第138話 精神感応

「――ったく! 聞きましたよッ!? ナースコールで駆け付けたら何であなたが士郎さんに抱きすくめられたまま動けなくなっているのです!?」

「そうだぞッ! しかもゆず、ほとんど半裸だったらしいじゃないか! いったい士郎のところで何をしていたんだ?」


 くるみと久遠くおんが興奮冷めやらぬ様子で西野ゆずりはを問い詰めていた。


「てへっ♡ ――挟まれちゃった」


 サーモンピンクの短いキュロットスカートにグレーのパーカーを着込んだ楪が、ぺろっと舌を出して悪びれた様子もなく愛想を振りまく。


「てへっ♡ ――じゃないだろうがッ! まったく――」

「まぁまぁ二人とも、少しは落ち着きなさい」


 オメガ研究班長の叶がくるみと久遠をたしなめる。リクライニングされた可動式の診察椅子に深々と腰掛けている士郎は、まったくもって面目なさげにしていたが、いきり立つ二人には未だに目も合わせられない様子だ。明後日あさっての方向を見ながらなんとか言い訳を繰り出す。


「――す、すまん……その、擬体が電池切れを起こして……心配……かけたな……」

「士郎さんっ!? 大丈夫だったんですか? お怪我はありませんでしたかっ?」

「しっ……士郎が無事であればいいのだ! うむ……」


 士郎に声を掛けられると、二人は急に態度を変えた。楪には相変わらず疑いの目を向けているようだが、要するに士郎が自分の方を気にかけてくれればそれでこの二人は満足なのだ。


 だが叶は知っていた。擬体が「電池切れ」というのは、要するに「過負荷」による「オーバーヒート」を「強制停止」させたことによる意識喪失のことだ。民家で電力を一度に使い過ぎるとブレーカーが落ちるようなものだ。よほど興奮して全身の神経回路に一度に大量の感覚電流が行き来したのだろう。まぁゆずちゃんも半裸だったらしいし、何をやっていたのかだいたい想像はつくが……オメガチームの平和のためにもここは黙っておいたほうがよさそうだ。


「――それで石動いするぎ中尉。なんでも意識喪失中に気になることがあったとか……?」

「は、はい。そうなんです……突然どこかの風景が頭に飛び込んできて……それで、もしかしてそれは未来みくの見た光景なんじゃないかと――」

「「「えっ!?」」」

「何っ!? ついに彼女と同期シンクロナイズしたということですかっ?」


 その場にいた全員が、この突然の話に驚愕する。


「し、士郎ッ!? それは……本当なのかッ?」

「未来ちゃん――やっぱり生きてるんですねッ!?」

「マジでっ!!」


 三人が一斉に喋るから実際は誰が何を言っているのかよく分からない。


「あ、あぁ……やっぱりあれは……未来みくだと思う……」

「どんな感じでした? 夢を見ているみたいな?」


 叶が問い質す。ただの夢という可能性も十分あり得るからだ。


「夢……というか……いや、あれは夢とは違う感覚だった……突然頭の中にイメージが流れ込んできたというか……」

「――私の時と一緒だよ……」


 ゆずりはが思わず話に割り込む。

 彼女は一度、士郎と同期シンクロナイズしたことがあるのだ。彼がかざり各務原かがみはら伍長――今は名誉の特進をして軍曹だ――にPAZへ連れ去られた後、その居場所を士郎との意識の同期シンクロナイズによって特定したのがほかでもない楪なのだ。

 ここで話を一旦整理してみよう。


 士郎と体液交換をしたことのあるオメガは、お互いの意識を共有することができる――


 大陸で初めて士郎たちとオメガが出逢った時、そのきっかけとなったのが「未来が士郎と意識を共有した」という事件だ。彼女はそれによって士郎たちの小隊の窮地を知り、救援に駆けつけたのだ。

 最初その理屈はまったく分からなかった。

 ただ、「戦闘中は敵味方識別ができない」という致命的欠陥をオメガが抱えていたにも関わらず、士郎とその小隊の生き残りだけは最初からオメガに「味方」だと認識されたことから、オメガ研究班長の叶は「士郎の遺伝子にはオメガを制御する何らかの特性があるのではないか」と推測した。

 その結果として開発されたのが〈甲型弾〉である。この弾薬はある種の麻酔弾で、着弾すると士郎のコーディング遺伝子をナノマシーンによって対象の体内に注入するものだった。そしてこの新型弾薬を実戦投入したところ、想定通りオメガたちは初めて戦場で敵味方を識別したのである。

 さらに、楪が重傷を負い、士郎が応急処置として彼女に自分の血液を輸血することに成功した時点で、士郎の遺伝子が「他とは違った何かの機能」を持つことが決定的となった。

 もともとオメガは普通の人間アルファの血液や髄液、リンパ液などを一切受け付けない。激しい拒絶反応によって死に至ってしまうからだ。士郎はそのことを知らずに楪に輸血してしまったのだが、結果的に彼女は一命を取り留め、その後無事に一部擬体化手術にも成功した。


 ここに至り、叶は一番最初の事件――神代未来みくが士郎の意識と同調したと主張した件――に立ち戻り、これを仔細に検証することとしたのである。その結果、「石動いするぎ士郎と体液交換したオメガは何らかの遺伝子的変化を引き起こす」のではないかとの仮説に辿り着いたのである。かつて幼い士郎が放射能により立入制限が掛けられていた区域――緩衝地帯UPZ――で遭難した時、当時その地域に暮らしていた未来に救護されていたという事実も傍証となった。確認はされていないが、その際に「何らかの体液交換」がなされていたのではないか、という可能性だ。

 士郎がオメガ少女たちと強制的に同棲させられて、何らかの体液交換を試みよ、と四ノ宮から命令されたのもこの頃だ。

 その後不幸にも士郎が連れ去られた時、士郎から輸血を受けた経験のある楪には、彼と「意識が同期する」可能性があるのではないかと推測され、そして実際彼女は見事、行方不明の士郎の現在位置を同期シンクロナイズによって探し当てた。


 既に神代未来が大陸で拉致連行されてから数か月が経っていた。その行方はようとして知れず、無事を祈ることしかできなかったのだが、これら一連の経験則から、今度は誘拐された未来の居場所を士郎が探し当てることが理論上出来るのではないか、と示唆されていたのである。

 だから今回の士郎の話は「未来みくの奪還」という観点からも、「オメガ研究」という視点からいっても、極めて大きな話であり、実に状況が大きく動くきっかけになり得る話なのである――


「――イメージが流れ込んできた……私の時も同じだったよ!? ある時突然、まるで自分の部屋に押し入るかのように勝手にイメージが頭の中に一方的に入ってくる、って感じだった。士郎きゅんもそうだった?」

「あぁ――間違いない。まさにおんなじ感覚だ」

「――ではかなり確度の高い話のようですね……どんなものが見えたのか、覚えている限り教えてくれませんか? おっとその前に、四ノ宮中佐も呼びますね」


 そう言うと叶は電話をかけ始めた。


  ***


「――では始めよ」


 オメガ特殊作戦群の群長にして、実験小隊をずっと率いてきた四ノ宮東子が診療室の椅子に腰掛けた。他のオメガたちも神妙に座っている。もちろん亜紀乃も、四ノ宮の副官・新見千栞ちひろも呼んである。


「分かりました。では中尉――君が見た映像イメージをなるべく細かく思い出してください」


 叶が、まるで臨床心理士のような口ぶりで士郎に話しかける。誰かがゴクリ、と喉を鳴らす音が聞こえた。

 士郎は診察椅子に身を委ね、目を瞑ったまま口を開いた。


「砂漠……まず最初に見えたのは砂漠だ。赤茶けた土……猛烈な砂嵐……」


 未来が拉致されたのは中国大陸東北部の荒野だ。そんな情景はそこら中にある。


「……狼……いや、あれは……バケモノだ……俺たちの小隊を襲った……あのバケモノ狼だ……」


 士郎の顔が歪む。自分が初めて指揮した小隊を壊滅に追い込んだ奴ら――実に多くの部下をコイツらのせいで失った。士郎のこめかみから大粒の汗が滴り落ちる。

 そんな士郎を心配そうに見つめるオメガの少女たち。


「……外国人……欧米系の兵士だ……金髪……いや、アラブ系も……アジア人もいる……どこの軍隊だ……?」

「……これは……モスク……? いや……十字架だ……ビザンチン様式? ……ロシア正教会……」


 一同がどよめく。まさか……ロシアにいるのか!?


「……暗闇……淋しい街……オレンジ色の明かり……」

「いや――昼間は結構賑やかだ……公司……これは……簡体字……中国……?」


 ロシア? 中国? どっちだ!?

 他に手がかりになりそうなものはないのか!? 四ノ宮は黙して聞きながら心の中で舌打ちをする。もう少しだというのに――!


「……若者……公園……家族……賑やかな商店街……貧民街も……いや、通りを歩いているのはほとんどアジア人だ……」

「…………」


 士郎が黙り込んでしまった。一同は、次の言葉を辛抱強く待ったが、数分間の沈黙が続いた。


「――すみません……今は、これくらいです……」


 ふぅーっと息を吐き出しながら、士郎が背もたれを元に戻した。


「いや、中尉。結構なヒントがあったと思うよ!?」


 叶が満足げな表情を浮かべた。


「……そう……なんですか?」

「ああ、君が見た街は、ずばり黒竜江省の省都、ハルビンだ――」

「「「「ハルビン――!?」」」」


 皆が一斉に声を上げる。


「あぁ、まずハルビンは、未来ちゃんが拉致された現場からそう遠くない。せいぜい数百キロだ。しかも周囲は砂漠化が進み、今や荒野と化している。

 次に、モスクのような教会――これは中尉の言う通りロシア正教の教会だろう。だとすると、過去のある時期ロシア領だった可能性が高い。中国でロシア正教が市民権を得た時代はないからね。街の住民がほぼアジア人で、簡体字が書かれていたということは、戦前までは間違いなく中国領だろう――そして上海政府の施政権が及ばない地域。

 一部欧米系の兵士も見えると言っていたが、これは傭兵じゃないかな? 正規の国軍が存在しない……つまり反政府軍の支配地域だ。

 これらの条件にすべて一致するのは、現在アジア解放統一人民軍ALUPAが支配している地域で、かつてロシア領だったことのある街――ハルビンしかあり得ない」

「……なるほど!」

「ハルビン――!」


 口々に皆が納得し始めたところで、四ノ宮が口を開いた。


「――だが叶……ハルビンは今や廃墟だぞ」

「あ……」

「先ほど石動いするぎが言っていた、“賑やかな街並み”というのとは矛盾しているのではないのか?」


 北京派の支配地域は一時期多国籍軍の猛烈な空爆対象となった。とりわけ武装闘争路線を公に掲げるALUPAの支配地域には、苛烈な空爆が数十回繰り返され、ほぼすべての建物が崩壊し、街から住民はいなくなったはずだった。

 その様子は偵察衛星や無人偵察機UAVの航空映像で何度も確認されており、さすがに廃墟と化した街にこれ以上の空爆は不要ということで、今はこれらの都市への攻撃は控えられている。


「……じゃあいったい……?」


 四ノ宮の冷や水で、少しだけ盛り上がりかけていた空気が一瞬で冷める。

 みんながしかめっ面をして考えてみるが、叶の説よりも条件に合致した都市は思いつかない。


「やっぱりロシアなのかなぁ……」

「案外中央アジアとか、中東っていう線も――」

「うーん……あの風景は絶対に中国大陸だと思うんだけどなぁ……そうだ! そういえば大きな川が見えた!」


 士郎が小さなヒントを思い出す。

 だが、それだとやはりハルビン説を補完するだけなのだ。あそこには、松花江、そして黒竜江という大きな川が流れている。


「――石動、もう一度なんとか同期できないか?」


 四ノ宮が割と無茶ぶりをする。意識の同調は言うほど簡単ではないのだ。思った時に見られるならこんなに苦労しない。

 だが同時に、それしか方法がないのも事実だった。映像イメージと現実に矛盾がある以上、それは未来の方になんらかの記憶の混乱や感情の乱れがある可能性も排除できないということだ。

 再度四ノ宮が口を開く。


石動いするぎ、なんとか頑張ってくれ……場所さえ特定できれば、未来の奪還作戦が具体化するのだ。お前たちも何でもいいから石動を手伝ってやってくれ」

「えっ!? もももモチロンだぞっ!!」

「私にできることなら一肌でも二肌でも脱ぎますわよ!」

「――くるみちゃんホントに服脱ぎそうなのです」

「わたしっ! またまた士郎きゅんの先輩経験者だから手取り足取り教えちゃう♡」


 突然の群長からの「無制限サポート命令」に、少女たちが色めき立つ。


「――そ……そうですね、俺が頑張んなきゃ……もう一度トライしてみます!」

「あぁ、頼んだぞ」


 士郎はあらためて未来のことを考える。

 今頃どうしているだろうか……まだ数か月しか離れていないのに、もう何年も会っていないような気がする。

 君がいない間、こっちではいろんなことがあったぞ……日本に帰ってきたというのに、同士討ちみたいな、やらなくてもいい戦闘まであって……結果的に各務原かがみはらは……

 未来のほうはどうだ……異国の地で、しかも敵軍に拉致されて、さぞ辛い思いをしているだろう。だが、もう少しだけ待ってくれ……必ず助けに行く。

 俺たちは、実験小隊から公式の任務部隊になったんだ。オメガのことも少しずつ分かってきて、どうやら自分がその謎の解明に僅かだが貢献できているらしい。これもみんな未来のお陰なんだ……君がいれば、オメガのことがもっともっと分かってくるだろう。

 だが何より……俺は単純に未来、君に逢いたいよ……

 難しいことはともかく、ただ一緒にいて、抱き締めてやりたい気分なんだ――


 その時、ドクンっ――


 と何かが振動したような気がした。刹那――

 士郎の眼が内側から一瞬だけ青白く輝いたような気がして……そしてすぐ元に戻った。


 そのことに気付いたのは――士郎と完全な体液交換を果たしていた西野楪だけだった……彼女もまた、士郎の感じた脈動パルス(パルス)に一瞬だけビクンと反応したのだが、それがあまりにも一瞬だったので、気のせいかもと思ってしまったのだ……


 だが、確かに今――士郎きゅんの眼が……

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