第192話 パンツァー・フォー

 ようやくだ! ようやく間に合った――!!


品妍ピンイェン! あとどれくらい!?」

「90秒――ってとこ!」

「了解! 詠晴ヨンチン?」

「アイ、マム!」


 美玲メイリンは、車内で大人しくモニター越しで見ているのが我慢できなくなり、天蓋のハッチをガバと開けた。

 途端、ゴゥッ――と烈風が吹きすさび、淀んだ車内に新鮮な空気が渦を巻いて飛び込んでくる。


「うわ! 凄い臭いだ!」


 機関員の品妍ピンイェンが思わず叫ぶ。流れ込んできた空気に濃密に混じっているのは、鼻を衝く硝煙とオイルの焼け焦げた臭いだ。生臭いのは恐らく血の臭い。

 車長の美玲メイリンがハッチから半身を乗り出して真っ直ぐ前方を睨みつけた。首に掛けた照準器付双眼鏡を眼窩に押し付け、黒煙が立ち昇る方向に焦点を合わせる。画面には、目標までの相対距離がデジタル表示されていたが、その数字はクルクルと回転を続けていた。当たり前だ――この「チューチュー号」は今、最大戦速で目標地点に向けカッ飛ばしているのだから!


 ガキィンガキィンガキィンガキィン――

 8本の多脚機構が高速回転するたびに、ショックアブソーバーの音が激しく軋む。


「隊長! こっちはいつでもいけるよッ!!」

「射程距離まであと30秒!」


 砲手の詠晴ヨンチンが射撃準備完了を報告すると、品妍ピンイェンがすかさず残り時間を付け加えた。相変わらずチームワークは完璧だ。


「あと15秒――」

「射撃よーい! 目標――敵重戦車! あの赤い旗の奴を狙え!」


 美玲メイリンの指示が車内無線に響き渡る。天蓋ハッチを開けて剥き出しでしゃべっているため、彼女のマイクがゴォゴォと酷い風雑を拾うが、その凛とした声はいつだってよく聞こえる。


「あと5秒――――射程入った!」

――ッ!!」


 ビィィィィィィィィィン――!!!


 電磁加速砲レールガンが激しいプラズマ光と共に初弾を放った。と同時に、前方の敵重戦車が直撃弾を喰らって空高く舞い上がる。

 目標は大火球に包まれ、直後――大きな黒煙がさらにそれを包み込む。


 ダァァァァァァァァン――!!!!


 数秒遅れて大爆発音がようやくこちらにも届いた。


「初弾命中ッ! どうだまいったかぁ!!」


 ダァァァン!! ダダァァァァァァン――!!


 詠晴ヨンチンが叫ぶと同時に、列線の他の多脚戦車の砲撃が次々に着弾し、辺りは轟音の渦と化した。


「チューチュー号より各車! 今までの鬱憤を、全部晴らすのだァァ!!」

『ウオォォォ――!!』


 その時、美玲メイリンの目の前にあるコンソール画面に、無線着信のランプが灯った。すかさずオンラインにすると、待ちに待った人の声が響く。


美玲メイリン! 遅かったじゃないか!?』

石動いするぎ中尉!」


 その声は、間違いなく第一戦闘団指揮官――石動士郎のものであった。

 良かった! 無事だった――!!


「――すすすすスミマセンッ! ちょっとばかし手こずりましてェ」

『あぁ、分かってる――来てくれただけでもありがたいさ! さんきゅーな、美玲メイリン

「ひゃ、ひゃいっ!」


 品妍ピンイェン詠晴ヨンチンが顔を見合わせてニヤリとする。


『あと、建物側の連中は友軍だからな! 間違えるなよ!?』

「えっ!? そうなのでありますかッ?」

『あぁ――いろいろ事情があってな! とにかく、だけ狙い撃ちにしてくれ! 頼んだぞッ!』

「た、頼まれましたァ!」


 美玲メイリンは無線を切ると、慌てて隊内通信を開く。


「オマエラ! 黒いのだけを狙え! これは石動中尉直々のご命令だ! 守れなかったらブッ殺す!」


 チェン美玲メイリン――

 台湾出身のオメガ特戦群所属戦車兵。少尉。八〇式<改>自律型高機動多脚戦車131号――通称「」の車長を務める。見た目はとても可愛いのに、日本での身元引受人が元だったせいで日本語の言葉遣いがすこぶる悪い。

 今回の『ア号作戦』では、士郎が指揮する第一戦闘団の第三小隊――すなわち機甲部隊の指揮官として従軍する予定だったのだが、早々に士郎に小隊ごと置いてきぼりを喰らい、必死で追いかけてきて現在に至る。


美玲メイリン、良かったね」

「なななな何が!?」

「石動中尉、さんきゅーだって――!」

「頼んだぞ、だって!!」

「う……うるさいぞ……あ、あ、あ、当たり前じゃないか! 戦車が間に合えば、誰だって喜ぶさ……」

「「ふぅぅぅん!?」」


 品妍ピンイェン詠晴ヨンチンは、美玲メイリンのことを「かわいいな」と思ってつい冷やかしたくなるのだ。だって、美玲メイリンが中尉のことを好きなのは、誰がどう見たってバレバレだったからだ。気付かれていないと思っているのは本人だけだ。

 一応、美玲メイリンは少尉で自分たちは二等軍曹なのだが、この3人に限っていえば階級差は一切関係なくて、仲の良い友人同士だ。その友人が保証する。美玲メイリンは中尉のためなら命だって賭けてしまうだ。


 ここまで追いかけてきたのだって、それは彼女の「愛の力」だと二人は思っている。

 途中、ハルビン降下作戦を開始した先遣隊が音信不通になったことが分かった時、彼女はどうしようもないほど動揺し、狼狽していた。愛する中尉の身の上を案じて。

 だからその際、オメガ司令部から直々に美玲メイリンのところに連絡が入って「現場判断で撤退してよし」と言われた時、烈火の如く怒り狂ったのだ。「勝手に中尉のことを殺すな」と――


 それから彼女は三日三晩、休むことなく走り続けて中朝国境を突破した。一刻も早く、石動中尉の元へ駆け付けるためだ。

 この時、華龍ファロンの国境警備隊と大激戦を繰り広げているのだが、彼女にとってはそんなこと、取るに足らないことだったらしい。戦闘が終わると一顧だにせず再びハルビンを目指し……そしてようやく、つい1時間ほど前に到着したばかりなのである。

 だが、街は想像を絶する破壊の爪痕を剥き出しにしていた。あちこちに、おびただしい数の降下艇の残骸を発見した。そこここに、多くの兵士の遺体が転がっていた。街自体も、意図的に爆破処理されたかのように徹底的に更地化していた。

 これは相当ヤバい戦闘が繰り広げられたなと直感した美玲メイリンは、居てもたってもいられずそのまま敵本部施設のある松花江北岸に突っ込んでいったのである。


 ここまで連続120時間――

 一瞬たりとも休むことなく走り続け、そのまま突撃を始めた美玲メイリン隊長のことを、だがケチをつける者は誰もいない。「愛の力」は、時として正しい判断を導くこともあるのだ。


『イエス――マム!!』


 戦車兵たちの、力強い返事がヘッドセットに再び響いた。


「うぉらぁぁぁぁ――! 戦車隊、前へェェェパンツァー・フォー!!」


 美玲メイリンが小隊に檄を飛ばす。


  ***


 最初敵部隊の後方に新たな物体が多数現れた時、さすがの楊子墨ヤンズーモーも「もはやこれまで」と覚悟を決めたものだ。

 彼の部隊はもともと多勢に無勢で見込みのない抵抗を続けており、その時点で残り戦力は当初の4割にまで落ち込んでいた。だが、石動中尉に「将軍は頼みましたぞ」と後を託した以上、ここで引き下がるわけにはいかなかった。男に二言はない。総員玉砕してでも、ここは守り抜かねばならなかったのだ。

 だが、鉄の意志とは裏腹に、あちこちに穴の開いた戦線は敵の通過を物理的に許してしまう。終いには、兵士が擲弾筒を抱いたまま、雪崩れ込む敵兵の中心で自爆するしかないところまで追い詰められてしまったのだ。その奮闘ぶりたるや、鬼神をも涙せんとする勢いであった。

 だから、後方から新手が現れたところで、いよいよヤンは覚悟を決めた。

 石動中尉にも、「もはやこれまで」と最期の通信を一方的に送り、この世の見納めとばかりに仁王立ちで敵軍勢に向き合った――まさにその時だった。


 後方の新手が、あろうことか敵の重戦車を次々と撃破していくではないか。

 誤射!? まさか――!?


 楊は我が目を疑った。そして副官の双眼鏡をひったくるように奪い取ると、大慌てで彼方を覗き込む。そこにいたのは――


 巨大な蜘蛛チーチュー――いや!?


「……あ、あれは……」


 予想外の援軍の出現に、楊は感極まって言葉を失う。すると、近くにいた兵たちも、それが「敵の新手」ではなく、「の救援」であることに気が付いたようだった。


「おぉーいッ!! 俺たちッ、味方だからなァーー!! 間違えんなよォーーー!!!」

「ちっきしょーッ!! あんな奴らッ! 捻り潰してくれェェェ!!」


 そんな声、相手には聞こえるはずもないのだが、兵士たちは「地獄に仏」とばかりに必死になって手を振り始めた。


 そうだ――

 あれはまさしく、日本軍の――――多脚戦車だった。


 その雄々しい立ち姿は、まるで巨大なタランチュラ――分けても「鳥をも喰らう」とまで言われる「ゴライアス・バードイーター」にそっくりであった。まだ距離は数キロも彼方であろうか。それでもあれだけ巨大に見えるのだ。それが10輌、いや20輌はいるにちがいない。

 その頼もしさといったら!! 兵士たちはその光景を、一生忘れることができないだろう。絶望の淵へ叩き落された自分たちを救いに来てくれた、その鋼鉄の塊を――

 多脚戦車は、その特徴的な長い脚を盛んに動かしながら、こちらへ向けて高速で突っ込んで来た。土煙を濛々と巻き上げながら。

 時折その蜘蛛がピカッと光ったかと思うと、瞬きする暇もなく目の前の敵戦車や装甲車が爆発炎上する。

 電磁加速砲レールガン――!

 その瞬間、辺りは一瞬真空になったかのように無音になり、それから雷鳴のような衝撃音ソニックブームが戦場を覆い尽くす。

 それはまさしく、蜘蛛が吐き出す毒液のようだ。

 敵は見る間に業火で焼き尽くされていく。これが世にいう「騎兵隊の登場」か。

 まさに壊滅寸前であった楊の部隊は、そこから一気に形勢を逆転していく。


  ***


 あらかた敵が片付いた時、その巨大な戦闘マシーンは楊の目の前に屹立していた。


 グィィィィィン――と蜘蛛の脚が折り畳まれ、中央の装甲殻が地面に降りてくる。天蓋のハッチがパカッと開いたかと思うと、中からうら若い女性将校がニュッと頭を突き出してキョロキョロする。

 すぐに楊に目を留めると、ニッコリ笑って飛び降りた。


「お待たせしましたァ! チューチュー戦闘団、ただ今参上でっす!」


 そう言って、鮮やかな敬礼を決める。


「君たちは――!?」


 楊が呆気に取られながら質問する。すると――


「はッ! 石動中尉の親衛隊でありますっ!」


 いつの間にか這い出してきていた品妍ピンイェンが後ろからすかさず小気味よい返事をする。


「ば……ばかぁ!! ちちちち違いますッ! ま、まぁ……嫁みたいなもんですけどっ!」

「ちょ――あんた調子に乗り過ぎぃ!」


 詠晴ヨンチンがすかさずツッコミを入れる。見たところいずれも妙齢の女性兵士だが、時折中国語が混じっている――!?


「君たちは……中国人なのかね?」

「あ、いえ、台湾人です」


 ほぅ……話には聞いたことがあるが、やはり日本軍には台湾出身兵がいるのか――それにしても……

 女だてらに戦車兵とは恐れ入った。


 いや、こんなことを言ったら若い連中に怒られてしまうかな……なにせ自分はもうよわい80を過ぎた年寄りだ。今の時代の感覚ではこれが当たり前なのだろうか……楊は感慨深そうに彼女たちを見つめる。


 なにせ、敵を殲滅して続々と集結してくる多脚戦車は、どれもが次々に彼女たちの愛車の横に並んで停まったかと思うと、いかつい車長たちが急いで飛び降りて、このチェン美玲メイリンと名乗った女性将校に駆け寄っては敬礼しているのだ。

 彼女もまた、いかつい彼らに対し、まるでねぎらうようにその肩を叩いて一言二言談笑を交わす。


 どう考えてもこの女、単なる車長じゃなくて、少なくともこの戦車隊の隊長のようではないか。

 こんなこと、我が華龍ではあり得ない事態だ――


 するとそこに、血相を変えた石動中尉たち一行が飛び込んでくる。


「楊大校――!! ご無事でしたか!?」

「おぉ! 中尉こそ!?」

「えぇ――将軍は無事に、保護しましたよ!」

「あぁ……ありがとう!! 心より感謝申し上げる!!」


 するとそこへ、先ほどの女隊長が猛然と突進してきて、直立不動になる。


「中尉――!」

「うむ――ご苦労である!」

「はッ!」


 二人はじっと見つめ合い、そしてガバっとハグし合った。


「中尉ッ! ご無事でなりよりですぅ!!」

「あぁ! 一瞬ヒヤッとしたぞ!? また新手の敵かぁーってな……」

「――そんなッ!? 遅れて、申し訳ありませんでした……」

「あはは、でも美玲メイリンたちだと分かった時は、嬉しくて涙が出そうだったよ――ありがとうな!」


 その言葉を聞いた美玲メイリンはつい涙ぐむ。彼女がどれだけ無理をして、どれだけ必死にここまで追いかけてきたか、それを知っている品妍ピンイェン詠晴ヨンチンは、士郎がキチンとその労をねぎらってくれる上官であることに、密かな誇りを抱いた。アンタ、やっぱり男を見る目は確かだわ――

 二人はまた、そっと顔を見合わせ、そして微笑む。


「楊大校、ご紹介しましょう。我が軍が誇る戦車兵――チェン美玲メイリンとチューチュー戦闘団の仲間たちです」


 士郎がそう紹介すると、戦車兵たちがザンッ――と一斉に楊に敬礼をした。


「チューチュー戦闘団――!?」

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