありがとう」


 叶が、あらためて士郎の方を向く。


「――と、いうわけだ。つまり、彼女の言動はすべて人為的にプログラムされていた可能性が高い――辟邪神という存在をもともと知っていた、誰かにね」


 加藤博士が会話に割り込む。


「先日、ここにいる叶博士に――あぁ、彼は高校時代からの友人なんだが――辟邪神について知っていることを教えて欲しいと言われ、昨日一日かけてレクチャーしたところなんですが……もう一度ここにいる皆さんにお話ししたほうがよいかな?」

「――あぁ、そうしてくれるとありがたい。ただし、端的にね」


 叶が、士郎に向かって軽くウインクした。つまり、念押ししておかないと話が長いということか。


「では、立ち話もなんだから、私の研究室に来るといい。さぁ、こちらへ」


  ***


 収蔵庫を出て建物内をしばらく歩くと、いくつも扉が立ち並んだ廊下に出る。どうやらこの棟は、博士のような研究者や学芸員の部屋が置かれているようだ。加藤博士の研究室はその廊下の一番奥にあった。「どうぞ」と促されながら、一同は招き入れられる。

部屋は全員が入るともうぎゅうぎゅう詰めで、壁一面、天井まである本棚は種々雑多な書籍で埋め尽くされていた。窓際に置かれた彼の大きな書斎机の上にも大きな書物が山積みだ。その机の前に細長い楕円形のテーブルがあり、ゲストたちは全員そこに肩を寄せ合うようにして座る。典型的な文系学者の研究室だった。


「――さて、では始めよう。辟邪神について、だったね」


 博士の目が、明るく輝いたような気がした。いよいよ彼の独壇場だ。


「まず、これらの存在がいったいどういうところから生まれたのかを理解する必要がある。君たちは『道教』というものを知っているかね?」

「道教ですか? さぁ……」


 士郎にはピンとこない。いや、もちろんその単語は知っている。歴史好きであれば必ずと言っていいほど目にするものだ。特に平安期から戦国初期に掛けて――

だが、いざそれを説明せよ、と言われても、いまいちよく分からないというのが正直なところだった。


「――『道教』というのは、仏教・儒教とともに、漢民族の伝統的な宗教とされていたものだ。中国ではこの三つを合わせて『三教』と呼ぶ。ただし、この三教にはそれぞれ大きな特徴があってね……まずは『仏教』。これはみんな良く知っているよね?」

「仏さま!」

「大日如来!」

「お釈迦様」


 オメガたちにも、どうやら一般常識はあるようだ。


「そうだね、つまりはキリスト教、イスラム教に並ぶ世界三大宗教のひとつ。古代インドで生まれ、中国で花開いた。宗派は無数にあって、教えもさまざまだけれど、簡単に言うなら“仏を信仰して極楽浄土に行きなさい”という典型的な偶像崇拝宗教だ」


 ざっくりし過ぎていて本職のお坊さんに怒られてしまいそうだが、ここは仏教の教えを身につける場ではない。軽く聞き流す。


「次に『儒教』だ。これは宗教というよりも、どちらかといえば『道徳』に近い。孔子という歴史上の人物を祖とするある種の思想体系だ。年長者や親を敬いなさい――とか、そういった類の“人としてのあるべき姿”を説くものだと理解すればいい」


 これについては士郎も良く知っているし、日本人の根底にも連綿と流れている思想・行動規範だ。東アジアの民族は多かれ少なかれ皆儒教の影響を受けている。


「――問題は三つ目の『道教』だ。これは今でこそ洗練され、分別のあるスタイルになっているが、根本にあるのはオカルトに裏打ちされた現世利益だ」

「オカルト!?」

「非常にラジカルな言い方になっているかもしれないが、分かりやすく言うとそういうことだ。たとえば、道教が最終的に目指すのは神仙思想――すなわち“不老不死”に他ならない」

「不老不死――!」


 一同が俄かに緊張するのが分かった。何せ、目の前に「不死者イモータル」の特異能力を持つ神代未来みくがいるのだ。彼女が攫われたのは、もしや――


「他にも、占いや魔術、あるいは蟲毒こどくなどを用いた呪術、錬金術や霊的な超存在を使役する鬼道――すなわちシャーマニズムなども重要な技術とされている」

「そんなものが中国では広く信仰されていたのですか!?」

「あぁ、そうだよ。死者を蘇らせる反魂はんごん法なども当たり前のように使われていた。もっとも、共産党政権になって以降、道教はあまりにもオカルト色が強いということで特に文化大革命の時代に弾圧の対象になって、近代以降殆ど地下に潜ったけどね」

「――そうなんだ……」


 驚いた――

 そんな前時代的なものが、つい最近まで世界の超大国として君臨していた中国人民の間で信仰されていたなんて……


「もちろん、日本にもこの道教思想は伝播している。特に平安時代には、それが陰陽道というかたちで花開いた。安倍晴明という陰陽師の名前は、聞いたことがあるだろう」

「あ、それ確か映画になってた……」

「アニメとかでもよく陰陽師は出てくるよね」

「そう、よく魔法陣みたいなのを描いたり、護符を貼り付けたり、式神を使役して敵を調伏――つまり呪いだね――を仕掛けたり……」

「それって真面目にやっていたんですか?」

「もちろんだとも。君たちだって『占い』は好きだろ? あと『風水』とか……ああいうのは全部道教が元になっている。そもそも江戸の街自体、風水によって造られたと謂われているんだ……オカルティズムの部分だけピックアップすると荒唐無稽なように聞こえるが、案外我々の生活に根付いていることも多いのが、この道教というものなんだ」

「……そう言われると、何だか普通のことのように思えてきました……」

「さて、問題はここからだ。話を元に戻そう。今回君たちに見てもらったこの辟邪神――これらはすべて道教の中に出てくるんだ」

「そうなんですか!?」

「まぁ、厳密に言うと、道教というのは元々中国の民衆の中で根付いていた土着の信仰とか伝説、言い伝え、怪異譚などをほとんどすべて取り込んできたものだ。だから、さまざまな神や異形の存在、怪物やモノノケの類なども多数伝わっている。ということで、辟邪神も元々どこかの土着の神というか、民衆の言い伝えがベースになっていると思われるんだ」

「では空想の産物――」

「とは言い切れない、というのが、今日私が一番言いたいことなんだよ」

「ど、どういうことです!?」

「つまり、神話や昔話、言い伝えというものは、必ずその元となった出来事がある、ということだ」

「そうなんですか?」

「だって、そりゃあそうだろう。もちろん現代に伝わる話は、長い年月をかけて尾ひれがついて、いろいろと突飛なものになっているが、その話の根本的な筋というか、登場人物や話の展開など、ストーリーテリングの部分については実に面白いものが多い。そんなものが小説家でもないただの一般人、さらには現代のようにいろいろな情報がすぐに入手できるような環境にない古代の民衆の間で、自然発生的に生まれると思うかい?」

「――そう言われてみれば……」

「だとすると、たとえば物語に登場する神さまの外見や能力、性格などが、これほど緻密に語られるわけがない。『天刑星』という神が“天界にいて星々を統べる”などというを、宇宙のことすら碌に知らない昔の人々が思い付くわけないじゃないか」

「……だとしたら……」

「必ずそこには、ベースとなるが存在する――」


 では、『辟邪』という存在は、過去に実在したというのか――


「――どうだいみんな!? ここからは、神々がかつて、という前提で話をしようじゃないか。現に今、ここにクリーちゃんという辟邪が存在するんだ」


 突然叶が割り込んできた。確かに……彼女のような異能力を持つ存在が過去に実在して、その様子を見た過去の人々がそれを「神」と認識して後世に物語を伝えたのだとすれば……その物語は単なる「物語」ではなく「報告書」になる――

 今またクリーに代表されるかつての「神々」が復活しているのだとすれば、その「過去からの報告書」を読み解くことによって、現在我々が直面している「敵」に対処する方法が見つかるかもしれない。


「――ではまず、この辟邪神が生まれる時の条件からだ。博士?」

「うむ。辟邪は“この世に疫病や災厄が蔓延して人の世が地獄になる時に現れる”とされている」

「もうこの時点で、現代の状況に酷似していると思わないかい?」


 叶がオメガたちに水を向ける。

 確かにその通りだ。現代は、核の業火――そして戦争という災厄によって人々が責めさいなまれる時代だ。おまけに、その影響で数多くの疫病や貧困その他、各種の災いに満ち満ちている。


「そして次、そういう時に現れた辟邪神は、どういう手段でそれら災厄から人々を救う?」

「――先ほど見せた辟邪絵に描かれているとおり、疫鬼を喰らったり引き裂いたり、ありとあらゆる手段・武器でそれらを滅ぼすのだ」


 これを現代に当てはめるとどうだろう……

 災厄とは、もちろん「戦争」とか、それに類するさまざまな「理不尽」総体を指しているのだろう。そういえば「放射能汚染」というのも災厄そのものだ。だが、それらを引き起こした根源は何か? と問われれば、それはまさしく「人間」と答えるしかない。

 この時代、「人間」そのものが「災厄」と言っても過言ではないのだ。だとすると、辟邪は人間を滅する存在、ということなのか――!? いや、ならばそれは辟邪というより「オメガ」そのものではないか――!  彼女たちは、「人間」とみれば見境なくこれを殺戮する存在だ。ある種の敵味方識別を持つ者を例外とする以外は……

 叶が話を続ける。


「では……その辟邪はどんな姿をしている?」

鍾馗しょうきのように、限りなく人間に近い見た目の神もいるが、大半は動物や半神半人あるいは半獣、など『人外』の姿を取っていることが多い」


 加藤博士は、一切淀むことなく答えていく。


「ふむ――どうだねみんな!?」

「……本人を目の前にして言うのもなんですけど……」


 くるみがおずおずとクリーを横目で見ながら答える。


「戦場で見たクリーちゃんの半獣人姿は、まさしく辟邪の言い伝えそのものだったと思います……」


 他のメンバーも、当時のクリーの姿を思い浮かべる。最初に収容所作戦の時に出会った時は、まだその外見は普通の人間であったが、次にハルビンの戦場で再会した彼女は、その背中に翼を生やし、脚は何か鳥類の脚部のようで、その姿はおぞましい半獣人に変わり果てていた。つまり、人間と動物との混合体――キメラだ。


「クリーちゃん、ひとつ聞いていいかな?」


 叶が彼女を見据える。


「君は何らかの人体改造手術を受けたのではないのかね?」


 その言葉に、クリーは怯えたように目を背ける。やがて、ポツリと呟いた。


「……そう……かも、しれません……」

「――覚えていない……?」


 叶が、彼女を極力追い詰めないように気を遣っているのが分かった。


「……はい……ある時、眠りから覚めたら自分の身体が変化していました。気が付くと、自分の脚が鳥のようになっていて……背中、というか腰のあたりから羽根……のようなものが生えていました……」

「その時、何か感じたかい?」

「……と……言うと……?」

「たとえば、身体に違和感を覚えたとか……あと、そうだなぁ……感情の変化とか……」

「…………」


 クリーは、何かを思い出すようにギュッと目を瞑ったまま、天井を仰ぎ見るような仕草をする。

 少しの間、沈黙がその場を支配し……やがておもむろに口を開いた。


「……そうですね……脚には……特に違和感を感じませんでした……自分の脚じゃなくなっているのに、まるで昔からそんな脚だったような気さえ……あと、腰の羽根も特段……ただこれは……普通の腕とは別に、新しい腕が生えたような不思議な感覚でした。そして――」


 クリーが、士郎とその横に座る未来の方に視線をやった。


「――感情は、確かに今までとは違った気がします。なんというかこう……気が大きくなった、というか……何でもできるぞっていうような――」

「万能感!?」

「――そう、その万能感です。それは……自分のようでいて、どこか自分ではないような……頭の中に、もう一人の自分がいるような……」


 そう言うとクリーはそれっきり、押し黙ってしまった。


「……ふむ……実に興味深い……」


 叶が、彼女の話を引き取った。どうやらこの辺りが引き際らしい。

 すると、叶が思い出したようにクリーの顔を見つめ返した。


「――ときにクリーちゃん、君は他のビーシェを見たことがあるかい? あるいはその噂話でもいい」


 その言葉に、ハッとするような表情を見せるクリー。


「……あ……いえ、実際に他の辟邪ビーシェを見たことはありません。ただ――」

「ただ……?」

「――たぶん、辟邪ビーシェは他にもいます。博士が……李軍リージュンたちがそう言っていたのを聞いたような……」

「ほぅ……それは、さっきの辟邪絵の中にいたかい?」

「……えぇっと……あ、あの……たぶん2番目の絵の……」

栴檀乾闥婆せんだんけんだつば


 加藤博士がすかさずフォローする。


「……はい、いえ……さっき話していた、もう一つの名前……」

「ガンダルヴァかい?」

「――そう! それです! ガンダルヴァを起動させるとか何とか……」

「やっぱり!」


 叶が深刻な顔でクリーの言葉を受け止める。

 ガンダルヴァって確か……その栴檀乾闥婆せんだんけんだつばの元となったインドの音楽神の名前だったよな……


「――『天刑星』がいて、『ガンダルヴァ』がいる……やはり敵は、この中国伝来の神々『辟邪神』を意識して君たち異能者をハンドリングしようとしているとしか考えられない」

「ということは、他の辟邪神に相当する異能者が、他にも複数いる、ということなのでしょうか!?」

「あぁ、そう考えておいた方がいいだろうな。つまり、ハルビンの直後に異常現象を観測したバヤンカラ山脈にも、クリーに似た辟邪ビーシェがいた可能性が高い」

「あの現象は、クリー以外の別の辟邪ビーシェが引き起こした、ということですか!?」

「まず間違いないだろう。だが、これでようやく話が繋がったよ。実は私が先日バヤンカラの現地で発見したのは――」


 ピロピロピロピロ……


 突然叶の携帯端末が呼び出し音を発する。これは――緊急連絡回線だ。一同を見回した叶は、敢えて周囲にも見えるようにポップアップ受信モードにして回線を開く。


『元尚か――』


 四ノ宮中佐!?


「いったいどうしたんだい?」

『貴様いま奈良にいるんだろう? 先ほど近畿行政区内の某所で異常現象の報告があった。今憲兵隊が現場を封鎖しているが、貴様の専門だ。ちょっと行って見てきてくれ』

「それは――」

『あぁ……見るもおぞましい、悲惨なものだぞ。今から現場の位置と現地映像を送る』


 いったい何が起きたというのだ――!?

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