第75話 少女たちの告白

 大気汚染警報は未だ発令中であった。

 気が付くと、空は一面紫色から宵闇に変わりつつあった。いや、星や月が見えないのは正確にはプラズマ防壁のせいだ。おそらく現在、防壁の外側には汚染大気が容赦なく吹き付けているのだろう。天空を覆う超巨大なドーム状の透明な電磁バリア。空を見上げると、ところどころに虹色のシャボン玉のような被膜が不意に現れ、またあっさりと消えていく。プラズマフィールドが外部からの圧力に反応している現象だ。

 あの防壁が消えた瞬間、この綺麗な空気もあっという間に汚染されてしまうのだ。何らかの原因で供給電力が突然喪失したらと思うとゾッとする。そんなことを意識してしまうと、なんとなく息苦しさを感じてしまい、思わず喉の渇きを覚えてしまう。


 戒厳令が敷かれた街中で、士郎たち一行は特段咎められることもなく渋谷のスクランブル交差点を離脱し、自由に行動することができた。これが軍人である特権でもあり、規則通り軍服を着用していたお陰でもある。

 最初、女子高生みたいな四人が同行していたせいで、街の角々に立つ歩哨に何度か誰何すいかされたが、左胸に光る参謀本部章の威力は絶大であった。一応〈オメガ実験小隊〉は参謀本部直属の部隊であるから、徽章の着装は当たり前なのだが、陸軍内において「参謀本部直轄部隊」というのは特殊作戦群タケミカヅチか情報本部くらいしか知られていないから、一般兵士たちは士郎たちをこうしたエリート部隊の所属と勘違いしたのであろう。

 まぁ、オメガ小隊も極めて特殊で極めて戦闘力の高い秘匿部隊であったから、あながち間違いというわけではなかったのであるが……。

 とにかく、一般交通網がすべて停止している中で、士郎たちは市内を巡回パトロールする軍車両をなんなく捕まえ、帰隊の足を確保することに成功したのだった。


「すっかり遅くなってしまったな」


 士郎は徴発車両――四七式戦闘装甲車――の兵員室で揺られながら、誰に言うともなく呟く。すると、同じようにおとなしく座っていたオメガたちが待ってましたとばかりに口を開いた。


「憲兵隊というのは厳格なのだな」

「わたし、ちょっぴり怖かったよぉ」

「俺なんか、いつ何時みんなの眼がびかーって光り出すかと思って気が気じゃなかったよ」


 久遠くおんかざりの言葉に各務原かがみはらがしみじみ答える。

 まったく、彼の言う通りだった。さっきの状態は、弾薬庫で煙草に火をつける行為とさして変わらない。大陸での、あの悪夢の一件を思い出す。


「大丈夫ですよ。だってここは戦場ではありませんから」


 くるみが少し困ったような顔で応じる。各務原が驚いたように反応する。


「そうなの? 戦場じゃなかったらブチ切れないの?」

「基本的には自分たちに殺意が向けられなければ我慢可能」


 亜紀乃が話に加わる。さらっと重要なことを言った気がするのは気のせいだろうか。

 士郎は思わず問いただす。


「殺意……? 我慢……? どういうことだ」


 オメガたちはお互いの顔を見合わせる。

 久遠が口を開いた。


「士郎……私たちは以前とは少し違う……その……なんていうか、士郎がいれば大丈夫なんだ」

「さっきの現場では士郎しょーい怒ってなかったでしょ!」

「そりゃそうだ……俺たちは傍観者だったからな」

「もしあの時、私たちが彼らを排除することに少尉が同意していたら、一気に攻撃モードになったと思いますが……」

「そんなことをしたら大惨事だ。あの少年たちは一人残らず……」


 民間人の年端もいかない少年たちが、オメガの圧倒的戦闘力で切り刻まれ、惨殺される様を想像して、士郎は怖気づいた。


「……憲兵さんの殺意は私たちには向けられていなかったので、気持ちを落ち着ければガーってなりません」


 亜紀乃の言葉に、何か重要なヒントが隠されているような気がする。

 この子たちは、つい先日まで戦闘中にのだ。だからこそ甲型弾なる新装備が開発され、対象の体内に注入されたナノマシーンから分泌された士郎のDNA成分を介することで攻撃衝動を抑える、という対症療法が試みられたのである。

 自分自身のDNAにいったいどんな秘密が隠されているのかはこの際横に置き、とにかく自分そのものが彼女たちの敵味方識別装置なのだ、というところまでは理解していたつもりだ。

 いや、いま亜紀乃の言っているニュアンスは少し違うようだ。すぐ傍で戦闘が行われていても、自分たちに危害が加えられない限り、そして自分自身が感情をコントロールしていられる限り、彼女たちは攻撃態勢に入らない、ということか。

 では小隊そのものが戦闘行動を行っている時はどうなるのだ。やはり自分のDNAがないと誰彼構わず彼女たちは襲ってしまうのか……。それとも、己の感情が彼女たちのメンタルに何らかの影響を与えることが出来つつある、ということなのか……。


 士郎は知らない。この時既に、少女たちが石動士郎という存在に対し、今までは存在しなかった特別な感情を抱き始めていたことを――。

 その時、向かいに座っていた月見里文が話しかけてきた。


「……あのね、士郎しょーい……」

「ん? どうした?」


 文は少しだけ言い淀む。


「……えっとね……わたし……しょーいのパパのお話聞いてて思ったの……」


 士郎のパパというのは、テレビディレクターをしていた、今は亡き石動洋介のことだ。

 文は、チラチラと伏し目がちに士郎を覗き込む。


「しょーいは、しょーいのパパにそっくりだなって……」


 他のオメガたちがハッとした顔で文を見つめる。


「……そ、そうかな……?」


 士郎は少しだけ照れ臭くなる。俺はあの人の足許にも及ばない気がするが……。


「……それでね、わたし……しょーいのパパみたいな人素敵だなって」


 久遠の頬が見る間に赤く染まっていく。それは、はにかんでいる、というよりやられた、といった表情だ。


「……だからきっとしょーいも素敵な筈で――」

「あー! かざりぃ!」

「かざりちゃんッ!」


 突然久遠とくるみが大声で文に話しかける。


「……っ!」


 びっくりした文は思わず息を飲んで二人を見つめ返した。


「……な、何かなぁ!?」

「い! いや! ななな何を話そうとしてるのかなーと思って!」


 久遠が目をぐるぐるさせながら裏返った声で答える。


「そ! そうなんですッ! わ、わたしもなんだろーなーと思って!」


 くるみも頭から湯気を立てながら真っ赤な顔で応じる。

 そんな二人を不思議そうに見つめる文。


「う、うん! だから今から話すよ?」


 あっけなく撃沈される久遠とくるみ。あわあわと口を動かしてそれ以上反応できずにいる。

 そんな二人を気にすることもなく文が話を続けた。


「――だからね、わたし……しょーいに会って欲しい人がいるんだ」

「「きゃぁぁぁあっ!」」


 くるみと久遠が泡を吹いて倒れた。


「どどどどどーしたッ!?」


 突然のことに、各務原が慌てて二人の肩を揺する。亜紀乃が不思議そうな顔できょとんとその光景を見つめる。「……い、いきなり親に紹介とか……」うわの空でぶつぶつ呟いているのはくるみである。

 士郎はそんな二人をちょっとだけ気にしつつ問いかける。


「……会って欲しい人?」

「そう! しろうパパにとってのサイードさん、的な?」


 文はそう言って士郎をしっかりと見つめた。いつもふわふわしている文にしては、やけに力のこもった視線だった。


「――分かった……もちろんいいよ」


 士郎は、文のきらきら光る瞳をしっかりと見つめ返しながら答える。

 文が優しく微笑んだ。


「うんっ! ありがとっ! しょーい、だーい好きっ!」

「「ぎゃああぁぁぁっ!?」」


 くるみと久遠の口から魂が抜けていった。

 そんな二人に合掌する亜紀乃であった。


「ちーん」

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