第133話 禁忌の実験

 自分たちのボスが半死半生の姿で戻ってきた時、華龍ファロン本部施設の門衛たちは腰を抜かさんばかりに驚いた。

 しかも、ヂャン将軍と一緒に帰ってきたのはあの日本兵の少女だった。彼女も全身血塗れで、身体中に纏った血生臭い匂いが激しい戦闘を潜り抜けてきたことを物語っていた。

 その二人に両脇を抱えられるように引きずられてきたのは、身長180を超える大男だった。男は左肘から先を失っており、明らかに瀕死の状態で、すぐにでも手術が必要なことは誰の目にも明らかだった。


 詰所の責任者は直ちに緊急事態を宣言し、衛生班を叩き起こすと同時に基地全体に第二種警戒態勢を取らせたほどである。基地は騒然とし、兵士は全員軍装着用の上その場に待機。うち一個中隊が基地の敷地全域に緊急展開した。


  ***


「あの人……ミーシャさん……? 大丈夫でしょうか……」


 基地内の応急救護所で、未来みくが簡易ベッドの上に座ったまま問いかける。一応顔だけは洗ったので、なんとか見られる格好だ。膝の上に置かれた濡れタオルが真っ赤に染まっている。

 向かいの丸椅子に座っているのはヂャン秀英シゥイン――この基地の最高責任者にして華龍の黒竜江省軍団長だ。

 傍らでは、軍医と思しき人物が、二人の衛生兵を助手にしながら彼の額や腕にある裂傷の治療に当たっている。


「わからん……だがあの男は強い……何とか一命を取り留めてくれるとよいが……」


 ミーシャは今緊急手術中である。その言葉には、ただの部下に対してだけとは思えない、いたわりの色が混じっていた。


「未来、ひとつ頼まれてくれるか?」

「……?」


 秀英が傍の軍医を押しのけ、椅子から立ち上がった。


「――私はこれからある人物に会ってこなければならん……その間ミーシャについててやってくれないか!?」

「あ……もちろんです――」


 未来は、自分を守ろうとして瀕死の重傷を負った彼に、言われなくても最初からついているつもりだった。だが、浮かない顔をしているのはそれ以外にも気になることがあるからだ。

 秀英にもそれは十分判っていた。


「……あの獦狚ゴーダンについても、その人物に少し問いたださねばならん」

「――!!」

「あぁ……分かっている。少しだけ――時間をくれないか」


 未来は秀英をじっと見つめ、こくりと頷いた。

 不思議な信頼関係が、今の二人の間には存在する――


  ***


「いやぁ、大変でしたなぁ……獦狚ゴーダンに襲われたとか……誠に不運としかいいようがありません」

「いえ、気にしないでください。元々お忍びでしたから」


 執務室に座る張秀英は、頭に包帯を巻き、頬にも大きな絆創膏を貼っている。そのほか腕や拳にも白い包帯がグルグル巻きになっていて、どうみても満身創痍だった。

 部屋の中央にあるソファーに腰掛けているのは、華龍研究開発部門の責任者、李軍リージュンである。

 口では秀英を心配しているような言葉を吐いているが、その実大して気にもしていない――禿げ上がった頭部を掌でさすりながら、この妖怪じみた小男は芝居がかった台詞を止めようともしない。


「――何をおっしゃいますやら……張将軍は華龍にとってなくてはならない方です。先ほど一報を聞いた時は肝を冷やしましたぞ!? 護衛の者も重傷だそうで――」

「あぁ……確かに獦狚ゴーダンが相手では少々手こずりましたが、幸い未来が一緒でしてな。あのバケモノたちを瞬殺でしたよ」

「なに――!?」


 リーの顔つきが変わった。貴様がどれだけあの怪物に入れ込んでいるのか知らんが、には手も足も出なかったよ? ……ご愁傷さま。


「……ほ、ほう!? あの辟邪ビーシェはそんなに――!?」

「えぇ、先生にも見ていただきたかったですよ。五、六頭を相手にたった一人で、せいぜい数十秒で仕留めたんですから……まさに圧倒的というやつです」

「……そ、そうでしたか……」


 クソッ……この小僧! あからさまな嫌味を言いおって――

 もちろん今夜、獦狚ゴーダンの群れを市街地に放ったのはわざとである。張が時々お忍びで街に出ていたことは、ボルジギンの手の者によってとっくに調べがついていた。

 最近この小僧は何かと煩わしい。先日も私をコケにしおって。それどころか、私の研究所サンクチュアリにまで探りを入れようとしている。だから暗殺を謀ったのだ。もし万が一お忍び中に怪物に襲われ、命を落としたとしても、それはあくまで不幸な事故だと言い張れるだろう。いや、もしかしたら怪物どもに喰い尽くされ、死んだことすら誰にも気づかれず、行方不明扱いに出来たかもしれない。

 李は先ほど基地全体に警戒態勢が発令された時、てっきり張が死んだからだと小躍りしたものだ。それが生きていたと分かった時のあの失望感! しかも、よりにもよってあの日本軍辟邪ビーシェが同行していたとは――!?

 おかげで私の可愛いペットどもは、一頭を除いて帰ってこなかったではないか! まったく、可哀相に――!


「――ところで李先生。いい機会なので少しあの怪物について話しませんか!?」

「え……!?」

「いや、私もアレに襲われて、少し興味が湧いたのです。そもそもこのバケモノは何者だ、どうしてあんなに凶暴なんだ、ってね――!?」


 この男はいったいどういうつもりなんだ!? 私に対する当てつけか!? まさか――疑っているのか!? 李はますます張秀英への警戒を強める。

 いいだろう――獦狚ゴーダンの本当の恐ろしさを教えてやろうじゃないか!


「ほ、ほう……それは良い心がけですな。我が軍の戦力として着々とその真の力を目覚めさせようとしている彼らに対する正確な知識を、指揮官として理解しておくのはやはり大変重要なことですから」


 よくしゃべる男だ。恐らく、本当は聞かれたくないこともたくさんあるのだろう。秀英は、この話題が李に対する牽制球になることを確信した。

 よろしい。試合開始だ――


「まずは根本的なことだ――あのバケモノはいったい何なんです?」


 まずは直球を投げてみる。この妖怪は、何と答えるだろうか。


「ゴホン……では改めてご説明しましょう。――以前も一度ご説明したかと思いますが、アレは西方の放射能汚染地帯で発見された、突然変異体です。

 そのDNA配列によって、アレが是灰狼ハイイロオオカミの成れの果てであることが分かっています。私自身が新疆ウイグルにいた折りに発見し、その好戦的な性質を気に入って幼体を持ち帰りました」


 そうだ、ここまでは聞いている。問題はその先だ。


「――ふむ。それは以前にも教えてもらいましたね……ただ、ひとつ解せないことがあるのです」

「ほう……と、言いますと?」

「近年とみに狂暴化しているような気がするのです。私が子供の頃はもっとこう、野犬の延長線上のような感じだった気がするのですが……今夜遭遇した群れは……正直手が付けられないほどでした」

「それはもちろん――研究の賜物ですよ、将軍。私はアレを兵器として使えるように日々研究してきましたので」


 何を当たり前のことを訊いているのだこの小僧は!? 奴らの存在価値はその狂暴性だ。そこを昂進させなくてどうする――!?

 李軍は苛立ち始める。


「まぁ……それはそうなのですが。私が言いたいのはそういうことではなく、奴らは年々知能が上がっているように思えるのです」

「――ほう! 良いところに気が付かれましたな」


 なんだと――!? この妖怪は、それが意図的なものだというのか!?


「え? それは間違いないのですか? 意図的に知能を向上させたと……?」

「もちろんです。彼らを兵器として機能させるためには、まずは知能を高めなければならない……自然界では、高い知能を持つ者のほうがより強いのです。

 将軍は、海の生態系の頂点に立つ生き物をご存じで?」

「……それは……サメ……ですか?」

「答えは否です。海の食物連鎖の頂点に立つのはシャチです」

「――シャチ……?」

「クジラ目ハクジラ亜目マイルカ科――オスの平均体長は約七メートル。体重五トン。泳進速度は時速60から70キロメートルで地球上の哺乳類の中では最速。行動距離は一日百キロ。きわめて知能が高く、獰猛。ただし無駄な殺生はしない。音波による言語を持ち、ソナーのような探知能力を持つ。集団で群れを作り、奇襲攻撃や挟み撃ちなどさまざまな狩りの戦術を駆使する――

 武器を持った人間を除き、自然界において彼らに天敵は存在しません」

「……ほう……」

「彼らの強さは、その圧倒的な身体的性能スペックもさることながら、知能の高さに由来します。たとえば、シャチ同様極めて高い攻撃力を持つサメを仕留める時は、正対して同じ水深でやり合うのではなく、サメの弱点である腹部を真下から奇襲攻撃で突き上げて行動不能にする。魚群を襲う時は、群れで取り囲んで気泡を魚群の周囲に壁のように展開し、方向感覚を麻痺させる。口の中に捕獲した魚を一杯溜めておいて吐き出し、近付いた海鳥を捕食することさえあるそうです」

「――知能の高さが、最強の地位を獲得したと……?」

「そのとおりです。だから獦狚ゴーダンをより強者にするためには、知能の向上は欠かせない改良点です」


 なるほど。理屈は分かった。だがどうやって? 任意の生物の知能を意図的に向上させることができるなら、人間なんかとっくに天才化しているだろうに。


「だが――そんなことが実際出来るのか? いくら遺伝子に改良を加えても、狼レベルの知能を急激に向上させることなどできないでしょう!?」

「それはそうです――同じ種を用いていては、いくらバイオテクノロジーを駆使したとしても不可能です」

「ではどのように――」

「人間ですよ。人間の遺伝子と結合させればいい」

「――な……!?」


 なんだと――!?

 今、この男はなんと言った!?


 では、あの獦狚ゴーダンたちには人間の遺伝子が混じっているというのか――!?


「……そんなことが……」


 秀英は呻くように言葉を絞り出す。李軍はさも当然といった態度で言葉を継ぐ。


「――元々共産党政府が戦前から遺伝子改変研究に力を入れていたのはご存知だと思いますが、私は長年に亘ってそれに携わってきました。既に異なる種の遺伝子を繋ぎ合わせる技術は確立しているのですよ」

「クリスパー……なんとかという奴ですか?」

CRISPRクリスパーCas9キャスナイン――ゲノム配列の好きなところに好きなDNAを切り貼りできる。私はこの技術の世界的権威と呼ばれていた」

「で、では……先生の研究施設では日々その実験を行っていたと……!?」

「そうです――何か問題ありますか?」


 この男は――!

 他種同士の遺伝子を掛け合わせることは、21世紀前半までは禁忌中の禁忌とされていたはずだ。その後の世界情勢の変化で、各国は一気にその禁忌を破り研究を激化させたことも知っている。

 だが、あくまでそれは動物と動物同士のキメラ胚実験であって、人間の遺伝子をいじることは共産党政府ですら禁じていたはずだ。

 それは――表向き、ということだったというのか……!?


「しかしなかなか上手くいかなくてですなぁ……獦狚ゴーダンに人間の遺伝子を掛け合わせても、人間の遺伝子が持つ形質が発現しなかったのです。彼らの遺伝子の方が生物学的にのでしょうなぁ……」


 李軍は相変わらず悪びれもせず、話を続ける。


「――そこで、ある時発想の転換をしたのです」

「発想の転換?」

「そう、獦狚ゴーダンに人間の遺伝子を混ぜるのではなく、人間に獦狚ゴーダンの遺伝子を混ぜ合わせたのです」

「まさか……」

「そうです――主客逆転させた」

「し……しかし! それでは母体にした人間はどうやって――」


 見つけてきたのだ――と言いかけて、秀英は息を飲む。


「――簡単なことです。この街には人間がたくさんいる」


 コイツは――悪魔だ。

 自らの研究を完成させるために、罪もない人間を犠牲にして、よりにもよって「怪物」を掛け合わせたのか!


「――おっと! もちろん選んだ人間は、死刑囚とか捕虜とか、そういった連中ですよ。もともと死ぬ運命にあった者たちだけです。一般市民には手を出していませんよ?」

「そ……そうですか……」


 秀英は、もしこの男がそんなことをしていたのが事実であれば、今すぐにでも逮捕するところであったが、かろうじて一線は踏みとどまっていたようだ。だが……一抹の不安は残る。嘘をついているんじゃないだろうな――


「――しかし……それでもなお疑問は残ります。獦狚ゴーダンの知能を強化させるために人間のDNAを使ったというところまでは百歩譲って理解できるとして……先生はなぜを強化しようと――獦狚に作り変えようとなさったのです!? 先ほどの主客逆転の話でいうと、先生の目的はまるで……――のようにしか思えない……」

「それはそうです。なぜならもともと人間は、極めて脆弱な生き物だからです」

「ど、どういうことですか?」


 ふぅ……と李軍は溜息を吐いた。


「張将軍、ただの人間が野生で生き残れると思いますか?」

「――それは……難しいかもしれません……」

「そのとおりです。野生には、オオカミやクマ、トラなど、獰猛な獣がたくさんひしめいている。中国大陸はまだマシなほうです。アフリカに行けば、ライオンやヒョウなど極めて獰猛な大型肉食獣がウヨウヨしている。そんな奴らに人間が素手で立ち向かっても、勝てるわけがない」

「だが、人間は道具を持っています。武器さえあれば、彼らを上回ることができるでしょう? ――現に今、地球の覇者は我々人間だ」

「それはせいぜいここ数千年のキルレシオです。石器時代、もしくはもっとそれ以前。ほとんど素手同然の人間の祖先たちが、どうやって猛獣たちの世界を生き延びたか、ご存知ですか?」

「…………」


 秀英には、皆目見当がつかなかった。

人間が元々弱い生物だ、という見解については同意するが……確かに、ではなぜ生き延びることができた?


「よろしい。では、我々人類がどうやって絶滅を免れ、今日こんにちまで生き残ってきたのか、そこからお話しましょう――きっと私の真意を理解してくださるはずです」

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