第193話 チューチュー戦闘団

 この奇妙な愛称で呼ばれる戦車部隊を率いるのは、台湾出身の若き女性将校――チェン美玲メイリン

 ヤン大校は、自身の60年以上におよぶ軍務生活の中で女性の戦車兵を見たことがなく、目を丸くしていたわけだが、実際のところ、彼女たちは日本陸軍の中でも稀有な存在だった。


 台湾に日本海軍の鎮守府が設置されたのはつい最近のことだ。これによっておよそ150年ぶりに、彼の地は事実上日本の統治下に戻った。

 もともと第二次大戦が終結するまでは、台湾は日本領でその住民は帝国臣民――つまり「日本人」――であった。日本が台湾から引き揚げたのは、太平洋戦争に敗れたからである。その後の大陸中国との諍いは周知の通りであるが、そんな時代にあっても日本と台湾はずっと良好な関係を保っていた。

 その台湾が戦後の大きな転換点を迎えたのは、米中戦争とそれに引き続く中国内戦がきっかけだ。21世紀前半、当時あからさまな領土的野心を持った中国が、米中戦争のどさくさに紛れて台湾を攻撃した際、米第七艦隊の空母打撃群は約束通り台湾防衛の義務を果たしたのだが、唯一世界が驚いたのは、そこに日本が加わったことだった。

 もちろんこれは、日米安保条約に伴う集団的自衛権の発動という法的根拠を持ったものであったが、世界でも有数の親日国として名高い台湾の国民が、それに歓喜したことは言うまでもない。


 やはり日本は台湾を守ってくれた――このことが、多くの台湾人をして、日本に再度統治してもらおう、という機運を盛り上げるきっかけとなったのである。中国という軍事大国に、自国の安全保障を徹底的に脅かされた彼らからしたら、かつての宗主国であり、アジアの盟主たる日本にすがろうとしたのも無理はない。

 ただし、肝心の日本はそのことに消極的だった。この時代、あらたな領土を得る、ということに魅力を感じていたのは、それこそ中国など「遅れてきた帝国主義」の熱に浮かされていた一部の国家だけに過ぎなかったのだ。


 結果として日本は、台湾を統治する代わりに軍事拠点を設けることで最近ようやく折り合いをつけた。その第一歩が日本海軍の南洋方面根拠地となる「高雄鎮守府」の設置であり、南洋艦隊の母港化である。

 そうなると当然、台湾国内での日本のプレゼンスがさらに高まることとなった。多くの台湾の愛国的若者が軍に志願し、日本軍と一緒に戦いたいと願ったのである。


  ***


 チェン美玲メイリンは、もともとティーンエイジャーの頃から筋金入りの哈日族ハーリージューであった。とりわけ日本のアニメをこよなく愛し、なかでも女子高生たちが戦車に乗って戦車道なる競技を繰り広げる作品が大のお気に入りだった。つまり、美玲が高校を飛び級してまで一刻も早く台湾陸軍に志願した最大かつ唯一の理由はそれガルパンだ。彼女が入隊したのは、日本が鎮守府を置くよりも何年も前のことだ。


 だが、本人にとってまことに残念だったのは、台湾陸軍にはまともな戦車隊がない、という事実だった。そこで彼女は一念発起し、台湾軍の正式な国費派遣学生として、日本の陸軍士官学校に留学を果たしたのだ。もちろんそこで彼女は戦車兵としての専門課程を学び、みごと日本陸軍の最新型戦車――すなわち八〇式自律型高機動多脚戦車――を操る資格を取得したのである。

 美玲メイリンが士郎と出逢ったのはちょうどその頃だ。


 二人は、陸軍士官学校の先輩後輩という関係だ。

 特に親しくなったのは、学生による野外大演習で美玲メイリンが運悪く怪我を負ってしまった時のことだ。

 コンパスと地図だけを頼りに深い森の中を行軍する課題中に遭難した美玲メイリンは、深い谷に滑落し両足骨折の重傷を負ってしまう。それを助け出したのが他ならぬ士郎だったのだ。


 その演習は、毎年死者が出ると噂されるほどの厳しいもので、約2週間の演習期間中は、たとえ怪我を負っても病気に罹っても、一切助けが来ないという徹底したものだ。

 そんな中、たまたま同じ学生小隊に配属された後輩の美玲メイリンを、当時学生小隊長だった士郎が死に物狂いで捜索し、発見救助に至ったのだ。

 それはある種の「吊り橋効果」だったのかもしれない。だが、捜索救難ドローンの飛行すらままならない悪天候の中で、単身深い崖下まで捜索に来てくれた士郎に、当時の美玲メイリンがどれだけの感情を抱いたかは推して知るべしである。

 おまけに彼の適切な応急処置により、彼女は幸い両脚の機能を失わずに済んだ。子供の頃からの夢を捨てずに済んだのである。

 それまでただがむしゃらに「戦車兵パンツァーシュッツェ」になることだけを考えていた美玲メイリンは、この時はじめて恋をする。

 そう――つまり美玲メイリンの初恋の相手は、自分の命の恩人であり、夢を守ってくれた石動いするぎ士郎その人なのだ。


 品妍ピンイェン詠晴ヨンチンと出会ったのはそのあとだ。

 彼女たちは美玲メイリンと違い、たまたま合同演習で短期来日していた台湾陸軍の機械化部隊に所属していたのだが、日本軍の中で、他の荒くれ戦車兵に比肩して必死で頑張る同年代の同胞女性の姿に感銘を受け、その場で「美玲メイリンと一緒に戦車に乗りたい」と上官に直訴したのだった。

 時期も良かったのかもしれない。当時台湾に海軍鎮守府を設置したばかりの日本は、日台友好の象徴的なシンボルを欲していた。「台湾から来日して戦車兵を目指す女性将校」と「それに憧れて自分たちも戦車兵になりたいと熱望する台湾人女性兵士」というのは、陸軍ネタとはいえ格好のPRになったのである。

 結果として彼女たちは、まんまとそのまま日本に残留し、美玲メイリンと一緒に戦車兵教育を受けることとなる。そういう意味では、この3人が出会ったのはまさに偶然、たまたま星の巡り合わせが良かったとしか言いようがない。


 やがて彼女たちは、メキメキと頭角を現す。もともと操縦機構が複雑で、ベテラン戦車兵でも手こずる多脚戦車をこの3人組はまさに手足の如く操ってみせた。そして、この兵器自体が持つ秘めたる能力を次々に顕在化してみせたのである。

 それに惚れ込んだ当時の陸軍首脳部が――極めて異例のことであるが――彼女たち3人をそのまま日本陸軍に貰い受けたい、と台湾国に願い出て――これまた極めて異例のことではあるが――台湾国籍のまま日本軍兵士になったというわけだ。


 そんな優秀な彼女たちを、目鼻の効く四ノ宮東子が放っておくと思うだろうか。

 オメガ特殊作戦群を編制するにあたり、だから彼女たちは四ノ宮が直々に陸軍から引き抜いた筋金入りの戦車兵なのだ。もちろんその背景に、石動士郎の推薦があったことは言うまでもない。

 結果、美玲メイリンたちは、それまで愛用していた6本脚の八〇式の、さらに上を行く8本脚の最新型――八〇式<改>――を操る最精鋭戦車部隊として士郎の戦闘団に配属されていたのである。


  ***


「ところでそのチューチュー戦闘団というのは……!?」


 ヤンが気になっていたことをようやく口にする。いったい何のことなのだ!?


「あぁ! これはアレね! 多脚戦車が蜘蛛チーチューみたいだから、私たちがいつも蜘蛛チーチュー蜘蛛チーチューって言ってたら、日本人の兵隊たち、発音できなくていつの間にか『チューチュー』って呼ばれるようになったというわけ」

「ま、美玲メイリンはそれの意味が『キス、キス』だって聞いたから、カワイイ! ってなって今に至る」

「何を言うか! 日本のカワイイは大正義なのだ!」

「ハイハイ――哈日族ハーリージューね」


「――まぁ、礼儀をわきまえない連中でお恥ずかしい限りですが、彼女たちの敢闘精神は我々日本人も認めるところです。お陰でこうやって敵増援も撃破することができました」


 士郎が苦笑しながら助け舟を出す。この奔放な言葉遣いは、近いうちに矯正しなきゃならんな……


「いやはや、おみそれしました。このようなうら若き女性が、戦車隊の指揮を執っているとは……」


 楊が感嘆の声を上げる。それは決して社交辞令ではなく、本心からの感想だった。日本軍の強さは、こういったところにもあるのだろう。実力さえあれば、若かろうが女性だろうが――そして日本人じゃなかろうが――こうやって指揮官を務められる。我が軍の、硬直した前例踏襲主義とは大違いだ。


「――ともあれ、これで脱出の目途はつきました。現在、ヂャン将軍は緊急手術中です。こちらの処置が終わり次第、ハルビンを脱出しましょう」

「その後は……どうしましょうか……」

「ひとまず我々と行動を共にされてはいかがでしょう? 将軍は最寄りの前哨基地コマンドポストにお連れして、本格的な治療を施す予定です」

「……そうしたいところだが……」


 楊の目が少しだけ泳ぎ、言葉を濁す。渋い物でも食べたかのように顔をしかめると、絞り出すように言葉を継いだ。


「……どうやら……あと一戦交えなきゃならんようです……」


 楊がすっかり陽の昇った空を仰ぎ見た。


「えっ――!?」


 士郎たちも思わず釣られて空を見る。

 そこには――異様なものが浮かんでいた。


 あれは……


 人間――?

 いや……翼を生やしている――! しかし……


 それは、どう見ても人間だった。背中に巨大な翼を生やし、まるで空中にぽかりと浮かんでいるように見えたのは――


 クリー……


 あの時、未来を拉致した――敵オメガ……いや、辟邪ビーシェだった……


「マズい――」


 アイツは、重力を操る――!

 その力のせいで、士郎たちはかつて煮え湯を飲まされたのだ。あの時の……正確無比な榴弾攻撃の恐怖が、士郎の脳裏にフラッシュバックのように蘇る。


「士郎、あの子は――」

「あぁ! そうだ……アイツはあの時、未来みくを連れ去った張本人だ!」


 久遠が確認するように言いかけると、士郎は食い気味に返事をする。その声は、明らかに苛立っていた。


「士郎さん――」

「士郎きゅん……」

「中尉――私たち、あの子と戦うモチベーションがなぜだか上がりません……」


 亜紀乃が申し訳なさそうに俯いた。


「――あぁ、分かってる……あの時未来が抵抗しなかったのも、それが原因だからな……」


 士郎は、ギリッと唇を噛む。

 理屈では分かっているが、あの想像を絶する異能力に対し、オメガの戦闘モチベーションが上がらないというのは、極めて不本意だった。本当は、今こそ彼女たちの圧倒的戦闘力であの怪物と渡り合って欲しかったのだから――


「石動中尉っ! こんな時こそ我がチューチュー戦闘団の出番ですよっ!!」


 美玲メイリンがその黒目がちの瞳を真っ直ぐ士郎に向けて言い放つ。


美玲メイリン! 駄目だ――アイツは駄目なんだ……、奴には敵わない……」

「何言ってるんですかぁ! 私たちのこと、誰だと思ってる!?」

「「ソウダヨ!」」


 そういうと、美玲メイリンたち3人はくるりと踵を返し、チューチュー号に向かう。


「――やめろッ! お前たちの叶う相手じゃない!!」

「はァ!? 世界最強の戦車に世界最強の私たちが乗るんだヨ! ダイジョウブ、中尉のことは私が守るッ!!」


 そんな隊長の様子を見て、他の戦車兵たちもハッと我に返ったかのように次々に戦車に駆け戻る。


「いいかァオマエらァ!! あそこの空にポカンて浮かんでるアホ、レールガンの飽和射撃で撃ち落としてみせロォ!!」

「イエス! マムッ!!」


 一斉に雄叫びが上がると、チューチュー戦闘団は一斉にエンジンをかけ、その蜘蛛の胴体のような装甲殻をギュゥゥゥンと持ち上げた。20体の巨大な「ゴライアス・バードイーター」――鳥を喰らう者――が、まるで獲物の鳥を狙うかのように、空中で翼を広げる敵辟邪クリーを狙い澄ます。

 そしてその先端――巨大な顎のような部分から毒針のように突き出た電磁加速砲レールガンの砲身にバリバリとプラズマ光が帯電し始め――


 ビィィィィィィィィィン――!!!


 一斉に、音速より早い弾体が空中に向けて撃ち出された。割れ鐘のような衝撃波ソニックブームが大気全体を震わせる。刹那――

 20本の電磁加速弾を喰らったクリーは跡形もなく消滅――――しなかった。


 その稲妻のような弾道はすべて、彼女がいる空中より少し手前で、まるで「く」の字のように跳ね飛ばされ、空中遥か彼方へ消えていった。


「――そんな……馬鹿な……!?」


 天蓋ハッチの上に半身を乗り出して仁王立ちになっている美玲が、信じられないという顔でその光景を見つめる。


「第2射!! ーーーッ!!!」


 ビィィィィィィィィィン――!!!


 またもや、20本のプラズマ弾道が一斉にクリーを追い詰める。

 だが、今回も一緒だった。彼女のほんの少し手前で、その稲妻のように光る弾道は「く」の字に捻じ曲げられ、明後日の方向に飛んで行った。


 その瞬間――


 1輌の多脚戦車が、突然メキメキと嫌な音を立てたかと思うと、その暴力の象徴のような太い脚部がバキンッ――――と折れた。

 その瞬間、乗員3名が乗っている真ん中の装甲殻が地面に叩きつけられる。そして――


 ベキャッ――――!!!


 205ミリ徹甲弾の直撃でもビクともしない筈のその装甲殻が、まるで生卵を上から押し潰すようにベチャン――と潰れたのである。


 ――――!!


 周りでそれを見ていた兵士たちは、あまりのことに声を失う。


 だがその直後、何輌もの多脚戦車が同じように――何か巨大な万力で圧し潰されるかの如く――次々とペシャンコにされていったのである。


「め……美玲メイリーーーンッ!!?」


 その中には、つい先ほどまで先陣切って戦車隊を指揮していたチューチュー号――美玲たちの乗機――も含まれていた。

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