第13章 異変

第202話 再会

 暦の上では夏も終わろうとしているのに、横須賀はまだまだ厳しい残暑が続いていた。


 オメガ特殊作戦群司令部があるのは、横須賀市の南方――三浦市との境界に近い三浦半島中ほどにある広大な軍用地だ。

 西に小田和湾を臨むこの地は昔から軍には馴染み深い土地で、国防軍がまだ「自衛隊」と呼ばれていた時代から、陸上自衛隊の武山駐屯地および高等工科学校、そして海上自衛隊の横須賀教育隊などがひしめいていた。

 さらに言えば、もともと横須賀という街は近代以降「海軍の街」として栄えた土地だ。帝国海軍の時代は連合艦隊司令部、太平洋戦争以降は海上自衛隊・自衛艦隊司令部、そして国防軍に改組されてからは海軍機動艦隊司令部と、この街には海軍の伝統がずっと息づいているのだ。

 そんな「海軍の街ネイバルシティ」横須賀に、国防軍初となる5軍統合任務部隊であるオメガ特殊作戦群司令部が置かれたのは、ひとえにその後ろ盾となった坂本統幕議長の指導力によるものだ。

 陸軍参謀本部で繰り広げられたオメガを巡る主導権争い――平たく言えば謀略含みの権力闘争――によって、四ノ宮以下現場の部隊が叛乱軍の汚名を着せられそうになった時、これを庇護下に置いた坂本が、海軍出身である自らの人脈を駆使して彼らの安住の地をここ横須賀に与えたのである。


 坂本が紹介しただけあって、ここのインフラは実によく出来ていた。もともと駐屯地だから、陸上部隊はそのまま基地設備を活用できるし、教育隊施設はさまざまな訓練設備を有していたから、そのまま実戦部隊の詰所として使用できた。海に面しているから艦船も係留できるし、元は空軍の分屯基地としてヘリポートや格納庫などもあって、強襲降下艇クラスの軽量級航空機ならそのまま発着も可能だったのだ。

 おまけに、隣接民用地には市民病院や大学附属の原子力研究所まで建っていた。当然こうした貴重な施設は、オメガ特戦群移転の際に軍へ移譲されることとなり、5軍種が共同で部隊運営を行う統合任務部隊の基地としてはこれ以上ない環境を手に入れることが出来たのである。

 ただ、病院施設に関しては民間のニーズも極めて高かったことから、それ相応のセキュリティ強化を図ったうえで軍民共用というかたちにしてある。ちなみに、療養が必要なオメガたちは、この「統合軍病院」が開設された際に、国内の各軍病院からすべて転院し、今では全員が司令部お膝元の専用病棟に収容されているという厚遇ぶりだ。


 まさに至れり尽くせりという設備の中でオメガ特戦群司令部はその運用を開始したのだが、唯一ネックとなっていたのが、本格的な滑走路を有した飛行場の不足であった。

 今や陸軍特殊作戦群を上回る実力部隊として国防軍のトップエリートが集まる組織となった以上、航空戦力を必要とするたびにわざわざ60キロも離れた厚木基地まで移動するというのは実に非効率であり、部隊行動の秘匿という観点からいっても早急に改善しなければならない最優先課題であった。


 そこで捻り出された方法こそが、海上に筏状の浮桟橋を組み合わせて作る、いわゆるメガフロート構造による海上滑走路建設である。ただし、大型ジェット機が一日に数十回発着し、巨大な旅客ターミナルを必要とする民間空港とはわけが違うから、この工法による飛行場建設は想定以上に短期間で竣工することとなった。

 そんなわけで、士郎たちが日本を離れている間に、オメガ特戦群司令部沖合には、見事な3,000メートル級滑走路が出現していたのである。


「群長――まもなく一番機、最終アプローチに入ります」

「おぉ! そうか――では迎えに行ってくる!」


 そう言うと四ノ宮は、まるで小さな子供が単身赴任から久々に帰省した父親を迎えに行くような高揚感に包まれながら発令所を飛び出していった。

 なにせ、一度は全滅を覚悟した第一戦闘団が、見事作戦を完遂して凱旋するのだ。当初の目標だった神代未来みくの奪還はもちろん、オメガ少女たちも誰一人欠けることなく生還する。それどころか、敵オメガ――彼らの報告によると「オメガではなくビーシェ」という名称だそうだが――さえ恭順させて同行しているのだという。

 これ以上の赫々たる戦果があるだろうか。


  ***


「――第一戦闘団第一小隊指揮官石動いするぎ士郎中尉以下78名、ただいま帰投いたしました」


 滑走路に並んだ兵たちがザンッ――と一斉に敬礼する。

 四ノ宮はこれを満足そうに眺め、カチン、と踵を合わせながら答礼を行った。


「ご苦労であった――現時刻を持って『ア号作戦』、状況終了とする! 以上!」


 その瞬間、一斉に空気が弛緩する。兵たちは、どの顔もまるで憑き物が落ちたような爽やかな表情だ。わいわいガヤガヤと隣の戦友とおしゃべりしながら、自分の背嚢を背負って足早に連絡艇ランチに向かう。海上滑走路だから、ほんの数百メートルではあるが海を渡って岸に上がるのだ。

 オメガの面々は、士郎の周りを取り囲んでいた。


「――あらためて、みんなご苦労だったな! 今夜は好きなもの食べて、思いっきり羽根を伸ばしていいぞ!?」

「やったー! 私パフェぇ!!」

「私はモーレツにお肉が食べたいぞ!」

「お、お寿司も悪くありませんね」

「ラーメンがいいのです!」


 この4人がそれぞれバラバラに勝手なことを言うのはもはや様式美である。そんな彼女たちを、嬉しそうに眺める未来に、士郎は声を掛けた。


「未来も遠慮しなくていいんだぞ? てか、今夜はさすがに未来の食べたいものにするぞ? みんな!?」

「あー、確かにそうだねっ」

「言われてみれば……」

「そうでした、久々の日本ですもんね」

「実は私は何だって構わないのです」


 そう言いながら、少女たちは未来の方をキラキラした瞳で見つめる。

 こいつら――

 おおかた「〇〇ちゃんが食べたいのでいいよ」とか未来が言いだすのを待ち構えているのだろう。まぁ彼女の性格的には、そう言い出す可能性は極めて高い。

 ところが、未来は意外な言葉を放った。


「――えと……実はある人たちに食べさせてあげたいものがあって……」

「えっ?」


 そう言いながら、彼女は滑走路の端に駐機していた4番機の方を指さした。


「なるほど――、彼らの聴取は明日からだから、今夜はひとまず楽しんで貰おうというわけか」


 士郎も得心する。

 4番機に乗って一緒に日本にやってきたのはヤン大校以下、アジア解放統一人民軍ALUPA――通称「華龍ファロン」の生き残り兵たちだ。今回正式に日本国に政治亡命を申請することになり、いろいろと戦場での機密情報も知っていることから、一旦オメガ特戦群が預かることになっていたのだ。

 ちなみに、一緒に来たヂャン秀英シゥインは、あまりにも大物ということでたった今四ノ宮中佐が丁重に連れて行ったところだ。


「クリーちゃんも一緒に行くよね?」


 未来が、隣にいた小柄な少女に声を掛ける。「辟邪ビーシェ」と呼ばれる、オメガに似た異能力を持つ彼女は、同性でもあるし、似たような能力を持ついわば「お仲間」ということで、ハルビンからずっと、オメガたちと一緒に行動していたのだ。


「私も……行っていいのか?」


 おずおずといった感じで少女はオメガたちを窺う。


「あーっ! まだそんなこと言ってる!」


 誰とでもすぐに仲良くなれるという特技を持つゆずりはが、屈託のない笑顔でクリーを見つめた。

 くるみが言葉を継ぐ。


「そういえば、クリーちゃんに会いたいっていう人がいるらしいですよ? その人と一緒なら、きっと素敵なお食事になるんじゃないかしら!?」

「――誰?」

「まぁまぁいいからいいから! 早く行くぞ! もうみんな腹ペコなのだ!」


 訝しむクリーの背中を、久遠が優しく押す。まるで女子校だな、と士郎は思わず笑みをこぼした。


  ***


 未来がどうしても楊大校を初めとした中国兵たちに食べさせたかったもの――それがコレである。


「かっ、カレーだ!」


 隊長(仮)こと、音繰オンソウが思わず身を乗り出した。未来が匿われていた時、心尽くしの手料理として彼らに振舞ったものである。

 それは、心細い敵地――しかも、命の危険が迫っていた時に、彼らが手を差し伸べてくれた時の、思い出の料理だった。

 それはつまり、未来なりに、改めて彼らにお礼を言いたかったということと、他の日本人たち――とりわけ内地にいて彼ら中国兵の友情と献身を目の当たりにしたことのない人々――に、「彼らがいなければ私は生き延びられなかった」すなわち「この作戦の成功はなかった」ということを、きちんと知って欲しかった、というデモンストレーションでもあったのだ。

 これは、未来なりの心遣いだった。今度は立場が逆転して、彼らが遠い異国の地にやってきたのだ。基地の兵士の中には、中国兵に対するネガティヴな感情を持っている者だって多いだろう。自分が味わった不安な気持ちは、彼ら「命の恩人」には感じて欲しくなかったのだ。

 どこまでも、未来はやっぱり未来だった。


 そして、その大切な思い出のメニューを味わってもらうために未来が彼らを案内したのは、ずばり基地の食堂であった。

 なにせ「カレー」という食べ物が日本で初めて食されたのは他ならぬ海軍なのだ。日本最大の海軍都市横須賀で、一番美味いカレーを出すところといえば、それは軍の食堂をおいて他になかったのである。


「これは……未来みくカレーとはまたちょっと違う――でも無茶苦茶旨いっ!」

「カレーはね、基地によっても、部隊によっても、艦船によっても味が違うの。そして今日は金曜日! 日本の軍隊は、金曜日はカレーって決まってるんだよ!」


 未来が嬉しそうに音繰オンソウたちに解説する。隣ではクリーが不思議そうに彼女の話に耳を傾けていた。


「日本の……軍隊は、楽しそうだな……」

「えっ?」

「だって、特定の曜日に食べるものが決まっていて、それを部隊同士で張り合っているとか、さっき食堂に入る時に見たが、ぱ、ぱふぇーとかいう夢のような食べ物もあるようだし……」


 オメガたち皆が、微笑みながらクリーを見つめていた。


「あと、おかしいのはお前たちだけだと思っていたが、基地の連中は何故みんな私たちにここまでフレンドリーなんだ!?」


 見ると、クリーの目の前のテーブルには、何やらキャンディとかチョコとか、一口大のお菓子がうず高く積まれていた。

 輸送機を降りてからこの食堂に辿り着くまで、なんなら食堂でテーブルに着いてからも、通りかかる隊員、目の合った隊員がこぞって彼女の手に握らせてくれたものだ。


「みんな、あなたみたいな子供が戦場から帰ってきたことに驚いて、いたわってくれてるのよ」

「……そ、そうなのか!?」


 クリーは知らなかったのだ。今まで李軍リージュンに騙されて好きなように戦場に駆り出され、チームで動いた時も傭兵のような連中しか知らなかった。兵隊とは、皆あんな風に無愛想なものだと思っていたのだ。私もこっち側にいたら、こんな風に楽しそうに暮らせていたのだろうか。

 その時だった――


「おねえちゃん!!」


 突然、食堂の入口から悲鳴のような声が響く。

 何事かと振り向くと、そこには……


「アイ――!?」


 見間違うはずもない。

 そこには、クリーの双子の妹、アイが立ち尽くしていた。彼女はクリーの姿を認めると、猛然と飛び込んできて、そしてまるで体当たりするように抱きついてきた。


「おねえちゃん!おねえちゃん!おねえちゃんッ!!」

「あぁ! アイッ――会いたかった!!」


 姉妹はどうしようもなく滂沱ぼうだして、その場にへたりこんでしまう。


「アイ――怪我してない!? 元気だった!?」

「おねえちゃんこそ!」


 お互いの頬を撫で合い、髪をかきあげながら、大切な宝物をようやく見つけたという顔でなおも見つめ合い、抱き合う。

 アイがハッと気付いたようにクリーの顔をまじまじと見つめる。


「――おねえちゃん……目が!」

「うん、見えるようになったの」

「なんで……?」

「そういうアイこそ……」

「う、うん! 私もついこの前から見えるようになった!」


 実際のところ、この2人は李軍の手によってクリーの目を潰されてからすぐに引き離されたから、お互いの目の様子はほとんど知らなかったはずだ。だが、もとより双子の同調性によって、一方が傷ついたらもう片方も同じように傷つくことを知っていたから、自分の失明が同じように相手にも起きていたであろうことは察していたのである。

 クリーが小声で訊ねる。


「アイ、その……もし我慢していることがあるなら教えて……? 辛いことされてない?」

「何言ってるのおねえちゃん……ここの人たちはみんな親切だよ! それに――」


 その時、新見中尉がふらりと食堂に顔を見せた。


「あー! いたいた! アイちゃん、おねえちゃんの身の回りの荷物、一応揃えといたから、部屋に入れといたわよ!」

「あ! ありがとうちひろちゃん! あと、おかえりっ!!」

「はい、ただいま! じゃあ、またあとでねー」


 あの中尉は、確かハルビンの戦場で見かけたことがある。敵――いや、今はもう敵ではないか――の前線本部みたいなところで、あれこれ命令していた、結構偉い人だ。


「アイ、あの人と知り合いなの?」

「うん、ちひろちゃん。私の身の回りのこと、あれこれ手伝ってくれるの」

「ふーん……それで、部屋って?」


 先ほど新見が言っていた――私の荷物を部屋に入れておいた、とかなんとか――


「おねえちゃん、聞いてないの? 私たち、今夜から一緒のお部屋で暮らせるんだよ!?」

「え――!」


 クリーは、あまりのことに声を失った。

 本当にここは、別世界だな――

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