第169話 キョック・バイラック

 その噂は、瞬く間に黒河市民に広まった。

 日本軍が来た――!


 日の出とともにつるべ落としのように始まった雷鳴のような艦砲射撃。オメガ特殊作戦群に編入された元宇宙軍ミサイル駆逐艦『いかづち』が、大気圏外から打ち込む怒りの鉄槌だ。それは、まさに見上げた空そのものから地上へと垂直に放たれて、市内の主要エリア、中でも軍事区画一帯を中心に次々と突き刺さった。


 僅か一日前、華龍ファロンの大兵力が市内に入城してきて、多くの漢族が熱狂したあの凱旋パレードのような高揚した雰囲気は、一瞬にして砕け散った。市街地のあちこちで起きる大爆発。ビルの崩落。街は大混乱に陥り、どこもかしこも一気に戦場と化した。人々は逃げ惑い、市内の治安を維持していた武装警察は一瞬にして統制を失った。

 それでもなお、僅かな時間で態勢を立て直して防衛ラインを整えようと試みる動きがみられたのは、精鋭の華龍部隊が遠くハルビンからこの地に入っていたおかげか。これが、もともとの駐屯部隊だけしかいなければ、勝負は最初の艦砲射撃で決着がついていたはずだ。

 本部派遣の部隊が駐屯地に入り切れず、市内に分宿していたことも、初撃で壊滅をまぬかれた要因のひとつだ。多くは「学校」や「ホール」など、公共施設に仮の宿を定めていて、艦砲射撃の的にならずに済んだのである。


 そんな幸運な部隊のひとつ。市内の小学校に間借りしていた華龍機械化装甲連隊の高級幹部の一人、林天佑リンチンヨウ中校――「中校」というのは日本軍でいうところの「中佐」にあたる――は、校舎の屋上で空を見上げながら忌々しげに毒づいていた。


「なんたることだ! 姿を見せずに一方的に攻撃を仕掛けてくるとは、卑怯者めッ!」

「――中校閣下! リン中校閣下ッ!!」


 屋上の連絡扉をバンッ――と乱暴に開け放ち、参謀の一人が飛び出してきた。


「なんだッ!?」

「――ハァハァ……てっ、敵の正体が……わ、わかりましたッ!」


 実は今の今まで、華龍は自分たちが誰に攻撃されているのか、まったく分かっていなかったのである。大気圏外の監視網を持たない彼らは、宇宙空間から艦砲射撃を喰らっても、それが誰の仕業なのか、さっぱり分からないのだ。


「――に、日本軍ですッ!!」

「なにぃ!?」

「さッ――先ほど、黒竜江から大部隊が渡河上陸してきたそうですッ!!」

「デタラメを言うな!」


 リンは、この参謀が嘘を言っているのだと思った。中国とロシアの国境沿いに流れる黒竜江から上陸してくるためには、少なくとも対岸のロシアの同意がなければ不可能なはずなのだ。だが、ロシアが他国の軍隊を黙って通過させるなど、あるはずがない。ましてや日本軍など――

 では、いったいどこを経由してここまで辿り着いたというのだ!? まさか、河口のオホーツク海からずっと川を辿ってきたというのか――!?


「う……嘘ではありませんッ! 住民たちの間では、既に噂が飛び交っております!」

「住民の噂など――」

「いえ! 先ほど傍受した公安の無線にも、時折『日本軍』という単語が出ております」

「ぐぬぅぅぅ」


 リンは大きく唸ると、決意を固めるように参謀に言い放った。


「おいッ! 部隊を移動するぞ――市街地の手前で阻止線を張る!」

「は……はいッ!」


  ***


 同じ頃――

 黒竜江の川岸近くに住む多くのウイグル人たちは、目の前で繰り広げられる光景を、壁の隙間から食い入るように見つめていた。彼らの多くは貧しく、この川岸沿いはそんな貧民たちが住まうスラム街区のひとつとなっていたのだ。

 自分たちの眼前で、見慣れない外国軍の大部隊が次々と川岸に上がってくる。川土手にへばりつくように建っている自分たちの掘っ立て小屋バラックからだと、幅数キロに亘って繰り広げられるこの圧巻の光景がまるでパノラマのように見通すことができた。既に周囲は戦闘の轟音に覆い尽くされている。


「じいちゃん! あれはどこの軍隊なんだ?」


 少年が、部屋の片隅に座る年老いた男に呼び掛けた。老人は既にめしいており、外の様子をみる素振りはない。


「……旗は、戦旗は立っておらんか……?」

「旗なら立ってるぞ! 白と赤の、太陽みたいな旗だ!」

「おぉ――」


 老人はその言葉を聞いた途端、見えない目で外の様子を見るかのように頭を動かし、動かない身体を無理やり動かして窓際にへばりついた。


「――ついに来た……来てくれたか……」

「来たって……だから、どこの国が来てくれたんだよ!?」


 突然、ドォーンという大音響が響いて、粗末な家の天井からバラバラと埃が降ってくる。隣にいた壮年の男が、咄嗟に老人を抱え込む。


「――親父ッ! 窓に近寄っちゃ駄目だ! 危ないぞ!? おまえもだアブドゥル!」

「お父さんッ!!」


 アブドゥルの母親と思しき婦人も、心配そうに肩を抱く。


「ダイジョウブだ! あの軍隊は、絶対にワシらには銃を向けん!」

「――この小さな豆みたいな機械のことか?」


 アブドゥルの父親――カーディルが、指先でパチンコ玉のような球状の物体をつまみ上げた。昨日、急にお隣さんから回ってきたものだ。


「……そんな機械のことはよう分からん……だが、アブドゥル、あの旗はな、日本の軍隊だ――」

「――日本軍!?」

「あぁそうだ――日本はワシらウイグル人の味方じゃ……ついに……ついにこの街にも来てくれた!」


 その時、ひときわ激しい銃撃の連射音が響き渡り、刹那、大爆発の音が辺りに炸裂した。


「わぁぁぁッ!!」

「キャァっ!!」


 アブドゥルが父の言いつけを破って窓際にへばりついた。


「あぁッ! やられてるよッ!?」


 川岸では、駆け付けた華龍部隊からの激しい反撃を受けて、上陸部隊――日本軍――が釘付けになっていた。既に川岸から一段高い土手には無数の華龍兵が取り付いていて、日本軍を上から狙い撃ちにしている。

 上陸作戦を行うセオリーとして、攻撃側が常に守備側に数倍する戦力を準備するのは、いつだって攻撃側が不利だからだ。守りを固めた守備側は、常に高いところからビーチや川岸に向けて十字砲火を浴びせられる。戦闘とは、基本的に高い位置を取った方が有利なのだ。高低差があると、低い位置にいる部隊は遮蔽物がまったくなくて、常に敵の砲火に晒されてしまう。今だって、一斉にロケット弾が川岸に向けて飛んで行ったところだ。着弾地点には次々にオレンジと黒色の火球が炸裂し、そのたびに上陸部隊が吹き飛ばされている。

 この不利な状況をひっくり返すために、攻撃側は圧倒的な物量で攻め立てていく。戦闘の最初期に艦砲射撃を行うのも、守備隊の兵力をあらかじめ削ぎ落すためだし、地上だけでなく航空戦力を用いて三次元的な用兵を行うのも、あらかじめ高い位置を取っている守備隊をさらに高い位置から攻撃するためだ。

 ところが今回の日本軍の上陸作戦は、こうしたセオリーがまったく無視されているように見えるのだ。最初こそ、日本軍の大部隊だと思ったが、後続部隊は上がってきていない。つまり、これが今回の全戦力ということなのか!? 確かに、数千人はいるようだが、上陸作戦を行うにしては少し力不足のような気がする。それに、航空戦力も足りていないようだ。

 カーディルが呟いた。


「――もしかして、華龍の大部隊がこの街に来てることを、知らなかったんじゃないか!?」


 確かにその通りだった。普段の駐屯兵力だけであれば、この人数でも十分街を制圧できただろう。だが、今回はたまたま華龍の主力がこの街に来ていたのだ。

 案の定、川土手には、さっきよりも多数の華龍兵が続々と取り付いていた。今やその規模は下手すると上陸部隊と同程度、あるいはそれを上回るかもしれない。

 このままでは磨り潰される――


「――親父……残念ながら、今回はぬか喜びだったみたいだ……日本軍はそのうち撃退される……」


 だが、老人はニヤリと笑って我が息子の浅はかさを笑った。


「……お前、日本軍がわざわざ負け戦をしにこんなところまで来たと思うか!?」

「だって――」

「いいか、日本人というのは、本当に戦が上手い――ワシのじいちゃんもそう言ってたから間違いはない。まぁ見ておれ――」


 老人は確信していた。日本軍は必ず勝つ。

 既に光を失った自分の目には、外の情景は一切見えないが、先ほどから耳をつんざく砲声、そして響き渡る射撃音、幾重にも重なる爆発音。それらの音に、一切の迷いは感じられないのだ。

 老人には分かっていた。この上陸作戦自体、陽動なのだ。派手に旭日旗を掲げていること自体、その証拠だ。あんなもの振り回していれば、いい的になるだけじゃないか。彼らの行動には、必ず意味がある。戦上手の日本軍が、そんなこと分からないわけないじゃないか。

 元東トルキスタン抵抗軍の歴戦の勇士だった老人は、じっとその時を待った――


「じいちゃんッ! アレはなんだ!?」


 アブドゥルが川岸ではなく、空を見上げて叫んだ。

 つられてカーディルも上を見上げる。すると――


 夏の終わりの蒼穹に、米粒のような点がぶちまけられていた。その黒い粒は、みるみるうちに大きくなって、あっという間に空全体を覆い尽くす。


「――な、なんだあれは!?」


 カーディルが思わず声を漏らす。その無数の粒はどんどん地表に近付いて大きくなってくる。するとそれは「粒」ではなく「葉巻」あるいは「繭」のような形状をしていることが分かった。


「アブドゥル……何が見えるか、じいちゃんに教えてくれ」

「う、うん! えと……空からいっぱい何かが降ってきた――あッ! なんか下の方からバーって火を噴いて……そんでゆっくり……今! 地面に着陸した! いっぱいいる! ものすごい数だ――」

「……ほら見ろ、日本軍の援軍じゃろ!?」

「うん! 土手の華龍兵たちの後ろ側に……そうか! 挟み撃ちだ!!」


 アブドゥルの言う通りだった。川岸に取り付いた上陸部隊を攻撃するのに意識を奪われて、そちらの方ばかりに注意を向けていた華龍部隊は、すっかり自分たちの背後をおろそかにしていた。しかも彼らは、日本軍の攻撃が黒竜江からの一方向しかないと勝手に早とちりして、市内のほぼすべての兵力を土手に集結させていたのである。お陰で市街地の各所に分散していた華龍部隊は、今やすっかり黒竜江付近にあぶり出されていた。これで泥沼の市街戦は避けられた。つまり、この作戦は最初から上陸部隊を囮として、市街地全域に広がる華龍兵たちをすべて川土手までおびき寄せるものだったのである。

 そして、そこを空から急襲したのが日本軍ドロイド兵の空挺部隊だった。その数は万を下らないだろう。彼女たちは、大気圏外から直接〈再突入鞘リエントリーポッド〉に騎乗して、高高度降下してきたのだ。今頃『いかづち』の貨物室はすっかりがらんどうになっているはずだ。


 まさに空を埋め尽くす圧倒的な物量で華龍部隊の背後を突いたドロイド空挺部隊は、着地するなり猛然と土手の方へ突っ込んでいく。


「――じいちゃん! 華龍部隊が後ろから攻撃を受けてガタガタになってきた――形成逆転だ!」

「……さすがじゃの……」


 老兵士は、満足そうな笑みを浮かべながら天を仰ぐ。老人の脳裏には、戦場の光景がありありと浮かび上がっているのかもしれない。


「――親父、分かってたのか!?」


 カーディルがびっくりしたような顔で年老いた父を見つめた。


「なに――日本人が良く使う手じゃよ……彼らは死を恐れない。勝利のためなら、自分の身を鉄砲の的にしてでも戦をする連中じゃ――彼らこそ、本物の『戦闘民族』……お前たちも、日本人の戦いっぷりをよく見ておくんじゃ」


 その言葉に、カーディルとアブドゥルは武者震いをした。今、目の前で繰り広げられている激戦。川岸の日本軍は、まさに砲煙弾雨の中をかいくぐっていた。先ほどまでの集中砲火で、多くの兵が地面に倒れている。中には、腕や脚を吹き飛ばされた兵士たちも多数転がっていた。

 だが今や、土手からの攻撃は先ほどに比べると格段に弱まっていた。背後から急襲した日本軍の空挺部隊が、お返しとばかりに今度は土手の華龍兵たちに猛烈な攻撃を加えているからだ。

 すると、川岸で身動きが取れなくなっていた日本兵たちが、徐々に身体を起こして体勢を整え始めたではないか。そして――


「あッ! あれはッ――!!」


 アブドゥルが叫んだ。


「じいちゃんッ! 旗だ! また旗が出てきた!!」

「旭日旗じゃ! 日本軍の戦旗じゃよ……今度は本気の突撃を仕掛ける気じゃろう」

「そうなんだけど……もうひとつ、別の旗が立ってる!」


 アブドゥルのその言葉に、今度はカーディルが反応した。


「お――親父……あれはッ……キョック・バイラックだ――!」

「なんだと――!!」


 キョック・バイラック――

 ウイグル語で、意味は「青き旗」。

 抜けるような鮮やかな水色の地に、白抜きの三日月、それに寄り添うように描かれた五芒星――

 それは――「東トルキスタン共和国」の国旗だった。


 今や、川岸に展開している日本軍の戦列には、多数の旭日旗とキョック・バイラックが翻っていた。彼らはそれを押し立て、猛然と川土手に這い上がっていく。するとそれに気付いた華龍兵が、ようやく川岸の方を振り向いて、さらに激しい銃砲撃を加えていく。またロケット弾が日本兵の中で炸裂した。「青き旗」が吹き飛ぶが、別の兵士がすぐさま取り付いて、再び高く掲げられる。まさに血で血を洗う酸鼻を極めた地獄の光景が、辺り一面を覆い尽くす。だが――

 日本兵たちはそれをものともせず、倒れても倒れても果敢に土手に取り付こうと突撃を繰り返していた。


「おッ! 親父ッ!! 俺は――」


 カーディルが、すくっと立ち上がった。声が、震えていた。彼の感情は、もはや抑えきれなくなっていた。目の前で、日本軍が自分たちの国の旗を掲げて必死で戦ってくれているのだ。その意味するところは明白だった。


 ウイグルの戦士たちよ、立ち上がれ――!

 我と共に、進め――!!


 あの旗は、今まで掲げたり持っていたりするだけで逮捕され、強制収容所送り――捕まった者のほとんどは処刑されたと聞く。中国が支配するこの地で、あの「青き旗」を掲げるということは、民族の誇りを取り戻すということなのだ。


「――息子よ……行くがよい。今行かずして何がウイグル人か――」

「あなたッ!?」

「……スマン……だけど! 俺は……行かなくちゃ……」

「父ちゃん! オレも――」

「オマエは残ってろッ!」


 アブドゥルが一緒に行こうとしてあっけなく叱られる。だが、父ちゃんその気持ちは嬉しいぞ……


「アブドゥルは、引き続き爺に戦の様子を教えておくれ?」

「……わ、わかった……」

「あなた――!」

「分かってくれ! 俺は――」

「はいコレ」


 妻が夫に手渡したのは、古い猟銃だった。公安の目を盗み、一族がずっと隠し持っていたものだ。


「お前……」

「丸腰じゃ、何の役にも立たないでしょ!? 立派に戦って、腕がなくなっても、脚がなくなってもいいから、必ず生きて帰ってきて!」


 カーディルは、妻をひしっと抱き締めた。それから今度はアブドゥルに向き直って、同じようにぎゅっと抱き締めた。


「じゃあ……行ってくる――」


 そう言うと、ダッと脚を踏み出して玄関に飛びつき、そのまま飛び出していった。


  ***


 カーディルが飛び出していった頃、同じように多くのウイグル人の男たちが戦場に馳せ参じていた。皆、同じように考えていたのだ。その数は、数百人を優に超えていただろうか。黒河市全体で、二千とも三千ともいわれるウイグル人の人口から考えると、その数は「戦える男たちほぼすべて」と言っても差し支えないものであった。

 彼らは手に手に古い猟銃やライフル、そしてサーベルのような刀剣を持っていた。もちろんただの民間人だから、服装はバラバラだし、その多くは貧しい出で立ちだ。だが、彼らの表情は一様に晴れ晴れとしていて、誇りに満ちていた。

 日本軍は、期せずして戦場に現れた彼らに、自分たちの武器弾薬を配り始めた。まるでそうなることを予期していたかのようだった。

 さらに、それまで自分たちが掲げていたキョック・バイラックをウイグル人たちに手渡した。東トルキスタンの国旗は、彼らこそが持つにふさわしい――そう彼らに行動で告げたのだ。


 そして、一緒に戦列を組み、文字通り肩を並べて弾幕の中に突撃していったのである。

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