第199話 滅びの道

 そこは、真っ白な世界だった――


 すべての存在が溶けて混じり合い、物体も、精神も、記憶も、意識も、時間さえも――既存の意味を持たず、ただ静寂の中に等しくそこにあった。


 未来みくもそこにいた。いや、ここでは「神代未来」という固有名詞も、単なる記号でしかない。それはただ、在るようにそこにあった。


 どうして自分はこんなところにいるのだろう――

 自分……? 自分とは何だ……!?

 この世界は、自分と自分以外の区別がまったくつかない……

 “自分以外”とは何だ――? ここは、すべてのものが自分であり、そのすべてと自分は、混然一体と混じり合っている。


 幼い頃の記憶と、昨日の記憶と、さっきの記憶が、すべて同じ地平でリピートされる。

 4歳の頃の気持ちが、とてつもない実感を持って再生されたかと思うと、昨日の気持ちが幼い自分に流れ込んで、彼女は怖くて泣きじゃくるのだ。


 そこにいたのは、クリーだった。クリー? 彼女は――誰だ!?

 彼女の痛みが自分の痛みとなって、未来を苦しめる。クリーは自分で、自分はクリーだった。

 あぁ――だから分かるのだ。彼女の痛みは……一言でいえば「悲しみ」だ――



 は、焦っていたのだ。

 李軍リージュンの言葉を信じ、自らを捧げることで、大切な人たちを救おうと思った――それの何が悪いのだ。だって、私のできることには限りがあるのだ。だったら、出来る限りのことをやるしかないではないか。

 あの男は、それが私にできると言った。私にしか出来ないことだと言った。

 その過程の中で、辛いこともたくさんあると最初から教えてくれた。だけど、私の辛さなど、みんなが受けてきた試練に比べたら全然大したことないのだ。だから何でも引き受けたし、何でもやってみることにしたのだ。

 そして――

 その努力がもう少しで報われる、とあの男は言った。あともう少し……もう少しで、私の大切な人たちは、辛い病気から解放され、呪われた人生から救われる、と――


 それを邪魔しようとしていたのが、この子たちだ。

 李軍によると、この子たちは私の辟邪としての務めを妨げる「疫鬼えっき」だそうだ。いや――疫鬼がいるからこそ、それを退散させる善なる神『辟邪ビーシェ』が現れるのだと教えてくれた。つまり、私の存在は、この世のことわりであり、必然なのだそうだ。確かにそういう言い伝えを聞いたことがある。中国では、この世に災いが蔓延る時、必ずそれを打ち払う守護神――辟邪ビーシェ――が現れるという。


 だから、私のこの呪われた力は、神の力の顕現で、だからちっとも悲しいことじゃない、大切な人の為に、その力を使いなさい――あの男は、そう教えてくれたのだ。


 本当かな――?

 私だって、少しだけ疑問に思ったことはあったのだ。妹のアイに辛い思いをさせてまで、本当に私は正しいことをしているのだろうか……そんな戸惑いを感じたことが、ないわけではない。

 だが、あの将軍ですら、疫鬼を一人捕まえてこいと言ったのだ。

 やっぱり李先生の言うとおりだった。悪さをする鬼を捕まえて、奴らを懲らしめるためにその力を調べるのだという話に、なるほどその通りだ、と思ったものだ。


 いったい何が間違っていたのだろう――


 疫鬼は、どう見ても「悪い鬼」には見えなかった。

 それどころか、悪いことをしているのはお前の方だ、と言ってきた。

 それでも、仲良くしよう……仲直りしよう……と言ってきたのだ。


 事実、私はあの子たちに勝てなかった。善神のはずなのに、「疫鬼」と呼ばれた子たちに打ち倒されたのだ。神は鬼に勝てるのではなかったのか? 辟邪ビーシェは善ではなかったのか――?


 私は、自分のやっていることが善なのかどうか、初めて疑問に思ったのだ。

 もし「善」ではないのなら――それは「間違い」だったということだ。

 私にしかできないことが「間違い」だったなんて……


 でもそれを認めてしまったら、それは自分自身を否定することだ。私が今までやってきたことが、すべて間違いだったのだとすれば――私の存在自体が……過ち、なのだ……


 自分の存在そのものが「過ち」……

 それ以上に、この世に悲しいことがあるだろうか――!?


 そんな自分が嫌いだ――

 そんな自分を認めてくれなかった世界が――嫌いだ。

 いや……そんな風になっている世界の方が、間違っているのでは――!?


 そうだ……私は辟邪ビーシェだ。

 この世の災い――疫鬼――を懲らしめ、天の刑罰を与えることができるのならば……やはり間違っているのは――世界の方だ。


 だから私は……

 私のやってきたことが「善」なのか「悪」なのか、自分自身で審判を下そう――

 そう決めた瞬間――


 私の異能が、全力で発動したのだ。

 これで世界が滅びれば――私の勝ち。

 私が負ければ……

 世界は私抜きで……引き続き何事もなかったかのように、続いていくだけだ――



 あぁ――だからこの子は破滅の引き金を引いたのか……

 は、私のことを完全に理解する。


 未来みくは再び、真っ白な世界にその身を委ねる――


  ***


 その頃、横須賀のオメガ特殊作戦群地下司令部発令所は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。


「どうなっているッ!?」


 群長の四ノ宮中佐が怒鳴る。

 ほんの10分ほど前に、ようやくハルビンと機動統制システムMCSがアップリンクしたばかりだった。四ノ宮はこの一両日、自分史上最悪のミステイクをしでかしたことを、死ぬほど後悔していたのだ。


 この街全体が、もともと電磁障壁によって偽装されていたということを、うっかり見落としていたのである。

 そのせいで、MCSが機能しなくなった瞬間、街の様子が分からなくなった。衛星による上空からの監視映像だけでは、その下で実際何が起きているのか、まったく感知できなくなってしまったのだ。


 空挺降下による強襲攻撃で、それなりの損害を蒙るだろうことはある程度予期していた。だが、新見の乗機までが撃墜されることは想定していなかったし、仮に撃墜されても、すべての戦域統制監視システムまでダウンすることは考えていなかったのだ。

 完全な失態だった。


 おかげで、第一戦闘団が今どうなっているのか、皆目見当がつかない。

 ごく短時間、地上からの要請で宇宙駆逐艦『いかづち』が対地攻撃を行った、という報告だけ受けたのだが、それ以降の戦闘状況は『雷』からも感知できない、という状況に陥っていた。


 それがようやく復旧したのがほんの少し前のことだ。最前線にいる新見からの、待ちに待ったコンタクトだ。

 「かなりの損害を受けたが、なんとか未来を発見・合流できた」という朗報を聞いて僅か数分後、突如として緊急事態コード・レッドの連絡を受けたと思ったら、いきなりすべての音信が途絶えたのだ。


 直後、ハルビン直上を遊弋していた『雷』から、地上でを観測――という至急電を受信して現在に至る。

 核爆発――と言い切っていないところが何とももどかしい。少なくとも、核爆発の時に生じる「電離放射線」――中性子線やガンマ線――の大量放出を観測した、という事実だけを『雷』は報告してきたのだ。


「小松はもう出たのかッ!?」

「はい――2分前にイビルアイが離陸しました」


 大気中の核物質を検出することだけを目的とした特殊観測機イビルアイを石川県の小松基地からハルビン上空付近にまで飛ばせれば、それが核爆発だったかどうかはすぐに分かる。


「――しかし、目標上空まで到達しなければ正確な観測は出来ません」

「だったらそこまで飛ばせばいいだろう!?」

「しかしそれでは領空侵犯――」

「何のためのステルス偵察機かッ!」

「――は、はいッ!」

「……念の為、直掩戦闘機FCを付けておけッ」

「わ、わかりました!」


「群長! 気象庁より連絡――先ほどハルビンで観測した地震波は推定震度4、マグニチュードは5.6だそうです」

「震源は!?」

「ハルビン直下! 震源の深さは不明とのことです」

「うむ――」


 もし……第一戦闘団の猛攻に耐えかねて敵が核兵器を使用したのだとすれば、そのこと自体大きな外交問題に発展するのは間違いない。いかに戦時下と言えど、ここ数年核兵器の使用そのものについては、戦争当事国同士で戦時協定を結んでその不使用を相互に担保していたのだから……

 だが、それ以上に四ノ宮が憂慮していたのは、第一戦闘団の「全滅」という事態だった。それは、貴重な国家機密であるオメガたちをすべて失うということと同義であり、石動いするぎ士郎という優秀な将校を失うという意味であった。彼らだけではない。オメガ特戦群の兵士たちは、誰であれ貴重な人材だ。戦略的な意味合いもさることながら、ただただ有為の人材を失うことが四ノ宮にとっては耐えられないことだったのだ。

 いつから自分はこんなになったのだろう……

 だが、今の彼女にとって一番気掛かりなのはそのことだ。


「群長! 大陸方面軍司令部より入電――」

「読め」

「はッ――方面軍戦闘航空団の偵察によると、ハルビンを中心とした半径およそ……およそ――」

「落ち着いて読み上げろッ」

「……し、失礼しました……ハルビンを中心とした半径およそ100キロ範囲内は、電磁パルス障害により観測不能――とのことです」

「半径100キロだと――!?」


 それは、人類史上最大の核兵器と呼ばれたソビエト連邦(当時)の100メガトン級水爆「ツァーリ・ボンバ」が上空500メートルで爆発した時の熱放射想定被害半径75.2キロを大幅に上回る数値だった。

 ちなみにこの場合、爆心地から半径約6キロ範囲内の物質は、例外なく一瞬にして蒸発する。だとすれば恐らく、ハルビン市内を流れる松花江も一瞬にして干上がっているだろう。


 人類は、またもや絶滅への道を歩もうとしているのか――!?


 四ノ宮は唇を噛む。


  ***


 21世紀前半、世界人口はついに70億人を超えた。一番のピークだったのは今から66年前――2024年のことだ。この年、人類の数は81億人に達し、このままでいけば今世紀末には100億人を突破するだろう――ありとあらゆる指標がそう予測していた。

 それは、どう考えても「人口爆発」と言っていい数値だった。本来、人類の個体数が増えるということは「種」としての繁栄を意味していた。そういう意味では喜ぶべきことだったのかもしれないが、残念ながら地球は、それほどの数の人間を養うようにはできていなかったのだ。このままでは資源が枯渇し、食糧は不足し、深刻な領土争奪戦を引き起こすと警告され始めていたのである。


 それが一気に解決したのは、米中戦争をきっかけとする局地的な熱核戦争の勃発だ。特に人口爆発の激しかった中国を中心に使用された多数の核兵器は、この国の人口を激減させる直接の原因となった。当時14億人を超えていた中国の人口は、米中戦争とそれに続く内戦で、約4億人にまで激減したのである。

 中国と並んで世界最大の人口を誇っていたインドも、この戦争の煽りを受けて当時の共産中国と核の応酬を行ったから、中国ほどではないにせよその人口は半減し、およそ6億人にまでその数を減らした。その他の国の死者数と合わせ、2024年からの約20年間で、世界人口は人為的に20億人以上も急減したのである。

 もちろん、こうした「核戦争の直接の犠牲者」以外にも、その煽りを受けて多くの国々の経済が破綻し、汚染された大気が地球全体を覆って多くの病気が蔓延したから、それと同数くらいの世界人口がゆっくりと消失していった。

 日本も例外ではなく、その人口は今やピーク時に比べて半減している。戸籍に登録されていないゴーストを含めても、その数は推計6千万人だ。

 人類は過剰な人口爆発で自滅する直前、自らの「愚かな行為」のおかげで、ようやく100年以上前の人口水準――約40億人――にまでしたのだ。


 だが、このことはやはり「熱核戦争は人類絶滅の直接の引き金になる」という認識を新たにするきっかけとなった。1回の核戦争で、世界人口は半減したのだ。次にもう一度同じような核戦争が勃発したら、人類は致命的なほどその個体数を減らすだろう。そして当然ながら、次に核戦争を起きた場合、現在まがりなりにも文明的な生活を送っている先進諸国がもっとも大きな被害を受けるだろう、と予測されているのだ。そうなれば、現在辛うじて維持している世界経済は恐らくその時点で完全に破綻し、人類文明は一気に数百年後退するだろう。

 今や戦争当事国同士でさえ、核の不使用協定を結んでいるのはそのせいなのだ。


 だが、今回のハルビンでの謎の現象は、もしかするとその綱渡りのような紳士協定が破棄された結果かもしれないのだ。

 仮にツァーリ・ボンバ級の核兵器が日本軍に使われたとなれば、日本国民は当然黙っていないだろうし、なにより米国に「中国絶滅」の口実を与えることになる。もともと米中戦争は、米国の陰謀だったのではないかという言説が、最近になってネット上を密かに賑わしているのだ(そしてそれは一部で事実である)。

 確かに、当時の共産中国はやり過ぎた。自由主義経済のルールを守らず、巨大な経済力を背景に国有企業に巨額の補助金を投入してその経営を支え、それを背景にしたそれら公司の不当な価格競争で米国企業は不公正な貿易競争に晒された。さらには違法なやり方での先端技術のスパイ行為、知的財産の侵害、アフリカを中心とする地下資源の強引な収奪、さらには近隣諸国への軍事的圧力。結局、21世紀初頭の世界の問題の半数は、中国が原因だったのである。

 そんな中国を、覇権国家である米国が「世界秩序を乱す邪魔者」と認定して意図的にその国力を削ごうとしたのも分からなくはない。その結果、中国大陸での核兵器の使用を、米国は「当初の目的を達するまで」容認していたのだ。


 その後、中国が程よくその国家規模を縮小シュリンクさせたところで、米国を中心とする西側先進諸国は「核の不使用」に合意した。これ以上の核の暴発は、米国ですら制御できない、と判っていたからだ――


  ***


 白の世界で漂う未来みくは、同時に自分の周囲からすべての人の意思が消失していくのを感じていた。

 それは、「心」の消滅。その人たちの「存在」の消滅。

 未来の大切な人たち――士郎くんや、オメガの仲間たち、そして詩雨シーユーヂャン将軍など最近になって気持ちを通じ合わせた人たち――が、この世界から永遠に消えてなくなることを意味していた。


 それは――駄目だ。


 私は、彼らをまだ……失いたくない。

 同時に、彼らを失った時に感じる、恐ろしく深い闇と絶望感、孤独を、まるで未来視するかのようにリアルに感じてしまうのだ。

 こんな気持ちには、耐えられない……

 私はもう、独りぼっちにはなりたくない……


 未来が再び覚醒する――――

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