第158話 ヘルタースケルター
話は一週間ほど遡る。
そう、オメガ特殊作戦群に編入された元宇宙軍ミサイル駆逐艦『
それは、中国東北部ハルビン近郊を発信源としていた。この現象自体、理論上そもそも地球上では起こり得ないとされていたから、最初に観測した日本のみならず、その事実を知った世界中の天文学者や宇宙物理学者、国防関係者、そして為政者たちに軒並み大きな衝撃を与えていた。
もちろん、最も動揺したのは日本軍だ。何せこれから侵攻作戦を行おうとしていた矢先に、まさにその攻撃目標地域で発生した出来事だったからである。だが同時に、この衝撃的な現象が起きた原因の心当たりについて、世界中の誰よりも早く勘づいたのもまた日本軍だった。
神代
大陸での作戦行動中に想定外の敵の攻撃に曝され、拉致連行されて行方が分からなくなっていたオメガ少女――
神代未来の拉致は、日本にとって「国家安全保障の根幹を揺るがす重大事案」であった。なにせ彼女のDNA変異特性は「不老不死」である。これは、古今東西人類が長年追い求めていた究極の欲望であると同時に、21世紀も終わろうとしているこの時代の医療技術、遺伝子工学、分子生物学をもってしてもどうしても超えられない壁であった。彼女はその能力を当たり前のように持っているのだ。
そんな彼女の身柄が他国――とりわけ敵性勢力――に奪われたということになれば、この先いったいどんな想定外の事態が起こらないとも限らない。
たとえば彼女の「不老不死」が敵国に解明されて、それを応用したさまざまな遺伝子操作を施された「不死身の兵士」が作られ、その刃を向けてくるかもしれない。そこまでいかずとも、彼女の遺伝子情報に基づいたさまざまな特許技術が知らないうちに他国に開発独占されてしまったら、軍事分野に留まらず外交・経済活動、そして知的財産の面においても致命的な国益の損失を覚悟しなければならない。
だからこそ当時オメガ実験小隊の指揮官であった四ノ宮中佐(当時の階級は少佐)は、神代未来拉致の責任を問われて査問委員会に掛けられたのであり、その後のさまざまなオメガ実験小隊に対する政治的圧力や陸軍内部での権力闘争も、すべてこの「国益に直結する」オメガたちのハンドリングを誰が行うのかという主導権争いに起因していたのである。
そんなわけで、日本は国家を挙げて彼女の捜索に血道をあげ、奪還作戦を行う機を虎視眈々と窺っていたのだ。その後さまざまな外交ルート、諜報活動、調査分析活動などを積み上げていく中で、あらゆるデータが「神代未来はハルビンにいる」という同じ結論に達しようとしていた。
だから、今回のハルビンを発信源とする
いずれにしても、彼女の拉致に端を発し、今回の「ガンマ線バースト」現象に至るまでのここ半年間の出来事や人々の振る舞いを一言で表すなら、それはまさに「
そしてここにもまた、そのヘルタースケルター状態に陥った一人の存在があった。
***
ミーシャは、我が
あれからもう一昼夜が経とうとしていた。ミーシャたち
案の定ボルジギンの公安たちは、黒霧を血眼になって探していたようだが、あんな素人どもに簡単に捕まる自分たちではない。だがその捜索活動は、逆に主の身に極めて深刻な事態が降りかかっていることを示唆していた。つまり、権力の剥奪が着々と行われつつある、ということを示しているのだ。
そんな時に発生したのがあの現象だ。
突然眩いばかりの閃光が空一面を覆い尽くしたかと思うと、一筋の光芒が遥か虚空に向けて放たれ、そして消えていったのだ。その間ものの数秒もなかったであろうか。
ミーシャはたまたまその瞬間、潜んでいた家屋から外の様子を窺うため、わざわざ天井裏から屋根に打ち付けられていたトタン板を外して這い出ようとしていたところだった。光芒があまりにも強烈だったため、日中の陽の光に包まれていたハルビンの明るい空が、相対的に一瞬真っ暗になったかと思うほどの光景だった。
と同時に、その現象が起きたのが、少し前に自分が
いったい何が起きたのかさっぱり分からなかったが、その瞬間、それが「李軍がらみの何か」であると直感するのは容易だった。
気が付くと走り出していた。
先日も、主の妹――
――こんなことなら未来さんにも護衛をつけておくべきだった。彼女は主と最近不思議な信頼関係を結び、単なる「敵軍の
ただ、主が
実際、ちょっかいを出してくる可能性のあったボルジギンの公安部隊は、観閲パレードのために主力部隊と一緒に黒河市方面に転進を命じられていたし、彼女本人も、当面はむしろ将軍の身の回りに気を付けてあげて欲しいと言って厳重な警護を辞退していたのだ。
結果的にそれが「主の暗殺計画」を阻止することに繋がったので、ここまでは正しい判断だったと言えるだろう。
だが、主が現に捕らえられてしまった今となっては、その保護下にあった未来さんの身にも同時に危険が及ぶ可能性について瞬時に気付くべきであった。考えてみれば、
ほどなく、例の李軍の秘密実験施設が視界に入ってきた。
そして、その建物が大きく破壊されているのは遠目からでもはっきりと確認することが出来た。元は三階建てくらいで、二階、一階と下るごとに平べったい裾野が広がっていく白いアイランド状構造のビル。そのビルの上部構造は今やボロボロの蜂の巣になっていて、この位置からでも壁をぶち抜いた無数の大穴が反対側まで突き抜けて、向こう側の風景を覗くことができる。あそこまで破壊されているのに、よく建物が崩落しないなというほどの有様だった。
いったい何があったのだ――!?
元々この建物周辺には人家がなく、元畜産試験場ということで塀の内側には広い敷地が広がっていた。ただ、建物のあの蜂の巣状の大穴は、そんな家畜が何かをしでかしたというより、なんらかの貫通爆弾か、クラスターミサイルの類が着弾したような様相を呈していた。
そして――
その建物を中心として、半径100メートルに近い範囲の円状に、まるで突如としてクレーターが作られたかのごとく地面に強い圧力が加えられたような痕跡があった。具体的には、その範囲内の地面は円の縁こそ数センチ程度の陥没であったが、中心に近いところまで目をやると、まるで巨人が踏み締めたかのように深い凹みを穿ち、すり鉢状に陥没していたのである。
これは……攻撃を受けたのか? それとも逆に何かを攻撃した結果なのか……!?
さらに建物に近付いていくと、辺りは惨状と化していた。
何より、施設内にいたと思われる多くの動物、そして人間が、世にも恐ろしい姿で絶命して果てていたのである。
遺体は大きく分けて三種類あった。ひとつは、普通の遺体。普通といっても、その多くはまるで大火傷のような外傷を受けていたが、少なくとも人間の形は保持していた。
二つ目は、そんな遺体の中でも、突如として四肢のどこかが切断されていたり、胴体が真っ二つになっていたりするなど、激しい損傷を受けた者たちである。いわゆる「欠損」遺体だ。
そして最後の三種類目の遺体に至っては、世にもおぞましい姿であった。これらは、端的に言うと「裏表が逆になった遺体」、すなわち「裏返し」遺体だ。本来はお腹の中に入っていなければならない胃や腸、心臓や肺など、臓器が体表面にへばりついていたのだ。臓器だけではない。皮膚がなくなって、代わりに剥き出しの筋肉が体表を覆っていたりする。遺体によっては、眼球が腹にくっついていたり、口が肩のあたりに開いていたりと、もはや人間の原型を留めていない者が大半であった。
「ブォエッーーー!」
さすがのミーシャも、その生々しさに思わず吐き気を催した。とんでもない死に様だった。
これはどう考えても通常の被害ではない。何か特別な力が働いたとしか思えなかった。
すると突然、ピーーーという甲高い音が響く。
何事かと思って周囲を見回し、次いで自分の身体をまさぐる。するとそれは、ミーシャのズボンのポケットから聞こえていることが分かった。
はたと気付いてポケットをまさぐると、中には小型の線量計が入っていた。すっかり忘れていたが、これは
慌てて取り出すと、デジタルメーターが激しく反応して、小さな赤い警告ランプが激しく明滅していた。
ガンマ線の反応だった――!
だが、ミーシャはそれに激しい違和感を覚えた。すわ放射能汚染か!? 核地雷か何かが爆発したのか!? とドキリとしたが、どうやらそうではない、ということにすぐ気づいたのだ。
なによりここには、核爆発に伴う激しい破壊痕がない。それどころか、さきほど強烈な光を確認した際、爆発音すら、衝撃波すら感じなかったではないか。それに、もしも核爆弾の炸裂であれば、この辺りは激しい高温で焼き尽くされているはずだ。どんなに小さな戦術クラスのものでも、数千度の光球が周囲数キロに亘って空間を破壊しつくすはずなのだ。
それらの痕跡が一切見当たらないまま、ただ「ガンマ線」だけが検出されている今の状況……
そもそも関心がなければ正しい理解も進まないのだが、核爆弾の脅威というのは大きく分けて二つある。
ひとつは、激しい「核分裂反応」に伴う爆発被害――超高温の火球や想像を絶する爆風、衝撃波などだ。よく核爆弾の威力を示す数値として「メガトン」などという表現をするが、1メガトンは100万トンのこと。TNT火薬という通常爆発を引き起こす爆弾100万トン分にあたるということだ。そして、この1メガトン級核爆発の光球を直接見た人間は、20キロ以上先でも失明すると言われているし、もちろん爆心地にいた人間はその高温によって一瞬にして「蒸発」してしまう。建物も当然全壊だ。
そして二つ目の脅威は「放射線被害」だ。通常、核分裂反応に伴って放出されるのは、アルファ線、ベータ線、ガンマ線、そして中性子線の4種類だ。それぞれ種類によって人体への影響も大きく変わってくるのだが、どんなものであれ、大量に被曝すれば致命的な影響を及ぼすことは避けられない。
だからこそ、この現場の違和感が際立っているのだ。
これだけのガンマ線を検出しているにも関わらず、他の種類の放射線をほとんど検知していないこと。なにより、この数値を叩き出すためには核爆発が起きていてもおかしくないはずなのに、建物は辛うじて建っているし、そもそも遺体も蒸発せずにきちんと残っている。
つまり、現実には核爆発は起きていないと断言できる。
ミーシャは、混乱と狼狽の極致に陥りながら、崩れかかった建物の中に分け入っていった。ピーピーと警告音がうるさいので、線量計の電源をひとまず切る。
今この瞬間にも、ミーシャは大量のガンマ線を浴びているのだろうが、この際そんなことには構っていられなかった。既に自分のDNAは大量の放射線被曝によってズタズタにされ、この先数週間の潜伏期を経て激しい被曝症状が現れる可能性が大きかったが、少なくとも未来さんの無事を確かめること以上に今大事なことはないように思えていた。
その時だった――
ボロボロになった建物内を歩くミーシャは、廊下の突き当たりの部屋に人の気配を感じる。未来さんなのか――!? 慌てて駆け寄り、部屋の中を覗き込む。
だが、ミーシャがその中で見つけたのは、残念ながら神代未来ではなかった。思わず困惑するミーシャ。
そこにいたのは、銀髪の美しい少女ではなく、長い艶やかな黒髪をなびかせた全裸の美しい女性だった――
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