第11章 進発

第149話 観測

 日本の宇宙進出が本格化したのは、2035年にJAXAが日米合同で有人月着陸に成功してからのことである。

 もちろんそれまでにも日本の宇宙開発は、純国産ロケットH-Ⅱシリーズの開発・生産や「国際宇宙ステーションISS」への参加、「はさぶさ」シリーズによる小惑星探査など、キラリと光る成果を生み出してきてはいたものの、やはり「有人」による宇宙探査の成功に勝るインパクトはなく、歴史上、日本国における「宇宙世紀」の幕開けはこの時からであると定義されることが多い。


 いっぽう「国防」という視点においては、これに先立つこと五年前、2030年に自衛隊を国防軍に改組した際、日本はこれに合わせて「宇宙軍」を創設していた。ただしこれは、米中戦争を発端とする東アジア大戦下において、専ら敵方の中距離核戦力INFを迎撃するための専門軍を編制する必要に迫られてのことである。

 ただ、結果としてこの月着陸という偉業は、宇宙軍が今後何をすべきか、という指針を与えた大きなきっかけになったことは間違いない。その最大の教訓は、「宇宙空間では軍でなければ組織的な活動を担えない」という経験則である。

 常に危険と隣り合わせであり、未知の領域を開拓していく必要のあった宇宙開発においては、組織それ自体が自己完結しており、かつ“事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえること”を誓った軍人でなければ到底ことを成し得ることなどできなかったのである。


 実際、その後2051年に米国が月面基地を完成させ、人類史上初の人工知能兵士であるドロイド兵をその主戦力として月面に駐留させ始めた際には、その技術の多くを日本が担っており、僅か一年後にはその月面基地に日本区域JPコアが完成し、試験運用を開始している。

 つまり、日本は月面への到達から約20年に亘って将来を見越した宇宙技術開発を進め、その間JAXAを国防省傘下に改編するなどの手続きを踏んで着々と準備を進めていたわけだ。


 本来であればその後間を置かずに日本も月面基地に米国と同じ規格のドロイド兵を駐留させる予定だったのだが、ちょうどその頃、日本人ジャーナリストの拉致殺害事件に端を発する半島征伐戦役のためにこの計画を変更し、ドロイド兵は一時的に月面基地ではなく半島の掃討作戦に転用して更なる実戦データを収集、結果的にで2058年、宇宙軍に組み込まれたドロイド兵部隊が月面基地に駐留を開始するに至っている。

 事実その僅か四年後、月面基地の米国区域USコアで発生したUSドロイド兵の叛乱騒動は、米国が日本のようにドロイド兵と肩を並べて過酷な地上戦を経験しなかったがゆえに生起した事件だったと言えるかもしれない。

 2045年の技術的特異点シンギュラリティ突破により「人間以上の知性」を獲得していた彼らドロイド兵は、米宇宙軍が彼らを「人間」として扱わなかったことが事件の直接の原因だったことを後年供述している。

 その点日本国防軍は、地上戦の中で彼らドロイド兵を「戦友」として取り扱うことで彼らからの信頼と尊敬を勝ち取れることを経験として理解していた。以来、伝統的に日本軍ではドロイド兵を「機械」としてではなく「人間」として取り扱うという文化が根付いていった。


 さて、そんな日本の宇宙世紀が第二幕を迎えたのは2070年のことだ。


 宇宙コロニーの建設開始――


 当然のことながらこのコロニーは地球と月の引力がちょうど釣り合うラグランジュ・ポイントに建設されることになったわけだが、ここでも実は大きな国際紛争が起きている。

 結局のところ宇宙空間においても「地政学上の要衝」というのは存在し、それはとりもなおさずこのラグランジュ・ポイントのことなのである。地球に戻るにも月に行くにもちょうどよい位置に存在し、かつ引力の釣り合い点ということでそこに居続けるための無駄な動力を用いる必要もない。そして何よりこのラグランジュ・ポイントに適した空間は極めて少ないのである。

 当然、そこを占有する権利は「早い者勝ち」でしかなく、つまるところ国家間による宇宙空間を舞台にした大掛かりな椅子取りゲームが行われたのだった。

 これが人類史上初の「宇宙戦争」である――


 そしてこの戦いで最前線に立ったのは、当然ドロイド兵部隊を擁する宇宙軍であった。


 結果、多大な犠牲を払いながらも日本は見事にラグランジュ・ポイントのひとつを占有することに成功した。

 そしてこの空間を日本神話にちなんで「天の磐船」と名付け、巨大なドーナツのような形状をしたいわゆる「スタンフォード・トーラス」型スペースコロニーの建設を開始すると同時に、コロニー内で使用する酸素を供給するための、月面の岩石を採掘する月面採掘基地の運用も開始したのである。

 いっぽう地球上ではこれと軌を一にして軌道エレベーターの建設を北海道で開始。地球側の宇宙港として完成を急いだ。

 それからおよそ十年。

 宇宙の中の日本国である宇宙コロニー『銀河』は、2079年ついに完成に至る――


 爾来、宇宙軍はこの月面基地、および宇宙コロニー『銀河』を有する日本領ラグランジュ・ポイント――通称〈天の磐船〉の防衛・警備、そして〈地球側宇宙港『北斗』―ラグランジュ・ポイント―月〉を結ぶいわゆる「スペースレーン」を警戒することを主な役割として担っていたのである。


  ***


 その日、艦籍番号ハルナンバーSDDG208――日本国防軍宇宙艦隊からオメガ特殊作戦群に移籍した元宇宙軍ミサイル駆逐艦『いかづち』は、スペースコロニー『銀河』に駐留していたドロイド兵一個中隊、すなわち300ユニットを宇宙港『北斗』に移送する途中であった。

 もともと横須賀の司令部から要求されていたのはドロイド兵部隊一個大隊である。本来であれば大型輸送艦で一気に運んだ方が効率がいいのだが、出撃が近いからという理由で取り敢えず稼働できるユニットからどんどん運んでくれとの強い要請もあり、取るものも取り敢えず先行して準備が整った一個中隊を連れてきたというのが正直なところである。

 米国と同様、日本もドロイド兵の生産は主に宇宙――すなわち『銀河』で行っていた。ドロイドの中枢である人工知能、および外骨格装甲となる超高張力鋼の製造にあたっては、無重力状態下で加工したほうがより高度な製品をプロダクトできたからである。さらに、ドロイド兵1ユニットの重量は、1G下においてはおよそ350キログラム。昔の大型バイク並みである。無重力下で生産することでこれらの重量の影響を受けずに済むのであるから、そのメリットは計り知れないものがあった。


「艦長、『北斗』まであとおよそ三時間です」

「『北斗』周辺、今日はデブリが多いです。宇宙嵐のせいで流れてきたようです」


 航海士の和久井中尉が3D航法モニターを睨みながら報告すると、すかさず和久井の隣に座っていた気象長のRD9119号――森崎一葉かずは大尉――が『北斗』周辺の宇宙空間の状況を追加報告する。ちなみに彼女はその名の通り完全人工知能体――すなわちドロイド兵である。

 念の為補足しておくと、日本軍の場合、ドロイド兵における女性容姿の割合は全体の七割を占める。これは、少しでも「ロボット兵」という存在への人間の抵抗を少なくするために意図的に設計したということになっているが、どちらかというと日本人特有のオタク文化の発露というのが本当のところだ。実際、米国のドロイド兵の九割は男性容姿である。


「了解した。日本上空に接近したら一旦準天頂軌道にて周辺を警戒せよ」

「「アイサー」」


 二人からの報告を受け、『雷』艦長の早川登少佐が指示を出す。

 「準天頂軌道」というのは、地球の自転周期と同じ公転周期で一日に一回、地球の周りを回り、またもとの地表面上空に戻ってくる「同期軌道」の一種で、軌道を斜めに傾けることで特定地域に長時間滞在できる軌道のことだ。軌道ラインはちょうど数字の「8」の字を形成し、上の丸に日本列島が、下の丸にオーストラリア大陸がすっぽり入るような位置関係でおよそ7~9時間前後は日本上空周辺を警戒偵察できることになる。

 早川はこの間に宇宙港『北斗』周辺の脅威を警戒するのはもちろん、可能な範囲で地上の状況を偵察するつもりでいた。特に注視すべきは中国東北部だ。なにしろこのあとドロイド兵たちが駆り出されるのはこの地域なのだ。しかも我が艦の重要なクルーである気象長の森崎大尉RD9119連絡将校リエゾンとしてそのまま地上軍に随伴することになっている。

 彼女がだったら、そんな過酷な任務を果たして命じられただろうか、と早川は少しだけ考える。だからこそ、自分が宇宙で出来ることはやっておきたい。


 やがて、漆黒の宇宙空間に、青く輝く地球が肉眼でもはっきりと見えるようになってきていた。


「艦長、まもなく高軌道HEOを通過――」


 和久井中尉がセンサーを読み上げる。地球高度3万6千キロ以下に接近するということだ。舷窓から見下ろす西太平洋が、太陽に照らされてキラキラと輝いていた。


「まもなくデブリ帯第一層に接近――」


 ドロイドの森崎が注意喚起する。と同時に、ゴーン――という何かが艦体に衝突する大きな音が聞こえてきた。さっそくデブリがぶつかってきたようだ。

 『雷』は軍艦なので装甲も相当分厚いため、少々のデブリではどうということもないが、たまに敵性国家が浮遊機雷をデブリに紛らせていることがある。これが艦体に衝突すると、当然ながらただでは済まない。


「砲雷長へ――ユーハヴコントロール?」


 早川が戦闘指揮所に詰めている砲雷長の大西大尉に艦の操縦を明け渡すべきか確認する。こうした障害物が多い宙域を航行する場合、時として操艦は艦長ではなく、火器システムを管制する砲雷長が預かった方が効率が良い時がある。場合によっては高速で迫りくるデブリをレールガンなどで撃ち落としながら同時に回避運動を行ったり、艦自体の姿勢制御をおこなったりした方が良いのだ。要するに、3Dシューティングゲームをやる要領だ。自分の動きを他人に操作されるとやりにくくてしょうがないのと同じ理屈だ。


『了解――アイハヴコントロール』


 大西から即答が返ってくる。やっぱり二人羽織は駄目だよな、と思いながら、早川は手許のタッチパネルを操作して操艦権限を戦闘指揮所に切り替えた。すぐに大西から認証要請が来て、早川は「了承」ボタンをタッチする。これで『雷』の操艦は大西に移った。ほんの少しだけ気を緩めて艦橋要員たちの横顔を盗み見る。

 とりわけ早川が見つめていたのはドロイドの森崎だ。彼女の外見はぱっと見では機械生命体にはとうてい見えない。日本のドロイド製造技術は極めて高く、特にその表面加工技術は芸術の域に達していた。人工物であるから当たり前と言えば当たり前なのだが、彼女の容姿は極めて美しく、肩口で切りそろえた黒髪はさらりと艶やかで、その頬は白くて僅かに薄桃色に染まり、切れ長の瞳はどこまでも涼やかであった。

 今はその視線を手許のコンソールに落とし、淡々と周辺宙域の気象情報をモニタリングしている。時折中空に浮かんだホログラフィックキーボードを操作し、各種情報を組み替えたりクロスフェードしたりしてより正確な情報把握に務めている。


 その時だった――


 森崎の表情が一気に強張った。と同時に彼女が叫ぶ。


「艦長ッ! 超強力な放射線を感知ッ!!」


 と同時に艦橋ブリッジ内の警報センサーが狂ったように断続的な警報ビープ音を発した。


「な!? なんだ――」

「これはッ!? ガンマ線――」


 森崎が言いかけた瞬間、一瞬にして艦内のすべての電源がシャットダウンした。

 ズゥーーーン……


 漆黒にして沈黙――


「森崎ッ! 報告しろッ!」


 舷窓から覗く地球の青い光が差し込むだけの真っ暗闇の艦橋の中で、早川が叫ぶ。だが、青白く照らされた彼女はピクリともしない。隣の和久井が彼女の顔を覗き込んで早川の方を仰ぎ見た。


「か、艦長――森崎大尉……沈黙ッ……」


 和久井の報告の通り、森崎はまるで電池の切れたロボットのようにその場で静止し、微動だにしていなかった。艦内の電源が切れたのと同じタイミングで、森崎自身の電源モジュールもシャットダウンされたのだ。


「クソッ――」


 早川はシートベルトを外すと自分の座席から蹴り上がり、慣性で森崎の席まで遊泳する。その瞳は見開いたまま光を失い、完全に沈黙していた。


「おいッ! 森崎ッ!! しっかりしろッ!!」


 早川は彼女の両肩をガシッと掴むと、大きく前後に揺すった。


「和久井ッ! 戦闘指揮所はッ!?」

「連絡つきませんッ!」


 当たり前だ。艦内のすべての電源が――予備電源も含めて――落ちているのだ。


「クソッ!! 何なんだ!?」


 早川は思わず森崎の頬を両手で挟むと必死にさすっていた。人間じゃないのだからこんなことをしても意味がないのは分かっているのだが、そうせずにはいられなかったのだ。まるで……彼女が突然死んでしまったみたいな感情に襲われていたのだ。

 すると――


 突如として彼女の身体の奥底から、ピッ――という電子音が微かに聞こえたかと思うと、ふわっ――とその瞳の虹彩部分が青い環状に光を灯した。早川は思わず「あっ」と小声を上げる。

 すると程なく、森崎はぶるぶるっとその華奢な身体を震わせたかと思うと、まるでパソコンが再起動したかのように瞬きをして、その視線をあらためて目の前の早川に向けた。


「――か……艦長……」


 と、同時に艦内の電源が復旧し、あちこちのコンソールが明滅してパッパッパッと方々の明かりが灯っていった。


「お、おぉ……復活したのか……」

「――はい、すみません艦長。もう大丈夫です……自己診断プログラムがバックグラウンドで動いていますが、今のところさしたるクラッシュは見つかっていないようです」


 早川の心からの安堵の言葉に、森崎が答える。ほんの一瞬前まで、まったく魂が存在しない、ただの美しい人形と化していた森崎が、ようやくいつもの状態に戻った瞬間だった。


「……な、何があった……!?」


 早川は改めて森崎に訊ねる。戦闘艦の電源をいきなり落とし、あまつさえ同乗していたドロイドの電源まで強制シャットダウンするなどという現象とはいったい――

 すると、森崎が答えた。


「――先ほど私の電源が強制シャットダウンされたのは、自己防衛プログラムが働いたからです。その直前、中国大陸……位置は……黒竜江省ハルビン市内の一箇所です……。ここから強烈な放射線――おそらくガンマ線と思われます――が放出されました。これは……」

「――これは……なんだ!?」


 思わず言い淀む森崎に、早川が詰め寄った。


「い、いえ……そんなはずは……」

「なんだ!? いいから言ってみろ気象長!?」


 森崎は、早川の勢いに半分気圧されながらも、おずおずと口を開く。


「通常では……あり得ないはずなのですが……これは恐らく……ガンマ線バースト……」

「……なんだと――!?」


 早川は、彼女の口から出た想定外の物理学用語に、思わず鼻白んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る