第171話 地獄門
薄暮の大気を音もなく突き進む一群の真っ黒な機影があった。
その影は、4機で形作る
空は次第に紫がかった深い黒色に変わりつつあり、夕闇に包まれていく大地との境目は徐々に曖昧模糊としていく。編隊は先ほどからずっとステルス飛行を行っており、電磁推進のヒーーーンという静かな鳴動音だけが遠慮がちに空間を漂っていた。
これだけの密集編隊を維持しながらも、各機は翼端灯すら点けていなかった。その点だけを取っても、この部隊の操縦技術が神業レベルであることが窺い知れる。おかげで、そこに18機もの大編隊が飛行していることなど、殆ど誰にも気づかれてはいないだろう。
先頭のエレメントリーダーを務めるのは、実験小隊の時代からオメガたちが愛用している
「C2より各機――まもなく戦域に侵入。エシュロンへ移行――」
間髪入れず、各機から「命令受領」の信号が入電する。
それと同時に、編隊は一斉に右斜め後方に向かって一列に並ぶ
その時、進行方向の一角から突如として一筋の光芒が夜空に放たれた。探照灯だ――
漆黒の闇夜に溶け込もうとしていた編隊は、突然の明かりに直ちに反応して、編隊ごと急降下を試みる。数機の降下艇がライトを避けきれず、一瞬だけその横腹をキラキラと反射させたが、編隊はそれに怯む様子もなく、そのままエシュロンを維持しながら果敢に前進を続けた。
幸い、敵も気づかなかったようだ。
「C2より各機。あと3分でハルビン市街地到達――降下よーーーい」
各機の貨物室には、一機当たり10から30名の完全装備の兵士たちが吊り下げられていた。操縦室後部の隔壁から尾翼部分手前まで、まるで魚の背骨のように梁が渡されていて、そこからさらに懸垂索で吊り下げられた兵士たちの脚が揺れる。
貨物室の壁の赤色灯がパッと点灯した。それと同時に、彼らの足許の床が突然左右に開き始める。その途端、傲然と外気が貨物室に流れ込み、兵士たちのフェイスゴーグルが寒暖差で一瞬だけ曇る。と同時に、その鏡面のようなゴーグルの表面を、赤い光点が不規則に揺れ動いた。センサーが外気を感知し、周囲の状況を索敵する規定の動作だ。
一番機には、士郎をはじめ4名のオメガ少女とドロイド兵一個小隊が搭乗していた。
今朝未明から始まった黒河市での進攻作戦は、すべてここハルビンから敵の目を逸らすための陽動作戦だ。敵は想定通り、主力部隊をすべて黒河市防衛戦に貼り付け、本部拠点のあるここハルビンに引き返す部隊はいないという。
士郎たちはその間隙を縫って、拉致された神代
当初、この作戦を成功させるためには「隠密行動」が必須という判断であった。「日本軍がハルビンを直接狙っている」ということを決して敵に気取られる訳にはいかない。
このため士郎たちは、軍事常識的にはあり得ないアプローチを試みた。半島北端にほど近い
第一に、作戦開始の日時を相当繰り上げたこと。これは、士郎たち先遣上陸部隊の行動が露見した恐れがあったためだ。時間が経てば経つほど、敵に迎撃のための準備時間を与えてしまう。
第二に、そのために機甲部隊との合流を諦めたことだ。当初士郎たち先遣隊が随時敵情視察しながら構築した安全ルートを追いかける形で合流する予定だった機甲部隊は、士郎たちが彼らを待たずに中国へ入境し、先を急いだために「置いてけぼり」を喰らう羽目になった。もちろん今でも必死で追いかけて来てはいるが、作戦開始には間に合いそうにない。これはつまり、士郎たちは多脚戦車や榴弾砲などの重火器を持たない状態でハルビンに突入することを意味していた。
だがそれでも、敵に時間を与えるよりはいいという判断に達したのだ。留守部隊しかいない敵の守備は薄く、機甲部隊の欠けた穴は大気圏外から直接降下するドロイド兵たちの兵力で補う。
だがこれは、ある種の「賭け」でもあった。もしも敵が想定以上の迎撃態勢を整えていたら、どんな状況に陥るか分からない。
そして――
士郎たち強襲部隊は、その「賭け」に敗れたことを悟った。
***
「黒煙が……黒煙が多数確認できます!」
操縦士が報告する。
新見はチッと舌打ちした。これから降下するハルビン市街地のあちこちで、恐らく古タイヤを山積みにして燃やしているであろう黒煙が多数上がっているということは、敵が「航空侵入を警戒している」ということに他ならない。
事実この黒煙によって、空挺部隊はアプローチラインの変更を余儀なくされていた。『飛竜』の両側面からファンネル状の無人偵察機が一斉に放たれる。併せて20ほどの偵察ポッドが進行方向に向かって扇状に散開し、直ちに上空から降下に適した
するとすかさず、それらに向かって今度は地上から無数の飛翔体が噴水のように上空にぶちまけられた。
ドローン・キラー――
もはや敵は完全にこちらを迎撃する態勢を整えている。予想はしていたが、奇襲攻撃はこの時点で完全放棄せざるを得ない。
「侵入予定ルートに多数の障害物あり――予定降下地点を放棄」
新見の機内アナウンスが全降下隊員に伝達される。当初は敵本部拠点直上までアプローチして一気に懸垂降下し、そのまま建物を制圧する予定であったが、この分だとそこまで辿り着けそうにない。
すると、突然操縦席からけたたましい警報音が鳴り響いた。
「
「デコイ発射――!」
操縦士が叫ぶ。『飛竜』の翼の付け根付近から、大量の
機体のすぐそばを敵ミサイルが掠め飛び、後方に残したチャフ雲に突っ込んで爆発した。激しい衝撃波が機体を揺らす。
士郎たちは、懸垂索から吊り下げられているだけの不安定な体勢で、しかも足許が剥き出しのまま翻弄されるしかない。歯を食いしばり、ただひたすら耐える。
「8番機に直撃弾――!」
その瞬間、カァーッと熱気が伝わってくる。と同時に轟音が聞こえ、激しい衝撃波がガタガタと機体を軋ませる。ふと下を覗くと、複数の光球が爆散して飛び散っていくさまが目に入る。
「クッ――!」
30名の隊員が一瞬にして命を落とした瞬間だった。
「――オメガリーダーよりC2へ! どこでもいい! 降ろしてくれッ!!」
だが、
ドガガガガッ――!!
士郎たちが吊り下げられている貨物室に、敵の高射砲弾の一連射が直撃した。激しい衝撃が全身を襲う。慌てて首を回すと、貨物室の後方に吊り下げられていたドロイド兵のうち、およそ半分ほどが直撃を喰らってバラバラになっていた。ほとんどの犠牲者が、胸から下あたりをもぎ取られ、人工脊椎だけがダラリと垂れ下がっている。頑丈な懸垂索が遮蔽物になって首から上だけは無事のようだったが、その表情は困惑していた。ドロイド兵は人工知能さえ無事なら死ぬわけではないが、胴体を失ったらもはや戦力にはならない。
「みんなッ! 大丈夫かッ!?」
士郎は、青くなってオメガたちに声を掛ける。彼女たちはドロイドと違って生身なのだ。すると、幸いなことに彼女たちは健在だった。
「し、士郎ッ! 私は無事だぞ!」
「私も大丈夫ですっ! 士郎さんは平気ですかっ!?」
「ゆずもへーきだよっ!! でもちょっとこれはヤバい!」
「わ、わたしも問題ないのですっ!」
すると、同乗しているドロイドの森崎からインカムが入る。
「
「なにッ!?」
「制御系に直接侵入して確認しました。懸垂索のリリースができなくなっています」
森崎が、自分のシステムから『飛竜』の制御システムに
問題は、こんな状況の中で自分たちがぶら下げられたまま機体から切り離せなくなっていることだ。恐らく衝撃を喰らったせいだ。
「大尉! そちらからリリースできませんかッ!?」
「――今やっています! 少々お待ちを!」
今やこの編隊は、敵の激しい対空砲火を浴びて崩壊直前だ。奇襲攻撃どころか、このままだと強襲降下すらできなくなってしまう。しかも、あまりに被害が甚大だと、このまま上空でUターンして戦域を離脱するという判断だって出てくる。
そうこうしている間にも、再び大爆発音が上空に響き渡る。また僚機が撃墜されたのか――!?
作戦失敗か!?
「中尉! リリースできますッ! 降下よーい!!」
森崎から入電した。士郎は、グッと腹に力を入れる。その瞬間――
バンッ――!
と蜘蛛の脚のような懸垂索が弾け飛んで、一瞬だけ無重力のような感覚に襲われる。数瞬後、今度は猛烈な速度で真っ直ぐ下方向に引っ張られた。いや――自由落下を始めたのだ。
突然のことに一瞬失神しそうになるが、防爆スーツの下の人工神経伝達回路が、士郎の四肢――といっても片脚と片腕は機械なのだが――をビリビリと刺激して失神を防いだ。空中で身体がクルクルと回転する。一瞬視界の片隅に、『飛竜』がそのまま飛び去っていく様子が映った。ついでに、他の兵士たちも木の葉のように翻弄されながらボロボロと落ちてくる様子が目に入る。
すると、すぐ目の前をブィン――と猛烈な衝撃波を撒き散らしながらオレンジ色の火箭が通り抜けた。
銃撃されている――!
敵の対空砲火は、同じように他機からも必死で降下してくる兵士たちを狙い撃ちにしていた。この状態で空中で減速をかければ、餌食になるだけだ。
「第一小隊は制動せずそのままランディングせよッ! ――対地衝撃よーいッ!!」
要するに自由落下のまま着地せよ、と言っているのだ。パラシュートの時代であれば全員墜落死だが、今は全員、自動制御の
もっとも、生身の人間であればそれだって十分致命的な衝撃を受ける可能性がある。最悪、死なないまでも「全身骨折」という可能性もあった。だが、第一小隊には幸いなことに「普通の」人間は存在しない。十分勝算はあった。
瞬きをする間もなく、士郎は地面に叩きつけられた。
本当に逆噴射が作動し、エアバッグも開いたのか!? というほどの衝撃だった。激突の衝撃で、一瞬呼吸が止まり、目から火花が飛び散った。身体がバラバラに砕け散り、そのまま地面に散乱するのではないかというほどの衝撃――
――ッはぁァァっ!!
止まっていた呼吸が、ようやく再開した。
なんとか……無事のようだ……
軋む身体を無理やり動かして、士郎は辺りをキョロキョロと見回した。
すぐに、副官の久遠がよろよろと立ち上がる様子が目に入る。
「ばッ――伏せろッ――!!」
士郎は慌てて久遠に飛びつき、覆いかぶさって地面に伏せた。案の定、着地した自分たちを目掛けて、自動小銃が乱射されている。プンッ――という風切り音が耳の傍を何度も掠めた。
「すッ――すまん……」
下敷きになった久遠が、少しだけ視線を動かして士郎を見上げた。
彼女の無事を確認すると、士郎は少しだけ首を伸ばして周囲の状況を確認する。すると、辺りは惨憺たる状況を呈していた。
ざっと空中を見渡したところ、ほとんどの降下艇は既に上空を通過し、目視距離1キロ程度先でグーンと旋回を始めていた。だが、その数は10機程度しか見当たらない。ということは、半分近くの降下艇が撃墜されたということなのか!?
それを示すように、辺りにはタイヤを燃やしているのとは明らかに異なる濃い黒煙が幾筋も立ち昇っていた。
さらに、市街地の端に降下したと思われる現在位置からは、いくつかの建物が遮蔽物となって全体を見通すことはできないが、それでもぐるりと180度くらいのアングルで周りを見回すことが出来る。各所で、地面に倒れ込んだままピクリとも動かない隊員の姿が認められた。もぞもぞと動いているのは大半がドロイド兵だ。つまり、生身の兵士はかなりの数が墜落死したのだ。みな降下中の狙撃を恐れて自由落下で地面に激突したのだ。結局安全装置などクソの役にも立たなかったのだ。
それでも降下地点から果敢に移動して前進を始める兵士もぽつりぽつりと確認することが出来たのだが、そこには火箭が集中して、ほとんど身動きがとれなくなっているようだった。そのうち、一人、二人と容赦なく銃火に斃れていく。
その様は、まさしくダンテ・アリギエーリが著した叙事詩『神曲』地獄篇第3歌の一節に詠われた情景の通りであった。
『汝らこの門をくぐる者は一切の希望を棄てよ――』
士郎は、この場所こそがまさにその「地獄の門」だと悟ったのだ。
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