第189話 散る桜

「あれが――本部拠点施設の裏口です」


 青藍せいらん――未来みくのペットであるハイイロオオカミ――の導きによって、士郎率いる第一戦闘団強襲部隊と楊子墨ヤンズーモー率いる華龍機械化中隊の合同軍が辿り着いたのは、まさしく華龍総本部の本館建物裏手だった。

 時刻は既に朝方で、払暁の空が徐々に白みを増していこうかという頃合いだった。


 前夜の夕刻に空挺降下を仕掛け、ついにハルビン突入作戦を開始して以来、既に10時間以上が経過したことになる。降下地点での橋頭保の確保。それに続く市街地への侵攻、そして松花江南岸での激戦――

 ついには、それまで敵味方で争っていたアジア解放統一人民軍ALUPAの某部隊と歴史的な休戦を果たし、あろうことか合同で敵拠点施設に唯一繋がる松北大道という橋を攻略した。

 ここまでまさにジェットコースターのような展開であったが、ついに未来がいると思われる敵施設の入口まで辿り着いたのだ。奪還作戦はいよいよ終盤を迎えたと言っていいだろう。


 橋を渡り切ってからここに辿り着くまで、散発的な交戦はあったものの、思ったほどの抵抗に遭わなかったのは意外といえば意外であった。敵本部敷地内に入り込んだ以上、もっと激烈な反撃に出くわすものと覚悟していただけに、むしろ拍子抜けの感さえあった。

 ドロイドの森崎大尉は「これは間違いなく罠です」と警告を発してくれたが、それを警戒して前進を躊躇するよりも、ここまで来たら寧ろ敵の懐に入るべし、とのヤンの決断によって現在に至る。

 だから、もしかしたら既に脱出の退路は絶たれている可能性があった。このうえは一刻も早く未来や将軍を助け出し、次の策を練るしかない。


 ところが、ここまで来たところで合同軍は大きな問題に直面した。建物が、既に敵親衛隊の大部隊によって完全に取り囲まれていたからだ。

 時折、ダダダダダッ――という銃撃音が交錯する。さらに、バンッ! という鋭い爆発音が断続的に聞こえてくる。

 どうやら敵は激しい銃撃戦の真っ最中だった。建物の中に何らかの武装勢力が立て籠もっているらしい。あれはまさか――未来たちなのか……!?


「どうやら将軍たちは、地下にいるようですな」


 楊が話しかけてきた。この建物の地下には、秘密の留置施設があるのだという。将軍はその中に捕らえられていたに違いなく、もし未来が彼を助けに行ったのならば、一緒になって地下に立て籠もっているのではないかということだった。

 今の状況から考えると……脱出に至らず今まさに必死の抵抗を試みているのだと推察された。


「……それにしても……アレ、少なくとも小隊規模で応戦しているように見えますね!?」


 楊によると、地下への入り口は一箇所しかない。それ以外に通路はなく、地下施設の壁は分厚くて、破ることはほぼ不可能なのだという。

 つまりそれは、守る側からすれば脱出路もない代わりに、唯一の出入口さえ死守していればどんなに大部隊が攻めてこようが容易に守りを固められる、ということでもあった。籠城戦にはおあつらえ向きというわけだ。


「――確かに。出入口の防御火力は一人や二人ではなさそうです」

「しかし、制圧するなら手榴弾一つ投げ込めば済むのでは!?」

「恐らく生け捕りを狙っているのでしょう。ということは、チャンスはまだある、ということです」


 未来は、中国兵の何人かを寝返らせたのだろうか。楊の話によると、兵たちには随分慕われていたみたいだから、それもあり得る気がする。

 それにしても、異能を使えばあの程度の攻め手、未来であればねじ伏せることも可能なような気がするが、もしかすると戦闘に参加している場合ではないのかもしれない。味方に引き入れた兵士たちに防備を託し、未来自身は何か手が離せないことでもやっているのだろうか。

 だとすれば、考えられるのはただひとつ――将軍の命が危ないのだ!


「楊大校、事態はかなり切迫していると思われます――早くあの敵を排除しなければ!」

「そのようですな! 小隊、前ェーー!」


 楊の号令で、彼の部隊の装甲車が4、5輌、前列へ押し出してきた。橋上での激戦で、既にその数は半分近く減っている。出てきた車輌も、あちこちに生々しい弾痕が刻まれているうえに、ところどころ黒く焼け焦げ、まさに満身創痍といった趣だ。それでも今や、将軍奪還まであと一歩なのだ。ここは何とか踏ん張るしかない。

 その瞬間――


 バァァァァン――!!


 大音響とともに、つい先ほど出てきたばかりの装甲車が1輌、大爆発を起こして炎上した。

 爆発の破片が、周囲の兵たちを薙ぎ倒す。


対戦車擲弾RPG――ッ!」


 着弾してから誰かが悲鳴のように叫ぶ。

 クソッ――完全に不意を衝かれてしまった。しかし、前方の敵は先ほどから警戒して注視していたはずだ。いったいどこから――!?


石動いするぎ中尉! 後方より敵部隊接近中』


 後詰の位置にいたドロイドの佐倉ひまりから至急報が入った。後方だと!?


『敵兵力は――500……いや、1,000を数える』

「大校!」

「――ぐぬぬ……我々を追ってきたか!」

「やはり……これは敵の罠でした」


 森崎が冷静に応じた。今や本部施設を中心に、その地下出入口に群がる敵親衛隊、それを背後から襲撃する態勢を取る士郎たち合同軍、さらにそれを背後から追い詰める敵増援部隊――という、まるでバウムクーヘンのように何重にも折り重なった状況が現出していた。もちろんその同心円の中心にいるのは、神代未来とヂャン将軍だ。


「こうなったら、前方の敵と背後の敵を同時に相手するしかない!」

「しかしそれでは挟撃されているのと同じです――ここは退路を断たれる前に、いったん退却を進言します」


 森崎が戦術的には一番正しい助言をする。しかし――


「中尉……後方の敵は……我々にお任せ願えますかな」


 楊が静かに語る。


「しかし! それではあまりに戦力差が――」

「もちろん……勝てるとは思っておりません。しかし、いくらかの時間稼ぎにはなる……」

「……そんな……」

「中尉、この戦は、未来さんと将軍さえ救出できれば我々の勝ちです。たとえここにいる全員が討死しようとも、それさえ果たせれば我々は……本望です」

「……大校……」

「中尉、将軍は、お任せしましたぞ! ――さぁ貴様たち! 我に続けェーーー!!!」

「ウォォォォォーーー!!!」


 楊子墨ヤンズーモーは、士郎の制止を振り払って兵士たちに檄を飛ばす。兵たちもまた、それに呼応して地鳴りのような鬨の声を上げた。

 今や彼の兵士たちは200人強まで目減りしている。迫りくる敵はおよそ1,000人。とてもではないが太刀打ちできる数ではない。だが、兵たちはいずれも、清々しい顔であった。


「オメガちゃんたち! ご武運を!」

「びしぃーっと、やっつけちゃってくださいよ!」

「頼みましたよ!」


 兵士たちは、残る日本軍兵士たちに口々に最期の別れを告げると、後方の敵部隊へ向けて踵を返し、踏み出していった。

 全員、玉砕覚悟であった。士郎たちはそれを悟り、敬礼して彼らを見送る。


 散る桜 残る桜も 散る桜――


 かつてある禅の和尚が辞世の句に謳ったとされるこの言葉が、ふと士郎の脳裏に浮かぶ。

 どうせ人は遅かれ早かれ散りゆく運命なのだ。だったら、その時までに自分は何をなし得たのか、自分がこの世に咲いた意味は何だったのか――それさえ分かればそれでいい。

 そして楊の兵士たちは、今それを悟り、笑顔で死地へ赴いたのだ。


 やがて後方で、激しい戦闘音が響き始めた。


「久遠――」

「あぁ、分かっている」


 久遠はそう言うと、無線機のマイクを士郎に差し出した。


「総員、傾聴! 現在我々は、目標の神代未来およびヂャン秀英シゥイン将軍の現在位置まで、あと一歩のところに迫っている。後方では、楊大校の部隊が我々の盾になり、敵増援の攻撃を玉砕覚悟で食い止めている状況だ。

 このうえは、前方の目標地点に決死隊を突入させ、何としても未来および将軍を奪還する! この作戦に失敗の二文字はない。

 皇国の興廃はこの一戦にあり! 各員一層奮励努力せよ――!」


 最後の一文は、日本軍兵士なら誰でもアドレナリンが噴き出す一言だった。今を遡ること180年余り前――20世紀の初めにロシアのバルチック艦隊を迎え撃つべく、東郷平八郎元帥が日本海で連合艦隊を指揮した際に掲げられたZ旗。その旗に込められた意味こそがこの一文であった。


「ウゥオッ!!!」


 戦闘団の兵士たちが、腹の底から響くような喚声を上げる。オメガ特殊作戦群兵士のみに許された、勝利の勝ちどきだった。

 間髪入れず、ドロイド兵の一人がその声帯モジュールを吹楽モードに切り替えた。森崎の粋な計らいだ。


 パッパラッパパッパラッパパッパパッパパッパラー!!!


 日本陸軍の、突撃ラッパの吹鳴が広い戦場に高らかに響き渡った。

 途端――

 第一戦闘団の兵士たちが隊伍を整え、一斉に立ち上がって猛然と突撃を開始した。オメガたちが、ドロイドたちが、田渕や香坂など生身の陸兵たちが、それぞれの持てる最大戦速で前方の敵部隊へ突っ込んでいく。その先頭に高々と翻っていたのは旭日旗――日本軍の戦旗――だ。


 いったい誰が、こんな旧時代の突撃を予想しただろうか。


 現代戦の常識では、陸戦は戦闘指揮システムによって兵士一人一人の配置や進行方向、使用する武器、発砲のタイミングまで、すべてが完全管理下に置かれた状態で進行する。戦況は刻々と前線本部の戦術盤に映し出され、戦術指揮官が必要に応じて個々の兵士に具体的な戦闘行動を指示する。「前方〇〇メートル、方位〇―〇―〇、〇〇を〇秒間連射――」といった具合だ。もちろんそれが一番効率的であり、敵を撃破するために最も近道だからだ。だから前線の兵士はあくまで「駒」のひとつに過ぎず、すべては実弾を使った人間将棋のように進行する。

 だが一方で、そういった攻撃はパターンを読まれやすい。敵も同じように戦闘指揮システムを使っているから、いってしまえば、現代の陸戦は人工知能の手助けを借りた指揮官同士の戦いにしか過ぎないのだ。過去の戦闘履歴は当然双方システムにインプットしているから、ここでこうくれば、次は何を繰り出してくるか、といった予測が立てられやすい。つまりは戦闘直前の彼我の位置や戦力などのデフォルト値によって、大抵は戦闘前に既に勝敗は予測されてしまうのだ。


 だから今回、士郎は敢えてこの戦闘指揮システムを使わなかったのだ。

 どうせ、上位の機動統制システムMCS――本来は戦術指揮官の新見中尉が取り扱うものだ――は飛竜の撃墜時点で喪失していたから、敵を上回る戦術指揮など望むべくもなかったし、どう見てもこちらの戦力の方が劣っているのだ。人工知能に頼った戦闘を幾ら繰り広げても勝利はおぼつかない。


 だったら、せっかく個々の兵士の能力が高いオメガ特殊作戦群だ。彼ら一人一人の咄嗟の判断で目の前の敵を打ち倒しながら、陣取りをやった方が面白いではないか。もともと20世紀後半までは、どこの軍隊もそういう戦い方をしていたのだ。


 そして、その思いがけない戦法は、早速目の前の敵親衛隊の動揺を誘った。


 なにせ地下留置場入口に立ち塞がる叛乱兵を鎮圧すべく、比較的余裕のある戦闘を繰り広げていたら、突如として背後からラッパの音が響き渡り、地鳴りのような鬨の声とともに敵兵が一気に突入してきたのだ。

親衛隊は、完全に虚を突かれるかたちになった。

 最初、背後が幾分騒がしいなと思っていたら、すぐに増援部隊から「後ろは任せておけ」という連絡が入った。幾分気になったのでしばらくそちらも警戒はしていたものの、味方増援が敵を数倍する規模でこれを包囲したことで、完全に油断したのである。これだけ戦力差があれば、敵はとっとと逃げ出すか、味方増援が磨り潰してくれるだろう。

 ところが、振り向いたら目の前に日本軍の旭日旗が翻り、鋭い銃剣が突き出されていたのだ――!


 親衛隊は、一瞬にしてパニックに陥った。


  ***


 突撃ラッパは、他にもいくつかの効果を発揮した。

 まずはヤンの部隊の兵士たちだ。絶望的な消耗戦を強いられていたところに、後方から高らかに日本軍の突撃ラッパが鳴り響いたのだ。その勇ましい響きは、彼らの背中を文字通り強く押してくれたのだ。


 そうだ――俺たちは、将軍救出の任を追った日本軍の盾になっているのだ!

 ここで踏ん張ることが、ヂャン将軍を助けることに直結しているのだ!


「それにしても……」ある古参兵が呟いた。


「日本軍のあの突撃ラッパは、いつ聞いてもアドレナリンが噴き出すよな」


 古参兵は、今までの戦場で何度かあのラッパを聞いたことがあったという。


「当時はな、ありゃあ『死の宣告』に聞こえたもんさ――なんせあのラッパの後は、必ず日本軍の銃剣突撃が来たからな。あの迫力にビビらない奴はいねぇよ」


 今はその突撃ラッパが頼もしく思えてしょうがない。


「さぁ! 踏ん張るぞ! 一人十殺だァ!」


 その途端、兵士の足許で迫撃砲弾が炸裂した。さっきまで、若い兵士を鼓舞していた古参兵が、跡形もなく吹き飛んだ。

 大乱戦は、始まったばかりだった――

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