第76話 閉鎖病棟

 その日、石動いするぎ士郎は朝から待ち合わせをしていた。

 前夜はすっかり日も暮れてから帰隊し、そのせいか今でもなんだかぐったりと疲れが残る。待ち合わせ場所の駐屯地内兵員食堂のテーブルに腰掛け、目覚めのコーヒーをすすっていると、元気な声が辺りに響いた。


「士郎少尉っ、お待たせしましたぁ!」


 ゆるふわの青髪ショートにお餅のような白い頬。大きな瞳が相変わらずキラキラしている、月見里やまなしかざりだった。

 昨日、帰隊する車中で「会って欲しい人がいる」と突然頼まれ、さっそく今日時間を作ることになったのである。いつになく真剣な眼差しで頼んでくる文を、士郎も無碍にはできなかったというわけだ。


「おはよう。えっと……外出許可は取ってないんだが……」

「はいっ、だいじょーぶです! 基地からは出ないので!」


 そう言うと文は、自分についてくるよう身振りで示し、先を歩き始めた。士郎も慌てて紙コップのコーヒーを飲み干し、後に続く。


 そういえば今日のかざりは手ぶらだった。濃緑のつなぎ戦闘服に防寒ジャンパーを羽織っただけの軽装である。てことは、基地内のどこかに向かうのだろう。ぴょこぴょこ歩く彼女の後ろ姿は、本当にただの女の子だった。だが、そのスラリと引き締まった体躯が、彼女の人並外れた強靭なフィジカルを思い出させる。

 士郎たち〈オメガ実験小隊〉は、今のところこの第一軍司令部のある所沢駐屯地内で「待機」が命じられているだけだから、基地の外に出ない限り当面は自由に行動できる。


 食堂棟を出てしばらく歩くと、大きな白い建物の前に辿り着いた。

 陸軍研究所だった。

 ここは日本の軍事力、とりわけ陸軍関係の兵器・兵装、各種システム等の設計・開発を一手に担うテクノロジー開発の総本山だ。強大な軍事力を誇る日本陸軍の力の源泉は、実は世界最先端の科学技術力といっても過言ではない。もともと国土の狭い日本では、軍事力とは常に「量」より「質」が求められてきた。  

 「質」とはすなわち、一撃必中・見敵必殺の火力であり、極限まで生存率を上げるためのさまざまな仕組みづくりだ。その研究分野は電気・電子・情報通信・物理工学をはじめ化学・生物学・ライフサイエンス、ナノテクノロジー・材料・エネルギー、そして宇宙工学・量子力学に及ぶ。

 国防に関わるため研究開発費も莫大で、日本の最高峰の人材が集められていた。日本で最高ということは、世界でもトップクラスということだ。

 そしてもちろん、オメガに関する研究の総本山でもある。


 そんな陸軍研究所の正面玄関を、月見里文はスタスタと入っていった。

 すると、エントランスに入るところに足跡マークがある。ここで一旦止まれ、ということだろうか。二人で仲良く並んで立つと、目の前にフワッと小さなテーブルがせりあがってきた。天板に《武装を置け》と表示が出ているので、携帯していた拳銃をホルスターごとゴトリと置く。すると今度は、天井から吊り下げられている円形のリングから、お馴染みのレーザー波が全身に照射された。生体認証バイオメトリクスである。通常は眼球や掌紋照合程度なのだが、ここでは全身スキャンだ。

 国家機密の塊である陸軍研究所に出入りするには、体内ですらチェックの対象だ。機密情報の入ったチップを胃の中に呑み込んだり、皮膚の表層に埋め込んだりして持ち出そうとする奴がいるかもしれないからだ。もちろん入所する時の体重も記録される。退所時に体重が僅かでも増えていれば、その原因を徹底的に追及される。

 二人の場合は当然ながら問題なさそうであった。研究対象であるオメガ自身はもちろん、オメガ小隊所属の士郎も研究所へのエントリー資格が付与されていた。青色のLEDが天井からぶら下がるリングに沿って円く点灯する。それと同時に、エントランスの壁から突き出ていたものが音もなくスッと引っ込んだ。不審者は容赦なくこの場で狙撃されるということだ。


「少尉っ、行きましょっ!」


 文は嬉しそうにスタスタと奥に歩いていった。塵ひとつない磨き抜かれた白い廊下を真っ直ぐ進み、いくつかの角を曲がり、何度かゲートをくぐる。すると、見覚えのあるロビーが床から天井までの全面ガラス越しに見えた。朝の陽光が差し込み、士郎は眩しさに少しだけ目を細める。


「あれっ? ここってゆずが入院している特別病棟じゃないか」


 以前ゆずの見舞いに行ったとき、確かにあのロビーを通った気がする。


「そうだけど……ここからだとゆずちゃんの病棟には入れないのよん」


 文の言う通り、ロビーはガラスの向こう側だ。


「そ、そうなのか……じゃあいったいどこに――」

「こっちだよ」


 そういうと文はさらにスタスタと歩を進め、とあるゲートの前で立ち止まった。扉には『特別研究棟』という表示。


「……ここは……?」

「――あのね……ここにわたしのお友だちが入院してるの」


 そういうと文はゲートに設置されている認証ボードに掌をあてがった。

 すっ――と音もなく扉が開く。

 そこには、セキュリティ担当と思われる民間軍事会社PMCの隊員が二人、カウンター越しに座っていた。


「――所属と官位、姓名、認識番号を」

「陸軍参謀本部直轄特務小隊所属。陸軍少尉、石動士郎。認識番号――」

「同じくっ! 陸軍軍曹、月見里文。認識番号――」


 カウンターの二人が、何やら画面を見ているようであった。


「確認しました。どうぞお進みください」


 と同時に、目の前の機械式ゲートに水平に渡されていた金属製のバーがするりとゲートに引っ込んだ。士郎と文は、駅の電子改札のようなそこを通り抜け、さらに奥へと進む。


「おいおい、ずいぶん厳重なところだな……」

「そうなの……ここ閉鎖病棟だから……」

「閉鎖病棟……?」


 長く続く白い廊下には誰もおらず、ひっそりとしていて、二人の靴音だけがコツコツと響く。幾分くだけた口調になった文は、申し訳なさそうに士郎を見上げた。


 西野ゆずりはが戦傷の治療のため入院しているのは、「特別病棟」と呼ばれているところだ。そこは陸軍研究所の付属施設で、最新のトランスヒューマン化手術などを受けることができる、日本の医療の最先端施設だ。ならばこの「閉鎖病棟」というのも同様に陸軍研究所付属施設なのだろうか。

 いったい誰が、ここにいるというのだろう――。


「ここだよ」


 気が付くと、文が立ち止まって士郎を見上げていた。

 扉の前に立った文は、コンコン――と軽くノックをしてガチャリと開ける。


 士郎も、文に続いて中に入った。

 そこは、よくある病棟の個室で――


 ベッドの上には、小さな少女が半身を起こして座っていた。

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