第78話 オメガ研究班長

「どういうことなんだ!?」


 月見里やまなしかざりの突然の言葉に、士郎は愕然とする。


「……言葉の通り……まゆはもう助からないの……」


 そう言うと文は立ち止まって顔を伏せ、肩を震わせた。

 会って欲しい人がいると文にせがまれ、連れてこられた閉鎖病棟。そこには11歳のオメガ少女、広瀬繭が入院していた。

 繭の身体があちこち蝕まれているのはすぐに分かった。パジャマ越しにも、皮膚の広い範囲が壊死しているような様子が見て取れ、大変な闘病生活を送っていたことが窺われた。実際、両脚は既に手術で切断されており、今後下手をすると両腕も切り落とさなければいけないのだ、という話に、士郎も内心衝撃を受けていたのだ。

 繭の年齢が、かつて亡くなった士郎の妹、かえでと同い年であったことも、士郎の心を大いに痛めた。彼女を見ていると、どうしても妹を重ねてしまう。だから、今日のこの短い面会時間だけで、士郎にとって繭は既に自分のことのように大切な存在になってしまったのだ。


「……でも、重い病気を患っているのは分かるが、何とかならないのか……その……義肢とか」


 この時代、医療は極めて高度化されているのだ。腕や脚を吹き飛ばされた戦場の兵士だって、現場の応急処置さえ何とかなれば、簡単に機械化された義肢に換装できる。現に西野ゆずりはの吹き飛ばされた右腕は、完全に機械化腕手ロボティクスアームになって元気になっていたではないか。軍に居れば、戦場帰りのそうした兵士などいくらでも目にすることができる。


「……わたしも何度も医師せんせいに聞いたよ!? でも、オメガは駄目なんだって……」

「でもゆずは――」

「ゆずちゃんは特別だったの! 良く分からないけど、あれは少尉のおかげだって医師せんせいが言ってた……」


 文の言っている意味が分からない。確かに楪の時は、腕を吹き飛ばされて大量出血していたから現場で応急処置をしたのは自分であるが……その後の人体再生手術をしたのはまさにこの陸軍研究所に併設された病院の優秀な医師たちではないか。同じオメガである楪と繭に、何の違いがあるというのだ。

 その時、後ろから突然声が掛けられた。


「ゆずちゃんが助かったのは、まさに君のお陰なんだよ」


 驚いて士郎が振り向くと、そこには青白い顔をした白衣姿の痩身の男が立っていた。


「あっ! 先生!? なんで――」

「なんではないだろうかざりちゃん……今日も来てくれたんだね」


 そういうと白衣の男は文に笑顔を向ける。文も慌てて目をこすって、笑顔を返した。

 士郎は、突然現れたこの男を訝しむ。

 背は高く、180センチはあるだろうか。痩身で青白い頬はこけ、レトロな丸い銀縁眼鏡をかけている。その奥の瞳はひどく落ちくぼんでいて、眉間には深い皺が刻まれていた。ただ、口許は先ほど文に笑顔を向けたせいか緩んでいる。少しだけ上がった口角のお陰で、本来はひどく陰気な顔をしているだろう男の表情は、今はやや人懐っこささえ感じさせた。


「君が石動いするぎ士郎少尉だね」


 白衣の男は士郎を品定めするかのように、頭のてっぺんから爪先まで何度も視線を往復させながら話しかけてきた。着ていた白衣のポケットに突っ込んでいた手を抜いた拍子に前がはだけ、下から将校軍服が現れる。咄嗟に胸の階級章を見て、士郎はサッと敬礼する。


「はッ、少佐は小官をご存知でありますかッ」


 軽く答礼を返した男が応じる。


「知ってるとも。私は叶元尚げんしょうという。陸軍のオメガ研究班長だ」

「――オメガ……研究班長……!?」


 ということは……この男が、オメガたちの……総元締め、なのか……!?


「S病棟のセキュリティから連絡があってね。君がここに来ているって。だから君に会いたくてこうして駆け付けたってわけだ」


 この男、叶技術少佐はあらためて士郎に向き直る。

 S病棟というのはおそらくこの閉鎖病棟のことだろう。


「どうだろう? 今からちょっと私に付き合ってくれないか」


 そう言うと叶は二人を促すように前を歩き始めた。


  ***


 白く音のない廊下に、三人の足音だけが響く。角を曲がってさらに進むと、廊下の左右に先ほどの繭の病室のような扉がずらりと並んでいた。

 叶はそのうちのひとつの扉の前に立つ。一緒に入るよう、士郎に顎をしゃくった。


 すっ――と音もなく扉が開く。中はまるで集中治療室のように大小さまざまな医療機器と思しき装置が並んでいて、やはりベッドがひとつ、部屋の中心に鎮座していた。天井からは何かのセンサーと思われる平らな磁気ボードが下向きに吊るされており、ベッドの中心に向かって数本のパイプが機器から伸びている。

そこには人形のようにまっすぐ横たわる女性の姿があった。瞼はきっちりと閉じられ、まるで息をしていないように見える。


「……彼女は……?」

「――オメガだよ」


 士郎はその答えを無意識に想定していた。やはりこの病棟に収容されているのはオメガたちなのだ。枕もとのモニターには、さまざまなバイタルの波形が規則的に波長を形成していた。


「次に行こう」


 そういうと叶は何の未練もなさそうに部屋を出て、隣の病室に向かう。

 二人は慌ててその後を追った。文が、沈痛な面持ちで部屋に残る女性に視線を残す。


 次の部屋も、先ほどと同様さまざまな機器で埋め尽くされていた。違うのは、真ん中のベッドが透明なキャノピーで覆われていたことだ。まるで伝染病患者を隔離しているような状態だ。

 中に眠るのもやはり女性……というには少し若く見える。今年20歳はたちになる、といっていた小隊のオメガ、蒼流久遠くおんと同い年くらいだろうか。


「石動君、ちょっと見てごらん」


 叶が、ベッドの傍まで来るよう促す。名前も知らないその若い女性が眠っているところを不躾に覗き込むのは少し憚られたが、隣のかざりに目をやると、こくっと頷いた。見てほしい、ということなのか。遠慮がちに近づいて、キャノピー越しに覗き込む。

 すると彼女の頬は酷くひび割れ、その裂け目の奥から、黄桃色の光が微かに漏れている様子が見て取れた。ひび割れは顔だけでなく、首筋から、胸の方まで続いているようだった。胸までかけられた白いシーツによってその先は隠されていたが、ひび割れがきっと全身に回っているであろうことは容易に想像できた。これだけ全身に裂傷を負っていれば、感染症防止のために隔離しているのも無理はない。


「……これは……?」

「オメガのDNA変異による副作用だよ。彼女は自分の形質変化を元に戻すことができなかったんだ」


 形質変化ということは……西野ゆずりはと似たような異能だったのか。

 楪は、自身の細胞分裂を随意に操れる。分裂を促進するアクセル遺伝子と、それを阻害するブレーキ遺伝子を自在に操ることによって、自分自身の身体の形状を、どこのパーツであれ自在に変形できるのだ。そして恐るべきは、その能力を特定の対象に向けることが出来ることだ。

 大陸での収容所作戦で奇襲攻撃を受け、楪が意図せず敵対アグレッサーモードに陥った際、味方の操縦士がその身体を不規則に膨れ上がらせ、爆散して果てたのは、楪のこの異能攻撃のせいだ。


「これでも形成外科手術を80回ほど繰り返してここまで元に戻したんだ。だがもはや身体形状をこれ以上維持するのは難しい……。身体中に亀裂が走っているだろう」

「……そのうちバラバラになる、ということなのでしょうか」

「……残念ながらね。彼女はやがて生きたまま、自分の身体がガラス細工のように砕け散るんだ。それがいつなのか分からないから、せめてもと思って今は全身麻酔で眠らせている」

「……そんな……」


 士郎は、彼女のあまりにも過酷な運命に声を失った。


「次の病室に向かうか、私の研究室に行くか、どっちがいい?」


 士郎は、当然ながら後者を選ぶ。他の病室には、また他の症状で苦しむオメガが眠っているのだろう。目を逸らすつもりはないが、今は少しだけ、受け止める時間が欲しい。

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