第103話 ルサンチマン

 その日から、隠れ里は“臨戦態勢”に入った。


 といっても、集落を構成する住人はたかだか80人余り。うち20人ほどは子供で、残った大人たちのうちおよそ半数は寝たきりだったり、一応は動けるけれども膝や腰を痛めていて強度の高い運動はできない者たちだったりして、結局のところ男女合わせても30人くらいしかまともに動ける者がいないという有様であった。これに、現役兵士である月見里やまなしかざり各務原かがみはらが加わるという陣容。

 で、実際のところその30人が朝から何をやっていたかというと、集落の外周――と勝手に自分たちが設定したライン――に沿って急ごしらえの杭を打ち込んだり、周囲の森に鳴子代わりにジャラジャラと古い空き缶を吊り下げてみたり、家々の扉や窓が簡単に蹴破られないように雨戸代わりの板を打ち付けたりといった、子供騙しというか自己満足というか、自己欺瞞のような作業に明け暮れていたのである。

 ただ、彼らが思い付きで始めた対策のうち、手製の火炎瓶づくりと、ドローンの侵入を防ぐために集落のあちこちに網を張るというトラップづくり、そして手近な大木の上に交替で見張りを立てるということだけについては、少なくともやる意味はありそうだと思われた。


 これらはすべて、軍が近々差し向けてくるかもしれない「月見里文および各務原和也追撃部隊(繭の奪還も含む)」への備えである。


 各務原に士郎が提示した選択肢は二つ、すなわち――

 A案、投降して繭ちゃんを軍に引き渡し、自分たちは罰を受けること。

 B案、このまま二人で軍を抜けて集落で一緒に隠れ棲むこと。


 士郎はてっきり各務原がA案を受け入れて、文を説得するものだと思い込んでいたのだが、彼が文やまゆ、繭の父・耕作に相談したところ、見事に予想を覆してB案が選ばれてしまったという次第である。

 実際のところ、文は各務原と新しい暮らしを始める、という点についてはやんわりと否定したらしい。ただし「繭を軍の手に渡すなんてあり得ない」というのが彼女の一貫した主張で、消去法でB案を支持するに至ったのだという。この点は繭本人も、彼女の父親も同意見であった。


 話がおかしな方向に転がり始めたことから、士郎は途中、広瀬に頼み込んでなんとか繭と話し合う機会を貰ったのだが、彼女としては「たとえ助かる可能性があったとしても、もう二度とパパとは離れたくない」ということであったし、父親も「どうせいつかはみな死ぬのだから、無理やり生き永らえさせるよりは短い時間でも一緒に過ごしたい」ということであった。

 果たして11歳の子供がこんなことを自分自身で考えるだろうか。士郎は、繭の発言が憔悴した父親をただ慰めるためだけの幼い優しさのような気がして胸が潰れそうになる。

 当然、このまま当局に出頭せず逃げ回る道を選べば、厳しい捜索・追及は免れ得ないこと、繭自身はそう遠くない将来、残念な結果になる可能性が高いことなどを重ねて説明はしてみたものの、彼らの決意は覆らなかったのである。


 ただ、ことは集落全体の安全保障に関わる問題であった。広瀬耕作は古株の住人ということもあり、それなりに共同体コミュニティでの発言権を持っていたから、彼らの決意は一度住民たち全員にはかられることになった。

 もし、面倒ごとはお断りだという住人が一人でもいたら諦めて投降する、ということだったので、士郎は大いにこの住民集会の開催を後押しした。常識的に考えれば、一人や二人、反対する人間はいるはずで、下手するとそっちのほうが多数意見となる可能性の方が高いと踏んでいたからだ。

 ところが結果的に彼らは、自らの生き方――どころか下手をすると生死を選択することになりかねないこの重要な集会で、文や繭、繭パパの決意に賛同してしまったのである。全員一致でだ。

 それは結局彼らPAZ住民の、当局に対する憤りルサンチマンだったのかもしれない。


 もともと彼らは、いつか権力に一杯喰わせてやりたい、というか「一矢報いてやりたい」と思っていた節があるのだ。

 たとえ彼らの今の境遇が、彼ら自身が招いたことであり、彼ら自身のその後の選択の結果だったとしても、やはりどこかでこの過酷な運命に堕とされたのは当局のせいだという、逆恨みに近い感情がくすぶっていたということなのかもしれない。

 士郎は、文や広瀬耕作をはじめ、集落住民たちがどうにも感情に流されて論理的な判断ができなくなっていることを深刻に憂慮したが、所詮捕虜という立場ではこれ以上どうすることもできなかった。

 そのうち彼らが始めたのが、集落の守りを固める、という冒頭の動きだったのである。


「広瀬さん、こんなことしたら軍の怒りを余計買いますよ……彼らが来たら来たで無抵抗であれば不必要な血は流れないはずなんです……」

「……石動いするぎ少尉、もうそういうわけにはいかんのです。みんな軍を追い返す気満々ですよ」


 気付くと、数人の住民が肩から旧式のライフルを下げていた。軍の払い下げ品が回りまわって手に入ったものか、ロシア人あたりから仕入れた密輸品か……。この分だと、ハンドガンや手榴弾グレネードくらいならそこそこ持っているのかもしれない。

 武装しているのは比較的若い連中だった。二、三人ではあるが、それなりに目つきの鋭い者もいる。その筋あがりか、元兵士か……。

 それを見て広瀬が呟く。


「あの子らはみんなそれなりに腕に覚えのある連中です。自分たちの村は自分たちで守るって息巻いてますよ……頼もしい限りだ」

「広瀬さん……ですが、軍を甘く見ない方がいい……」


 士郎は、広瀬の若干余裕のある物言いに、軽く眩暈を覚える。

 追撃部隊が都市域外偵察隊ドギーバッグレベルであるはずがないのだ。最低でも正規軍部隊、下手したらレンジャー級が投入されてくるかもしれない。

 なんといっても文は特級クラスの戦闘力を誇るオメガ実験小隊のバリバリのオメガ現役隊員だし、各務原だって二年以上の軍歴を誇る叩き上げの戦闘要員だ。

 そんな彼らを逮捕するには、それなりにレベルの高い特殊作戦をこなせる部隊が出てくるに違いないのだ。確かに住民の中にはそれなりに度胸もあって腕っぷしの強そうな連中もいることは認めるが、追撃部隊の兵士たちはその比ではないのだ。

 東アジア全域で強大な軍事的プレゼンスを数十年に亘って維持し続けている日本軍が世界各国から一目置かれているのは、優れた軍事技術と圧倒的物量、卓越した作戦遂行能力もさることながら、本質的には戦闘民族としての日本兵の死をも恐れぬ勇猛果敢さにあると言われている。

 そんな連中が自分たちに銃口を向けて迫っているという危機感が、彼らには圧倒的に欠けているのだ。それとも自分が心配性なだけだというのか……!?


「五年前もね……軍はこの集落を見つけて、繭や文ちゃんを連れて行ったんですが、あの後思ったんです……なんであの時、子供たちを守って抵抗しなかったんだ……ってね」

「……」

「軍もそこまで鬼じゃない……こっちが抵抗の意思をキチンと示して、そのうえでもうほっといてくれって言えば、諦めてくれるかもしれない。誰にも迷惑かけずに今まで通りひっそり暮らしますからって……」

「広瀬さん、あなた間違ってますよ。今回は文と各務原という、いわば脱柵者AWOLがいるんです。脱走兵は普通銃殺刑なんですよ? ましてや今回は繭ちゃんという軍事機密を盗み出した……下手したら反逆罪に問われかねない」

「だったら私たちが彼らも守ります。文ちゃんが反逆者でないことは、この私がキチンと証言しますから」


 もはや、何を言っても無駄なようだった。士郎は、軽く黙礼してその場を立ち去る。こうなったら、自分がなんとかするしかない。広瀬が市民権を剥奪されて都市域を放逐されたのはいったい何十年前なのだろうか。軍や政府機関は、ここ数十年で確実に不寛容になっているというのに。

 自警団ヴィジランテ化した住民たちは、仮に軍が降伏勧告しても応じることはないだろう。だったらチャンスは一度しかない。追撃部隊と接敵エンゲージした瞬間に、なんらかの手段で文と各務原を投降させるのだ。だがどうやって……!?

 士郎は思わず、オメガ小隊の他のメンバーのことを思い浮かべてしまう。田渕軍曹、香坂、四ノ宮少佐、新見少尉、久遠、くるみ、亜紀乃、――そしてゆずりは……。

 そういえばゆずは無事に退院しただろうか。彼女が退院したら、一緒に買い物に行く約束をしてたんだっけ……ところが見ての通り、今やどことも知れない山奥に拉致連行されて捕虜扱いだ。

 すまんな……ゆず――

 ふと、士郎はゆずがまるですぐ傍にいるような気がしてハッとするが、すぐにそれが幻だと気付いて苦笑する。それでもまだ「だいじょうぶだよ――」という彼女の甘ったるい声が、頭の中で士郎を勇気づけてくれているような気がするのだ。


  ***


 それからさらに丸三日が経った。

 士郎はといえば、集落の中心にある集会所の一室に押し込められたままだ。乱暴な扱いは一度たりとも受けていないので、体調に問題はまったくない。だが、用を足すために外に出る場合はやはり手錠を掛けられてしまう。しかも毎回見張り付きというだ。

 集落の防備はそこそこ整ったようで、夜間の不寝番も今夜で四日目に突入する。いっぽうで文の決心はまったく揺るがず、したがって、各務原もまた文と運命を共にする気満々であった。

 問題は、他の住民たちであった。一日が経ち、二日目に突入し、さらに夜が明けて三日目ともなると、少しずつ最初の緊張感が失われていく。万が一に備え、もともと男たちの日課であった狩猟もここのところ取り止めになっていて、いつまでこの状態が続くのかと少しずつ小さな不安と苛立ちが募り始めようとしていた。


 だが、士郎には分かっていた。これは、間違いなく追撃隊の作戦だ。


 既に事件から一週間が経過しているのだ。

 軍が本気になれば、こんな隠れ里の一つや二つ、簡単に見つけ出しているに違いないのだ。それに、元々兵士ひとりひとりの体内には識別チップが埋め込まれている。偵察衛星で任意のエリアを検索すれば、特定の兵士の居場所などあっという間にばれるだろう。

 チップ自体は骨の中に埋め込まれているからナイフでほじくり出すことも出来ないため、各務原はそれが埋め込まれている肩口をアルミ箔で覆うよう強制してきた。偵察衛星が地上を探索する際、チップの発する微弱電波を攪乱するためだ。だが、そんなことで果たして追跡を躱すことができるのだろうか。

 素直に考えれば、既にここは特定されていると見た方がよい。下手をすると追撃部隊はすぐ傍で息をひそめてこちらの様子を窺っている段階かもしれないのだ。

 彼らがレンジャー級の部隊だった場合、一週間ほど身動きせずにそこに潜伏することなど造作もなくやってのけるだろう。そうやってこちらの焦りと疲労と油断を待ち、こちらの緊張の糸がプツリとキレた瞬間、一気に攻めかけてくるつもりなのだ。

 となると危ないのは今夜だ。あるいは明朝、薄明急襲か――


 できることなら、両者無傷のまま銃火を交えずに終了したい。士郎は、今夜日が暮れたら作戦を決行しようと考えていた。ここ数日ずっと考えていた、僅かな可能性だ。


 そして日没――

 さらに、当直の見張りを残してほとんどの者が寝静まった深夜0時過ぎ。辺りは静まり返り、森の木々のざわめき以外何も聞こえない。

 士郎は、軟禁されている部屋の外で仮眠している男にそっと声を掛けた。


「あの――すいません……急にその、腹が刺し込んできて……便所に行かせてもらってもいいですかね」

「……あ、あぁ……ちょっと待ってくれ……」


 一分もしないうちに、今夜の当番の男が集会所の障子を開けた。一応一通り身だしなみを整えて、手には旧式のライフルを携えている。

 いつも通り士郎の両手首に手錠を嵌めると、んっ……と顎をしゃくった。


 このあと集落から少し離れた共同便所に向かい、そこでこの男を静かに襲って気絶させる。恐らくは夜陰に紛れてこちらの動きをじっと監視しているはずの追撃部隊にハンドサインを送り、こちらの意図を理解してもらったうえで自分を回収してもらう。そのあと文と各務原、そして繭が眠る場所まで案内し、三人を一気に逮捕拘束させる。

 他の住民に危害を加えず、かつ三人の安全を保障した状態で追撃部隊の作戦を終了させるには、これしか方法がないのだ。

 だが――


 共同便所に辿り着いた時、士郎はすぐに異変に気付いた。

 普段なら点いている筈の、小さな裸電球の明かりが消えていたのである。この集落にはもちろん電気など通っていないが、ソーラーパネルによって常に三か所だけは常夜灯が灯っていた。集落の入口、集会所の前、そしてこの共同便所である。

 それは、電球の故障でも破損でもないことは明らかだった。なぜなら、電球自体がソケットから外されて、そこになかったからである。

 途端にゾクッと背中に悪寒が走る。襲撃部隊にとって、敵施設の照明を落とすのは典型的な襲撃直前行動だからだ。

 一緒についてきた男も、かすかな不安を覚えたようであった。


「おい、まだ我慢できるな!?」


 そう言うと男は、士郎の手錠についた縄をその辺の木に括り付け、共同便所の周囲をゆっくりと見回ることにしたようだった。ライフルをぎこちなく抱え、そのまま裏手へと消えていく。男が一歩歩くたびに、地面に積もった枯れ葉がざくざくと小さな音を立てる。やがて――

 足音はそれっきり途絶えた。

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