第201話 奪還、そして――

 作戦終了の後始末が、戦史に残る滑稽な有様になったことは言うまでもない。

 何せ、最前線で一番必要となった物資が、弾薬でも、医薬品でも、食糧でもなく、「服」だったからだ。


 その原理や仕組みは現時点では相変わらず分からなかったが、とにかくハルビンの街を襲った大破局は突如として収束し、その代わりに全裸の兵士たちが多数、荒野に投げ出されていた。それがどれだけ間抜けな光景だったかと言えば、実際のところその場にいた者にしか分からないだろう。

 ただ、それが今となっては笑い話として面白おかしく語れるのは、ひとえに傷ついた兵士たちが皆、その怪我が完全に回復して――それどころか、戦死したと思われていた兵士すら、いつの間にかという副産物があったからに他ならない。


 この戦場は、まさに地獄の様相を呈していた。多くの兵士が傷つき、命を散らせていった。銃弾に斃れた者、腕や脚が吹き飛ばされた者、業火に焼かれた者、そして灼眼の子らが吹きかける強酸攻撃でその肉体をドロドロに溶かされた者……


 それらの兵士たちが皆、気が付くと、五体満足で復活していたのだ。


 そんなことはあり得なかった。最初は皆が、自分も死んでしまって、あの世で戦友に再会したのだとさえ思ったものだ。

 だが、本当に信じられないことではあるが、つい先ほど隣で戦死したはずの男が、気が付いたら目の前でピンピンして笑っているのである。もちろん当の本人たちも、自分がなぜ生き返っているのかまったく理解できていなかったのだが、魔術やオカルトの世界でもあるまいし、自分がゾンビになっている気配もなかったから、この際ありがたくその復活を受け入れたのである。


 そうなると、次は誰が復活したのかが重要だった。

 とりあえず、第一戦闘団の面々は皆、無事に復活を遂げていた。ただ、生き返ったのは、つい先刻まで一緒に戦っていた者たちだけである。もう少し早い段階――つまり、ハルビンに空挺降下した時点で撃墜されて命を落とした者、最初の橋頭保確保の戦闘で死んだ者たちは含まれていなかった。

 ヤン大校に聞いても、復活したのはまさに最後の局面まで生き残って戦っていた者たちだけだという。

 そうなると、この「よみがえり」という現象には、何らかのタイムリミットがあるのではないか、という説が兵士たちの間を瞬く間に駆け巡った。


 ちなみに、生き返ったのは味方だけではない。何より驚いたのは、例の灼眼の子供たちである。戦場で全裸になって放心したように座り込んでいた多数の子供たち。彼らはどう見ても、先ほどまでの悪鬼のようなバケモノではなく、ただ無垢なだけの――普通の子供たちであった。

 気になったのは、彼らの中で生き返った者が極めて少ない、という事実だ。大半はもともと「兄弟姉妹」の関係にあった者だけで、それ以外は本当に数えるほどしか復活していないのだ。

 いったいこれはどういう法則なのだろう!?

 ただ、兵士たちの大半は生き返っていることから、このあたりの違いの意味を突き詰めれば、この現象が発動する条件が分かるのではないか、ということでひとまず謎解きは先送りされることとなったのだ。

 今はとにかく、戦場に放り出された全裸の老若男女を、何とかする方が先決だった。


『――では、ほとんどの兵が無事なんだなッ!?』


 新見が構築した簡易的な機動統制システムMCSの通信モジュールから、四ノ宮群長の悲鳴のような声が聞こえてきた。鉄の女アイアン・レディがこんなに取り乱すなんて、嬉しいじゃないか――


「はい、少なくとも最終戦闘に参加していた兵に損害は出ておりません!」


 士郎は、自分でもびっくりするくらい明るい口調で報告していた。

 どんな状況にあっても、報告の際は冷静沈着、事実をありのままに伝え、自分の感想や感情は交えないように――何度も教えられてきたことだが、どうやら今は守れそうにない。それほど、今の士郎は達成感と開放感に溢れていた。四ノ宮も珍しく感情を露わにしているし、今だけは大目に見てくれているようだ。


 通信を終えた士郎は、新見にありがとうとインカムを返す。本当はきちんと目を見てお礼を言いたかったのだが、とにかく今はお互い目のやり場に困って直視することが出来ない。

 通信機の影に隠れるようにして、全裸の新見が腕を伸ばす。そこに、やはり全裸の田渕が駆け込んできた。


未来みくさんに会いたいという人が――」

「ひゃあっ!?」


 新見が素っ頓狂な声を上げて床にうずくまる。「おっと」と言いながら田渕が後ろを向いた。その視線の先には、筋骨隆々の男が一人。「あっ」と士郎が思わず声を上げる。楊大校の部隊と休戦協定を結ぶ際に、仲立ちをしてくれた男だった。


「あっ! ミーシャくん――良かった! 無事だったのね!?」


 未来が嬉しそうに大男に声を掛けた。


「未来? 知り合いだったの?」

「うん、彼はミーシャくん……私のこと、最初から最後までずっと守ってくれたの」


 未来の言葉が分かるのか、大男が少しだけ、はにかんだようなそぶりをみせるが、基本的に彼は無表情だった。未来の傍らにヂャン秀英シゥインの姿を認めると、さっと片膝をついてかしずいた。


「――ミーシャ……ご苦労だった」

「……はッ……」


 ミーシャはじっと秀英の方を見つめている。それで察したのだろう。傍にいた叶がミーシャに語りかけた。


「張将軍の命に別条はありません。というか、こちらも必死で救命処置を施しておりましたが、なんだか全部丸く収まってしまったようで――」


 叶が困惑するのも無理はない。何せ、秀英はつい先ほどまでほとんど危篤状態だったのだ。だからこそ彼は全力で、戦闘状況下にも関わらず緊急手術をしていたのだ。それが、気が付いたら見ての通りピンピンしていて、彼の患者の傷はすべて癒えていたという冗談のような展開。おまけにいつそうなったのか、周りにいたすべての者が全裸なのだ。


「――ま、結果的にどうであれ、こちらのドクターが全力で私の怪我の治療をしてくださっていたのは間違いない。先ほどから医療スタッフの皆さんに感謝申しあげていたところだ」


 張の言葉に、ミーシャは周りの衛生兵メディックとロボット? たちに頭を下げた。

 それを見ていた未来がびっくりしたように声を上げる。


「み、ミーシャくん……その腕……」

「はい……いつの間にか、


 ミーシャが生真面目に答える。その真顔を見ていた未来が、ふるふると肩を震わせ、その頬をみるみる赤くさせていく。


「……ぷっ! ……あははっ! ……あははははっ!」


 意外なことに、彼女は突然笑い出す。

 それを見ていた周りの者たちも、最初キョトンとしていたが、次第につられて笑顔になっていった。


「あははッ! あははははッ!!」

「わははははっ!」「がははははッ!」

「はははははッ!! ――って……」


 そこにいた誰もが、この戦いが終わったことを実感した瞬間だった。つい先刻まで、この地下留置場で絶望的な戦いが繰り広げられていたことが、まるで嘘のようであった。

 部屋に満ち溢れる笑い声に、ピクリと反応したのは、先ほどから壁にもたれかかって気を失っていた女性――張将軍の妹、詩雨シーユーだ。


「う……うーん……」


 それに気づいた秀英が、彼女の傍まで歩いていく。

 その肩にそっと手をかけ、そして、美しい黒髪をそっと撫でた。


「詩雨――そろそろ起きろ……」


 彼女はその声に反応したのか、少しだけ頭を左右に振る。次いでそれを、秀英が添えた腕にそっともたせ掛けた。

 突然ガバっと起き上がる。


「――えっ!?」

「詩雨、大丈夫か? まだ寝てるの、お前だけだぞ……」


 秀英が優しげに声を掛けた。詩雨はその切れ長の瞳を開け、しばらく呆然として目の前を見つめる。やがてそれが自分の兄、秀英だと分かると、急にその目の焦点が合わさった。


「兄さん!?」

「あぁ、お前の兄さんだ」

「え? 無事……なの……!?」

「あぁ、そうだぞ!? 安心しろ……この通り、ピンピンしている」


 詩雨は、何か幽霊でも見ているような目で、目の前の男をじっと見つめた。


「――うそ……」


 ようやく声を絞り出すと、やがてその目に大きな水滴が滲み出てくる。途端に、まるで子供のように泣き出した。


「うぇぇぇぇぇぇん……兄さぁん……」


 そんな詩雨を、秀英は愛おしくて仕方がない、といった風にそっと抱き寄せた。彼女はそのまま兄に縋りつき、まるで駄々っ子のようにその身体を揺すりながらますます強く泣きじゃくった。


 そんな兄妹の様子を横目に見ながら、士郎は未来と叶に目配せをする。


  ***


 元華龍ファロン本部施設、1階の裏玄関。地下留置場に通じる唯一の出入口があったところ。

 建物は既に完全に破壊され、屋外と大差ない程度に瓦礫の山と化した一角。見上げると、青空がそのまま吹き抜けて見えていた。

 目の前に無言で座っているのは――クリーである。

 彼女もまた、服は一切着ておらず、一糸まとわぬ姿であった。もともとまだ女性の身体になり切っていないということもあるが、彼女がそれを気にする様子は……ない。


「……クリーちゃん……」


 未来が呼びかけるが、彼女はまったく反応する様子を見せなかった。3人は顔を見合わせると、お互い探るような表情で見つめ合った。話すべきこと、確認すべきことが多すぎて、何から話せばいいのか分からないのだ。


 堪えきれなかったのは、案の定叶元尚だ。

 オメガ研究班長にして稀代の天才科学者。この激戦を、よく潜り抜けたなと今更ながら士郎は思ってしまうのだが、この「根っからの科学者」には、そんな感慨など露ほどもないらしい。


「――まず何より、私が気になるのは君のその桁外れの能力だよ。いったい何がどうなれば、あんなことになるんだい?」


 叶が言っているのは、あの謎の重力崩壊現象のことだ。突如として、あらゆる物体をまるでブラックホールのように吸い込み始めた、あの破滅的な現象。

 だが、クリーはやはり無反応だった。ちらりと叶を一瞥すると、また俯いて黙り込む。


「……あれは、君が意図的に引き起こしたことなのかな?」


 叶が懲りずに問いかける。だが、やはりクリーはピクリとも反応しなかった。


「……ふむ……アイちゃん……」


 突然叶から漏れた名前に、クリーはようやくビクンとその身体を震わせる。それまで、あらぬ一点を見るともなしに見つめていたクリーが、初めてその視線を叶に合わせた。


「――アイちゃんが、君の双子の姉妹だってことは知ってるよ……」

「――アイは……どこ……?」


 ようやくクリーがその口を開くと、未来と士郎も少しだけほっとする。

 だが、この中で未来だけがアイのことを知らない。


「アイちゃんって……?」

「そうか、未来は知らなかったかもな……ほら、前に大陸の製薬工場で俺が初めて保護した女の子がいただろう?」


 未来は少しだけ目を瞑ると、記憶を辿っていく。


「あぁ――士郎くんが助けた女の子だ!?」

「そう、あの子、クリーの双子の妹だったらしい」

「えっ!? ……そうなんだ……ぐ、偶然、なの?」

「いや……あそこにいたこと自体、敵の作戦だったらしい。双子のビーシェの片割れをうちに潜り込ませて、作戦行動の詳細を探る意図があったそうだ」


 それを聞いたクリーがビクッとして士郎をキッと睨みつける。


「――アイ、それでどうした? 殺したのか!?」


 妹のスパイ行為が発覚したのだ。普通ならそこで逮捕・投獄されて、散々拷問にかけられた挙句、くびり殺されるのがオチだ。クリーから、俄かに殺気が漂い始める。


「まさか!? 今頃日本の病院でゆっくり過ごしているよ――クマさんのぬいぐるみがお気に入りだ」


 意外な答えに今度はクリーが戸惑う。


「――なぜ? なぜオマエたちはスパイ殺さない!? 何かの人体実験して償わせるつもりなのか!?」


 病院――という単語に反応したのか? だがな、クリー……日本では、子供は兵士にならないんだ。万が一過ちを犯しても、キチンと人生、やり直せるんだぜ――


「クリー、君は何か誤解しているようだ。アイちゃんは別に、やろうと思って諜報活動をしていたわけじゃない。全部おねえちゃんのために仕方なく、と言ってたぞ」

「そ、そうだ――あの子がスパイしたのは私のせいだ! だから私捕まえて、証拠揃えてから2人とも殺すんだろ!?」

「だから――殺さないって」


 士郎の呆れたようなリアクションが、逆にその言葉が嘘ではないことを如実に物語っていた。それを見て、ようやくクリーが頑なな心を開き始める。

 未来が、士郎を見つめた。その視線に気づいた士郎は、こくりと頷く。


「……ねぇクリーちゃん……妹さん――アイちゃんと……一緒に日本で暮らせるんだよ?」


 その言葉に、クリーが驚いたように反応する。


「……そんな……嘘だ――」

「嘘じゃないよ? だってあなた、まだ子供じゃない!?」

「そうだぞクリー。君の年齢……アイちゃんと双子ってことは、まだ11歳か12歳だろ? 日本では、ようやく小学校を卒業するかどうか、ってとこだ。姉妹なら、一緒に暮らすべきだ」

「……一緒に……暮らす……?」

「そうよ、一緒に学校にも行って、いっぱいお友だち作って、仲良く暮らすの……あなたの年齢なら、当然の権利よ?」

「……学校? お友だち……?」

「あぁ、日本の学校に通って、時々ちょっとだけ、我々に協力してくれればそれでいい」

「――ちょ、少佐!?」


 クリーと士郎、未来の会話がそれなりに盛り上がってきたところで、叶がちゃっかりブッ込んでくる。その抜け目のなさに思わず士郎がツッコミを入れるが、今度は逆にクリーがそれを遮った。


「本当に……一緒に暮らせるのか……?」

「あぁ、約束しよう」


 クリーが、探るような視線を投げかけてきた。ついさっきまで、殺し合いをしていた相手なのだ。信じろと言われても、俄には信じることが出来ないのは当たり前だ。

 だが、だからこそ士郎たちは彼女に誠実でありたいと思うのだ。彼女こそ、戦争で真っ先に犠牲になった弱者そのものなのだ。士郎たちは、だから彼女が好きで戦っていたわけではないことを知っている。たとえ彼女がなんと言おうとだ。

 クリーは未来と士郎、そして叶の顔を順に見つめる。


「分かった! じゃあ――未来さんたちの言うとおりにする」

「本当!?」

「妹と……アイと一緒に暮らせるならそれでいい。日本軍にも協力する」


 3人はお互いの顔を見つめて、大きく安堵の溜息をついた。恐らく、今までの彼女の人生の中には「学校」とか「友だち」などというキーワードすら存在しなかったのだろう。こんな当たり前の言葉が、彼女の心を解きほぐすなんて……

 彼らは、彼女をこんな「地獄」へと引きずり込んだ存在への怒りを、あらためて共有するのだ。


「じゃあ、みんなで日本に帰ろうか! ようやくこれで、『ア号作戦』終了だ。

 未来、あらためて『おかえり』――だな!」


「――はい、士郎くん。『ただいま』――約束、守ってくれたね」


 そう言うと2人は、あらためてお互い見つめあった。長い――長い別離の果てに、再び出逢った未来と士郎。

 万感の想いを胸に、ただその瞳に映るお互いの姿を確かめ合う。


 そんな二人を、叶は眩しそうに見つめていた。

 ふむ――甘酸っぱいねぇ……


 だが、突然そこに駆け込んできた新見の言葉に、全員が凍りついた。


「――少佐ッ! 石動いするぎ中尉ッ! 中国西方、バヤンカラ山脈で強力な熱核反応を観測しましたッ! たった今です!!」

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