第170話 未来カレー

 『ア号作戦』における第二、第三戦闘団の役割はあくまで「陽動」であった。陽動とはすなわち敵の注意を引き付けること。


華龍ファロンが支配する中国大陸東北三省において、日本軍がついに力の均衡を破って攻勢に出た。その攻撃目標は、黒竜江省最北端、中ロ国境の街・黒河市――

 省都であるハルビンは華龍の本拠地で備えも万全であるため、ここには近寄れない。したがって、同じ省の端っこにある辺境の地を掠め取って揺さぶりをかけることにした――】


 これが、日本軍の描いた偽のストーリーである。そして、この偽の筋書きを華龍に信じ込ませることこそが、本作戦の成否を握る最も重要なポイントであった。要は、本来の攻撃目標である「ハルビン」に注意を向けさせないこと。


 だから、とにかく黒河市進攻作戦に求められたのは「食いつきの良さ」と「派手さ」であった。


 前者は、上陸部隊が、と華龍側に思い込ませることだ。突如として攻撃してきた日本軍が、実は大したことないと思わせれば、功を焦った華龍の各部隊は必ず食いついてくる。

 黒河市内各地に華龍の各部隊が分散している、という情報は、ラビヤというまたとない現地協力員を確保した第605偵察分隊によって刻々と上陸部隊作戦指揮所SOCに伝えられていた。このままでいけば、今回の作戦は必ず「市街戦」という局面に陥る。ところがこの「市街戦」というのが、街全体をそっくり破壊でもしない限り、部隊にとってとてつもなく消耗する戦い方なのだ。第二次大戦中のヨーロッパ戦線の例を持ち出すまでもなく、市街戦とは終わりのない殺戮が繰り返される「生き地獄」なのだ。

 だからこそ、上陸部隊はわざと川岸で釘付けになって、進退窮まる状況を演出したのだ。

 案の定、多くの華龍部隊が市内中から黒竜江沿岸におびき出され、「日本軍上陸部隊を殲滅したのは自分たちだ」という名誉を得るべく次々と戦闘に参戦した。

 おかげで、黒河市内のあちこちにいた華龍部隊は、軒並み川土手沿いに炙り出されることとなった。


 そして後者である。とにかくここで大きな戦闘が繰り広げられている、という印象を持たせるため、日本軍は計算しつくされた戦術を起用した。

 曰く、宇宙駆逐艦による大気圏外からのアウトレンジ艦砲射撃。

 曰く、そこから直接大気圏突入降下を行ったドロイド部隊の空挺作戦――

 この空挺降下は、炙り出した華龍各部隊を背後から殲滅するといういわば「後始末」の役割も担っていた。でなければ、囮となった上陸部隊が磨り潰されてしまう。

 でも、なんといってもド派手なニュースだったのは、日本軍上陸部隊が、自軍の戦旗である「旭日旗」とともに、東トルキスタン国旗である「キョック・バイラック」を押し立てて進撃したという話題だ。

 この極めて煽情的センセーショナルなニュースは、ほとんどタイムラグなく世界中を駆け巡った。何せ華龍は、自分たちの軍事パレードを世界中に宣伝させるべく、黒竜江対岸のロシア・ブラゴベシチェンスク市に多数のジャーナリストを招待していたからだ。

 彼らはまさに特等席で、突如として始まった日本軍の上陸作戦を目撃することとなった。しかも、ロシア側から映された中継映像――敵前上陸作戦をリアルタイムで現場から中継するというのは、世界初の出来事だ――は、まさに日本軍の側に立っての映像となった。このことは、大多数の視聴者が無意識に「日本軍の視点」に立つという心理的効果を発揮した。

 そして、戦場に数多ひるがえる「キョック・バイラック」は、抑圧された少数民族の解放を目指す正義の戦い、という分かりやすい図式を世界中に印象付けた。このことは、アジア各国に難民として散らばる多くのウイグル人たちを勇気づけただけでなく、そのほかの圧政にあえぐ世界中の多くの人々を刺激した。

 結果、世界中の耳目は今や、黒河市に集中していた。日本軍は『ア号作戦』の必須要件を、想定以上のレベルでクリアしてみせたのである。

 残すは、『ア号作戦』の本当の戦略目的――士郎たちのハルビン急襲による「神代未来みく奪還作戦」であった。


  ***


「未来ちゃん、今日はもしかして賄給当番かい?」

「そうですよ――といっても、大したものは作れませんけど」

「ウォォォォ!! 未来ちゃんの手作り飯だ!!」


 ハルビンの本部拠点に留守番となった僅かばかりの華龍守備隊将兵たちは、今や北京から乗り込んできた公安部親衛隊にアゴでこき使われる不遇の日々だ。

 どれくらい不遇かと言うと、例えば機械化歩兵小隊は自分たちのパワードスーツに騎乗することを一切許されず、毎日毎日基地の敷地内で塹壕を掘る毎日だ。また、もともと基地全体の警備を担っていたライフル小隊は、今や清掃下請け会社なみに本部施設の清掃ばかり行っている。もちろんトイレ掃除もだ。

 なぜこんなことになっているかというと、それはひとえに「ヂャン将軍の息のかかった兵士たちに冷や飯を食わせる」ためである。これによって彼らの士気を徹底的に貶め、失脚した将軍の影響力を基地内から完全に削ぐのだ。その首謀者が“裏切り者”李軍であることは言うまでもない。


 だが、李軍リージュンのそうしたタチの悪いパワハラは、残念ながら兵士たちには通用していなかった。その最大の要因が、逃げ込んできた二人の女性――神代未来とヂャン詩雨シーユーの存在だ。


 未来は日本軍の兵士だが、初めてこの基地に連れてこられた当初からなぜだか兵士たちに人気があった。もちろんきっかけは、その類まれな美貌なのだが、それにも増して兵士たちの心を掴んだ理由は、彼女のその誠実な人柄であった。

 未来は相手が一兵卒でも決して侮らないし、誰に対しても分け隔てなく親切だ。そして彼女の本来の性格に起因する「奥ゆかしさ」――まぁ日本風に言えばただの「軽度コミュ障」なのだが――これが兵士たちの心を鷲掴みにしたのだ。ありていに言えば「俺が未来ちゃんを守ってやらねば」というタイプなのである。

 そんな未来が、ある晩突然兵舎に忍び込んできて「助けてくれ」と彼らを頼ってきたらどうなるか。誰もが未来の「騎士ナイト」になりたくて、彼女が提案した「兵士に偽装してみんなの中に紛れ込む」という作戦を、見事に完遂して現在に至る。


 さて、その時未来が一緒に連れていたのがヂャン詩雨シーユー――失脚したヂャン秀英シゥイン将軍の妹さんだ。

 詩雨は詩雨で、未来よりはぐっとオトナな感じの美しい女性だった。何より同じ中国人だ。彼女の立ち居振る舞いは、いかにも中国人女性の典型で、言いたいことはハッキリと言う。何か話す時も、日本人の基準で言えば「怒っているんじゃないか」というくらいの勢いでしゃべり倒す。その表情も、どちらかというと「何を考えているのか分からない」未来と違って、笑う時はガハハハと遠慮なく笑うし、怒る時は分かりやすいほど怒る。何かおねだりする時は、芝居がかった甘え具合だ。つまり、実に分かりやすい。

 そんなところが未来とはまったく異なるベクトルで兵士たちに好意的に受け止められ、彼女もまた、すんなりとこの状況に馴染んでいた。


「なに!? 私の時はそういうリアクションなかったんだけど!」


 詩雨が鋭い視線で兵士たちを睨みつける。


「い、いやいや! 詩雨さんの餃子チャオズもめっちゃ旨かったし!」


 詰め寄られた兵士の一人が慌てて言い訳をする。北京で生まれ育った詩雨にとって、餃子――この場合、水餃子のことなのだが――は得意料理のひとつである。


「ホントかよ!? なんだか取ってつけたような言い方だね!?」

「ほ、ホントホント!!」

「ふーん……ま、いいけどね」


 詩雨は少しだけ不満そうだ。そんな遣り取りを微笑ましく聞いていた未来は、食糧庫の食材を眺めながら今夜の夕食を提案する。


「ねぇ、みんなはカレーとか大丈夫!?」

「カレー!」

「もしかして、日本風!?」

「う、うん……私、日本風のカレーしか知らないし」


 今や日本風カレーは世界中で大人気である。誰もが知っていると思うが、本場インドのカレーと日本のカレーはまったく別物だ。もともと海軍食ということもあって、日本の兵隊でカレーを作れない者は存在しない。というわけで、未来はオメガ小隊でも散々カレーを作ってきたから、少しだけ自信があった。


「やったぜ! 俺、日本風カレー食ったことない!」

「ヤバい、楽しみすぎて、午後の掃除当番が手につかないかも!?」


 兵士たちは一気にテンションが上がる。こんな調子だから、李軍の嫌がらせなどどこ吹く風なのだ。


 それから数時間後――

 華龍本部基地の一角、本来の兵舎からさらに端っこに追いやられたライフル小隊のオンボロ兵舎には、食欲を極限までそそるかぐわしい匂いが充満していた。近くを通りがかった親衛隊兵士の一団も、思わず唾を呑み込む。


「――いっただっきまーす!」


 兵士たちが、黄金色に輝く珠玉のひと掬いをその口に放り込もうとしたその時だった。


「全員! 整列ッ!!」


 突如として将校がズカズカと入ってくる。本来の隊長から差し替わった、馴染みのない親衛隊の将校だ。未来と詩雨は、思わず軍帽を目深に被り、将校の目線を避けるように俯いた。

 今まさにパクリとカレーを食べようとした兵士たちは、大きく開けたその口から、スプーンをそのまま引き抜いて、残念そうに皿に戻すとガタガタッと直立した。


「隊長どのにー、敬礼!」


 ザッと全員が敬礼し、将校は満足そうに答礼を返す。兵士たちに、一気に不満のオーラが漂った。食事時に、いったい何だって言うんだ!? しかも、待ちに待ったなんだぞ!?


「――緊急事態だ! 本日未明、日本軍が黒河市を襲撃した」

「なんだって――!?」


 突然の発表に、兵士たちがざわつく。隊長が続ける。


「これは、何の罪もない黒河市民を無差別に殺戮するという、史上稀に見る暴挙だ! 現在守備隊と黒河市派遣の我が華龍主力部隊は共同して日本軍と交戦状態に入っている」


 兵士たちの表情に動揺の色が走った。派遣された主力部隊は、もちろん彼らとも顔見知りだ。数日前まで、彼らはここで一緒に暮らしていたのだ。

 未来の思考も高速回転する。

 なぜ? なぜここハルビンではなく、400キロも離れた黒河市なのだ!?

 最初に考えたのは、日本軍が私の居場所を読み誤ったという可能性だ。未来は、自分を奪還するために、日本軍がいつか必ず動くだろうと確信していた。それは、士郎くんが別れ際に「必ず助け出す」と言ってくれたからだ。

 だから恐らく、今回の攻撃は私がらみに違いない。他に、日本軍がこんな時期にこんな大攻勢をかける理由がないからだ。だが、場所が違う……きっと、とてつもない情報収集活動を行って、私の居場所を突き止めたと考えたのだろう。だけど、残念ながらそれは偽情報だ……私はここだよ? 士郎くん――


「――そこで、この本部基地でも、たった今から厳戒態勢に入る。我々の役目は、ここ本部基地を徹底的に死守することだ。貴様らはその礎となる」

「……ど、どういう意味でしょうか……」


 一番兄貴分の兵士が、隊長に恐る恐る訊ねた。

 すると、この親衛隊中尉はニヤリと薄ら笑いを浮かべて兵士たちを睥睨する。


「なに、簡単なことだ。貴様らにはこれを……装着してもらう」


 そう言うと、隊長は何やらドーナツ状の機械を取り出した。ドーナツ状というか、犬の首輪みたいな形状だ。その『輪』の断面は一辺が2センチほどの方形で、それがちょうど円周を描いて首輪のようになっているのだ。


「――これは……」

「なに、首に装着する携帯型システムだ。これを身に付けることで、貴様たちの現在位置が即座に分かるし、これを通じてリアルタイムに戦況を貴様たちに送ることができる。最新の戦術情報システムだぞ!?」


 それを聞いた若い兵士が「おぉー」と感嘆の声を上げた。

 悪い気はしなかった。便所掃除や穴掘りやら、このところ雑用ばかり押し付けられていたが、やはり緊急事態ともなれば我々だって華龍の精鋭部隊のひとつなのだ。この隊長はいけ好かないが、俺たちはやっぱり華龍の一員なのだ――

 兵士たちがざわざわする。それを制するように、隊長が言い放った。


「というわけで、全員食事が終わったら、ただちにこれを装着せよ。ここに人数分、置いていくからな!」


 隊長は、そのままくるりと踵を返し、あっという間に兵舎を出て行った。あとに残された兵士たちに、微妙な空気が広がる。


「――未来ちゃん、その……なんて言っていいか……」


 兵士たちは、日本軍の兵士である未来に、何とも歯切れの悪い言葉を掛ける。何せ今この瞬間にも、自分たちの仲間が遠く離れた黒河市で日本軍と戦闘状態にあるのだ。気まずくないといえば嘘になる。


「あの……皆さん、か、カレー……冷めちゃいますよ? どうぞ……召し上がれ」


 未来は、無理やり笑顔を作ってみせた。


「そ――そうだな……ま、まずは腹ごしらえだ……」

「あぁ――食べよう食べよう!」

「うん、いただきますっ!」


 兵士たちがようやく呪縛から放たれたかのように食事を再開しはじめた。あちこちで「うめぇ」と声が上がる。

 すると、詩雨がちょいちょいと未来の肩をつついた。


「ねぇ未来……さっきのアレ、どう思う?」

「あれって……あの首輪みたいな機械?」

「そう。アレはちょっと嫌な予感がする……」

「……うん……私も……なんかそんな気がする……みんな、着けるのかな?」

「まぁね――逆に、着けなきゃ変に思われるでしょ」

「そうだよね……」


 詩雨の言うとおりだった。確かに未来も、さっきの機械には何か胡散臭いものを感じるのだ。ふと顔を上げると、兵士たちが顔を紅潮させて、未来カレーを頬張っている。突然「おかわり!」という声が聞こえると、あっちでもこっちでも「おかわりッ!」という声が巻き起こった。


「はいはい――たっぷりありますからねー! みんな順番ですよー!」


 未来は微笑みながら、いそいそと兵士たちの皿を受け取りに行った。

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