第188話 選ばれし者たち

「いや、むしろ再生のために必ず通らなければならない過程ではないかと思いますがね、私は」


 突然割って入ったのは、案の定叶少佐だった。


「少佐――」

「あらためまして、叶元尚と申します。ヤン大校どの」

「……叶少佐は、オメガ研究の第一人者で、分子生物学の世界的権威です」


 士郎が慌てて楊に補足する。彼は時々エキセントリックな言動で周囲を驚かせるから、あらかじめそうでも言っておかないと、初めての人には「何だコイツ」と思われやすいのだ。


「……先ほどの話の続きですが……」


 改めて叶が話を振る。


「はい……」

「オメガという存在が我が国で確認されたのは、放射能汚染が深刻化してからのことです」


 叶は、彼女たちが主に汚染が深刻な立入禁止区域PAZで発見された存在であることをかいつまんで楊に説明する。


「――最初は、放射能による単なる突然変異ミュータント……遺伝子異常体だと思われていました。ですが、研究を重ねていく過程で、その遺伝子異常が単なる病気ではないと分かりました。むしろ、今までの人類にはない特殊な異能力が発現していることが分かったのです」

「それがあの……圧倒的な力、というわけですね」

「問題は、彼女たちが発見された場所です。放射能による高濃度汚染地帯は、日本だけに存在するわけではない……ここ中国大陸にも多数存在する……」


 それを聞いた楊がはたと思い当たったように叶を見つめ返した。


「……辟邪ビーシェ……!」

「……それは?」

辟邪ビーシェ……我々中国人は、同じように放射能による変異で特殊な能力を持つに至った存在をそう呼んでいます。中国版オメガ、ということでいいのでしょうか?」

「なるほど……ビーシェ、ですか……オメガと同じ特性を持つかどうかは分かりませんが、似たような属性は持っているかもしれませんね……」

「――実は、未来みくを拉致連行したのは、そのビーシェなる存在です……」


 士郎が割って入った。当時の状況がありありと脳裏に甦ってくる。「――ソイツは敵オメガだ!」当時の前哨基地コマンドポストからの緊急連絡の声が、記憶の中でこだまする。


「――未来ちゃんを連れ去った存在が、中国版オメガだということであれば、辻褄が合うよね……彼女はその子を敵と認識しなかった……だから抵抗せず、連れ去られた……本来の彼女の戦闘力であれば、そもそも敵に後れをとることなどないはずだ」


 それは、以前から士郎の中でくすぶっていた問題だ。彼女が連れ去られた理由わけ……そしてそもそも、何故彼女は自らを敵の手に委ねるような行動をとったのか――


「――思うに」


 叶が言葉を継ぐ。


「オメガにとっては、“殺すべき相手”と“殺してはいけない相手”が明確に区別されているのではないかと推察するのです」

「――と、いうと?」


 楊が続きを促す。


「確かにオメガは、ほとんどの存在を殺戮対象と見做します。ワクチンが開発されるまで、それは友軍兵士ですら例外ではありませんでした。しかし、ごく僅かですが、殺さない相手――というのも存在したのです」


 叶が、士郎の方を見つめた。


「――それが、ここにいる石動いするぎ士郎中尉だったのです」


 楊が驚きの顔で士郎を見つめた。


「――時に大校どの、まな弟子……と仰いましたか? その……ヂャン将軍という方……」


 唐突な振りに、若干困惑しながら楊が答える。


「……え、えぇ、あの方は小さな頃から面倒をみておりましてな……今や華龍ファロンを統率する立派な将軍に育ちました――」

「――その彼が突然逮捕された……理由は何だとお考えですか?」


 士郎が遠慮してずっと聞けなかったことを、叶はさらりと言い放った。


「それは――」


 楊が言い淀んでいるうちに、叶が士郎にそっと耳打ちをする。「オメガの秘密の話をしたんだから、今がチャンスなのですよ……ギブアンドテイクです」

 なるほど――こちらが軍機スレスレの話をしているのだから、そっちも言いにくいことを話せ、ということか。さすがは少佐である。しがない下級将校でしかない士郎は、自分がまだまだ目の前の近視眼的視点でしか物事を見ることの出来ない浅はかなガキであることを思い知らされる。


「……やはり権力闘争だと思われます」


 楊が悔しそうに語る。


「もともと華龍は北京から見れば単なる用心棒に過ぎません。その割に、張将軍は民衆からの人気が凄まじかった。北京が将軍の人望に嫉妬しても不思議はないのです」


 なるほど……ローマ時代のハンニバル、源平時代の源義経らと同じか。優秀過ぎる指揮官は、得てして執政側の嫉妬のために陥れられ、理不尽な最期を遂げるものだ。


「――で、うちの未来ちゃんはそんな将軍を必死で救い出そうとしているわけですな」

「そ、そうなのです!」


 ここで唐突に未来の話を振るとは――いや、叶は最初からこの話に持っていくつもりで……


「ご承知の通り、神代未来もここにいる少女たちと同様、オメガという存在です」

「存じております。その未来さんを、張はなぜだか大切に扱っていました」

「それはきっと、彼女のオメガとしての能力の何らかを、彼が欲していたからではないでしょうか」

「――――!?」

「大切に扱ったということは、恐らく彼女が能力を発動させないと得られない、何らかの現象を将軍は欲していたのだと愚考いたしますが、いかがですか?」


 確かに――

 単なる物理的な生体サンプルや遺伝子情報を欲していたのであれば、彼女を眠らせてDNAサンプルを採ってしまえば済む話だ。さらに言えば、用が済めば殺せばいい。いつまでも生かしておけば、こうやって日本軍が奪還に来るリスクが生じることだって承知していたはずだ。


「そう言われてみれば……そうですな。彼は、未来さんを本当に大切な客人としてもてなしていました。逮捕される直前は、一緒に食事をしたり……」

「――その未来ちゃんが、命を賭してまで今、将軍を救おうとしている……オメガはもともと殺戮装置です。本来なら、目に入る人間すべてを手にかける存在であるオメガが、将軍を救おうとしているというからには、彼は生かすだけの価値のある人間、ということを意味すると私は思いますなぁ」

「おぉ――」


 楊が感極まって目を真っ赤にさせた。

 だが、確かに叶の言う通りだった。士郎が、楊の部隊との共同戦線を張る決意をした時も、やはり「未来が将軍を救おうとしている」という状況を聞いて、そこに何らかの重大な理由があるに違いない、と考えたのだ。


 戦術的には、こうやって橋を渡り切ってしまえば、楊の部隊とこのあとも律儀に協力し合う理由などない。だが今の話を聞いて、楊も士郎も、もう少し友軍としてお互い連携しよう、との思いを強くしたのだ。


「張は、オメガである未来さんにとって“殺してはいけない相手”であると……?」

「そうですな……人類の『滅びの道への案内人』であるオメガをして“生かすべき”と判断されたのだとしたら、きっと将軍は人類再生のためにノアの箱舟に乗ることを許された方なのでしょう――ここにいる石動中尉と共にね……」


 楊は、そろそろ兵たちも十分休息が取れただろうから、急いで将軍捜索の態勢を再構築するといってその場を辞去していった。恐らく叶の話に感銘を受け、愛する弟子を何があっても奪還する決意を新たにしたのだろう。

 その思いは士郎とて同じだった。橋を攻略するまでは、割と「利害関係」だけで中国軍と共同戦線を張った雰囲気もあったが、今の話を聞いてしまうと、これが単なる「呉越同舟」ではいけないと真剣に考えるようになったのだ。

 確かに半世紀にも及ぶ戦乱の世は人類を大きく疲弊させていたし、核の応酬という愚かな行為は、人類が「滅ぼされるべき悪の存在」と見做されるに十分な証拠だった。その人類を罰する存在として、オメガが高濃度放射能汚染地帯で生まれたことも、何かの摂理のような気がしたのだ。

 士郎もそそくさと、兵たちの元に戻っていった。


 いずれにせよ叶は、オメガと将軍の話、そして未来のことを楊と士郎――両軍の指揮官に巧みに話す中で、お互いの信頼関係を一層強固にすることにいつの間にか成功していた。

 もちろん、肝心の二人は、そんな叶の意図など気付いてもいなかったが……


「――さすがですね、叶少佐」


 3人の遣り取りを物陰でジッと聞いていた森崎が、叶に囁きかける。


「まぁね。僕は天才だから……それに、張将軍とは確かにいろいろ話をしてみたい。彼は未来ちゃんに何を見出したのか? 未来ちゃんは、彼の何を気に入ったのか――?」


 それは、もしかしたらこの戦争に決着をつけるきっかけになるかもしれないよ――と叶は考えていた。


  ***


「ねぇ士郎ぉー」

「何だ?」

「何だじゃなくてぇ……」


 さっきから士郎に纏わりついているのは久遠である。ただし、周囲からは士郎の隣に久遠がいることなど、まったく見えていない。多分、この日本軍の指揮官は重責のあまり独り言をブツブツ呟いていると思われていることだろう。


「お前、いつから平常アライドモードでも透明化できるようになったんだ?」

「え? 前からだよ――てか、服がないから元に戻れないのだ」

「はぁ!?」


 橋脚に据え付けられていた爆薬を解除するために、その色素胞を周囲に同化させて透明化していた久遠は、その時点ですべての衣服を脱ぎ去っていた。もちろん彼女の防爆スーツは松北大道を渡る際に士郎たちが持参していたのだが、残念なことに激しい銃撃戦でそれがどこかにすっ飛んで紛失していたのである。


「な、なんか適当にあるだろう? 普通の戦闘服とか」

「えぇ、それはちょっと嫌なのだ」

「なんでだよ?」

「だって、ブカブカだし……臭いし……誰のか分からないの着たくないし……」


 まぁ確かに久遠はとても細くてスタイルがいいから、その辺のヤローの戦闘服なんか着たらちょっと格好が悪いのは認める。だが、真夏とはいえいつまでも素っ裸(ただし周囲からは見えていない)というのも落ち着かないだろうに……


「もうすぐ夜が明けるんだぞ? 夏でも朝は冷えるんだぞ?」

「だ、大丈夫だ! 士郎からご褒美を貰えたら頑張れる!」

「――いったい何の話だ」

「さっき私は見ていたのだ! くるみちゃんやゆずちゃんやキノちゃんに士郎がヨシヨシしているところ!」


 そんなことを気にしていたのか!? まったく――


「お前なぁ……はぁ……しょうがない。じゃあヨシヨシしてやるから、そしたらちゃんと服着ろ」

「えー、だからぁ……知らない人の服は……ソイツが腋臭わきがだったらどうするのだ!? 伝染うつってしまうではないか!?」

「あーもう分かった! 俺のシャツを着ろ!」

「え! 本当か! いいのか!?」

「だって、お前いつまでスッポンポンでいるつもりなんだ?」

「よ、よしっ! そうだな……分かった! そこまで言うならしょうがない……ん!」

「ん! って何だ?」

「これはホラ、ご褒美だ!」

「はぁ……しょうがない。ん!」


 そう言って士郎は唇を突き出した。傍から見たら、士郎が何もない空中に向けてひょっとこのように唇を突き出しているという、謎の情景が目に入ったはずだ。

 だが、その唇がぎゅっと何かに圧迫されたのもまた、すぐ傍で見ていたら分かったことだろう。幸か不幸か、空中に向かって独り言を呟きまくったり、あれこれ謎のポーズを取る指揮官に近付く兵はいない。

 士郎はが済むと、自分の背嚢をゴソゴソしてOD色のタンクトップと軍パンを引っ張り出した。


「……もしかして、下着は……?」


 士郎は恐る恐る久遠に訊ねる。


「そんなものはないぞ」

「――だよなぁ」


 士郎は自分のボクサーパンツも引っ張り出した。伸縮性に富んでいるから、多少緩くてもずり落ちることはないだろう。


「俺、さすがにブラは持ってねぇぞ」

「あぁ、気にするな」


 このお気楽さは一体どこから来るのだろう。士郎はそう思いながら久遠に衣服一式を手渡した。すると、スルスルと空中で衣服が解かれ、何やら謎の空中浮遊的情景が浮かび上がる。そうなって初めて、周囲の兵たちがギョッとした顔をした。

 ほどなく空中で透明マネキンのような服だけポーズが完成し、その瞬間、ようやく久遠がぽんっと可視化した。


「ふふん、どうだ? 似合っているか?」

「あぁ、まぁそうだな」


 そこに居たのは、切れ長の瞳と長いストレートの黒髪を持つ、スレンダーな少女だった。ブカブカの軍パンは裾が長すぎて、膝下まで捲り上げてあり、まるでサブリナパンツを履いているみたいだった。だが、何と言っても目のやり場に困ったのはその上半身だ。士郎のこれまたブカブカタンクトップを纏ったために、胸の下できゅっと絞ってある。つまり、おへそが丸出しだ。そして何より、ブラをつけていないせいで、胸の部分に意識が集中してしょうがない。


「大丈夫だ――私がブラを着けていないということは、今のところ士郎しか知らないからな」


 何故だか久遠は自信満々だった。だから――俺が気になってしようがないんだっつーの!


 このあと繰り広げられる壮絶な激戦前の、ほんの僅かな、平和なひとときだった。

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