第95話 違和感

 機密第一号棟――通称S病棟と呼ばれるその建物に秘密裡に収容されているのは、日本国内で発見・保護された幾人ものオメガたちだ。Ωオメガという呼び名は日本軍が彼女たちのことを指し示す時に割り当てた軍用通話表フォネティックコードで、もちろん見た目の通りギリシャ文字である。


 北大西洋条約機構NATOのそれが、通常ラテン文字――すなわち一般的なアルファベットを用いてアルファブラボーチャーリーデルタ……と呼称するのに対し、我が国の場合は敢えて彼女たちについて、もっとも原初的で根源的な、ラテン文字の元となったギリシャ文字のそれを当て嵌めることとしたのである。

 その理由はひとつではないのだが、一つの道理としては、彼女たちが調査の結果まさに人間離れした存在であったことに由来している。それは彼女たちが、通常人間の生存を許さない高濃度の放射能汚染地帯で生き永らえ見つかったためであり、そのDNA変異特性により、人知の計り知れない超人的な能力を発動させることができたからである。

 それはまさに、現生人類ホモ・サピエンスが本来持っていたかもしれない生命の原初的な在り方ではないのかという問いを多くの科学者に投げかけたし、人間の持つ可能性を然るべき関係者に問いかけたのであった。

 そういう意味では、見た目が人間の姿とまったく変わらない彼女たちをして、ヒト種の究極の進化系、あるいは人類の最終形態なのではないかという研究者の希望的観測ないしは科学的浪漫の心象を多分に含んだ呼称として、24個のギリシャ文字の24番目のΩという字をそれに充てたのは極めて順当な選択だったと言える。

 いっぽうそれに対して、科学者たちの研究上も、軍の作戦運用上も、オメガと「普通の人間」を区別しておく必要に迫られ、それを対極の文字――24個の1番目の文字であるところのαアルファと称したのは自然の成り行きであった。


 黙示録において、神は自らを称して「わたしは最初アルファであり、最期オメガである」と語ったとされるが、神ならぬ人はアルファにしか過ぎず、そしてまた神ならぬ異能の少女たちもまた、オメガにしか過ぎなかった。

 この両者は今のところお互い相容れず、お互いを深く理解し求め合う術も知らない。

 だからここS病棟でただ朽ち果てるのを待つ多くのオメガたちは、愚かな人間アルファたちがその神の御使いの扱いを図りかね、天の逆鱗に触れた贖罪の山羊スケープゴートと言えなくもない憐れな存在であった。

 そして――


 今まさにその禁忌の山羊を簒奪し、更なる罪を重ねることを厭わない影が二つ、病棟のセキュリティゲートに音もなく忍び寄っていたのである。


「こちらS病棟第三ゲート――当直員二名にて侵入者の迎撃待機中……」


 先ほど病棟の連絡通路方向からものすごい音がして、なにかが砕け散ったような気配がここまで伝わってきたところだ。通路の先は研究所で、こちら側とは分厚い鋼板で出来た隔壁で遮断されているはずだ。普通に考えれば、先ほどの衝撃音はその隔壁が破られた音とみるべきだろう。爆発音がしなかったのは、何か別の物理的方法でその隔壁がこじ開けられたせいだ。当直員たちは絶望的な心境でライフルを通路方向に構える。


『こちら管理室――侵入者はほどなくそちらに姿を現すはずだ。奴らの狙いは病棟のオメガだ! 絶対にそこを通すなよッ!』

「了解……っ」


 耳に付けたイヤホンから無線で指示が入るが、二人は既に半分浮足立っていた。

 絶対に無理だ――

 最高度の警備セキュリティシステムを有するこの陸軍研究所の、何重にも亘る防壁が破られつつあるのだ。エントランス詰所からの応答も先ほどから途絶えている。

 恐らく詰所当直員の生存は絶望的で、多連装自動迎撃銃座バルカンファランクスは何の役にも立たなかったのだろう。現に今だって、戦車の徹甲弾すら弾き返すはずの隔壁が、易々と突破されているではないか。

 下手に抵抗したら間違いなく殺される――だが……

 自らの身体を張ってでも、ここにいるオメガたちは死守しなければならないのだ。彼女たちは、その存在自体が国家機密なのであり、朽ちたりとはいえその異常な能力は依然として恐るべき殺傷力をもった兵器そのものだ。万が一それが敵性国家やテロリストたちの手に落ちたなら、それこそ国家の存亡に関わる非常事態だ。


 銃口を向けたその先、薄暗い通路のその奥に、突如としてただならぬ気配を感じる。


「おい……来たぞ……」

「ああ……」


 二人はカウンターデスクの裏側にしゃがみこみ、自分たちの身体が敵に露出しないよう低い姿勢を取った。すると――


 闇の中からふいに、その闇よりも濃い漆黒の影がすっ――と彼らの視界の中に現れた。

 音もなく――


 その影はまさしく全身黒ずくめで頭部は完全被覆鉄帽を着用しており、ちょうど目の位置には七連装暗視装置が突き出して、まるで複眼の昆虫のような不気味さを醸し出していた。恐らく周囲の状況を確認しているのであろうその複眼暗視装置のレンズ面が、彼らの眼球の動きと連動して赤くグリグリと動く。さらに口腔を覆う部分からは呼吸用と思われる武骨なチューブが頭部の左右に伸び、そのまま背中の方へ繋がっていた。あたかも前時代のガスマスクのようなその風貌が、地獄の軍団の髑髏面スカルマスクのような禍々しさを噴き上げている。


 影は最初一体、少し経って、二体目がその後ろからやはり音もなく姿を現した。二体とも、銃床ストックを短く詰めた突撃銃アサルトライフルを小さく構えていて、先端の銃口マズル部分には黒光りするセラミックの銃剣を据え付けていた。それら兵装はまるで特殊作戦群装備の七〇式特別仕様リミテッドのようで……


「お、おい……アイツら――」

「ぁ……あぁ……ま、さか……」


 突然、影の持つ銃から赤いレーザー照準が放たれ、二人の眉間を正確に照射した。つまり、ワンクリックで射殺ヘッドショットするぞという明確な降伏勧告だ。最初からこちら側を捕捉していたのだ。

 二つの影は、そのままゆっくりと歩を進めながら、当直員が潜むカウンターの真ん前まで音もなく近づく。デスク越しに眉間に合わせた照準はその間一ミリも動かず、正確に彼らを狙い澄ましたままだ。恐らく、こちらが引き金トリガーを引こうと僅かでも筋肉に力を入れた瞬間、額の真ん中に鉛の弾がぶち込まれるのだろう。

 二人はお互い顔を見合わせると、ゆっくりとトリガーガードから人差し指を抜き、そのまま銃口を斜め上にずらして抵抗の意思がないことをアピールした。そのままさらにゆっくりとライフルをカウンターの上に置き、その流れで両手を上に掲げ、そろりそろりと立ち上がる。


 その瞬間――

 当直員は、左側の影の複眼がほんの僅か視線を外したのを見逃さなかった。

 咄嗟に左脚の爪先を数センチずらし、床の突起を踏み込む。途端――

 グヮンっ――という大音響とともに激しい衝撃波がそこにいた全員を襲った。

 辺り一面が灰煙に包まれる。カウンターデスク前面パネルに固定してあった指向性対人地雷クレイモアが影に向かって爆発したのだ。侵入者を迎え撃つため、先ほど彼らが慌てて装着したものだ。

 数百個の極小金属片が仕込まれたその恐るべき殺傷兵器は、指向する方向に立つ対象物に向かって瞬間的に襲い掛かり、肉や骨をズタズタに引き裂き、吹き飛ばす。

 一瞬の静寂。

 ほんの少し遅れて、周囲の壁がガキャンガキャンと崩れ落ちていく音が響く。

 カウンター裏に反射的にしゃがみ込んで爆発の揺り戻しを躱した当直員の一人が、恐る恐る天板から頭を半分出し、向こう側を覗き込んで様子を伺う。だがその視線の先は、黒煙がもうもうと立ち込めてよく分からなかった。


「……おいっ、見てみろ」


 当直員はそう言って隣に未だうずくまっている相棒の腰を軽く蹴った。

 二度、三度……だが、横たわった彼はピクリとも動かない。瞬間悪い予感がして慌てて横臥状態の彼の肩を乱暴にひっつかみ、仰向けに身体をひっくり返す。

 相棒の眉間には、小さな花が咲いたように銃痕が刻まれていた。


「――クソっ!」


 あの一瞬で影に撃ち抜かれたのだ。迷うことなく。躊躇うことなく――

 当直員は弾かれたように立ち上がり、腰のホルスターからハンドガンを素早く抜き取ると、再度煤煙が漂う前方にその両腕を突き出し、睨みつけた。

 そこに影の姿はなかった。不意打ちの攻撃を喰らってズタズタに引き裂かれ、瓦礫に埋もれたのか……!?

 た、確かめなければ……カウンターを迂回し、一歩、また一歩と慎重に前進して、先ほどまで奴らが立っていた位置に足を運ぶ。だが……

 そこには何の痕跡も認められなかった。

 肉片も。血痕も。吹き飛ばされたはずの膝から上はともかく、できることなら脛から下の部分がそこに転がっていてくれたらどれほど安心しただろうか……!?

 しかし、確かに言えることは、侵入者たちは間違いなくこの場から消え去ったということだ。撃退した、ということなのか? 

 であれば相棒、お前の決死の行動は無駄じゃなかったぞ……。

 すると、カウンターの向こうから小さな呻き声が上がった。


「……う、うぅ……」

「えっ!?」


 慌てて元いた場所にガサガサと駆け戻ると、床に転がる相棒の遺体が、僅かに動いていた。


「――お、おいッ! お前、生きてんのかッ!?」


 急いで跪き、肩をグイっと抱き寄せる。


「……あ……あぁ……痛ぇ……」

「なんだお前ッ! 生きてんのかよっ!?」

「……なんとか……」

「は、ははッ! なんだっ……生きてんのかよ……!」


 当直員は、それまでの張り詰めた神経が一気に弛緩していくのを自覚する。


「……これ……鎮圧用だ……」


 そういうと、撃たれた当直員は自分の額を指先で慎重に触る。確かに銃撃を受けた眉間は酷い出血だが、もともと人間の頭部は派手に出血しやすい。彼の傷は浅く、一時的に脳震盪を起こして気絶していただけ、というのが真相だった。


「鎮圧用って……あの、憲兵隊がよく使ってる奴か……?」

「――あぁ、たぶん……撃たれても、致命傷にはならないな」

「……ってことはやっぱり――」

「あぁ! あいつら、身内だぜたぶん」


 二人は顔を見合わせ、それからおもむろに無線機を手に取った。

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