第187話 存在の理由

 橋の北袂ほくべいに命からがら辿り着いたヤンの部隊の中国兵たち。その目に映ったのは、信じられない光景だった。


 速射砲に取り付いていた親衛隊の兵士たちの身体が、元のサイズの何倍にも異様に膨らんで、今まさに弾け飛ぶ瞬間だったのである。

 彼らは目の前で、その頭部や肩、腕、背中など、ありとあらゆる身体部位をボコボコと不規則に隆起させたかと思うと、まるで水風船が破裂するかのごとく次々に爆散して果てていった。その瞬間、周囲にはべっとりと血糊が飛び散り、それに混じって眼球やら歯の付いたままの顎やら、その他様々な臓物がバラバラに引き千切られた状態で貼り付いた。

 それはまるで、食肉工場の粉砕機の中身をひっくり返したような有様だった。周辺は酸鼻を極め、肉片と血飛沫でズルズルである。空気中に、血生臭い臭気が濃密に充満していく。


 そこにいたのは日本軍特務兵の一人、コードネーム〈起爆装置デトネーター〉、西野ゆずりはだった。

 もともと4人のオメガたちの中でも、ひときわガーリーな彼女は、先ほど中国軍兵士たちと初めて会った時も大変な人気を博していた。小柄な体格ながら、出るところは出て、引っ込むところは引っ込む。肩口をくすぐる程度に切り揃えられた黒髪のボブは、小柄な彼女にまさにぴったりの髪型であった。さらにその声は、まるで砂糖菓子のように甘く、聞く人の耳を心地よく癒してくれる。

 そんな彼女が今やその瞳を青白く煌々と輝かせ、頭から返り血をたっぷりと浴びて肉片滴る空間に佇んでいるのである。その表情は恍惚としていて、まるでこの殺戮を楽しんでいたかのような雰囲気を纏っていた。


 楪が、ふと辺りを見回す。物陰からこの惨状を見つめていた中国兵たちは思わず「ひっ」と声を上げた。物音に気付いた彼女が、血塗れの顔を兵士たちに向け、凄惨な笑みを浮かべながら視線をゆっくりと動かす。

 ひとりの若い兵士が、その光景に耐えかねてゲェゲェと胃の内容物を吐き出した。彼女はそんな彼を気だるそうに眺め、興味なさそうに視線を移す。


「ゆず、ご苦労!」


 ビクつく中国兵たちを後目しりめに、後からやってきた士郎が楪を見つけて軽く手を挙げた。その直後――


「あぁんっ――士郎きゅんっ! 怖かったぁ」


 楪が豹変――突然可愛らしい笑顔になって士郎に飛びついた。

「バカ――止めろ」「だってぇ……」「見られてるじゃないか」などと交わされる会話を、信じられないという面持ちで見つめ、お互いの顔を見合わせる中国兵たち。


「に、日本人の女は……」

「……こ、怖いな……」


 いっぽうそこから程近い別の場所でも、やはりオメガの美少女による親衛隊の制圧が、辿り着いた中国兵たちを困惑させていた。

 コードネーム〈記憶喪失アムネシア〉の異名を持つ水瀬川くるみである。

 彼女のDNA変異特性は、対象の神経細胞ニューロンに限定して体組織中のイオン構造を破壊し、活動電位の発生を抑制するものだ。これにより対象は、脳の神経伝達を阻害され、神経突起の間を行き交う伝達物質シナプスを喪失し、時間の経過とともに廃人化する。


 目の前で地面を芋虫のように這っているのは、くるみの異能攻撃を受けた親衛隊の橋梁守備隊作戦本部の面々である。

 既に全員、明らかに精神に異常をきたしていた。目の焦点は一切合っておらず、涎を垂れ流し、中には失禁している者もいる。完全に壊れた男たちは、先ほどから意味不明の言葉を突然叫んだかと思うと急に泣き出したり全裸になろうとしたりして、楊の部隊の歩兵たちはそのあまりの異常さに恐怖の色を隠せないでいた。


 くるみはその様を、青白く光る冷たい視線でジッと見つめている。

 自身の薄桃色をしたゆったりツインテールに指を絡めながら、彼女は廃人化した敵兵たちをまるでゴミでも見るかのように観察していた。


「くるみ――大丈夫だったか?」


 今度はこちらへやってきた士郎が、彼女を見つけてねぎらいの言葉をかける。するとやはり、途端に彼女もそれまでとは打って変わって柔和な顔つきになり、士郎にしなだれかかった。先ほどまでの冷たい表情は一瞬にしてどこかへ消え、紅潮した頬が嬉しそうに膨らんでいる。


「――士郎さん、お役に立てましたかっ?」

「あぁ、サンキューな、くるみ」


 すると、今度は別の声が聞こえてきた。


「ちゅ、中尉……私も……頑張ったのです」


 ふと見ると、いつの間にか亜紀乃も傍に佇んでいた。まるで人形ドールのような端正な顔立ちをした碧眼の幼げな少女が、その白い頬をピンク色に染め、士郎の袖をちょんとつまんでいる。


「おぉ、キノもありがとうな」


 そう言って頭をポンポンと撫でる士郎。「えへへ」とはにかみながら、亜紀乃も士郎に寄り添った。


 中国兵たちはそんな彼女たちの様子を見て、心底思ったものだ。彼女たちと戦わなくて良かった……と。

 とりあえず、虫ケラのように無残に殺されるのは勘弁願いたかった。しかしそうなると――


 あの未来みくちゃんも、本当はこんな感じなんだろうか……


 そこへ、楊大校が一足遅れてやってきた。


「――凄まじいですな……」


 楊は驚愕していた。数々の激戦を潜り抜けてきた古参兵ですら、この戦場の有様には息を呑むであろう。現に、我が軍の兵たちはこの光景を見て何人も嘔吐しているし、辛うじて押し留まった者たちの多くも、青い顔をして完全にたじろいでいる。

 だが、この少女たちはどうだ――これだけの殺戮をやってのけたにも関わらずその顔色ひとつ変えず、まるで何事もなかったかのように笑顔で言葉を交わしているではないか。


「もしよければ……差し支えない範囲で教えてくださいませんか? オメガのこと……」

「え……」


 突然の楊の申し出に、士郎は戸惑った。オメガは日本軍の機密事項だ。確かに、初めて彼女たちの殺戮を見た人々は困惑するだろう。恐怖すら覚えるかもしれない。だからこそ先に断っておいたのだ――彼女たちは尋常じゃありませんよ、驚かないでくださいね……と。


「いえ、もちろん彼女たちが貴国の最高軍機であることは重々承知しております。ただ、小官のまな弟子も……貴国の特務兵にやたら肩入れしておりましてな……そのわけがどうしても知りたいのです」

「……ヂャン将軍と……未来みくのこと、ですか?」


 その通りだ、と言わんばかりに楊は微笑んだ。それはまるで、息子のことを心配する父親のようでもあった。

 なるほど……確かに、自分が息子のように可愛がっている将軍が、こんなバケモノのような外国兵の一人にご執心ともなれば、心配にもなるだろう。純粋な親心の延長――ということにしておこう。


「わかりました。そうですね……彼女たち――オメガは、確かに殺戮マシーンです」


 士郎は、少なくとも彼女たちオメガのことを変に誤解されないよう、慎重に言葉を選びながら説明を始める。

 彼女たちの攻撃方法が、自らのDNA変異特性に基づくものであること。そのため、どうしても対象の身体を細胞単位で破壊する形になり、悲惨な結果を招くものであることをまず説明した。


「――その自分の力を……彼女たちは自分自身どう受け止めているのでしょうな」


 楊の疑問はもっともだった。たとえば、普通の人間は人を殺せない。それはもちろん、現代社会において「殺人」はタブーだ、ということに他ならないのだが、では兵士はなぜ人を殺せるかというと、ありていに言ってしまえば、殺さないと殺されるからだ。

 “人を殺す”という「嫌悪感・罪悪感」よりも、自らの「生存本能」が上回っている、それだけだ。別に、兵士だって殺したくて殺しているわけではないのだ。

 その昔「なぜ人を殺してはいけないのか」ということを、いかにも哲学的な命題かのように議論する風潮があったらしいが、士郎に言わせればそんなことは人間の本能の問題で、議論する価値もない与太話だ。

 どんな生物だって、普通は同族を殺さない。それは「生物種」としての本能だ。生きとし生けるものは、すべからく自らの種を後世に伝えることを「生きるための最大の理由」としている。だから、他種族間での生存競争はあっても、同族間での殺し合いはほとんど発生しないのだ。もしそれをやってしまうと、自分たちの種が滅びてしまう。

 現生人類ホモ・サピエンスは、長い歴史の中で他の24種類の種族に打ち勝って生き残った唯一の現存する人間種だ。だが、その過程で高い知性と適応能力を身に着けたがために、今や他の地球上のどんな生物種よりも秀でてしまったのだ。

 もともと自然界のヒエラルキーの低い位置にいた時に「殺される以上に産む」という生存戦略を種として選択したがために、天敵がいなくなってからも長い間「たくさん産む」という遺伝子設計を人類は変えられなかった。だから地球環境のキャパシティを超えて、人類という種は増え過ぎたのだ。


「彼女たちが自覚しているかどうかはともかく――小官は、オメガというのは“増え過ぎた人類の数を減らすために、人類自らが生み出した処理装置”だと思っています」

「――ほぅ」

「だからあのように殺し尽くすのです。それは……彼女たちにとってはごく自然なことです。我々人間が呼吸をするのと同じように、彼女たちは人を殺す――それは、ごく当たり前のことなのです」

「当たり前のことだから……罪悪感を覚えることもない……と」

「――そうです」


 士郎はここで、彼女たちに二つの心理状態が存在することを初めて楊に説明した。すなわち「敵対アグレッサーモード」と「平常アライドモード」である。

 24時間365日、四六時中敵対アグレッサーモードであれば、それは単なる無差別殺人鬼だ。だが、オメガたちは、自分の周囲が戦場――すなわち殺戮空間――になって初めて、敵対アグレッサーモードに陥る。

 それは、争う人類をまさに「喧嘩両成敗」の如く根こそぎ始末してしまうものだ。誰もいなくなれば、争いそのものが消えてしまう。


「確かにそれは、戦争をなくす究極の解決法だ……」

「彼女たちが殺戮を繰り返している時の表情をご覧になりましたか?」

「あぁ……まるで――鬼のようだった。殺すことに、一切のためらいを見せておらんかった」

「――それどころか……むしろ嬉しそうではありませんでしたか? 笑いながら殺しているかのような……」

「そう……ですな。非難に当たると思われてはいけないと思い、感想を控えておりましたが、正直、背筋が寒くなりました」

「そうでしょう……小官も最初のうちはそんな彼女たちの態度に大きな違和感を覚えたものです」


 士郎は、彼女たちに大陸で助け出されたあと、初めて臨んだ戦闘実験のことを思い出していた。彼女たちは、兵士であろうが非戦闘員であろうが、子供であろうが女性であろうが、本当に容赦なく、嬉々として殺戮を繰り返しているようにしか見えなかったのだ。それが、士郎の中の「正義」と何度となく衝突したことも――


「……もうこの際だから楊大校にだけはお話しておきましょう。実は彼女たちは敵対アグレッサーモードに陥った際、敵味方の区別すらつかなくなるのです」

「――まさか……!」

「えぇ、ですから戦闘前に投与したあの敵味方識別ナノマシーンというのは、実は彼女たちが戦闘状況下において味方兵士を攻撃しないためのワクチンだったのです」

「では、あれを投与されていなかったら……!?」

「はい、間違いなく、オメガたちは皆さんにも襲い掛かって殺戮の限りを尽くしていたと思います」

「つまり……あの時点で貴官は我々を完全に信用してくださっていた、ということですな……」

「まぁ……そういうことです」


 楊は、この若き日本軍指揮官の口から語られるさまざまな事実にまさに圧倒されていた。

 それは、あまりにも想像を絶することだらけだった。恐らく彼は、軍機に触れることまで語ってくれている。そして、楊の部隊の兵士たちにワクチンを打ってくれたという行為がすべてを物語っていた。

 この男の話は、すべて真実だ――


「……オメガの皆さんは……我々人類を罰する存在なのかもしれませんな……」


 楊がポツリと口にした。


「おっしゃる通りです――彼女たちが今、この時代に存在している理由は、他に見つかりません」


 士郎が応える。楊が呻くように言葉を絞り出した。


「人類は、滅びの道にあると思いますか……?」

「いや、むしろ再生のために必ず通らなければならない過程ではないかと思いますがね、私は」


 突然割って入ったのは案の定、叶少佐だった。

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