第8章 紐帯

第97話 国家反逆罪

月見里やまなしかざり――2073年生まれ。16歳。二等兵曹。コードネームは翼を持つ者フリューゲル


 第一軍司令部施設内、某所――

 オメガ実験小隊総指揮官、四ノ宮東子少佐は、居並ぶ軍幹部を前に説明を続けていた。


「――特徴的な変異特性としては〈ミオスタチン遺伝子〉の欠損。これは筋肉の発達を阻害する因子で、彼女はこれを持たないため身体能力が異常に発達しています。

 具体的には、たとえば跳躍力でいうと五輪メダリスト級の約15から20倍、すなわち一回の跳躍で約130から160メートル程度は軽く跳ぶことができます。

 走力は、トップスピードが百メートルをおよそ2秒、すなわち時速に直すと約180キロという高速です。まぁ健康体オメガなら誰でも時速百キロ程度で走りますが、彼女の場合は群を抜いているということです。

 続いて握力――この場合はモノを握り潰す〈クラッシュ力〉のことですが、これについては572重量キログラムをマークしました。野生のゴリラと同等です。一般女性の平均的な握力が10から30重量キロですので、30倍から50倍といったところでしょうか……いずれにしても、人間の頭蓋など卵を握り潰すくらいの感覚で――」

「もういい。もう一人のほうを教えてくれ」


 情報本部の榊少将がうんざりした顔で口を挟んだ。


「はい――承知しました。各務原かがみはら和也、2069年生まれの20歳。伍長。18歳で陸軍へ志願入隊。第一教導団にて基礎教練課程修了。

 二等兵で第11重装機械化歩兵師団に配属、そのまま大陸方面軍に編入され、中国東北部へ出征しています。その後所属の第112連隊が壊滅したことに伴い第111連隊へ編入。所属は第一大隊A中隊第117小隊。現在の直属の上官は石動士郎少尉。各務原にとっては三人目の小隊長ということになります。その後我が実験小隊へ編入――」

「随分と激戦を潜り抜けているじゃないか!? 112連隊の壊滅はインド軍との共同作戦の時だろう? そのあとの111連隊だって、最前線もいいとこじゃないか……」


 各務原の経歴、というか戦歴を聞いて、榊がまた口を挟んできた。


「はッ! 彼奴はUPZ出身者のため、があったものと思料しております」

「……なるほど。もともとの処分理由は?」

「16歳の時の凶器準備集合罪および道路交通法違反――危険運転致傷による実刑です」

「少々やんちゃだった、ということか……まぁいい、で、フリューゲルとの接点は?」

「――それはもちろん……我が小隊でくつわを並べておりました」


 少しだけ、四ノ宮の顔に悔しさが滲む。自分の小隊で二人が親交を重ねたことが、今回の件で共謀するきっかけとなったのは間違いない。それをわざわざ榊少将が訊ねてきたというのは、四ノ宮に「貴様の責任だ」ということを暗に仄めかしているということだ。そんなことは判っている――!


「で、広瀬まゆ石動いするぎ少尉がこの両名に拉致連行されたというのは、いったいどういう理由なのかね?」

「……わか――」

「分からないとは言わせないよ四ノ宮君。既に民間人が殺害されているんだ。この二人には殺人を犯してまで果たさなければならない何か特別な理由があったと考えるのが自然だ」


 榊の言うとおりだった。研究所のエントランス保安要員が一名、見るも無残な方法で殺害されたのだ。どう考えてもかざり敵対アグレッサーモードに陥って、見境なく虐殺したに違いなかった。そしてこの人的損失が、彼らの今後にとって極めて不利な状況証拠となるのは確実であった。

 もちろん、実験小隊そのものも、今や風前の灯火だ。

 今日のこの会議は、査問委員会の予備審問みたいなものだ。


「この二名が外国勢力と繋がっている可能性を考慮せざるを得ないだろう」


 憲兵総隊の法務部長、有吉大佐が水を向ける。


「……広瀬繭は衰弱していたとはいえ、立派な軍事機密オメガだ。監視映像からも、奴らの第一目標が彼女だったことは間違いない。石動君は彼女を庇って一緒に拉致されたようにしか見えないのだ」

「……仰る通りです――石動が身を挺して軍機保護を試みた、という点は間違いないと思われます」


 ここだ――実験小隊が生き残るとすれば、石動のこの献身をことさら強調するしかない。彼の行動のお陰で、小隊の軍への忠誠心はギリギリ疑われずに済み、首の皮一枚繋がっているのだ。どんな理由があるにせよ、今のところはかざりと各務原の個人的犯行、という線を貫くしかないのだ。


「であればなおさら、石動君は連行の途中で殺害されている可能性も視野に入れなければならん……すぐにでも追っ手を差し向けるべきだ」


 参謀本部作戦部長の長島少将が応じる。有吉大佐が言葉を継いだ。


「――仮に石動少尉が殺害されていたとなれば、彼らの罪状には抗命罪も適用されなければならん」

「異論はありません……」


 今の四ノ宮は、絶対に彼らに異を唱えてはいけないのだ。今は、一切の個人的感情を捨てる時だ。所詮この場では、少佐と言えど末席だ。

 だが、意を決して意見具申する。


「少将閣下――両名の追撃は我が小隊にお任せいただけないでしょうか!」


 一瞬、場が静まり返る。

 榊がおもむろに口を開いた。


「四ノ宮君、それはさすがに無理な相談だ」

「――理由を……お聞かせいただけませんでしょうか……?」


 有吉憲兵大佐が呆れたように応じる。


「四ノ宮少佐――今回の事件の首謀者は二名とも君のところの小隊員だ。身内の不始末は身内で、という気持ちも分からなくはないが、一方で君の小隊自体に容疑がかけられかねない状況であることを理解しているかね?」

「――それは……」

「まぁまぁ有吉君、石動君の行動を見れば、小隊ぐるみでないことは一目瞭然なんだ……その言い方は少々理性に欠けるきらいがある」

「……はぁ……しかし――」


 榊が有吉をたしなめる。恩を売ったつもりなのか。


「私はね、四ノ宮君……君たちに仲間を討伐させるのは忍びないんだよ……」

「…………!」


 ――なんということだ!? 既に結論は出ているということか……!?

 自分は「追撃」と言っただけだ。つまり、石動少尉と広瀬繭を拉致してどこかに行方をくらました月見里文と各務原伍長を捜索し、発見次第とりあえず逮捕して事情を訊く、というつもりで意見具申したのだ。

 だが、ここにいる高級将校たちの言い方は、既に彼らを反逆者と見做しており、殺害を含む処分を前提としたニュアンスではないか!?

 四ノ宮は、目立たないように唇を噛む。


 おもむろに榊少将が口を開いた。


「ところで叶君、フリューゲルの戦闘能力はいかほどかな」


 冒頭からずっと無言でこの場に控えていたオメガ研究班長、叶少佐がようやく発言の機会を得る。


「はぁ、結論から申しますと、通常装備の軍部隊では歯が立たないかと思います」

「……そんなにかね?」

「はい。フリューゲルはただ単に身体能力が高いだけではありません。筋組織を異常硬化させることもできまして、ざっと132モース硬度――つまりダイヤモンドの十数倍の硬さに自分の身体を硬化させることができます」

「だ、ダイヤモンドの十数倍!? それでは通常弾など貫通しないではないか!」

「貫通しないどころか、皮膚にかすり傷をつけることすらできないでしょう……病棟の隔壁を拳骨でいとも簡単に打ち破ったのはご存知ですね」

「――ではどうすれば……」


 叶は、チラリと四ノ宮を見やった。彼女はただ、鋭い視線を投げ返すだけだった。


「……そうですね……説得、してはどうでしょうか」


 最初その言葉の意図を図りかね、困惑した様子だった榊の顔が、徐々に赤くのぼせていく。


「はっ!? 叶君、冗談ではないのだよ!?」

「私も冗談では申しておりません。今のところ、全力戦闘を行うオメガを通常戦力で討伐するのは極めて困難だと申しあげております」


 叶は涼しい顔で榊の怒りを躱す。


「まぁまぁ榊さん、専門家が言うんだ……ここは引こうじゃないか」


 作戦部長の長島少将が間に入った。続けて周囲を見回す。


「ここはひとつ、参謀本部直轄部隊に汗を流してもらうしかないな」

「おぉ……!」

特殊作戦群タケミカヅチか!?」


 部屋の中に、よい結論が出たという独特の空気が漂った。だが四ノ宮と叶だけはその空気に乗るつもりはない。

 陸軍の誇る精強無比の最精鋭部隊・特殊作戦群タケミカヅチ。その実力は世界でもトップクラスで、今まで数々の特殊作戦に従軍し、その名を国内外に轟かせていた。陸軍全兵士の中でもトップ0.002パーセントの者しかその名を名乗れない、精鋭中の精鋭。ベストオブベスト。

 誰が聞いても彼らが出てくれば万事解決、必ず作戦は成功する、と思ったとしても無理はない――本当のオメガのことを知らなければ……


 だから四ノ宮と叶は暗澹たる気持ちに陥るのだ。もし彼らと文がガチンコで戦ったら……文も無事では済まないだろうが、恐らく特殊作戦群は想像を絶する手酷い損害を蒙るはずだ。

 そして、軍の上層部がこんなことを言うから、四ノ宮と叶は本音の部分で少しだけ、文たちの肩を持ちたくなるのだ。

 榊が宣言する。


「では諸君、たった今からフリューゲルこと月見里文二等兵曹と各務原和也伍長を、国家反逆罪で討伐するものとする。追討部隊は特殊作戦群。編制は作戦部長に一任。以上」


  ***


 高官たちが部屋を出て行った後、四ノ宮と叶だけが残っていた。


「貴様……なぜ先ほど嘘をついた……!?」


 四ノ宮が小さく呟く。

 叶は、おもむろに右手で頭を掻き上げたかと思うと首をコキコキと左右に傾げ、それからゆっくりとその腕をテーブルに下ろした。


「ふむ……私は嘘などついたつもりはないが――」

「とぼけるな……甲型弾のことを黙っていたではないか」

「ふん……あれは少将が“どうやったらオメガを倒せるか”と聞いてきたから、そんな方法はない、と答えたまでだ」

「詭弁だな……」

「嘘はついていない……甲型弾はオメガに攻撃されないための単なるマーキングだ」

「…………」

「…………」

「……すまんな……」

「……気にするな……東子ちゃん……」

「東子ちゃん言うな……」


 叶は、顔を伏せる四ノ宮の肩にそっと手を置いた。

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