第142話 ジグソーパズル

 ギギギギギィィィィ――――!!

 激しい軋み音を立てて、列車が急停止した。レールと鉄輪の間にオレンジ色の火花が散る。緑色の車体。どことなく時代を感じさせる古ぼけたディーゼル車両。辺りは既に暗く、見渡す限り家の灯りや街灯らしきものも存在しない。先頭車両のヘッドライトと客車の窓から車内の明かりが漏れていなければ、そこはまるで漆黒の無間地獄のようだった。

 幸い車窓の灯りは、列車の周囲の大地を細長くぼんやりと照らしていた。その地面に伸びるのは多数の人影。影は忙しそうに蠢いていて、列車の周囲に多数の人員が展開している様子が窺い知れた。


「分隊ごとに分かれて探せーッ! まだ遠くには行っていないはずだ!」


 怒鳴り声が聞こえる。どうやらどこかの兵隊たちを運んでいた列車が何らかの理由で急停車し、総がかりで人探しを始めたようだった。


 その男は、先ほど列車が爆走している時に飛び降りた所為で片脚を挫き、左肩を脱臼していた。跛行しながらそれでも歯を食いしばって追手から逃れようとひたすら前へ進む。どこまでも続く地平線のせいで、先ほどまで自分が乗っていた列車が遠くで止まったことにも気づいていた。

 距離にして二、三キロといったところか。ならば真っ直ぐ自分のところを目掛けて追いかけてきても、2、30分はかかるだろう。充分だ――それだけあれば、自分の仕事は十分こなせる。


 男は、外れた肩の痛覚神経が激しく信号を脳に送ってくるのを必死で無視しながら目的の農家の納屋を目指していた。脱臼の激痛に比べれば、片脚を挫いたことなど痛みのうちにも入らない。街に入る前に、そこがとっくに廃屋になっていて主がいないことを確かめてある。納屋の奥には今でも誰にも気づかれず、衛星通信システムが隠匿してあるはずだ。


 観閲パレードの準備のために、自分の中隊が郊外に転進するよう命ぜられたのは千載一遇のチャンスであった。食いはぐれた中国人のふりをしてまんまと華龍ファロンに潜入を果たして早や半年。一兵卒から始めた所為で、初めて休暇が取れたのは入隊してから約三か月後のことだった。ところが街の外に出ることは許されず、それからは二週間に一度だけの休暇のたびにチャンスを窺っていたのだが、どうしても通信機を隠した場所には戻ることができなかったのだ。

 だから今回の列車による部隊転進がたった一度きりの、そして恐らく最後のチャンスだと判断したのである。この際脱走して、今まで得た情報だけでも送るしかない。しかし列車から飛び降りたことにこんなに早く気付かれるとは、もしかして抜き打ち点呼でもかかったか――!?

 間が悪いな……男は舌打ちをしながら、ようやく目の前に現れた目的の納屋のシルエットに安堵する。もう少しだ――これが終われば、あとはここからおさらばするだけだ……


 その時だった。

 突然男の後方から強烈なサーチライトが照らされた。と同時に、ヒィーーーンという甲高い風切り音が耳に入ってくる。

 クソッ――ドローンか!?

 光源は、男の後方三メートルくらいの空中を漂っているが、それでも一瞬たりとも男の姿を捉えて離さない。

 と同時に、遥か後方から聞こえていたざわめきの中に、急に命令口調の鋭い怒鳴り声が混じった。チッ――このドローンが自分の位置と映像を追撃部隊に知らせたのかもしれない。怒鳴り声はますます激しくなり、複数の足音が徐々に大きくなって近付いてくる気配を感じる。

 こちらの位置が特定されたのは間違いない。早く通信しなければ――

 男は納屋に飛び込むと、まずはドローンが入って来れないように木製の扉を素早く閉じた。それから転げるように一番奥まで進むと、積みあがった藁を必死で掘り返す。するとそこには、泥にまみれた木箱が半分地面に埋まっていた。半年前に自分で埋めたものだ。倒れ込むようにその木箱に覆いかぶさった男は、右手だけで必死に蓋を開けようと今一度歯を食いしばる。爪を突き立て、歯で咬みついてメリメリとその蓋を引き剥がすと、ようやく中の通信機が姿を現した。指先は既に血塗れだがそんなことには構っていられない。風に乗って聞こえてくる追手の気配は、先ほどよりもますます大きくなっているのだ。

 筐体の一部を開けると、中には何重にも巻かれた黒いケーブルが収まっていた。今度はそれをするすると引っ張り出すと、先端をその辺に転がっていた竹竿に結び付ける。片手が使えないとこうも面倒くさいのか……右手と口でようやく縛り付けると、今度はその竹竿を苦心惨憺して立ち上げる。長さ三メートルはあるだろうか――充分だ。ボロボロになった納屋の天井に開いた穴からそれを突き出すと、ちょうど屋根の上まで竹竿の先端が届く。これで衛星に電波が届くはずだ。外のドローンは馬鹿みたいに納屋の入り口を照らしたままで、屋根から突き出した竹竿など気付いてもいない。自律型AIが搭載されていない時代遅れのドローンなど、所詮こんなものだと内心敵の装備を馬鹿にしてみる。

 もう一度通信機の前にしゃがみこむと、男はパネルを操作して暗号化通信プロトコルを衛星から受信する。ジジッジジッ……と微かな音がして、自分の認識番号を打ち込み、それから数十秒経つとようやくグリーンランプが点灯した。よし――アップリンク完了だ。これで音声通信が自動的に暗号化されるのだ。だが、電波発信が傍受されてジャミングを掛けられたらおしまいだ。あと少し……気付かれませんように!

 男は小さなマイクを通信機から引っ張り出すと、はーっと大きく深呼吸して、それから一気にしゃべり始めた。


「こちら陸軍二等兵曹、浅井浩伸――」


  ***


「死体はどうしますか?」


 兵士の問いかけに、華龍の将校は冷たく言い放った。


「そのまま放っておけ――どうせ野犬の餌になる」

「わ、わかりました……」

「いいか! お前らもよく見ておけ! 脱走兵はその場で銃殺だ。コイツはどうせ兵隊が怖くなって逃げ出した臆病者だ! 華龍の兵士に腰抜けは必要ない――では撤収するぞ」


 浅井軍曹は、身体中を機関銃で撃ち抜かれて絶命していた。納屋には、彼の大量の血痕が飛び散っていた。だが、勝利したのは間違いなく彼の方だ。彼は腰抜けなどではない。それどころか、ここにいる誰よりも勇敢で責任感に満ちた精兵だった。衛星無線機は再び藁の底に隠蔽され、彼が日本陸軍の潜入工作員であったことは、最後まで秘匿されたのである。


  ***


 検査を終え、意識を取り戻したアイに叶が話しかけていた。


「アイちゃん、よく頑張ったね。お陰でいろんなことが分かったよ」


 アイは俯いたまま、押し黙っている。自分が過去やったことがすべて白日の下に晒されたことを知っているからだ。香坂が助け舟を出す。


「アイ……心配することはないぞ? この前も言ったけど、日本では子供の罪は問われないんだ」

「……うん……でも……」


 ようやくアイが返事をする。お腹の上で、香坂が手渡したお気に入りのクマのぬいぐるみをぎゅっと抱き締めていた。


「ねぇ、アイちゃん……おねえさんのこと、分かる?」


 新見が優しく話しかけた。


「……ううん……わかんない」

「そっかぁ……あのね、おねえさんね、のお友だちなの。アイちゃんのこと相談されて、それでみんなでアイちゃんの力になってあげたいな、って思ってるんだよ?」

「……そうなの?」

「うん! だからね、もしもアイちゃんが今、悪いことしたなーって思って悩んでるんだったら、ちょっとおねえさんたちのこと、手伝ってくれないかな!?」

「――そしたら、許してくれるの?」

「……あのね、アイちゃん? おねえさんたちは、別にアイちゃんのこと怒ってなんかないんだよ? おねえさんやセーギ兄や、ここのオジサンが怒ってるのは、アイちゃんにこんなことさせた、悪い大人たちに対してなの」

「……うん……」


 アイの声が、涙交じりになっていた。「怒ってない」と言ってもらえて、少しだけ安心したからだろうか。


「……だって、アイちゃんは生まれた時から目が見えなかったわけじゃないよね!?」

「……うん……ひぐっ……」


 こらえきれず、アイのめしいた眼球から大粒の涙が零れる。三人は、顔を見合わせるしかない。

 検査の結果、アイの目に外傷痕は一切認められなかった。視神経にも異常は見られない。見えなくなっていたのだ。いっぽうアイによく似たクリーは、両眼から大量の出血痕があったことを香坂は記憶していた。もし二人が双子ならば、クリーの目を潰すことで、アイも視力を失った可能性が高い。なんて酷いことを……行き場所のない怒りが込み上げる。

 新見が続けた。


「アイちゃん……アイちゃんには、双子のお姉さんか妹がいるんじゃない?」

「……ひぐっ……いっ……いるよっ……ひっ……お姉ちゃん……」


 香坂が、嗚咽するアイの肩を優しく撫でながら話を継ぐ。


「アイ……お姉ちゃんの名前、何て言うの?」

「……く、クリー……」


 やっぱりそうか……

 三人は確信する。近頃アイの体調が思わしくないのは、間違いなく双子の姉、クリーが身体に変調をきたしているせいだ。

 自分の身体を傷つけることで、相手にも同じ症状が現れる。二人はその特性を利用して、自分の身体を傷つけることで筆談を交わしていたのだ。姉妹の背後に、それを強要した大人たちが、いる。ソイツらが、神代未来を拉致した黒幕である可能性は、極めて高い。

 しかも現状、姉のクリーには大きな危機が迫っていることが推察された。アイのお腹に突如として浮き上がった『HELP』の文字。彼女が妹に助けを求めていることは明白だった。それに、もしも万が一クリーの生命に重大な危機が訪れた場合、同期している妹のアイの生命も脅かされる恐れは極めて高い。

 一刻の猶予もなかった。


「アイちゃん、あのね……よく聞いて? 今、お姉ちゃんのクリーちゃんが助けを求めているみたいなの」

「えっ! ホントに!?」


 アイがまた涙目になる。


「それでね、おねえさんたちは、クリーちゃんも助けてあげたいなって思ってる。アイちゃん、クリーちゃんの居場所、分かるかな?」

「わ……分かったら……お姉ちゃんも助けてくれる!?」

「全力を尽くすわ」

「わかった……やってみる……!」


 そう言うとアイは、クマのぬいぐるみを脇へ置き、おもむろに服をめくって白いお腹を剥き出しにした。そのまま人差し指を当てると、爪をグリっと突き立てる。

 新見たちはその様子に思わず顔をしかめた。アイもギュッと顔をしかめながら、それでも痛みに耐え、爪で自分の皮膚を切り裂いていく。

 そこに曳かれた傷は『ZNL』――在哪里ZaiNaLi――中国語で「どこにいる?」という意味だ。

 一同は、じっとその傷痕を見つめ続ける。

 すると、突如としてその文字の上に、さらに何かが浮かび上がってきた。次第にミミズ腫れになっていく。


 『HBN』――哈爾浜HarBiN――


 ふぅー……と香坂が深い息を吐いた。新見も、そしてじっと様子を見ていた叶も、お互いの顔を見合わせる。叶が口を開いた。


「……ありがとうアイちゃん。君のお姉ちゃんは、ハルビンにいるんだね!? そして、クリーちゃんは未来ちゃんを連れ去った張本人だ。やはり彼女も、ハルビンにいる可能性が極めて高い」


  ***


 ジグソーパズルというのは、ピースがひとつ嵌まると、途端に次のピースも見つかって、一気に組み上げるスピードが上がったりするものだ。今のオメガ特殊作戦群司令部は、まさにそのブーストがかかった状態と言っていいだろう。


「群長――情報本部から至急電ですッ」

「――繋げ」

「はッ」


 横須賀の海岸線に程近い武山地区。自衛隊時代は陸自の工科学校や海自の教育隊などが密集していたエリアは、国防軍に改組されて以降も横須賀における一大軍事拠点だ。今はオメガ特殊作戦群が全域を使用している。

 その敷地内の一角。元は校舎だった建物は、地上部分こそ当たり障りのない設備部門や会議室、室内訓練場などを割り当てているが、地下は最新の戦闘指揮システムBCS――C4Iシステムを完備したオメガ司令部に改造されていた。地中貫通爆弾ディープスロートが落とされてもビクともしない構造だ。

 その地中奥深くに設けられた旅団級部隊戦闘指揮BCB2システム発令所に詰めているのが群長の四ノ宮東子中佐だ。目の前のコンソールに回された情報本部直通通信が【秘匿】表示となっていたため、フロアミュートにして自分だけが聞こえるようにヘッドセットを耳に当てる。

 見る間に四ノ宮の眼の色が変わった。通信を聞き終わるとヘッドセットを投げ捨て、発令所にいた当直士官に声を掛ける。


「至急参謀を集めろ! ――それから、オメガチーム全員を緊急呼集! 作戦群全員の休暇を取り消せッ! 大至急だ!」

「は――はッ!」


 当直士官が大慌てですっ飛んでいく――何事だ!?

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