第196話 死闘

 修羅の形相をしたオメガたちが、上空を睨みつけていた。

 その視線の先にあるのは――空中にポッカリと浮かぶクリー。腰のあたりから大きな翼を生やし、鳥のような形状と化した脚部と、頭部から虫のように突き出た暗視装置のカメラのような機械化眼球が嫌でも異様な姿を印象付ける。

 今や大きくその両腕を動かし、地上で蠢く灼眼の子らを自在に操っていた。

 押し寄せる彼らの進行方向には、第一戦闘団の兵士たち。もはや組織的戦闘というより、一人ひとりが目の前に迫りくる異形の子供たちを片っ端から狙撃しているという有様だ。楊の兵士たちは既にほとんどが子供たちの餌食になり、そのむくろは彼らの足許に幾つも転がっている。

 視線を横にやると、チューチュー戦闘団の多脚戦車があちこちで擱座かくざして黒煙を噴き上げていた。擱座と言っても、大半がその巨大な8本脚をへし折られ、中央の装甲殻が圧し潰されているという異様な光景だ。

 最初に撃退した敵部隊の残骸と合わせ、既に一帯は地獄の様相を呈していた。昼間だというのに空は煤煙と硝煙によって薄暗く覆われ、あちこちから立ち昇る炎によってそれが下から赤々と照らされている。

 士郎は、未だ脳震盪でクラクラする頭を押さえながら、それでも指揮官としての責務を果たすべくインカムをオンにした。


「……オメガリーダーより……全員へ……通達!」


 その声に、戦場にいた誰もが振り返った。


「士郎!!」

「士郎さんッ!?」

「士郎きゅん――!」

「士郎くんッ! 大丈夫なのっ!?」


 先ほどまで傍にいた未来みくが、慌てて顔を覗き込む。他のオメガたちも、パァッと顔を輝かせた。


「――あぁ……みんなが戦っているのに、俺だけノビてるわけにはいかないからな……」


 身体のあちこちが、まるで杭を打ち込まれたように痛い。だが、亜紀乃すら倒されてしまった今、この場を指揮統率できるのは自分だけだと思ったのだ。

 あの敵は、個々に戦っても勝てる相手ではない。今こそ、オメガたちのチームワークを最大限発揮させるのだ。


「――全員、よく聞いてくれ……田渕曹長たちも、ドロイドのみんなもだ。

 あの敵ビーシェ――クリーは、個々に戦っても勝てる相手じゃない。信じられないだろうが……それが現実だ。だから、ここは俺が指揮を執る。みんなで――チームワークで彼女を斃すんだ」


 士郎の言葉に、全員が頷く。


「――まずはどうやって彼女の異能――重力操作を打ち破るかだ。とにかくアレを突破しないことには、彼女に指一本触れられないからな……」


 黒煙を噴き上げている多脚戦車が、視界の片隅に入る。


「――でも、どうするのだ、士郎?」


 どこからか、久遠の声が聞こえてくる。透明化したまま、すぐ傍に立っているのだろう。先ほどは久遠だけが、クリーの頬に辛うじてかすり傷を与えられたのだ。


「ひとつだけ考えがある。でもそのためには、準備するための時間が必要だ。田渕曹長、少しの間だけでいい。時間稼ぎをしてくれないか!?」

『分かりました! 準備を整える間、敵を引き付けておけばいいんですね』


 そういうと田渕は、配下の兵たちを引き連れてさっそく周囲に展開していった。先ほどから彼らは灼眼の子たちを片っ端から掃討中なのだが、そろそろ兵たちの顔にも疲労が色濃く滲み出ていた。


『――中尉、中国兵たちのケツを蹴っ飛ばしても!?』

「あぁ――頼む!」


 田渕の言葉に、士郎とヤン大校が顔を見合わせて苦笑いした。どこにだって、鬼軍曹はいるのだな、という顔だ。遠くで田渕たち日本軍兵士が、戦意を喪失して地面にへたり込んでいた楊の部下たちの首根っこをひっ捕まえて両頬をぴしゃぴしゃと叩いている。「まだ戦える奴はついてこい!」と叫ぶ田渕の後を、慌てて追いかけていく数人の中国兵たちの姿が目に入った。


「――さて、続いてくるみにお願いだ」

「なんなりとお申し付けください、士郎さん!」


 くるみが、頬を赤らめて士郎をうっとりと見つめる。この非常時に、最初に私を頼ってくれた、という絶対的優位が彼女のモチベーションを極限まで押し上げる。


「――重力を打ち消すにはどうすればいい!?」

「そ、そんなことは無理です……」


 突然の士郎の振りに、困惑するくるみ。確かに、重力を自由に操作できる技術はこの時代まだ確立されていない。そんなことが出来ればとっくに「空中戦艦」とか「空飛ぶ要塞」など、SFじみた兵器も実現していることだろう。恒星間航行すら実現しているかもしれない。


「……では言葉を変えよう。力学の問題だ。ある方向へのベクトルを打ち消すにはどうすればいい?」

「それは……真反対の方向に同じ力を加えれば、力が均衡して打ち消すことが可能です」

「よし――川嶋軍曹! 戦闘に参加できるドロイドは今何人いる!?」


 士郎は第一小隊の先任ドロイド、川嶋澪に話を振る。


「28ユニットです」

「それだけいれば十分だ――川嶋軍曹、彼女たちを半径100メートルで同心円状に配置してくれ! くるみ?」

「は、はいッ!?」

「ドロイドたちを使って磁場を発生させるんだ!」

「――あっ!」


 くるみは、ようやく理解する。士郎は、作用と反作用の原理を応用して、クリーの作り出す重力場と真反対の力を電磁場の力によって作り出し、逆位相をかけることによってその力を封印しようと考えているのだ。ドロイドはそれ自体が超伝導体となるから、同心円状に配置することによって巨大な3次元コイルソレノイドの役割を果たせるということか――

 だが、ひとつだけ問題があった。刻々と変わるクリーの重力変異に追随して反作用をかけ続けることなどできるのだろうか。


「くるみ! 君の異能は今回相手に使う必要はない。すべてのエネルギーを磁場発生計算に費やしてくれ!」

「わ、わかりました!」


 くるみの異能はもともと神経伝達物質が異常に分泌されるというものだ。それは、通常の人間のおよそ100倍にも達する。これにより、脳の神経細胞を異常に活性化させているのだ。彼女の知的水準が極めて高いのはそのせいだ。そのリソースを、すべて計算に回せば……!


「川嶋軍曹! くるみから受け取った基礎データを、各ドロイドのAIを同期させて補正計算し、地場発生をコンマ1ミリ秒単位で修正せよ!――簡易的な重力アクチュエータを展開する!」

「了解!」


「士郎きゅん――私は!?」


 士郎はゆずりはに向き直った。


「ゆず、君はクリーの注意を引き付けるんだ。さっきも、もう少しで彼女の身体を破壊しかけただろう? ということは、ゆずのアクセル遺伝子操作は有効ってことだ。相手が嫌になるくらい、しつこくしつこく仕掛けるんだ。それに気を取られて、他のことに気が回らなくなるくらいにな!」

「分かった! そういうことなら任せといて!!」


 楪はグッと拳を握り締める。先ほどクリーは、楪のDNA昂進攻撃によって自分の肩で起きた細胞の異常分裂を辛うじて抑え込んでいた。ボコボコと膨れ上がってきた細胞組織を、何らかの手段で鎮静化させていたのだ。ということは、楪の遺伝子攻撃には、そのための何らかの対抗手段を一定時間自分に施さなければならないということだ。彼女の攻撃行動を牽制するには十分だ。


「――そして未来……君には、敢えて頼みたいことがある……」


 そういうと士郎は未来の傍に身体を近づけ、その耳元にそっと耳打ちをする。それを聞いた未来が、ハッとした顔をして士郎を見つめ返した。そして、少しだけ頬を赤らめながら、こくりと頷いた。


「それじゃあ、みんな頼んだぞ――」

「しッ、士郎ぉーー!」


 久遠が困った声を出す。声だけで、姿は見えないのだが……


「わ、私はどうすればいいのだ!?」


 すると士郎が、少しだけ呆れたような顔をする。


「お前はまだそんなことを言っているのか? 久遠、お前は俺の副官だ。常に俺の傍にいるんじゃないのか!?」

「あッ――! そそそそそうだったな////」


 姿が見えないのに、もじもじしている空気だけがそこから漂っていた。「私としたことが……まだ副官よめとしての自覚が足りなかったようだ……」という呟きが聞こえてきたのはきっと気のせいだ。


「ではみんな――これが今作戦の事実上の最終決戦だ! クリーを無力化し、皆を日本に連れ帰る!!」

「ウゥオッ――!!」


  ***


 すべてのドロイドたちが、士郎の指示通りに配置についた。華龍ファロン本部施設の建物出入口を含む、半径100メートルの同心円状だ。当然、灼眼の子たちがドロイドに襲い掛かろうとするが、それを田渕たちが一人ひとり付いて守り抜くのだ。


「ひまりちゃんは俺の担当だ――頑張って守るから、全力で任務を果たすんだ!」


 田渕が第二小隊の先任ドロイド、佐倉ひまりの横で叫ぶ。


「ありがとうございます曹長! よろしくお願いしますね!」


 この作戦は、ドロイドたちが作る重力アクチュエータを如何に維持し続けるかが鍵だ。一角が崩れると、クリーの重力場に対抗できなくなる。田渕たち戦闘団の面々は、決死の覚悟で彼女たちのボディガードを務める。


 いっぽう水瀬川みなせがわくるみは、空中にいるクリーをキッと見据えていた。彼女の脳内物質、わけても神経伝達物質の移動を読み取り、その思考をトレースするためだ。次にどの方向に重力場を発生させるつもりなのかが分かった瞬間、その方位と重力加速度の値を瞬時に計算し、ドロイドたちが形成する巨大なソレノイドに流す電流強度を決定する。


 その瞬間、クリーが動いた。またもやツンッ――と耳が詰まったような感覚が戦場全体を覆い、一気にその場の大気が濃密に収縮していく。


「来たッ――!」


 士郎が叫ぶと、くるみの瞳がひときわ青白く発光した。すると見る間にドロイドたちが布陣していた位置にプラズマ光が放電され、戦場全体に大きな円が荷電粒子ビームのようになって浮かび上がる。

 早速始まったのだ。

 ドロイドたちが形成する巨大な円は、ものの数秒もしないうちにそのまま空中に浮かび上がった。それはまるで、青い光で描かれた巨大な魔法陣のようだ。

 すると、先程まで戦場を覆っていた目に見えない濃密な圧力が、スッ――と消えていくのが分かる。


「せ……成功……なのか!?」


 士郎は辺りをキョロキョロする。


「士郎! どうやら上手くいったみたいだ――身体が明らかに軽くなったぞ!」


 久遠の声だけが響く。彼女の気配は常に士郎の左斜め後方45度だ。


「よしッ!」


 クリーは、自分の異能――重力操作――に何らかの手が加わったことを瞬時に察知し、その顔を歪ませて地上のドロイドたちを睨みつけた。すると、今度はものすごい勢いで空中の座標を移動する。場所を変えてなおも重力攻撃を加えるつもりなのだ。

 瞬時に数百メートルを移動したクリーが、遠目からギンッ――と戦場を睨みつけた。途端――

 ツンッ――と不快な圧迫感を感じて耳が詰まったように聞こえなくなる。


「――させませんッ!」


 くるみの瞳がゆらりと青白く発光する。すると、ドロイドたちの上空に浮かんだが微妙に角度を変化させる。

 再び周囲の空気は軽くなり、クリーの重力場が無効化されたことを全員が実感する。


「ウグァァァァァ……」


 クリーが、悲鳴とも唸り声ともつかないしわがれた声を出した。再度地上を見下ろし、プラズマ光に包まれたドロイドたちを凝視する。その手を指揮者のタクトのように振り回すと、地上にいる灼眼の子らが急に身体の向きを変化させた。

 自分の異能に何らかの干渉を仕掛けているのがドロイドたちだと見抜き、彼女たちを襲撃させようとしているのかもしれない。


「そろそろ私の出番だねっ!」


 楪が髪を総毛立ててクリーを睨みつけた。凄惨な笑みの中で、青白い瞳が怪しく光る。

 彼女が、その機械の右腕をスッ――とクリーに向けた。その腕は、かつて収容所解放作戦でクリーが襲撃してきた時に失ったものだ。

 ようやく、その時の借りが返せる!


 ヴィン――と空気が張り詰めた。これは――楪のだ。それはあまりに凄まじく、本来目に見えないはずの彼女の裂帛れっぱくの気合が、まさにクリーに放たれる様子が周囲からでも感じ取れたほどだ。


 途端――先ほどと同じように、クリーの身体に異変が起こった。その鳥の脚のような部分が、突如として異様に膨れ上がる。それはボコボコとし、瞬時に膨らんだかと思うと――急速にしぼんでいく。

 見ると、クリーが必死でその脚に手をかざし、なんらかの中和を試みているようだった。


「まだまだァ!!」


 楪が間髪入れずを放つ。

 今度はクリーの背中が異様に膨らみ始めた。異変に気付いたクリーが転げるように空中でもんどりうって態勢を変えようとする。その間も容赦なく膨れ上がる彼女の背中――だが、すんでのところでまたもや沈静化していく。再び彼女が中和に成功したのだ。

 だが、クリーの表情は凄まじい形相に変化していた。明らかにその中和が負担になり、余裕がなくなっている様子が見て取れた。


 効いている――!!


 すると突然、クリーが物凄い雄叫びを上げた。


「ギェェェェェェェェ!!!」


 その途端、彼女の輪郭が真っ赤に燃え上がった――ように見えた。

 それは、彼女のその恐ろしげな義眼のレンズ部分と同じような、ドス黒くて燃えるように赤い、灼熱のオーラだった。


 刹那――


 地上を這いずり回る灼眼の子らが、明らかに変化する。空中のクリーと同じように、その身体の輪郭に灼熱の気を纏い、凄まじい形相でドロイドたちを睨みつけた。

 その瞬間、一斉にドロイドたちに襲い掛かる。正確には、彼女たち一人ひとりを警護していた、戦闘団の兵士たちに――喰らいついたのだ。

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