第143話 進発準備

 時ならぬ土砂降りの中、石動いするぎ士郎はずぶ濡れの泥まみれになりながら演習場に這いつくばっていた。だが、いまや身体の60パーセント以上を機械化されている士郎にとっては、泥水を吸った重い軍靴も、豪雨のせいで急速に冷え込む気温も、砲煙と降雨の影響でほとんど見通しのない視界も、実はさしたる影響はない。

 それどころか、対照的に動きが緩慢になっていた一般兵の機動を出し抜いて、先ほどから次々に演習標的を撃破して戦場を圧倒していたのである。


「――士郎! ずいぶん調子がいいじゃないか!? この分だと評価試験は楽々合格しそうだなっ!」


 機嫌よく声を掛けてきたのは、コードネーム〈デビルフィッシュ〉蒼流久遠くおんである。先ほどから士郎のやや斜め後ろに貼り付いて、後衛を担っている。

 評価試験というのは、士郎のように機械化した兵士が必ず受けなければならないテストだ。自分の身体がキチンと制御できるかどうか? 支障なく戦闘を遂行できるかどうか? 不具合が生じた時、最低限の応急修理がひとりで出来るかどうか? これらに合格して初めて、機械化兵士は実戦に参加することを許される。


「あぁ! 随分この身体にも慣れてきた! ――といってもまだ自分の身体じゃないみたいだけどな!」


 突然、二人が装着しているフルフェイス鉄帽の拡張現実ARゴーグルに、飛翔体接近警報の輝点ブリップが赤く明滅する。ゲージには、飛翔体との相対距離、方角、着弾予想時間などの諸元がデジタルタイマーのように瞬時に表示され、イヤーカフからは薄く警報音が聞こえてきた。同時に離脱推奨の赤文字と適正ルートのナビゲーションラインが青色で重層表示される。


「久遠! 方位三―〇―六に離脱だっ」

「了解っ!」


 久遠は、オメガ特有の驚異的な身体能力で戦術システムが推奨する方向へ大きくジャンプした。すると、士郎もそれに難なく追従してバシュッ――と飛び上がる。二人は砲弾軌道を描くように40メートル近く跳躍してその場を離脱する。

 その瞬間、つい数瞬前まで二人が居た場所に、演習用の模擬誘導弾が着弾し、黄色い識別煙を噴き上げた。


 これが、機械化された士郎の新たな身体能力だった。換装された機械化脚足と関節各部位および筋繊維の強化により、士郎の基本スペックは今やオメガたちとほぼ同等だ。つまり、機動舟艇に乗らなくても自分の脚で平均時速約百キロの走行が可能だし、今のように跳躍力も飛躍的に向上した。循環器系にも過給機スーパーチャージャーが組み込まれおり、もちろん脳幹に埋め込まれた制御ユニットのお陰で各種格闘戦も習得している。

 オメガ特殊作戦群が編制された時、士郎は四ノ宮直々の命によって、オメガ少女たちを戦場で直に率いる「チームリーダー」に任じられていた。今考えると、これは士郎がトランスヒューマン化する前提で考えられていたとしか思えない人事だった。

 彼女たちは、放射能の影響と思われるDNA変異特性を獲得したいわばミュータントだ。その身体スペックは普通の人間を遥かに凌駕し、したがってその恐るべき戦闘力を制御するのは並大抵の指揮官では務まらない。その点、士郎はなんといってもオメガ少女たちとの信頼関係を着実に築いていたし、今回のTH化で彼女たちと同等に動き回れる能力を手に入れた。つまり、国防軍広しと言えどこれほどの適任者はいないと断言してもよいだろう。


 ただし、士郎がこれほどまでに自分の機械化された身体を使いこなせるようになるまでには、それ相応の――というか並大抵の努力では果たせない――精進を積んだのも事実である。

 コードネーム〈起爆装置デトネーター〉西野ゆずりはによる特訓もさることながら、〈記憶喪失アムネシア水瀬川みなせがわくるみの異能を逆昂進リバースドライブさせた機械化装備の操作や理論の習得、そして〈時間の支配者クロノス〉久瀬亜紀乃と久遠による主にフィジカルを中心としたオメガ独特の戦術機動の習熟など、士郎とオメガたちとの関係性だからこそ成立したさまざまなサポートがあり、ようやく彼はその地位と責任に相応しい能力を身に付けることができたのだ。


 雨はますます本降りになってきた。演習場は今や泥濘である。ほとんど視界が妨げられた状況の中で、士郎は機械化された眼球を熱源感知モードに切り替えると、目的の人物たちを素早く探す。

 いた――

 くるみと楪だ。演習場に意図的に設置された廃棄戦闘車両を遮蔽物にしてうずくまっている。


「くるみっ、ゆずっ――そろそろ合流だ!」

『『はいっ!』』


 赤やオレンジのブロックパターンで映る赤外線上の彼女たちが、小走りに士郎たちに近付いてきた。そう間を置かず、久遠が控える場所付近に飛び込んでくる。


「キノはどうした?」

「――ドローン排除の真っ最中だよっ!」


 楪が朗らかに答えた。まるで中世ヨーロッパの騎士のような防弾装甲の下に着用する黒い防爆スーツに雨水が滴って、妙になまめかしい。そういえば、装甲を身に付けているのは接近戦を担当する楪とくるみだけだ。先ほどらい同行している久遠は、役割分担として士郎の副官兼伝令を務めていて、このため身体にぴったりと密着した防爆スーツだけという身軽な格好だった。士郎は誘惑に抗えず久遠の方をあらためて振り返る。彼女の肢体は、今や黒い競泳用水着を着てたった今プールから這い上がってきたような雰囲気だ。

 思わずドキリとした瞬間、それを打ち消すように亜紀乃キノの声がイヤーカフに飛び込んでくる。


『中尉! こちら亜紀乃! 赤部隊レッドチームのドローン完全排除したのですぅ!』

「お、おぅ! ――では一旦全員集合だ。各自状況報告の上、戦況をアップデートして最後の追い込みをかける!」

「「「はいっ!」」」

『はいなのですっ!』


 久遠が士郎に声を掛けた。


「評価試験、絶対合格するのだぞっ!」

「あぁ、任せとけ!」


 その時だった――

 全員のインカムに、緊急通信を知らせる警報音がピピッと鳴った。


『オメガチーム全員へ通達――ただちに演習を中止し、可及的速やかに司令部へ出頭のこと。繰り返す――』

「なんでしょう!?」


 くるみが士郎に訊ねる。


「さぁな? とりあえず、温かいコーヒーが飲めるってことだ」


  ***


 横須賀のオメガ司令部地下施設の一角にある作戦検討室。

 普通の会議室と違うのは、壁の一面全体を覆う各種モニター群だ。通常の戦術検討会議の際は、ここにさまざまな作戦状況図を表示して部隊の動きなどをシミュレーションしたり、兵士ひとりひとりのアイカメラを再生したりしてさまざまな状況を検討する。

 士郎たちが入室すると、既に室内にはオメガ特殊作戦群の参謀たちが勢揃いしていた。それだけではない。テーブルの一角には、叶班長の他に、なぜかいち伍長に過ぎない香坂までもが同席していた。

 士郎に続いて入室してきたのは、先ほどまで豪雨のなか演習に参加していたオメガ少女たちだ。慌てて身支度をしたせいで、まだ彼女たちの髪は濡れたままだ。どうしてもシャワーを浴びたいというので、じゃあ乾かす暇もなく駆け付けた感じにしようと示し合わせたものである。着替えた戦闘服の肩に、ぽたぽたと毛先の雫が落ちる。


「――とりあえず集まるべき者は集まったようです」


 副官の新見が上座に向かって報告する。

 そこに着座していたのは、もちろん群長の四ノ宮東子だ。


「うむ――皆、急の呼び出しご苦労」


 四ノ宮が列席した面々を見回す。相変わらずこの女性ひとは媚びないな――と士郎は思う。


「――実は、極めて有益な情報が入った。茅場少佐」

「はッ!」


 陸軍参謀本部からオメガ特殊作戦群に派遣されている連絡将校リエゾン、茅場少佐が手元のコンソールを操作した。


「情報本部の茅場です。実は本日未明、アジア解放統一人民軍ALUPAに潜入していた我が軍の工作員からある情報が送られてきました。暗号化を解除し、平文に戻した音声情報です」

『……こちら陸軍二等兵曹、浅井浩伸。時間がないので手短に説明する。華龍ファロンは近々大規模な閲兵式を中ロ国境黒河市郊外にて決行する。この閲兵式の前後には大規模な実弾演習が想定されている。集結する兵力は不明だが、黒竜江省の華龍部隊は相当程度が動員されると聞いている――』


 茅場少佐は一旦ここで音声を止めた。声に合わせ、モニターに映し出されていた音声波形がスッ――とフラットになる。


「問題はここからです」


 再び音声が流れる。


『……また華龍の本拠地が置かれているハルビンの街は、空爆による影響を受けておらず、健在なり――』


 またもや茅場が音声を一旦止めると同時に、部屋の中にいた数人の参謀が唸った。今何と言った!? あの街は、あれほど徹底的に空爆したというのに影響を受けていないだと!? 偵察衛星の映像は、欺瞞情報だというのか……!?


「……さらに、もうひとつ情報があります」


『――なお、現在華龍本部に我が軍兵士が捕らえられているとの未確認情報あり……自分は本部勤務ではないため確証を得られず……別途確認されたい……』


 茅場が音声を止めた。


「以上です。この情報を送ってきた浅井二曹は約半年前に華龍に潜入を果たし、今回の報告が最初で……そして最後となりました。未だ生死は不明ですが、厳しい状況が想定されます。それらも踏まえ、我々は、これを第一級情報として扱っています」


 モニターには、浅井二曹の経歴写真が表示されている。精悍な顔つき。歴戦の兵士であったことが窺われる。

 四ノ宮が話を引き取る。


「――と、いうわけだ。先日とある一件で、ハルビンの現在状況についての議論が一部であったのだが、浅井二曹の報告によれば、市街地は健在であるということだ――」


 「とある一件」とは、もちろん士郎が現在行方不明の神代未来と意識を同期シンクロナイズさせたと思われる件だ。その際に士郎が受け取った映像イメージから、彼女の居所が中国東北部・黒竜江省の省都ハルビンではないかと叶が推察したのだが、その時は廃墟と化したはずのハルビンの状況と、士郎が受け取った映像イメージにあまりにも乖離があるとしてペンディングになっていたのだ。

 そこに来て浅井二曹からのこの情報だ。ハルビンが健在だというのが事実なら、士郎の見た映像イメージには何ら齟齬はない。さらにはそこに「日本の兵士が捕らえられている」との風聞。その兵士が未来である可能性は極めて高い。


「――いっぽうで、こちらの叶少佐が別ルートでハルビンに関係する情報を取得したところだ。叶?」


 四ノ宮が報告を促す。


「はい、オメガ研究班長の叶です。実はここにいる香坂伍長と、中国大陸で保護した某遭難民間人について、とある検査をしたところ、ハルビンに関係する人物が浮かび上がったという報告です。

 まず、その民間人というのは実は中国側のオメガであったことが分かりました――」


 おぉー、というどよめきが室内に起こる。想定はされていたことだが、日本以外でオメガが見つかったという公式な報告は初めてのことだ。


「この中国側――正確にはウイグル人ですが――の少女は、オメガであると同時に、双子の姉がいることが分かりました。もちろん姉もオメガです」

「この姉に関しては我々が大陸で実際に戦火を交えています――重力操作の異能を持つ強敵です」


 新見が補足した。参謀たちの顔が徐々に険しくなる。

 士郎もそれを聞いてはたと思い当たった。あの時の……両眼を怪我していた少女!? 収容所作戦の時に、未来を拉致した張本人じゃないか――

 しかもその妹を、我々はあらかじめ保護していたというのか……? もしかして、薬品工場で俺が保護を要請した盲目の少女……? 士郎の脳裏に、その時の情景がありありと浮かぶ。


「……端的に言うと、この双子の姉妹はオメガの異能を用いて瞬時にコミュニケーションを図ることができるようです。また、一方が何らかの怪我を負ったりすると、もう一方にも同じ症状が発現します。

 今回、妹の方に健康上の問題が発生したのでいろいろ精密検査をしていたところ、期せずしてこの姉と意思疎通を図ることができました。現在姉の方は重篤な生命の危機に瀕していると推測され、その現在位置がハルビンであることが示唆されました」


 叶は、妹のアイがスパイ行為を働いていたという部分を意図的に説明から省いていた。話を続ける。


「――さらにその姉は、我がオメガ部隊の一員である神代未来――コードネーム〈不死者イモータル〉を大陸で拉致連行した張本人であることが、こちらの香坂伍長の証言により明らかになっています」


 叶は言葉を切ると、室内の面々を軽く見回した。浅井二曹の情報と今の話――完全に符合するではないか!?

 華龍の本拠地はハルビンだとされている。そのハルビンの街は健在……そこに捕らえられているという我が軍兵士……

 すべての手がかりが、ひとつに収斂していく。


「イモータルといえば、〈不死〉の遺伝子を持つ我が国の至宝ではないか……しかも彼女を連れ去ったとされる少女から、現在ハルビンにいるという知らせがあった……捕らえられているのは、イモータルと断定して間違いないんじゃないか!?」


 参謀のひとりが声を上げた。もちろん、未来が大陸で拉致された案件は、ことの顛末含め軍の中でも必要な者にはあらかじめ情報共有されている。

 四ノ宮が口を開いた。


「――その可能性は極めて高い。と同時に、イモータルの奪還は我が国にとって極めて重要な最優先事項だ――さらに、ALUPAの拠点はハルビンで、現在この街は健在だという……で、近々大規模な敵軍の集結がある……」


 四ノ宮は参謀たちを睨みつけた。もちろん、目を背けるものなどいない。


「群長――やりましょう! ALUPAを叩きのめし、イモータルを奪還するチャンスです!」

「ALUPAの戦力が黒河市に集結するとなれば、ハルビンの防備はその間手薄になるはずですッ!」

「出陣する好機です! 黒河市のALUPAに正面から決戦を挑み、これを殲滅。同時にハルビン市内に別動隊を送り込んで、敵の本拠地からイモータルを救出するのです!」


 参謀たちが色めき立って口々に声を上げた。皆、ALUPAにはひとかたならぬ思いを抱いているのだ。

 大陸での消耗戦は既に20年に及ぶ。チャイナテロの総本山と軍が見做しているALUPAへの全面攻撃を政府が認めないのは、適度な危機を継続して国民の目を外敵に逸らし、もって国内の引き締めを図るためだと誰もが思っていた。だが実際のところ、長く続く小競り合いのせいで命を落とした兵士は多い。

 おまけに多国籍軍の苛烈な空爆で、ALUPAの本拠地と目されている肝心のハルビン市街地は今や廃墟化していると思われていたのだ。「過度の攻撃は無用」という文民側の意見はそれなりに筋が通っていたが、この瞬間、その前提は崩れ去った。東北三省にまたがるALUPAの勢力範囲も、本丸であるハルビンを落とせば一気に崩壊、縮小に向かうに違いないのだ。

 四ノ宮が皆を制し、立ち上がった。


「――諸君! 我がオメガ特殊作戦群は、中ロ国境に集結するALUPA兵力を叩き潰すと同時にこの間手薄になったハルビンを陥落おとし、イモータルを奪還する!

 この作戦に必要な情報を収集し、参謀諸君は可及的速やかに作戦を立案せよ! また、すべての将兵はただちに決戦に向けて準備を開始せよ!

 どうだ!? 我が部隊の初陣として、これほど相応しい死に場所もないであろう?」


 四ノ宮が、鬼神の笑みを浮かべた。

 いよいよ、未来奪還作戦の開始だ――

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