第94話 侵入者

「どうなってるッ!?」

「はッ! 侵入者はS病棟側に入り込んだ模様ッ!」


 クソっ――そもそもどうやって駐屯地の敷地に入り込んだ!?

 警備主任は管理室の監視モニター群を睨みつけながら、コンソールに張り付く当直員の右肩を乱暴に小突いた。彼はそれに構うことなく、必死で手許のトラックボールとキーボードを操作している。一刻も早く、まだ生きている監視網を選別して物理的阻止線の再構築を図らなければならないのだ。

 60面あるモニターのうち、既に約三分の一の画面が砂嵐――すなわち信号アウト――になっていた。侵入者の仕業だった。


 つい先ほど、研究所施設の方から大きな衝撃音が轟き、同時に侵入者を知らせる非常警報が管理室に鳴り響いたところだった。モニターにも各種センサーにも、ほんの先ほどまで何も検知されていなかったし、そもそも駐屯地の外周柵を乗り越えて敷地に侵入した時点で重力センサーに引っかかるはずなのに、どうしたことかこんな基地の最奥部の研究所に侵入を許すまで誰も気が付かなかったのだ。

 中央制御室のサーバーが無効化されていないのは不幸中の幸いだった。これがダウンすると、陸軍研究所と付属病棟、付属実験施設に張り巡らされた監視カメラ網を集中制御するすべを失うし、何より各出入口の近接火器システムCIWSが操作できなくなる。建物内の至る所に設置してあって、関所の役割を果たしているセキュリティゲートも意味をなさなくなる。

 まだやれる――!

 まだここの警備網は、完全に突破されたわけではないのだ。

 重要施設の警戒システムの根幹部分を潰されなかったということは、この侵入者は「素人」に違いない。どこかの国の、専門の特殊部隊という訳ではなさそうだ。ならば――


「班長ッ! 軍側に緊急通報! 駐屯地全体を封鎖要請ッ!」

「アイサーっ!」


 隣に立っていた今夜の当直班長が、間髪入れず壁に埋め込まれた赤色の四角いパネルに拳を叩きつける。

 バリンと音がして表面の透明プラスティックが割れ、中心の大きな丸いボタンが押し込まれた。部屋の赤色灯がリズミカルに明滅フラッシュを始める。数秒後、駐屯地の当直室からホットラインが掛かってきた。


『状況知らせッ!』

「はッ! 今から数分前――推定2106時、研究所正面セキュリティの強行突破を図る武装侵入者を検知! 人数は不明! 現在S病棟方面に潜伏中と思われるッ!」

『――了解した』


 ホットラインは必要最低限の情報だけ聞くとすぐに切れ、直後、駐屯地全体に等間隔に並んだフラッシュライトが赤色の明滅を始めた。

 赤色警報――〈第一種警戒態勢〉の合図だ。研究所への侵入を図った時点で国防機密強奪の恐れありと見做され、問答無用で射殺しても構わない、という警備符牒セキュリティサインだ。

 今頃基地所属の憲兵隊員が全員非常呼集され始めているだろう。各所の当直警備をしている歩哨は、実包の確認をしている筈だ。

 よしッ……これで袋の鼠だ。


「主任! 初動班からの映像入ります」


 当直員が、研究所入口のセキュリティゲートに急行した緊急初動班のモバイルカメラの映像をメインモニターに映し出す。侵入者に監視カメラを潰されて、現場映像を確認できなかった箇所だ。


「……な……んだ、これは――」


 現場に臨場した隊員のヘルメット横に装着された目線カメラが映し出していたのは、滅茶苦茶に破壊されたエントランスの惨状だった。

 通常来訪者ビジターが最初に立ち止まり、天井から吊り下げられた光学センサーの照射を受ける保安スポットは、床に大きな亀裂が幾筋も入り、中心部が半球状に凹んでいた。円形のセンサーと天井を繋ぐワイヤーは断ち切られ、センサーリンク自体は天井から斜めに垂れ下がって片側が床に落ちていた。何本かのケーブルは引きちぎられており、切断面から時折バチバチっと火花が飛び散っている。

 壁に据え付けられ、いつもは来訪者を威嚇している近接火器システムCIWSは無残に破壊され、黒煙が立ち昇っていた。その太い連装銃身は、あろうことか真ん中でへし折られている。一連射だけはされたと思われ、反対側の壁は機関砲弾で蜂の巣になっていた。


 この破壊力は……尋常じゃない――

 警備システムの急所のひとつである制御サーバーひとつダウンさせられなかった素人だと思っていたが、エントランスの強化防壁をこれほどの力技でねじ伏せる攻撃手段を持っているとしたら話は別だ。完全装備の軽装機動歩兵でも敵わないのではないか……!?

 警備主任の背筋に冷たいものが走る。

 これは、単なる侵入犯ではない……訓練された兵士による、強襲攻撃だ――

 何らかの意図を持って研究所への破壊活動、ないしは何かの国防機密を奪取するのが目的に違いない。だとすると、敵は恐らく殺傷を厭わないはずだ……。


「主任ッ! 見てくださいッ!」


 慌ててモニターを見つめなおすと、そこには警備詰所の様子が映っていた。破壊の限りを尽くされたセキュリティゲートのすぐ隣、壁一枚隔てた位置にある部屋だ。

 見ると、その壁自体に大穴が開き、映像はその穴から詰所の中を覗き込んでいるようだった。

 腕――?

 画面には、誰かの腕らしきものが天井に向かって突き立っている様子が映っていた。それは、何かを掴むような形をしたままドス黒い血痕に染まり、その太い雫は肘の方へダラダラと筋を引いていた。

 目線カメラが激しく動いてすぐ傍まで近寄り、腕の持ち主を確認しようと下を向く。するとそこには、本来人間の腕が付いているはずの肩、あるいは上半身ではなく、なぜか二本の脚が一緒に生えていた。脚の方は膝と思われる部分で折れ曲がり、力なく下を向いている。画面はその不思議な構造がどうなっているのか把握しようとするかのように、さらに激しく上下にぶれ、その奥を覗き込む。やがて……

 一本の腕と二本の脚が突き出た根元を見つけて一瞬画面の動きが止まった。そこに映されたのは――


 胴体がみぞおち部分で真っ二つに叩き折られ、サバ折り状態になった詰所隊員の無残な遺体だった。


「ぐぼぉぁっ……」


 隣で一緒に見ていた当直員が突然嘔吐する。吐瀉物の酸っぱい臭いが辺り一面に広がった。

 映像を見た管理室の当直員たちに動揺が走る。


「――酷い……」


 それ以上の言葉が見つからない。いったいどうやったら、こんな残酷な殺し方ができるんだ……。これじゃあまるで人喰い羆に襲われたみたいじゃないか……。

 目線カメラの映像も今やブレブレだった。あの惨殺現場を直に見た隊員たちのショックは計り知れないだろう。警備隊員たちは、身分こそ民間軍事会社PMCの社員だが、元はみな軍人だ。現役時代はそれなりに過酷な戦場を経験している者ばかりだから、本来であればどんなにエグい状態のものを見ても、ちょっとやそっとじゃ動揺しない筈なのだ。

 だが、この惨状では無理もない……

 彼らはみな、家族や家庭の事情などにより、戦闘の第一線から身を引いた者たちだ。誰しもが、自分を待つ誰かがいる存在なのだ。

 主任は、今こそ自分が叱咤激励しなければいけないと判っていた。受令機を握りしめる。


『警備スタッフ全員に通達。侵入者は極めて凶暴性が高い。単独行動は厳禁。必ず複数で捜索活動を実施し、発見次第射殺せよ! 繰り返す、逮捕の必要を認めず。発見次第射殺せよ!』


 その通達は、警備隊員たちが我に返るのに十分な効果を発揮した。そうだ、見つけたら無理に捕まえなくていいのだ……どんな手段であろうが、無力化すればいい。それに、じき軍部隊の応援も来るだろう。自分たちは無理をせず、ただ追い詰めればいい……。


「主任ッ! S病棟内にて侵入者を発見! 確認できるのは二名ですッ! 現在移動中」

「よしッ! 追撃隊をまわせッ!」


 そうだ――奴らは必ず網に掛かる。追い詰めて、狩りとるんだ。


「主任ッ! 奴ら隔壁を突破していきますッ!」

「何だとッ!?」


 病棟内の隔壁。今回のような緊急時に備えて、侵入者が各フロアを自由に行き来できないよう、そして保安上重要な部屋に簡単に侵入されないように、特別に作られた堅牢な隔壁。病棟には複数個所に設置してあって、一旦閉めてしまえば、20キロのプラスチック爆薬でもビクともしない……筈だ。

 ――それが、突破されているだと!?


「……どうやって――」

「そ、それが……映像で確認する限り、拳で破壊しております……」

「そんな……そんな馬鹿なッ!?」


 ――そんなことが出来るのは……あのバケモノみたいなオメガとかいう連中しかいないではないか!? だがまさかそんな……


「し、主任ッ! 奴らの狙いはオメガ病棟ではないかと……」

「――見せてみろッ!」


 警備主任は飛びつくようにコンソールにかじりついた。当直員が表示した建物の3D画像の中に二つの輝点ブリップが映し出されている。これが現在リアルタイムで確認できる侵入者の位置だ。

 さらにはその輝点ブリップの航跡から推測される未来進路。その目的地は間違いなくオメガ病棟だった。


「絶対に侵入を許すなッ! 叶班長に緊急連絡ッ!」


 あそこにいるオメガたちは、国防上の最高機密だ。侵入者の目的は、我が軍オメガの奪取なのか!?

 輝点ブリップは、オメガ病棟入口のフロアデスクにじりじりと近づいていた。あそこには、二名の保安要員がいる筈だ。

 すぐに応援を向かわせる! それまで持ち堪えてくれ……!

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