第195話 オメガの本能
抵抗している兵士はほとんどいなかった。
皆されるがままに殴打され、噛みつかれ、刺突され、撃たれる。灼眼の子供たちは、まるで抵抗しない大人たちをいとも簡単にその襲撃の波に呑み込むと、あっという間に戦場を蹂躙していった。
子供を殺す――という行為が、如何に人間性を破壊するものなのか、士郎たちはこの光景を見てあらためて思い知った。敵増援部隊を食い止めるために、あれほど鬼神のような戦いぶりを見せていた
それはまるで、今まで自分がしてきたことを自ら罰するために、その運命を従容と受け入れた
「駄目だ! 諦めるんじゃないッ! 銃を取って戦うんだ!!」
楊大校が必死で兵たちを鼓舞するが、今はその声すら彼らの耳には届いていないようだった。
***
戦争で犠牲になるのはいつの世も弱い立場の者たちだ。
それは、主にはそのコミュニティにおけるマイノリティであり、経済的弱者だ。“普通の”規範から逸脱した、いわゆるニートや性的少数者、孤独な単身者も含まれるだろうか。
彼らは普段から地域コミュニティと関わりが薄いから、いざという時にセイフティネットから零れ落ちるのだ。地震などの自然災害時のことを思い浮かべればいい。食糧の配給や行政サービスなどは、すべて町内会など行政機構の末端組織を通じて手配されるからだ。
それでも、まだ男はいい。いざとなれば手が足りないから「男」というだけで声が掛かり、たとえ余所者でもそこから一緒にコミュニティに加われる可能性がある。
若い女性もそうだ。「男」たちは、こういう相手に庇護欲を掻き立てられるから、もしも災害時に若い女性がフラフラ彷徨っていたら、九分九厘声を掛けられて何らかの形で保護されるだろう。
問題はそれ以外だ。名前も顔もよく分からない、ある程度年齢のいった女性や、どこの子か分からない児童、そして健康や精神に問題を抱えた者――これについては年齢・性別を問わない――などは、得てして「見なかったふり」にされるケースが多いのだ。
それはそうだ。こういう人たちは、たとえコミュニティで保護しても、負担になるだけで非常時の日々の生活には何の役にも立たない。力仕事ができる「男」や、庇護欲を掻き立てられる「若い女性」ならともかく、こういう人たちはむしろ問題を起こす可能性の方が高いのだ。性格的に気難しいなどの難があったり、さまざまな介護や介助が必要で負担ばかりかかったり、そもそも意思疎通に問題があったり――
わけても子供の場合はより複雑だ。他人の子供だから、後で親が見つかったりしたら面倒くさいことこのうえない。本当はアレルギーを持っていて、でも子供本人は「子供であるがゆえに」それを適切に周囲に伝えられず、結果的に重篤な事態に陥ってしまった場合、いったい誰がその責任を取るのか? あるいは親が不運にも命を落としていたら、緊急事態が徐々に収まっていった時その先も責任をもって保護養育できるか――といったら、そこまでの覚悟をもって子供を保護できる人間はそうそういないだろう。
それでも、21世紀初頭に起きた数々の自然災害では、日本人の多くはその高い国民性を持ってこうしたマイノリティたちをコミュニティに受け入れ、弱者たちの命を繋いだものだ。それは当時、世界的にも相当の驚きと衝撃を持って紹介されたものだ。幸いなことに、こういった日本人特有の美徳とされる相互扶助精神は、未だそれなりに引き継がれている。
だが、ここは日本ではなく秩序の崩壊した大陸で、しかも紛争地域であった。人々はその日を生きるのに精いっぱいで、他人に構っている余裕など1ミリもなかったのだ。正義や秩序は既になく、力ある者だけが生き抜くことのできる弱肉強食の世界だったのである。
そんな地獄のような世界で、多くの子供たちが現在進行形で暴力の犠牲になっている。しかもそのことをおかしいと糾弾し、是正しようとする大人たちは皆無だ。
子供たちは抵抗する力を何ら持たないまま、ただ運命に翻弄されて強者の餌食になり、狂気の生贄となり、その命を落としている。今この瞬間も、広い大陸あるいは半島で、そうした悲劇が当たり前のようにあちらこちらで繰り広げられているのだ。
つまり――今、目の前にいるこの灼眼の子供たちも、そうした犠牲者にしか過ぎないのである。
いっぽうで、そうした暴力に面と向き合わなければならない兵士たちには、今の時代いろいろな仕掛けが人為的に施されている。
特にこの戦争では、多くの「少年兵」が存在していて、兵士たちは日々そうした子供たちに銃口を向けなければならないからだ。
多くの兵士には「
本能的な嫌悪感とは何か。
それは基本的には「同族殺し」であり――そして何より「子供殺し」だ。
そもそも人間には、自分たちのDNAを次世代に引き継いでいくために、種としての生存本能――すなわち「子供を守る」という感情が備わっている。分かりやすく言うとそれは「母性」であり「父性」だ。
もっとも、人間種や類人猿など「群れ」で生活する霊長類には、集団としてのDNA保護よりも、その集団でいかに「個人」の遺伝子を残していくか、という本能が備わっているから、場合によっては「他人の子供を嫌がる」という本性が頭をもたげることもある。ライバルのDNAを根絶やしにし、代わりに自分自身のDNAを守ることで、群れの中での権力を絶対化していくためだ。
人間が「他人を支配したい欲望」というのは、実はこうした原始的な本能によるものだ。「群れ」の中で自分の絶対的権力を確立するということは、そのまま自分自身の生存を保障するということであり、自分の遺伝子を次世代に伝えることを許される、ということでもある。つまり、会社でも家庭でも、他人を支配して自分の思い通りにしたい奴は、頭が類人猿並みなのだと思っていればいい。
また、「男」が群れの「メス」を支配したいという欲求を持つのは、ひとえに「自分の遺伝子を残すため」だ。そして、仮に「自分とは違う男」が自分とは異なる遺伝子を引き継ぐ者を生み出した場合、それを滅したいという本能がある。
だから大抵、継子を殺す親は男親だ。自分とは異なる遺伝子を持つ他人の子供を慈しむことができないのは、そいつがもはや人間ではなく、類人猿並みのモラルと知能しかないからだ。
そんなこともあって、「兵士」に向いているのはやはり「女」よりも「男」の方だ。これはジェンダー差別でもなんでもなく、人間の動物的生存本能として、そういう風に出来ているのだ。少なくとも「男」は「女」よりも「邪魔者」すなわち「自分とは異なる遺伝子の持ち主」――つまり「他人の子供」を排除することに抵抗がない。
いっぽうで人間は、それが行き過ぎると今度は「種」としての集団を維持できなくなる可能性があることを本能的に知っているから、たとえば食糧が豊富にあるとか、コミュニティが危機に陥っていない時は比較的他者に寛容だったりもする。
そして人間は「文明」というものを手に入れた時から、可能な限り他者や、わけても「子供」は守るべき存在、として強く種の保存本能に刷り込まれるようになったのだ。
兵士たちの「本能的嫌悪感」とはつまりそういうことだ。
長い時間と経験をかけて、兵士たちは徐々に人を殺すことに鈍感になっていくが、それでも「子供を殺す」という行為に嫌悪感、忌避感を持ち続ける兵士は多い。
「種としての存続」を自ら脅かす行為だからだ。
一方で「少年兵」たちはあちこちの戦場に出没したから、兵士たちは様々な場面で彼らと対峙し、これを無力化する必要に迫られていた。
特に、外国の領土で治安維持に当たっていた日本軍兵士には、薬物による感情調定は必須の処置だったのだ。
初めて大陸に治安維持を名目に陸軍が派兵された当時は、多くの自爆テロで多数の兵士が亡くなっている。それらの多くは、女性や、年端もいかぬ子供たちが服の下に爆弾を巻き付けて自爆したものだ。
そうなると、ただ街角に警戒のために立っている一兵士だとしても、場合によっては子供をその場で射殺する必要が出てくる。
よほどの豪胆な人物でない限り、たとえ目の前にC4爆薬を胴体に巻き付けている子供がいたとしても――普通は撃てない。たとえ今この瞬間、射殺しないと、周辺半径10メートル以内の通行人が全員爆死する、と分かっていても――撃てないのだ。
そんな時、兵士は撃たなくてもいい理由を必死で探すのだという。そして大抵は「射殺しなくてもこの子を助けられる方法が別にあるはずだ」と、何の根拠もない空想の理屈に辿り着き、その直後、爆発に巻き込まれてあっけなく死亡するのだ。
その点、米国は長年中東諸国や中央アジアでこうした少年や女性による自爆テロを無数に経験してきたから、その対処も慣れたものだった。
まだ今のように明確に大陸での棲み分けが決まっていない頃、日米合同で治安維持に当たっていた某都市では、米軍兵士たちは余裕で子供たちに銃を突きつけ、女性だろうがその場で服を脱がせて裸にし、冷静に爆弾テロへの対処を行っていた。
もちろん、ごくたまに爆弾を巻いた女子供が本当に見つかったが、そんなとき米軍兵士はそれに躊躇なく発砲し、彼らを無力化した。
隣でその行為を見守っていた日本軍兵士たちは舌を巻いたものだ。なぜそんなに冷静に対処できるんだ!? ――ある日本軍兵士が米兵に訊ねたところ、彼はこう答えたという。
「だって連中はアメリカ人に見えないから」
――これが戦争の真実だった。
米兵だって普通の人間だ。何か特別な仕掛けがあるわけではない。ただ、彼らは経験上、こういったことに折り合いをつける術を学んできた。
今回で言えば「人種が違うから」ということを理由にして、女子供を撃つことに抵抗感を覚えないよう、自らを騙していたのである。
太平洋戦争中だってそうだ。日本人はアメリカ人のことを「鬼畜米英」と称し、人間ではない妖怪か鬼の類だと考えるようにして「憎悪」を募らせようとしたし、アメリカ人だって当時日本人のことを
ただ、これは本当にお互いそのように信じていたわけではない。そう思い込むことで、相手を殺すことに躊躇いを覚えないよう、いざ戦場で向かい合った時にキチンと相手を殺せるよう、人間の本来持つ「同族殺しへの忌避感」というものを抑え込んでいたのである。
だが、幸か不幸か、この時の日本軍には米軍と同じことが出来なかった。なぜなら、中国人と日本人の外見は、あまりにも似通っていたからである。細かい仕草や顔つきを見れば、日本人と中国人の違いは明らかなのだが、戦場の緊迫した局面でそんな些細な違いなど若い兵士には分からない。どこか不安げな表情の中国人女性や子供を見て「日本人じゃないから」と割り切れるわけないのだ。それどころかむしろ、田舎に残してきた肉親や、自分自身幼かった時の色褪せた記憶が蘇ってくる確率のほうが高い。
そんなわけで、日本が多国籍軍に加わり、大陸での治安維持に当たっていた最初の数年間は、こうした自爆テロで年間平均一万人近い兵士が戦死していたのである。
さすがにこの数字は無視できないものであった。ここでようやく軍部は、兵士たちに「感情調定」を施すことを決定する。
以後、日本軍は爆弾テロで戦死する兵士の数を激減させることに成功した。それはとりもなおさず、兵士たちが最前線で躊躇なく女子供を射殺し始めたということを意味していた。
***
楊は慌てて周囲を見回した。すると、日本軍兵士たちはためらうことなく子供たちを次々に撃ち殺していた。それはまるでシューティングゲームの的を撃つような気軽さだった。灼眼の子供たちは、確かに数の暴力を誇っていたし、その動きも爬虫類のようで気味悪さはあったが、行動自体は特に戦闘訓練を受けたことのないただの一般人――というか子供の――動きだったから、狙い撃つ分には格好の的だったのである。
そうか……日本兵は確か薬物か何かで、子供を殺すことに心理的抵抗を感じないようになっているのだ……
楊は、そんな処置を施されたことのない自分の兵士たちを複雑な顔で見つめるだけだった。
彼らの心はとっくに壊れていた。
だが、それは彼らが「人間らしい感情を持っていたせい」なのだ。兵士としては失格だが、人間としては……楊は彼らを責めることができなかった。
だが、ここにもうひとつ、別の種族がいた。
オメガたちだ――
彼女たちは、人間の持つ「同族殺しへの忌避感」とは無縁の存在だった。その対象には、兵士たちが最後まで躊躇った「子供」も――当然含まれる。
彼女たちはいつだってそうだった。戦場においては、それこそ「敵味方の区別なく」そこに存在する人間を例外なく屠ってきた。士郎に対し、最初オメガという存在の説明を新見が行った時、彼女は「オメガは人類を抹殺しようとしている」とまで言い切っていた。それほど彼女たちの殺戮は苛烈だったのだ。そして最近は、士郎も新見の意見に全面的に賛成だ。
オメガたちの行動は、そういう意味では普通の人間とは真逆だった。
兵士たちは、もともと「同族殺し」「子供殺し」を忌避するという人間の本能を抑えつけて任務についている。
ところが、オメガたちの本能とは「人類の殺戮」だ。彼女たちは、兵士とは逆にその殺戮本能を何らかの手段で抑えつけて、普段は人間と辛うじて共存しているに過ぎないのだ。
だから敢えて士郎は、オメガが人間とは異なる種族だと単純に割り切ることにしたのだ――少なくとも今のうちは。
士郎は、目の前で灼眼の子供たちが中国兵たちを蹂躙している様を見て、ようやくオメガの本能が持つ意味を知る。
彼女たちが人間を殺すことに躊躇いがないのは、こういった事態に陥った際、戦うことが出来なくなることを防ぐためなのだ。
そして――
最初彼女たちが敵にすることを躊躇った敵の
そして灼眼の子たちも――彼らも最初はオメガから敵意を向けられず、今まで戦うことはなかったのだが――今回クリーに操られているという紐付けを露わにしたことで、同時に敵認定されたところだ。
クリーも、そして灼眼の子らも、最初どうやってオメガからの敵意を防いでいたのかは判然としない。辛うじて、叶少佐が言っていた「YAP遺伝子」が関わっているのだろうということぐらいしか今はまだ分からないのだが、少なくとも士郎が直感していることがひとつだけあった。
このあとのオメガたちとクリーおよび灼眼の子らとの戦いが、おそらく本作戦の最終決戦になるのだと――
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