第96話 叛乱

 先ほどの大きな爆発音以来、基地内が非常事態に陥っているのはもはや明白であった。

 屋上から周囲を見回すと、広い敷地のあちこちで赤色の警告灯が激しく明滅している。士郎の認識に間違いがなければ、あれは軍の警備プロトコルで「不審者射殺許可」という意味だ。

 サイレン等の音声警報が鳴動しないのは、郊外とはいえこの基地が民生地域に隣接しているからに他ならない。信頼すべき軍の、しかもこの所沢基地は第一軍司令部が入る陸軍の最重要拠点のひとつだ。そんなところで小規模とはいえ小競り合いが発生したことが分かれば、民心が動揺しかねないからだ。すべからく、軍の中の動きは民間には見えないようにするのが鉄則だ。

 だがそうした配慮さえも、先ほどから断続的に響く激しい射撃音や局地的な爆発音のせいで、徐々に意味をなさなくなっていた。周辺住民の中には、そろそろ基地の異変に気付いた者が出始めているかもしれない。

 隣で車椅子に座る広瀬まゆが不安そうな視線を向ける。


「おにいちゃん……何が起こってるの?」


 夜空には、まだ幾筋もの光芒が絶え間なく煌めいていた。二人で病棟の屋上に出て、彼女の人生で初めての――そしておそらく最期の――流星群観測を楽しんでいたまさにその時。突如として始まった激しい戦闘音は、二人を残酷な現実へ引き戻していた。病棟に隣接する研究所建物の一角から、既に黒煙が吹き上げている。


「……とにかく、一旦病室に戻ろっか」


 士郎は、繭を怯えさせないよう可能な限り平静を装いながら返事をする。屋上から地上を覗き込むと、基地のメインストリートにはあっという間に複数の軍用車両のヘッドライトや、多数の兵士が識別用に装着している発光ベストの反射光リフレクターが溢れ出してきていた。侵入者が捕まるか射殺されるのも、時間の問題だろう。

 士郎は、屋上中央にあるエレベーターホール入口まで車椅子を押していった。扉の右横にある生体認証盤に近付き、顔を近づける。すぐにスキャンが始まって、眼球と顔の輪郭が照合され……なかった。

 いつもの生体認証シーケンスが起動しない。「あれ?」と言いながら、士郎はやむなく手動でロック解除を試みる。まず自分の認識番号をテンキーに打ち込み、続くパスワード要求に、医師から貰った今夜のセキュリティ番号を入力する。

 だが、認証盤からは無情にも「ブー」と音がするだけで、画面には「認証拒否」の文字が赤く表示された。

 何度やっても駄目だった。繭が相変わらず不安そうな顔でこちらを見上げてくる。非常事態ということで、建物内のセキュリティがすべてロックされたのかもしれない。


 その時だった。

 グァンッッッ!!! と大きな音がすぐ真下から轟き、屋上の床が激しく揺れた。ほぼ同時に衝撃波が足許から頭部へ突き抜け、一瞬鼓膜がツンとなる。突然のことに揺らめいた士郎は、思わず繭の乗る車椅子にしがみつき、しゃがみこんだ。


「きゃっっ!!」


 繭も思わず悲鳴を上げ、慌てて士郎にしがみつく。


「――おにいちゃんっ!!」

「大丈夫だ! すぐ下のフロアで爆発があっただけだ」


 ――などと、なんて馬鹿な慰め方をするんだ!? 士郎は我ながら失笑するしかない。危険が、すぐそこまで迫っている――!


「繭ちゃんっ! ここはちょっと駄目みたいだ――とりあえずこのまま屋上で待機しよっ」


 そう言うと、士郎は体勢を立て直して素早く車椅子を転回した。なるべくエレベーターホールから離れ、屋上のへりにある手すりの位置まで下がるべきだろう。足早に歩を進める士郎のせいで、お姫さまの馬車は屋上のタイルの継ぎ目を踏むたびにカタンカタンと小刻みに揺れた。

 直後――


 士郎たちが目指した屋上の手すりに、ガチャン――と何かが立て続けにぶつかる。

 それは大きな蜘蛛の脚のようにも見え、あるいは鋭く反り返った鷹の爪のようにも見える鉤爪で、手すりを難なく捉えてガッチリと固定された。


「――これは……!」


 士郎がマズい、と思った瞬間。

 ヴィーーーンと小さな駆動音が微かに聞こえたかと思うと、手すりの向こう――つまり空中――から黒い塊がポゥンっポゥンっ……と躍り出て、高く中空に舞った。黒塊はそのまま放物線を描くように手すりを乗り越え、ストン――と音もなく屋上に着地する。

 ヒト型の黒い塊が二体。明らかにこの騒動の元凶の奴らだ。

 慌てて腰のホルスターから拳銃を抜こうとして、士郎は空振りする。そういえば今は非武装だった。病棟に入る時、武器は預ける決まりだった。

 そうこうしている間にも、侵入者たちは士郎と繭を明確に認識し、手にした突撃銃アサルトライフルを素早く構えたかと思うと迷うことなく銃口を向けた。


「クソっ!」

「おにいちゃんッ!!」


 士郎は反射的に繭を庇い、車椅子の前に仁王立ちになる。大きく手を広げて、背後の繭を完全に覆い隠し、丸腰で侵入者の前に立ち塞がった。


「貴様らッ!! どこの国の奴らだッ!!」


 士郎は一喝する。自分はともかく、繭だけには指一本触れさせない!

 侵入者は、漆黒の戦闘用スーツ姿で頭部を完全に覆っていた。赤く不気味に光る多連装暗視装置と呼吸用チューブのせいで、地獄からの使者のようにしか見えない。コーッ、コーッと奴らの呼吸音だけが辺りに響く。

 すると侵入者は唐突に、手にしていた突撃銃アサルトライフルの構えを解いた。士郎が武装していないことに気付いたのだろうか。一人がそのまま片膝をつくと、ライフルを持っていない方の手を繭へ突き出した。まるで、こちらにおいでと誘っているようだった。


「どういうつもりだ!?」


 士郎は僅かに身体の向きを変え、引き続き侵入者の前に立ちはだかる。


「……彼女は絶対に渡さん!」


 その途端、漆黒の侵入者は弾かれたように突撃銃アサルトライフルを構え直した。

 真っ直ぐに、士郎の頭に向けて……。


「ヒキワタセ……」


 ふいに、奇妙な合成音声のような日本語が聞こえた。自動翻訳装置か? あるいは声帯フィルターを使っているのか……それともこいつ等はそもそも人間なのだろうか!? AIドロイドという可能性は……!?

 我が軍ではジュネーブ条約に従って戦闘ドロイドを運用していないが、国際法無視のかの国であればあるいは……


「無理だッ! ここから立ち去れッ!」


 士郎の激しい拒絶に、二人の侵入者はさらに数歩ずつ前進し、あらためて銃を構え直す。奴らの銃口は、既に士郎のすぐ鼻先にあった。その時――


「――ダメぇっっっ!」


 繭が後ろから士郎の太腿に抱きついた。

 それとほぼ同時に――


 ババババババババッ――!!!!


 激しい風切り音とともに大型ドローンが二機、忽然と姿を現した。目も眩むような超強力なサーチライトの光筋が二本、侵入者を煌々と照らし出す。さらに大音響で轟いたのは、信じられないことに四ノ宮少佐の声だった。


『――そこの二人! 投降しろ!! 今なら軍法会議にかけてやるッ!!』


 ど、どういうことだ!?

 軍法会議って……!?


 侵入者の一人がドローンに向かって素早く銃を構えると、ダダダダダッと威嚇射撃を行う。するとその瞬間、もう一人がまるで示し合わせたかのように、士郎たちのすぐ傍まで踏み込んできた。


「マユ……コッチヘコイ!」

「い……いやっ! こわいッ!」


 繭が必死で身を屈め、さらに士郎の太腿にきつく抱きつく。


「おいッ! 貴様なんで彼女の名前を知っているッ!?」


 士郎もようやくこの侵入者たちの違和感に気付き始めた。よく見たら、こいつらの装備品はすべて我が軍のものではないか。外国兵が偽装して日本兵の格好をしている線も捨てきれないが、こいつらまさか……!?


 ドローンが再び直上に降下してくる。推進装置がローター製のため、風切り音が凄まじい。


『もう一度繰り返す――今すぐ投降しろッ! 貴様らはまだ一人しか殺していない……情状酌量の余地はあるぞっ!?』


 四ノ宮少佐は、明らかにこいつらが身内だという前提で投降勧告をしている!?

 だが、じゃあいったい誰だ……!?


 すると、二機のドローンが唐突にグルグルと円周運動を始めた。二人の侵入者を中心に、一機は時計回りに、もう一機は少し遠めの距離を反時計回りに。明らかな襲撃前行動だった。四ノ宮少佐は、確実に、容赦なく、こいつらを仕留めようとしている。投降しなければただちに射殺するという警告は、決してブラフではないのだ。


 侵入者たちはこの警告とドローンの動きに、少しだけ動揺した様子だった。だが、一瞬の逡巡ののち、彼らはすぐに最悪の決断を下す。

 背中のブースター上部に据え付けられている超小型誘導弾垂直発射装置VLSの蓋が開いたかと思うと、続けざまに追尾式ミサイルが二式、発射された。そして――

 上空のドローンにあっという間に、当たり前に直撃し、難なく撃墜する。二機の残骸が黒煙と炎を吹き上げながら、病棟の前庭に墜落していった。すぐ傍で展開していた地上の増援部隊の動きが慌ただしくなる。

 士郎がその様子を上からチラリと覗いた瞬間だった。


 侵入者の一人が、恐るべき身体能力で三次元的な跳躍力を示し、逆立ちのような恰好から一瞬の隙をついて車椅子のすぐ後部にストン――と着地した。


「しまっ……」


 不意を衝かれた士郎は、振り向きざま侵入者に拳を叩き込もうとする。……が、すんでのところで動きをピタッと止めた。

 繭の細い首筋に、無機質で冷徹なセラミックのコンバットナイフが当てられていたのだ。


「――めろ! めろよッ!?」


 士郎が中腰になりながら両手を繭の方にかざし、侵入者の思い付きが実行されないよう牽制する。


「サガレ! コノコハツレテイク」

「待ってくれッ! この子はっ……衰弱してるんんだッ! 病院からは出られないッ!」


 士郎は必死で食い下がる。

 だが、もう一人の侵入者が素早く近寄ったかと思うと、突撃銃アサルトライフルの銃口を士郎の後頭部に突きつけた。


「分かったッ! おにいちゃん……もういいよっ!」


 繭が絶叫する。この光景はどこかで見たことがあった。――そうだ……大陸で、神代未来みくが敵のオメガに拉致された時とまったく同じだ。

 士郎の胸に、熱いものがこみ上げる。二度と過ちは繰り返さない――!


「わ、わかった……俺も……俺も連れていけッ!」

「は? おにいちゃん何言ってるのっ!? 駄目だよっ!」

「大丈夫だっ! 繭ちゃん! 絶対に独りにしないからッ!」


 突然の士郎の申し出に、侵入者は控えめに言っても困惑している様子だった。あまりにも想定外の展開に、戸惑っていることは明らかだった。

 黒ずくめの二人は、ナイフと銃をそれぞれ構えたまま、少しだけ静止していた。恐らく二人だけのローカル通信で遣り取りしているのだろう。士郎は極限の緊張感の中、必死で彼らの結論を待つ。

 もし彼らが士郎の提案を拒絶したら、自分はこのまま射殺されるしかないだろう。あるいは起死回生を狙って必死で奴らに飛び掛かるか!? だが、完全装備のこの二人に、丸腰で平服の今の士郎がかなうとは到底思えなかった。繭を連れてここから逃げるなど、不可能だ。

 その場合、その存在自体が最高機密である繭をなんとか奪取したうえで、最悪二人でこの屋上から地上へ飛び下りるしかない。恐らく二人とも墜落死するだろうが、彼女を敵の手に渡すくらいなら自決したほうがマシだ――。


「デハイッショニツレテイク……」


 突然、侵入者が士郎の提案を受け入れ、繭に突き付けていたコンバットナイフを下ろした。士郎は弾けるように繭に飛びつき、ギュッと彼女を抱き締める。


「――大丈夫だ、繭ちゃん……」

「おにいちゃんっ!」


 繭も全力で士郎を抱き締めた。かわいそうに……でも俺が絶対に守ってやる!


「――ソノカワリテツダッテ……」


 侵入者は改めて士郎たちに向き直り……

 そして頭部の多連装暗視装置と、呼吸マスクを――いきなり外した。


 それを見た士郎と繭は愕然とする。


「……ま、さか……」


 黒ずくめの侵入者は――月見里やまなしかざりと、各務原かがみはら和也だった。

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