第77話 おひめさま

「あっ! かざりおねえちゃん!」


 ベッドの上の少女は、かざりの姿を認めるといかにも嬉しそうな笑顔を向けた。


「――と……だ、誰?」


 文に続いて入ってきた士郎を見て、少しだけ困惑の表情を見せる。下半身にかけてあったブランケットの端をスッとつまんで手元に引き寄せた。


「あーごめんごめん! この人は文のおともだちだよ!」

石動いするぎです。はじめまして」


 士郎は、歳の頃せいぜい10歳か11歳くらいのその少女を、なるべく怖がらせまいと気にしながら笑顔で自己紹介した。


「……ふ、ふーん、そうなんだぁ……」

「な! なによ! なんか言いたそう!」


 少しだけ視線を作った少女を見て、文が慌ててツッコむ。


「いやー、カレシかなーとか思っちゃったから」

「ななな! 何言ってんの!? まゆちゃんへんだなー!」


 文がますます取り乱しながら、少女のベッドにずかずかと近づく。士郎も慌てて追随し、二人で枕元まで近づいた。

 少女は士郎を見上げると、少しだけ視線を合わせ、すぐに目を逸らす。黒髪の艶々したボブがサラリと揺れる。前髪はぱっつんと切り揃えられ、きめ細かな白い肌とあいまって日本人形を思わせた。肩は痩せていて、可愛らしい花柄のパジャマの首元から少しだけ華奢な喉元が覗く。

 しかし何といっても印象的なのはその瞳だ。二重瞼で、少しだけ吊り目ぎみのその瞳は――ほんのり青白く、淡い光を放っていた。

 オメガ……なのか……。


「えっと……広瀬……まゆ……です」


 そう言うと少女は、上唇をきゅっとすぼめて、それから視線をさらに膝元に落とした。心なしか頬も上気している。恥ずかしがり屋なのだろう。


「えっと、ごめんね突然お邪魔しちゃって」


 士郎はなぜか謝りたい気持ちになった。きっと庇護欲を刺激されたのだ。彼女を見ていると、少しだけ妹のかえでのことを思い出す。亡くなったのも、ちょうどこれくらいの歳だった。


「あっ……いや、大丈夫ですっ」

「う、うん! 少尉にはわたしが頼んで来てもらったの!」


 二人が慌ててとりなす。それから文は、ベッド横あたりの壁際に設置してある背の低いキャビネットからポットを取り出し、お茶の準備を始めた。手慣れた雰囲気から、しょっちゅうここに来ていることが察せられた。


  ***


「――きっと良くなるよ。大丈夫だ」


 繭は、ベッドの上に伸びた士郎の掌をいつのまにかきゅっと握りしめていた。


「ホントに!? よかったぁ!」


 士郎の励ましに、繭は本当に嬉しそうな笑顔を向ける。初めて病室で出逢った時の緊張した顔つきとはえらい違いだった。そんな彼女の様子を見て、文も思わず笑みをこぼす。


「だからねっ! 少尉はスッゴイ人だって言ったでしょ!? 分かってくれた?」

「うんっ! まゆ、なんかその気になってきた!」


 文がわざわざ士郎と繭を引き合わせたのには、彼女なりの理由があった。繭は見ての通り、極めて厳重な警備が敷かれた閉鎖病棟暮らしで、見舞客も普段はほとんどいない。おまけに本人はあがり症で、だから繭の元に誰かを連れてくるには相当慎重でなければならないのだ。

 その点、士郎少尉は文にとって申し分ない存在だ。今までの言動で彼の誠実さは折り紙付きだし、何より文は少尉のことが大好きなのだ。だから、そんな少尉だったら繭に紹介してもいいのでは、と確信していたのである。なんといっても繭とは姉妹同然なのだ。歳は離れているが、できることなら少尉には繭の「友人」になって欲しい。

 そして、本当はこれが一番重要なのだが、文は繭に関する「大きな悩み」を誰か信頼できる人と共有したかったのだ。まだ具体的には伝えていないが、まずは彼女のことを少尉に知ってもらって、それからゆっくりと相談しよう。この問題は、自分ひとりで抱えるには重すぎる――。


「――そうだ、ねぇ……ちょっとだけ、病室を出てみないか?」


 士郎は思い切って繭に提案する。文が少し動揺したのが分かった。

 繭も心なしか強張った顔で文の方を見る。


「……え、どう……しよう、かな……」


 そんな二人の様子に、士郎はまるで気付かないようなふりをしながら言葉を続ける。

 そのためらいを乗り越えなきゃね、と士郎は思うのだ。


「車椅子とお姫様だっこ、どっちがいい!?」


 笑顔で繭に問いかける士郎。その視線は、繭の瞳を捉えて離さない。

 小さな繭は士郎にロックオンされて、いつものように視線を逸らすことができない。やがてその顔は紅玉のように真っ赤になり、やがて口をぱくぱくさせると言葉を絞り出す。


「……じゃ、じゃあ……お、おひめさま……だっこで……」


 最後の方は消え入りそうな小さな声だったが、文は確かに繭がそう言うのを聞いた。信じられなくて……泣きそうになった。


「よしっ! さぁおいで!」


 士郎はベッドの横から、繭の小さな身体に手を差し伸べる。

 右手は彼女の左脇の下から。左手はブランケットの下に潜り、彼女の左大腿部と思しき場所に潜り込ませて。

 繭は真っ赤になった顔を伏せ、両腕を士郎の首元に大きく回してその身体を預ける。

 すると士郎は、いとも簡単に少女の身体をベッドからくいっと持ち上げた。


「――きゃっ」


 繭が小さな声を上げて、士郎にしがみつく。


「……お、重い……?」

「まさか」


 士郎は優しく返事をして立ち上がると、文の方に振り向いてウインクをした。

 文が笑顔でふんふんっと頷く。

 やっぱり少尉を連れてきて正解だ! 繭がこんな風にベッドから出るなんて。脚の切断手術をして以来だ。


 抱き上げられた繭の右脚は、太腿の付け根から先が欠損していた。そして左脚は、膝から先がない。よく見ると、首の後ろの皮膚は黒紫色に変色していた。おそらくそれは、背中の方へと拡がっているのだろう。下手したら上腕部にも到達しているかもしれない。

 繭は不治の病に侵され、身体各部の腐った部位はその都度切断されていたのである。この先、下手をすると両腕も切断しなければならないかもしれない。


 だが、士郎はいたって平然としていた。


「……少尉は……イヤじゃない……?」

「何が?」

「……まゆの身体……」

「どうして?」

「……だって、変じゃない……?」

「なぜ?」

「――だって、脚がないんだよ!?」

「俺に言わせれば、手や脚がない奴は結構な確率で周りにいるし、それにこれは、繭ちゃんの勇気の証だ」


 そう言うと士郎は、繭の脚の切断面にそっと手を添えて、優しく撫でる。


「あー! 少尉それエッチなこと!」


 文が突然素っ頓狂な声を上げる。


「あっ! すすすすスマンっ!」


 文に指摘され、士郎も思わず掌をパっと離しうろたえる。繭はそれ以上に動揺して顔を真っ赤にさせたが、ギュッと目を閉じて叫ぶ。


「う! うぅんっ! 大丈夫……まゆがグチグチ言ったからっ……へいきっ!」


 既に耳朶じだまで真っ赤に染まり、繭は恥ずかしいのか士郎の胸にそのまま顔をうずめた。そんな彼女を、ちょっとだけ羨ましいと思ってしまう文はやっぱり女の子だ。


「じゃ、じゃあ……まずは廊下に出てみる?」


 文はそう言うと、二人を促した。


 その後病室を出て、三人でしばらく病棟内を歩く。今日は突然だったから、屋外に出る許可を取っていない。次はあらかじめ医師せんせいに許可をとって、今度は中庭に出てみよう。

 文は、士郎が思った以上に繭を大切に扱ってくれていることに心から感謝した。こーいうところなんだよね、と再び思う。


 本当はもっと一日一緒にいたかったのだが、繭の体調も考えて今日はこれくらいで引き上げることにする。帰り際、繭が困ったような顔で「次はいつ来れる?」と聞いてくると、少尉は迷うことなく「明日ね」と答えてくれた。ホント、こーいうところ、すき。

 案の定、繭は満面の笑みを浮かべて士郎をいとおしそうに見上げた。


 再び病室に戻り、ベッドに半身を起こしたまま笑顔で手を振る繭にいっときの別れを告げ、士郎と文は部屋を後にする。

 しばらく黙って並んで歩いていると、文がぼそりと呟いた。


「まゆ……余命あとわずかなんです……」

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