第136話 戦闘訓練

「状況開始ッ――!」


 受令機インカムから演習判定官の指示が全員に一斉下命された。

 これを受け、いよいよ青部隊と赤部隊が陣地の取り合いを始めるのだ。

 オメガ特殊作戦群の新たな拠点となった横須賀市郊外の広大な演習場。模擬戦闘訓練がたった今始まったばかりだ。


 部隊編制式以降、オメガたちは他の一般兵士とともに戦闘を行う訓練に初めて本格的に取り組んでいた。なにせ今まで、オメガたちは戦闘状況に陥ると敵味方の区別なく殺戮に走ってしまうという致命的な欠陥を抱えていたから、他の部隊と合同で戦闘を行うという経験がなかったのだ。

 幸いなことに、この「敵味方識別ができない」という問題は、石動士郎のDNA特性によってほぼ解決されつつあった。彼のDNAを含んだナノデバイスを体内に注入すると、オメガたちは明確にその対象者を味方と認識することが分かったからだ。

 このため、オメガ少女たちと連携して戦闘に臨むことを義務付けられているオメガ特殊作戦群三千名の兵士は、全員が例外なくこの〈イスルギワクチン〉を注射されている。これでようやくオメガたちは、友軍兵士たちとともに戦場で戦うスタートラインに立ったといえよう。

 今や彼女たちにとって、戦術レベルで一般兵と連携したり役割分担したりする、という作戦能力の獲得は、一刻も早く身に付けなければならない喫緊の課題となっていた。今までのように我流では彼女たちの戦闘力を最大限生かすことができないことが分かっていたからだ。特殊作戦群タケミカヅチとの死闘の経験がその引き金となったことは間違いない。


「亜紀乃ッ! 突出しているぞ――散兵線を維持するんだ」

「は……はいッ」


 演習場全体を俯瞰する四ノ宮からの指示が飛ぶ。

 本日の訓練想定は、オメガ少女たち――現在稼働可能なのは蒼流久遠、水瀬川くるみ、西野楪、そして久瀬亜紀乃の四名だ――の所属する味方部隊ブルーチームが、敵想定の赤部隊レッドチームが激しく抵抗するエリアを突破し、最終的に赤部隊陣地を奪取する、というものだ。

 青部隊は今回歩兵火力のみという設定だ。実戦であれば砲兵隊や航空支援なども当然用いるのだが、それでは歩兵戦闘の訓練にならない。いっぽう赤部隊は自陣を死守するために、地雷原や塹壕、ブービートラップなどさまざまな障害物を仕掛けてよいことになっている。もちろん重火器も待ち構える。

 使用する武器にはさすがに実弾は使わないが、それに近い空砲を使用する。わざわざそんな骨董品を使わなくても、レーザー判定をすればいいのではという話も幕僚の間では出たのだが、四ノ宮がそれを許さなかった。

 確かにレーザー判定であれば確実だし、各兵士はデータリンクしているので被弾判定も一瞬で出てリアルタイムに状況を確認することも可能なのだが、それだと弾薬の制限もないし、当然ながら携行する弾薬の重量もなくなってしまう。そして何より「撃たれた」という感覚がまったく生じない。

 いっぽうで「空砲」というのは、ガスで模擬弾を発射するものなので、まぁ実弾ほどではないにせよ射撃音はそこそこするし、反動も割と大きい。それに「模擬弾」と言っても至近距離で撃たれれば本当に痛い。

 四ノ宮は、訓練は徹底的に実戦に近付けるべきだと主張した。そしてこの「撃たれれば痛い」という感覚には絶対に慣れておくべきだとも皆に説いた。なぜなら「痛い」という感覚は「恐怖」という感情に直結するからだ。特にこの訓練には、普段陸上戦闘を行ったことのない海軍兵や宇宙軍兵出身者も一定数混じっている。百戦錬磨の特殊部隊出身兵士と肩を並べて彼らも泥臭い地上戦を経験することは、統合部隊として兵種の壁を超えた連携作戦を行わなければならないオメガ特殊作戦群所属兵士にとって不可欠の訓練だったのである。

 軍が彼らに求めるのは、海兵でありながら肉弾戦に遭遇しても怯まないこと、陸兵でありながら水上艦艇の精密兵器も扱えることなのである。彼らが担う作戦は、それほどまでに状況が刻々と変わることが想定されており、難易度が高い。


「亜紀乃ッ――ワンマンプレーは駄目だ! 独りで敵をやっつけようとするな。分隊の仲間に任せるところは任せるんだ!」

「わ、わかりましたっ――」


 コードネーム〈時間の支配者クロノス〉久瀬亜紀乃の真骨頂は、その反応速度の速さにある。自分自身の神経伝達回路が異常に早いことによって、相対的に敵の動きが止まったように見える。その間に敵の背後に回り込み、無力化することが彼女の必勝パターンだ。

 だが、それは同時に自分だけが前線で突出するというリスクを常に負うことと同義だ。単身敵地に乗り込んで縦横無尽に暴れまわったとしても、後方の味方との連携が途切れた途端、戦線で孤立して飽和攻撃を喰らいかねない。いくら反応速度が速くても、閉じた空間に追い詰められたら敵の弾幕から逃れる術はないのだ。

 逆もまた然り。損害を負って動きの鈍った友軍を取り残したまま自分だけ進軍するという行為は、仲間を見捨てることと同義である。

 どうやったら自分の異能を部隊のために活かせるのか!? 目下のところの彼女の課題は、その一点に集約できる。


「……ったく……ひとりでやればこんな陣地とっくに落としてるはずなんですぅ……どうしましょう」


 亜紀乃は、自分の声が分隊全員に筒抜けになっていることに気付いていない。

 当然ながら、お荷物扱いされた他の兵士たちは面白くない。だが相変わらず赤陣地からは激しい防御砲火が撃ち込まれてきて、青部隊ブルーチームは塹壕から一歩も動けないでいた。


「――そんなこといったって! 亜紀乃ちゃんだけどんどん先に進んだところで陣地は占領できないよッ!?」


 誰かが受令機インカムに反論してきた。

 亜紀乃は14歳だが、小柄なので実際はもっと幼く見える。下手したら小学五年生くらいに見えなくもない。そんな子に大の大人がガチで喧嘩吹っ掛けるのもみっともないという兵たちの自制心のお陰で、この程度の口調で済んでいるのだ。本音で言えば「何生意気言ってんだクソガキ!」くらいの心境であろうか。

 当然亜紀乃だって面白くない。要は、まだるっこしいのだ。


「――でも! ここさえ突破してしまえば敵陣地はすぐなのです。皆さんにはこのまま前線を維持していただいて、私が後方に回り込んで陣地を占領しちゃった方が早いのですッ!」

「――その『占領』ってのは、『皆殺し』って意味!?」


 さらに別の誰かが割り込んできた。


「駄目なのですか!?」

「駄目に決まってるじゃない! もし敵陣地に重要情報持っている奴がいたら、亜紀乃ちゃんが殺しちゃうせいで敵情報を入手できる可能性がゼロになっちまうだろッ?」

「――それに! 戦っているのは俺たちの分隊だけじゃない! 戦場全体で、数千人、数万人の両軍兵士が激突している状況をイメージできなきゃあ!」

「亜紀乃ちゃんの活躍で仮に俺たちだけが突出して陣地を確保してもさ、じきに孤立して分隊全員が包囲される可能性の方が高いんだ!」

「――そうなったら、亜紀乃ちゃんだけは助かるかもしれないが、俺たちは全員討死だ!」


 矢継ぎ早に兵士たちが声を上げる。


「――じゃ、じゃあ……どうすれば……!?」


 亜紀乃が困惑する。今までそんな難しいことなんて考えたこともなかったよ!?

 赤部隊の反撃はますます激しさを増す。戦線は見事に膠着していた。


 ひとりの元特殊作戦群タケミカヅチ出身兵士が無線に割り込んできた。


「亜紀乃ちゃん――君の得意技はなんだい!?」

「……スピード……なのです」

「じゃあ、それを活かしてみないか!?」


 亜紀乃はますます困惑する。一人で突出するな、と言われたばかりだ。


「――は、はい……でも、どうすれば……!?」

「――敵陣に突入するのではなく、目の前の地雷原を始末してくれないか!?」

「――あ! そうかっ!!」


 その通りだった。亜紀乃のスピードなら、地雷を踏み抜いた瞬間、十分離れた位置まで移動できるはずだ。青部隊ブルーチームが動けないでいる原因のひとつがこの地雷原だった。激しい防御砲火に加えて、位置を特定できない地雷が進撃速度を極度に鈍らせている。


「それが終わったら、赤部隊レッドチーム狙撃手シューターの位置を掴んで戻ってきてくれッ!」


  一連の遣り取りを演習本部でじっと聞いていた四ノ宮がニヤリと笑った。


「りょうかいなのですッ! お任せくださいッ!!」


 そう言うと亜紀乃はダンっ――と塹壕の底を蹴り上げて、目の前の地雷原に飛び出していった。


  ***


「――でね! 私そのあと地雷原を走り回って全部吹き飛ばしてきたのです。そしたら分隊長が突然着剣―ッ! って叫んだかと思うとウオーってみんなで銃剣突撃して敵の塹壕にわーって飛び込んだのですよ」


 亜紀乃が士郎の病室のベッドにちょこんと乗っかって、脚をぶらぶらさせながら楽しそうに話していた。


「そしたら!?」

「塹壕の底が深い水溜まりになっていて、みんなじゃぼーん! だったのですぅ」

「あはは! それでみんな泥に足を取られて動けなくなって全滅判定か!」

「そうなのですよぉ! まったく……あんなカッコ悪い負け方したのは初めてだったですよぉ」

「……まぁ、演習場の窪みはたいてい水が溜まってるってのは、自衛隊時代からのらしいからな」


 でもなんだか楽しそうだな――と士郎は思った。まぁ、一般兵と一緒に戦闘訓練やるなんて初めてだろうから、「みんなと一緒に戦える」というのはそれなりにワクワクするのだろう。


「亜紀乃はマシなほうだぞ!? 私など、皆から狙撃手シューターをやるべきだ! と決めつけられて、結局一日中かくれんぼだ」


 ベッド脇で丸椅子に座りながら自分の体験を披露しているのは蒼流久遠くおんだ。


「――それはやっぱり透明化できるからじゃないのか?」

「そう、それはそうなんだが……」

「狙撃手ってのは、見つかったら終わりなんだ。だから色素変化で周囲の色に完璧に同調できる久遠にはぴったりだと思うぞ!?」

「士郎はホントにそう思っているのか? 私の射撃の腕前を知っているか!?」

「え? 人並みじゃなかったっけ!?」

「何を言う――私は射撃が苦手なのだ。何せ今までは透明化して敵のすぐ傍まで近づいていってドーン! だったからな! いくら姿を消せるとはいえ、撃っても当たらないんじゃ話にならん……」

「わははっ――それでどうしたんだ?」

「結局せいで背中から流れ弾が当たって死亡判定だ。こんなんじゃ、命がいくつあっても足りないぞ!?」


 ここまで来るとコントだ。しかし、射撃の特訓をすれば、狙撃手シューター・久遠も悪くない気がする。


「でもでもっ! 二人はまだ戦闘に参加しているからいいじゃないですかぁっ!」


 今度はスイーツ少女、西野ゆずりはだ。


「――結局ゆずちゃんの持ち味は敵を爆発させることだからーとか言って、今回は出番なし! そのかわり弾薬補給係ですよぉ!? 腕がびろーんって伸びるから、あっちこっちにせっせと弾倉マガジンを手渡しですよ?」


 ――なるほど、それはなかなか地味な役回りだ。ゆずのDNA変異特性は、自らの身体形状を自由自在に操れることだから、数メートル先の味方兵士にいくらでもモノを手渡しできるわけだ。何とか実戦で役立てられるといいな……


「あら? 私だって似たようなものでしたよ!? 精神錯乱攻撃はさすがに演習で赤部隊に使えないからって、今日はひたすら匍匐前進の実戦練習を強要されてました……」


 くるみの異能をチーム戦に役立てる使い道は、未だ見つからず――ということか。まぁ、本当の敵相手であれば、これほど心強い能力もないのだが……

 自分だったら彼女の能力をどんなふうに応用するだろうか――と士郎はふと考えてみる。むしろ兵に守らせながら、彼女を敵の中枢に送り込むとかか!? 指揮命令系統を滅茶苦茶にしてしまえば、敵の組織的攻撃は頓挫するのだから……


 いずれにせよ、チーム戦という概念。自分だけでなく、仲間を守るという価値観を、少しずつでも彼女たちの意識の中に植え付けるのは、今後の部隊運用にとって極めて重要な方向性だ。

 思いのほか彼女たちが今日の演習を楽しんでいたことは、今後のオメガの戦い方を一段レベルアップさせるにあたり、大きな収穫だと言えよう。


「――まぁ、みんなそれなりに楽しんで訓練しているようで安心したよ。俺も早くまともに動けるようになって、みんなと肩を並べたいと思うよ」


 それを聞いた少女たちは、士郎に微笑する。


「士郎、私たちはいつでもリハビリに協力するからな――その……遠慮しないでくれ」

「そうですよ士郎さん? いつでも呼んでくださいね」

「やっぱり中尉と一緒に訓練したいのです」

「わたし、機械の腕については先輩だから! コツとかいろいろ教えてあげられるよっ!」


 それを聞いた士郎も、あらためて自分の部下たちを見回した。


「――あぁ! そうだな……一刻も早く現場に復帰できるよう頑張るよ! 悪いけど、遠慮なく手伝ってもらうことにするから」


 その瞬間、楪の目がきらりんと光ったことに、士郎はまだ気づいていなかった。

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