第167話 凌辱

 街中が熱狂していた。

 いや――正確に言うと、熱狂していたのは“漢族”だけだ。だが、この街の主役はあくまで漢族だ。その他の民族は所詮、虫けらほどの価値しかない。


 五星紅旗をはためかせながら「華龍ファロン」の歩兵師団が入城してきた時、沿道の市民たちは手に手に小旗を持って、大歓声で彼らを迎えていた。辺境の街に住む彼らにとって、華龍の存在はそのまま「大中国」の健在を示す確かな証だった。

 この時代、中央と地方の格差は想像以上に大きい。華龍の本拠地であるハルビンや、ましてや裏切り者の上海とガチンコで戦を繰り広げる首都・北京の威容に比べると、黒河市はあまりにもみすぼらしく、あまりにも立ち遅れていた。だから、そこで暮らす愛国的中国人は、ともすれば「自分たちは辺境で見捨てられているのではないか」と疑心暗鬼に襲われることもあったのだ。

 だがこうやって、我が街に華龍の主力部隊が集結するという一大イベントを目の当たりにすると、その兵士たちの凛々しさや部隊の力強さは、そのまま自分たちのプライドを大いにくすぐるのだ。何せ中国共産党率いる「中華人民共和国」は、かつて国連の常任理事国であり、米国に次ぐ世界第2位の経済大国であり、一帯一路構想で遠くヨーロッパまでのユーラシア大陸を席捲した、まさに世界の超大国だったのだ。

 その正統後継者を守護する大陸随一の軍事力が、我が街で一大パレードを挙行するという。それだけでなく、前後には大規模な実弾演習までしてみせるというのは、市民にとっては「この街は絶対に華龍が守り抜く」と宣言しているのと同義だったのだ。

 今や人々の愛国心は、天をも貫く勢いだった。いつの間にか、華龍部隊の行進には、建物の上から無数の紙吹雪が舞っていた。これはまさしく、凱旋パレードだ――


 その日の夜――

 繁華街は、かつてないほどの賑わいを見せていた。もちろん、華龍の兵士たちが大挙して押しかけてきたからだ。さして大きくない花街も、この日ばかりはどの店の外にも行列ができる勢いだ。

 だが一方で、裏通りの家々は固くその門を閉ざし、窓を塞いでひっそりと息を潜めていた。子供や女たちは誰一人姿を見せない。

 彼らには判っていたのだ。中国人兵士たちにとって、自分たち少数民族は単なる憂さ晴らしのおもちゃにしか過ぎない。街で不必要に接触すれば、何やかやと因縁をつけられ、深刻な事態に陥りかねないのだ。それどころか、もともとここに住んでいる中国人――特に公安の連中だ――は、華龍が来たことで普段よりも格段に気が大きくなっている。ただでさえ嫌な連中なのに、こんな時に出くわしたら最後、どんな酷い嫌がらせを受けるか分かったものじゃなかった。


 だが、そんな危険な夜に、薄暗い路地を足早に歩く人影があった。

 まだ顔立ちに幼さの残るウイグル人少女、ラビヤだ。昼間、公安に因縁をつけられて、ラビヤの父は袋叩きに遭っていたのだが、夜になって容体が急変し、吐血したのだ。見ると、腹部が異常に膨れ上がっていた。近所の同胞に慌てて相談したら、内臓が破裂しているかもしれないという。それで急いで救護院に向かっているところなのだ。あそこなら、ただで診てもらえるお医者さんもいるし、お金も全部取り上げられたから、せめて明日の仕入れ代金だけでも貸してくれるかもしれない。救護院のお医者さんに往診してもらったら、父さんにはゆっくり休んでもらって、明日は私一人で頑張ろう。家には、まだ幼い弟たちもいるのだ。こんなことで負けちゃいけないんだ……

 ラビヤは、ふと気が緩むと涙が溢れそうになってしまうのをグッと堪える。大丈夫……父さんは助かるし、明日はきっと商売繁盛だ――


 彼女が異変に気付いたのは、救護院の呼び鈴ブザーを押してからのことだった。

 いつもなら、一度か二度ブザーを押せば、すぐに女の人が返事をしてくれて、カチャリと玄関を開けてくれるのだ。だが、今夜に限って何度ブザーを押しても、誰も返事をしてくれない。こんな時に限って――!

 ラビヤはたまりかねて玄関扉をドンドンと叩いた。普段は「小さな子もいるから、夜はブザーだけにしてね」と言われていたから、決してそんなことはしなかったのだが……


 すると、ようやく扉の向こうに人の気配がして、ガチャリと扉が乱暴に開いた。よ、よかった――あの!


「――なんだ貴様!?」


 出てきたのは、見たこともない大男だった。え――!?


 最初あまりのことに、ラビヤは戸惑ってしまってよく見えなかったのだが、数秒経って、ようやく出てきた男の様子を観察することができるようになった。

 赤ら顔に……軍服――軍服!? え、なぜ――?

 いつもの女の人は……!?


「なんだ、ガキじゃねぇか――ったく、物乞いならお断りだ。とっとと帰れ鬱陶しい」


 そう言うと男は眠そうな目をこすりながら扉を閉めようとする。酒臭い匂いがツンと広がった。


「――あ! ちょ、ちょっと待ってください! あのッ! 父が大変なんです!」


 ラビヤは弾かれたように男に追い縋った。いつもの女の人じゃないけど、今はそれどころじゃない。


「あぁ!? そんなこと知らねーよ。他を当たってくれ」

「え!? いや、ちょっと待ってください……お願いします! 酷い怪我を負ってるみたいなんです!」


 ラビヤの必死の訴えに、男はようやく寝ぼけまなこを擦りながら思い当たったようだった。


「あー……お前さぁ、知らないかもしんねぇが、ここは今、華龍の偉いさんたちが寝泊まりする宿舎になってんだ。前はどんなとこだったか知らねぇが、お前の探してる連中はここにはいねぇから」

「――そ、そんな!?」

「そんな――って言われても知らねぇよ――」

「おい、どうした?」


 突然奥の方から別の男の声がした。最初の男を押しのけるようにして玄関先に出てくる。見ると、男の顔は真っ赤で、明らかに酔っぱらっているのが分かった。


「なんだオメェ!?」

「あ、あのッ! 父が怪我をしていて……お医者さんに診てもらいたくて……」


 ラビヤは、男たちの異様な雰囲気に気圧されながらも気丈に答える。ここで私がしっかりしなきゃ、父さんが……父さんが……!

 すると、後から出てきた男がラビヤをねめつけるように見つめてきた。


「ほぅ……お父ちゃんが……何なら俺が診てやろうか!?」

「ほ、ホントですか!? ぜひお願いしますッ! 今からでも……診てもらいたいんです」

「はぁ!? オマエ何言ってんだ?」


 最初の男がもう一人をたしなめるように見る。


「お前いつから衛生兵に――」

「ばぁーか、お前こそ何言ってんだ!? この子がお医者さんごっこしたいって言ってんだろ!?」

「え……? いえ、そうじゃなく――」

「あー! そういうことか! なんだぁ、この街のデリもなかなか面白いシチュエーション考えるんだな!」

「そうだろ!? ナース設定なんて、なかなかイケてるじゃねぇか! あー、何だかムラムラしてきた」


 ラビヤは、背筋に寒いものを感じて、思わず後ずさった。この男たちは、何か勘違いをしている。どう考えても救護院の人たちじゃない! それどころか、何かいかがわしいことを考えているかもしれない……


「あ、あのっ! やっぱりいいですッ! 私、帰ります――」

「オイ! 待てよ!?」


 突然、男がドスの効いた声でラビヤを脅しつけた。


「オマエ、ここまで来てやっぱりいいですじゃねぇだろ! 思ったよりガキだが、まぁ田舎だからな! 勘弁してやる。今なら上官もいねぇから、なんならベッドの上でもやれなくもねぇが、まぁここでも別に俺たちは構わないぜ!?」


 嫌だ……私は……そんなことのために来たんじゃない――!


 その言葉をきっかけに、男たちの態度が豹変した。四つの血走った目が、ラビヤを睨みつけ、にじり……にじりとその距離を詰めようとしていた。

 ラビヤは思わず後ずさり……男たちから距離を取ろうとするが、恐怖で膝がガクガクと震え、足に力が入らない。

 それでも、お腹にグッと力を溜めて、必死で振り向きざま走りだそうとした――その瞬間!


 ガッ――と男の太い腕が、喉輪のようにラビヤの首に巻きつき、そのまま渾身の力で地面に押し倒された。ダンッ! と背中に激痛が走る。


「いやぁ――!!」


 ラビヤは全力で起き上がろうとして、両腕を必死で振り回した。だが、二の腕の付け根を何かでガシっと掴まれ、そのまま仰向けで両手を上に組みしだかれる。間髪入れず、両太腿も万力のような力で押さえつけられ、その直後、今度はその太腿を肩に担がれたかと思うと、男の太い胴体が股を割ってラビヤのお腹にのしかかってきた。


「いやぁ! いやぁ! いやぁぁ――!!」


 必死で叫ぶ。その瞬間、ゴギッと鈍い音を立てて、ラビヤは右頬を思いっきり殴られた。その直後、今度は左頬を同じように殴られる。目から火花が飛び散るかと思った。同時に、鼻の奥にツーンと火薬のような臭いが広がる。頭がグルグルして、思わず悲鳴が引っ込んでしまった。


「――ったく、ちょっと騒ぎ過ぎだっつーの」

「あぁ、まぁ嫌いじゃないけどよ」


 頭の上で、男の声が聞こえた。相変わらず、両腕はバンザイをするような恰好で押さえつけられていた。男の大きな掌が首許にかかったかと思うと、そのまま服を乱暴に引き千切られた。大きいとはいえない彼女の膨らみが、ポロンとこぼれ出る。男は、その武骨な手で彼女の幼い双丘を揉みしだいた。

 ラビヤは、なんとかその拘束を解こうと身体を揺すってみるが、二人の男に頭の方と脚の方、両方を押さえつけられた状態では、ピクリとも動かすことはできなかった。すると、今度は突然両足首を掴まれ、いきなり大きく左右に広げられる。そのまま中心部を何かでガシガシ擦られて、それからグニョグニョとした熱い感触が同じ場所を何度も這い廻った。気が付くと、胸の突起にも何かぬるぬるした感触が蠢いている。

 ラビヤの目から大粒の涙が零れ落ちた。彼女の上にのしかかった男たちは、今や欲望の塊となってその華奢な身体を蹂躙しはじめる。ラビヤは、込み上げる嫌悪感に必死で抗うように、固くその目を瞑った。こうなったら、一刻も早く終わってくれるのを待つしかなかった。それからしばらくの間、彼女の上で、いつ終わるともしれない嵐が延々と吹き荒れた。

 二人の気がようやく済んだ時、ラビヤの瞳からはすっかり光が消えていた。でも、これでようやく家に帰れる――少しだけ、彼女の意識が元に戻りかけた時、奥からさらに三人の男たちが現れて、ラビヤは絶望した。


 それからいったいどれくらいの時間が経ったのだろうか。あれからラビヤは、組み敷かれたり抱え上げられたり、いろいろな格好をさせられて、ありとあらゆるところを汚された。「やめて」と言ってもやめてもらえず、「早く終わって」と頼んでも終わってもらえず、身体中に汚物をかけられ、自分がまるでゴミになったような気がした。


 ようやくすべてが終わって解放されたのは、もううっすら夜も明けようかというような時間であった。着ていた服はあちこち破られ、今も一応着てはいるけどほとんど意味をなさないくらいの有様だった。結局、救護院のお医者さんには会えなかったし、お金も貸してもらえなかった。商売女に間違われたんなら、せめてお金くらいくれるのかなと途中から思ったが、男たちはラビヤがウイグル人だと知ると、その僅かばかりの報酬すら支払うことを拒み、まるでゴミを捨てるかのように彼女を建物から追い出した。


 半裸のラビヤは、とぼとぼと家路を急いだ。今になって、靴がなくなっていることに気付いたが、あそこに戻って探す気にはなれなかった。身体中に擦り傷と打ち身をこしらえてもいたが、辺りはまだ暗く、今ならこんな格好でも見とがめる人は誰もいない。そっと家に入って、家族に内緒で服を着て、朝になったら何事もなかったかのように振る舞えばいい。父さん、ごめんね……日が昇ったら、とりあえずまたお医者さん探すから、もうちょっとだけ痛いの我慢してね……


 そんなことを考えながら、ラビヤは粗末な自宅に帰り着いた。そーっと玄関を開け、部屋に入る。大丈夫……家族はみんな寝ているみたい。父さんは――横を向いて寝ているようだ。出かける時は痛みで唸り声を上げていたけど、今は静かにしている。よかった……少し収まったのかな……

 そう思ってラビヤは父の枕元にそっと息を殺して近寄った。その頬にそっと手を当てる。


「…………?」


 ラビヤは嫌な予感がした。え――!?


「……父さん……父さん……!?」


 その肩を揺すってみる。だが、父親は反応しない。えっ……!


「ねぇ父さん? 父さん――!?」


 ラビヤは今度こそハッキリ声を出して父親に呼び掛ける。だが――


 彼は死んでいた。

 その目は半分開いたまま、その身体からは温もりが消えていた。息を……していない――

 ラビヤの心臓が、ドクン――と大きな音を立てた。慌てて周囲に目を凝らすと、幼い弟たちが冷たくなった父さんの隣でスヤスヤと寝息を立てていた。


「――いやァァァァ!!」


 ラビヤは絹を裂くような悲鳴を上げると、思わず家を飛び出していた。

 父さん! 父さん!! 父さん――!!!

 彼女の父親は、力尽きていた。

 彼女が男たちに凌辱されている間、彼女の帰りを信じて、医者を連れてくることを信じて、必死に我慢していただろう父が、その運命に抗えずに、その不遇な生涯を誰にも気づかれずにそっと閉じていた。


 ラビヤは走っていた。心臓が、早鐘のように打っていた。私のせいだ――私のせいだ――!!

 私が医者を連れて来なかったせいで、父さんが死んだ――!!

 私が男たちに身体を預けていたせいで、父さんが、死んだ――!!


 意味もなく、ラビヤは全力で夜の街を走っていた。引き千切られた服はほとんどその体をなしておらず、彼女はほとんど全裸に近い格好で、ひたすら街中を走り続けていた。走るのを止めたら、呼吸できなくなりそうだったから――

 いつの間にか、身体中から珠のように汗が噴き出していた。さっきまで、男たちに弄ばれていた時にも、身体中から汗が滴っていた。股間から、ドロリとした液体が垂れてきて、全身から嫌な臭いが湧き立ってきた。


 いやぁぁぁ―――!!

 臭い臭い臭い――!! 汚い汚い汚い――!!


 自分が汚物塗れであることに気付いて、ラビヤはいつの間にか黒竜江の川べりに辿り着いていた。


 気が付くと、空が紫色になろうとしていた。川面が黒々と目の前に広がっている。ゆったりとしたうねりが、少しだけ明けてきた闇の中で視界に入った。その瞬間――


 ドボーン――


 ラビヤは迷うことなく川に飛び込んでいた。身体から臭い立つ獣(ケダモノ)の臭いを洗い流すために――

 水の中は深く、どこまでも闇に包まれていた。水中深く沈んだ瞬間、彼女は、このまま死んでしまおうと咄嗟に思いついた。弟たちを守らなきゃと思っていたけど、もう無理だ。

 私には……もう無理だ――

 ごめんね……


 肺の中の空気が全部なくなると、ラビヤは大きく水中で深呼吸した。当然、大量の水が口と鼻から雪崩れ込んでくる。胃と肺の中が川の水で満たされると、胸の辺りが強烈に熱くなってきた。急に顔がパンパンに膨れ上がったような気がして、そして頭が猛烈に痛みを訴えてきた。あまりの苦しさに、ラビヤは急にもがき苦しみそうになるが、その瞬間、急速に意識が朦朧として、気が遠くなった。おそらく水中で、目を開けていたと思う。だが、その視神経には今や何も映らない。真っ暗闇の、暗黒で――そして……赤い……点……が……ふたつ――


 その瞬間――!

 ラビヤはその口に何かがグイと押し込まれるのを感じた。と同時に、肺に急激に空気が吹き込まれていくのを感じる。それは、既に満たされた水すらもすべて押し出すほどの圧力で、それと同時に急激にラビヤの意識は明瞭となり、その肺は新鮮な空気で満たされ、鉛のように重たくて熱い焼きゴテを当てられたような胸の痛みがあっけなく消え失せた。


 ――いったい何だ――!?


 そう思った瞬間、彼女は何かに全身を抱きかかえられたかと思うと、水中からもの凄い勢いで引きずり出された。


 目の前には、真っ黒な人影があった。それはまるで、SFか何かに出てくるロボットか宇宙人のような雰囲気だった。

 ちょうど人間の鼻と口に当たる部分は、犬の鼻先のような形状のゴテゴテした機械のようなもので覆われ、そこから太いホース状のものが左右に突き出してそのまま背中に繋がっているようだった。

 瞳の部分は、まるで巨大な昆虫の目のような――ただし赤く大きなレンズ状の単眼が二つ、突き出している。さっき水の中で見た赤い光球は……これ!?

 すると突然、そのロボットみたいな黒い塊がラビヤに話しかけてきた。


「お嬢さん、大丈夫ですか?」


 日本語だった――

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