第157話 尋問

 戦場で「捕虜」を取ることを「人道上の措置」だと思っている人がいたとしたら、その人物の頭は相当お花畑である。もしくは、よくできたフィクションの世界――その多くは主人公側が「正義」という立ち位置で物語が進んでいく――が真実なのだと無邪気に信じているだけの理想家だ。


 実際の戦場において、捕虜ほど取り扱いが面倒な存在はない。

 なにせ、つい先ほどまで殺し合いをしていた相手なのである。敵味方ともにお互い嫌悪感を抱いていないはずはないし、拘束された捕虜たちはいつ何時反乱を起こすかも分からない。捕虜たちを当面養うための食糧や設備、そして彼らを警戒監視するための保安要員も一定レベルで確保しなければならない。そのくせ世界にはジュネーブ条約という捕虜の取り扱いに関してレギュレーションを定めた法律があり、そこから逸脱するとやれ戦争犯罪だ何だと後からいろいろややこしくなる。

 まったく笑えない逸話としては、第二次世界大戦中に日本軍の捕虜となった米兵が「木の根を食わされて虐待を受けた」と戦後に申し出て、その当時当該捕虜収容所に配属されていた多くの元日本兵が「戦犯」として処刑されてしまったという実話がある。

 実はこの「木の根」というのは『ゴボウ』のことであった。

 当時最前線の食糧事情が極端に悪化していたにも関わらず、この収容所の日本軍は、自分たちはジャングルのヘビやトカゲしか食べていない中、捕虜たちには日本食の立派な食材であるゴボウを食わせていたのである。当時米兵たちにはゴボウなる根菜が「食糧」であることが食文化の違いもあって理解されず、その独特の土臭さも相まって、あたかも人間が食べるものではないものを無理やり食べさせられたかの如く受け止められたという悲劇である。さらには、それらの事実関係をロクに調べもせず、一方の主張だけで既に武装解除された元兵士らを召喚し、そのままいとも簡単に処刑してしまった当時の連合軍の愚かしさ、理不尽さについても我々日本人は決して忘れてはならない苦い記憶なのだ。


 ことほど左様に「捕虜」という存在は戦場の軍隊にとっては異物であり、トラブルの種であり、災いの元でしかない。ちょっとした文化の違いで恩を仇で返すがごとく後になって言いがかりをつけられて処刑されるくらいだったら、その場で殺した方がよほど面倒ないのだ。

 ではなぜ軍隊は「捕虜」を取るのか――!?


 それはひとえに「情報収集」のためであり、「降参すれば手厚い保護を受けられる」というインセンティブを敵兵士にちらつかせることによって、目の前の敵兵の戦意を挫き、降伏を促すためである。

 これが逆に「降伏しても殺される」という状況であれば、どんなに敵を追い詰めても徹底抗戦されるから、結果的に味方の損害が増えるだけなのだ。

 つまり、軍隊が「捕虜」を取るのは、別に人道上の措置でもなんでもなく、「戦いに勝利するための側面的アプローチ」にしか過ぎないのだ。それで戦争そのものに勝てるのであれば、少々面倒くさいのを預かることになっても十分元は取れる。


 だから今までオメガ部隊が捕虜を取らなかったのは、当たり前と言えば当たり前である。そもそも戦場で彼我が相対した時に、オメガたちはその圧倒的戦闘力で常に敵を凌駕していたし――したがって敵の戦意を挫き降伏を促す必要などない――神速を旨とし、その存在が常に秘匿される特務部隊としては、それこそ余計なお荷物を抱える必然性が最初からなかったのである。

 さらに言えば、オメガたちは一旦戦闘状態に陥ると、それこそ敵味方の区別なく本能的にそのを目指す。だから今までのほぼすべての戦場で、彼女たちは戦闘終了後に捕虜として保護すべき敵兵を見たことがないのだ。


 それはつまり、今目の前にいるこの一人の暴漢からどのように情報を聞き出すかという手法も経験もほとんど持ち合わせていない、ということでもある。

 そんなわけで、この男に対する尋問は、部隊の責任者である士郎と、そして経験豊富なドロイド兵、森崎一葉大尉が行うことになった。

 ただ、士郎自体、もと一般部隊の出身とはいえ、任官してすぐ自分の小隊が壊滅してそのままオメガ部隊に引き取られた人物であるから、捕虜の取り扱い経験などゼロである。なんとも覚束ない尋問官というわけだ。


「名前と所属は?」


 士郎は目の前の男に問い質す。まずは簡単な質問からだ。万国共通、敵に捕まった兵士は、少なくとも自分の名前を名乗るところまでは許されている。

 だが、男は士郎の問いかけにまったく興味を持たず、ダイニングチェアに後ろ手で縛られたままふんぞり返ってあさっての方向を向いているだけだった。

 するとすかさず森崎が言葉を継いだ。


「――あなたの名前になど興味はありません。ただ、このあと痛い思いをするかしないかはあなたの態度にかかっています」


 士郎は、恥ずかしさのあまり顔から火を噴きそうだった。圧倒的な経験値の差なのか!? 士郎と森崎の質の違いは明らかだった。男が急に動揺し始めた。


「……ど、どういうことだ!? しゃべれば解放するのか!?」

「いいえ、あなたはこのあと殺します」

「はッ!? ふざけるな! 俺は正当に保護される権利がある――」

「あなたは捕虜ではありません」

「なんだとッ!?」

「単なる殺人者であり、強盗であり、そして……」


 森崎は、男の剥き出しの下半身をあらためて確認した。


「強姦魔です。無主の地であるこの土地で犯罪を犯した者は、逮捕した我々が所属する国家――すなわち日本の国内法によって処罰されますが、その日本の軍法では、戦場において急迫不正の犯罪行為が行われていることを現認した場合は、指揮官の判断で適宜処罰を執行してよいことになっています」

「俺は軍人だッ! 軍人は捕虜として扱われなければならないッ! ジュネーブ条約を知らないのか!?」

「ジュネーブ条約では、捕虜はその権利を主張する場合、所属する国家の軍服を着ていなければならないことになっています。あなたは軍服を着ていませんし、兵士として作戦行動を取っていたようにも見えませんでした。つまり、あなたの主張は根拠のない虚偽であり、我々はその主張に同意しかねます」


 森崎は一切淀むことなく、しかも正々堂々と手続きとルールに則った説明を行う。男の顔がみるみる青ざめていく。


「で、でもッ……俺は間違いなく軍人なんだ! だからッ……命の保障をしてくれッ!!」

「いいえ、あなたはこのあと死ぬ運命です。その時に、ほとんど痛みなく一瞬で即死させるか、長時間に亘ってもがき苦しみながら生き地獄を味わったうえで死ぬか、という選択肢が与えられているだけです」

「――わ、分かったッ! 何でも話すッ! 何でも話すから、何とか命だけは助けてくれッ!!」


 男は、何度言っても「自分が助かる可能性」を口にし続けた。もちろんこの後どんなに男が協力的になったとしても、上陸部隊の存在を秘匿するためには、士郎の立場としては下手な同情心を起こさずに確実に殺さなくてはならない。

 だが、人間というのは自分が助かる可能性が1パーセントでもあると思えば、それに縋ろうとする。男からすれば、この女性尋問官は今でこそ「殺す」と言っているが、このあと自分が従順に振る舞えば、もしかしたら気が変わるかもしれない、と思っているのだ。

 そこから男は、こちらが聞いていないことまでペラペラと喋りはじめたのだ。簡単な遣り取りだけで、見事に男を支配下に置いた森崎が、尋問の権利を士郎に渡す。


「ではあらためて訊く。お前たちは何者だ?」

「俺は――俺たちはただのブローカーだ」

「何のブローカーだ?」

「人材斡旋だよ――子供をある組織に卸しているんだ」


 何が人材斡旋だ――単なる誘拐じゃないか!?


「それであちこちの集落や家族を襲って子供を誘拐して回っていたのか」

「そ……そうさ! 一昔前は親のいない孤児なんて腐るほどいたんだが、最近はそういうガキもだんだんいなくなって、しょうがないから親がいてもかっ攫ってくるようになったんだ」

「そのついでに父親を殺したり母親を強姦したりしていたというのか!?」

「し、しょうがねぇだろ!? 捕まえたガキだって、よっぽどの上玉じゃなきゃ大した金にならねぇし、同業者は今や山のようにいる。こうでもしなきゃ割に合わねぇ!」


 それを聞いて、士郎は怒髪天を衝く。あの廃屋で無残に殺されていた全裸の女性が、再び脳裏に甦った。思わず手を上げようとして――

 森崎にその手首をやんわりと掴まれる。彼女は軽く目を閉じて、首を微かに左右に振る。士郎は男に向き直った。


「――お前たちの取引先はなんというところだ?」


 すると、一瞬だけ男が怯んで返事を躊躇った。その途端。

 パンッ――と音がして、隣の森崎が男の右膝を撃ち抜いた。


「ギャアアアアッ――!?」


 男がもんどりうって顔をしかめる。血塗れの膝の銃創から、膝の皿が白く突き出していた。


「さっきからちゃんと答えてるじゃないかッ!!」

「今少し答えをためらいましたね」

「わッ……分かったッ! ちゃッ――ちゃんと答えるから!」


 士郎は森崎の容赦ない追い込みを、驚愕の眼差しで見つめていた。自分はまだまだ甘ちゃんだ……


「子供を買い取ってるのは……ぺ、北京の公安部だよ……」


 な――!

 北京ということは、アジア解放統一人民軍ALUPAの飼い主――中国内戦の一方の当事者――北京派だというのか……!?


「なぜ!? 北京公安部はなぜ子供を買っている?」

「そんなことは知らねぇ……俺たちはただ、連れて行けば買ってくれるから商売にしているだけだ。それに……」

「それに――なんだ!?」

「子供を買っているのは北京だけじゃねぇ……上海政府様も上得意だよ」


 なんだって!?

 北京のみならず、民主中国政府シャンハイもこんな犯罪行為に加担しているというのか――!?

 そんなバカな! 彼らは今や西側諸国と同盟のような関係にあり、基本的人権と民主主義を標榜する自由主義陣営の一員として、価値観を共有している……はずなのだ。


「……適当なことを言うなよ?」

「う、嘘じゃねぇ……むしろ上海サマの方が高く買い取ってくれるくらいだ。もっと言えば、上海サマは連れてきたガキにいちいち文句をつけねぇ。むしろ男、女、幼児、児童……それから、少し年嵩のガキでも喜んで引き受けてくれる。それでいくと、北京サマの方はガキの年齢とか身長、体重とか、いろいろ条件を付けてくるからめんどくせえんだ」


 男の供述が詳細に及んでいることから、嘘をついているようには思えなかった。

 すると突然、隣のリビングで介抱されていた父親がいきなり怒鳴り込んできた。


「――さっきから聞いていればこの野郎! おおかた子供を慰み者にするんだろう!?」


 突然のことに、くるみやゆずりはも父親を制しきれなかったようだ。彼を追いかけて慌ててダイニングに飛び込むと「さぁこっちへ」と父親を連れ帰ろうとする。

 だが、父親はそれを振り切ってさらに男に詰め寄った。


「さぁ! 言ってみろッ!? 売り飛ばした子供たちはどうなるんだッ!」


 父親は男の襟首を掴む……だけではなくて、その拳を男の鼻に叩きつけた。ゴスッ――と鈍い音がして、男は鼻血を派手に飛び散らす。


「――ックソが! 知らねぇって言ってんだろうが!!」


 後ろ手に縛られているので一切抵抗はできないのだが、その代わりに男は父親に対しビッと唾を吐いた。その瞬間、森崎の拳が男の顎に強烈なアッパーカットを喰らわせる。ドガッ――と椅子ごと後ろに吹き飛んで、男はしたたかに後頭部を床に打ち付けた。


「――立場をわきまえなさい!」


 森崎が一喝して、床に惨めに倒れ込んでいる男の襟首を掴み、強引に引き起こした。口の中を切ったのか、ひび割れた紫色の唇の端から、どす黒い血の塊が顎にポタポタ垂れている。

 男は苦しそうに肩で息をした。


「――ハァハァ……わ……悪かった……だが、本当に知らねぇんだ……俺たちはだいたい一週間に一度のペースで捕まえたガキを競りにかけるんだ」

「その競りはどこで行われているんだ!?」


 士郎が問い質す。


「国境の向こう――中国だよ。まぁ越境する時は必ず国境警備隊に袖の下を渡すから、俺たちの行き来はお目こぼししてもらってるんだ。そんでたまに隊長好みの若い娘を連れて行けば、ガキを何人連れていようが咎められることもねぇ」


 心の底から、士郎はこの男を嫌悪した。結局コイツらがただのクズ野郎だということが分かった。カネと欲望のために、何の罪もない人々を蹂躙し、純粋な子供たちを地獄に連れ去っていたのだ。


「――なぁ、何とか見逃してくれよ!? 結構いろいろと大事な話を包み隠さず話したんだぜ?」


 男が下品な笑顔を向ける。なんとかこびへつらって、この絶体絶命のピンチを切り抜けようとしているのだ。


「――そうだ……何だったら、あんた達兵隊さんには、俺からの紹介ってことで、この辺りの売春宿を全部タダで楽しんでもらえるようにもするよ? 俺の名前はヒョンウって言うんだ。この名前を出せば――」

「お前、同胞なのか!?」


 話の途中で父親がまた割り込んできた。その顔は、怒りに打ち震えていた。


「あ? あぁ、俺は生まれも育ちもソウルだぜ」


 その瞬間、父親は大粒の涙をこぼしながら男に襲い掛かった。


「このやろう! このやろうッ!! お前ッ――同胞を平気で売り飛ばしてッ!! こんな酷いことをしてたのかッ!!」

「ギャッ!? やめッ――」


 ドガッ――ドゴッ――バキャッ――ガギッ――


 父親は、自分自身ボロボロの身体であるにも関わらず、椅子に縛り付けられていた男を滅茶苦茶に殴り始めた。最初それはじきに終わるかと思われたのだが、父親は真っ赤な顔をしていつまでも殴打を止めようとしなかった。

 男の顔面は見る間に腫れ上がり、その鼻は醜く潰れ、瞼がビックリするくらい膨れ上がった。その拳を受けるたび、激しく血飛沫が飛び散って、やがて男はされるがままになった。

 それを見ていた士郎たちも、最初そろそろ制止しようかと考えていたのだが、そのうち誰もが父親の激情が治まるまで好きにやらせようという気になっていた。

 もともと必要な情報を聞いた後、殺す予定だったのだ。だったら家族を蹂躙されたこの父親に、まずは手を下す権利がある。確かに男はペラペラとよく喋ったが、別にそれによって穏やかな死を保障したつもりはない。

 もはや原型を留めないほど滅茶苦茶に打擲ちょうちゃくされているこの男に同情する理由は、1ミリもなかった。やがて――


 父親は、ようやく落ち着いたようだった。その両の拳は今や真っ赤に腫れ上がり、血塗れになっていたが、いっぽうでその表情は、まるで憑き物が落ちたかのように清々しいものになっていた。

 男は、殴り殺されていた。

 そのしでかした罪深い行為に相応しい、無残な死にざまだった。

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