第70話 少女たちの予感

「――と、いうわけでワタシ! こう見えてニホンジンなんだヨー!」


 サイードがおどけたようにオメガの少女たちに笑顔を向けた。日本政府は彼らの入国を許可しただけでなく、全員の帰化を認めていたのだ。

 彼女たちは、このあまりにもドラマチックな物語に言葉も出ない。


 その時、厨房の方から陽気な声が届く。


「オッジョーサンたちー! 甘ァーいスイーツまだまだアルヨ!」


 出てきたのは、年老いて腰の曲がったアラブ人。豊かな顎髭にはすでに白いものが多く混じる。左のこめかみに大きな傷痕が残っていたが、笑顔の素敵な好々爺だった。


「あ! ――もしかしてサルマさんたちのお父さん!?」


 くるみが素っ頓狂な声を上げる。

 えっ!? とざわついて、他のオメガたちもまじまじとこの老人を見つめる。


「ソウ! オトーサンね! コッチはマジッドね!」


 さっきからテーブルに給仕してくれていたイケメンだった。


「え? でも脚が……!?」

「日本の医療技術はスゴイんですよ……日本に来てからヨースケの尽力でiPS細胞の移植手術を受け、半身不随が完治したんです」


 そのイケメン――マジッド――は、流暢な日本語でオメガたちの疑問に答えた。


「今日はたまたまお店を手伝ってるだけで、普段は某研究所のシステムエンジニアをしています」

「……もしかして士郎きゅんのパパから貰ったパソコンがきっかけ?」

「やっぱり分かります?」


 かざりの質問に、嬉しそうに答えるマジッド。その笑顔は、今の彼が本当に充実した人生を送っていることの証だった。


 今の状況は、「夢中になった物語に登場した主人公たち」がいきなり目の前に現れたようなものである。少女たちはまるでアイドルを見るような目で彼らハターミーファミリーを見つめた。


「でも、本当の主人公はやっぱりヨースケだったと思うわ」


 サルマが話す。


「悪魔に魂を売り渡しそうになっていたサイード兄さんを最初に信じてくれたのはヨースケだった。私たち家族が自尊心を取り戻したのも彼のお陰。暴動の時、命懸けで私たちを助け出してくれたのも彼。その後の展開は……さっきの話の通りだわ」


 士郎がはにかんだような顔で周囲を見回す。


「……帰国して、親父が彼らを家に連れてきた時、まだ俺は五歳だった。だから正直なんで突然知らない人たちがうちに来たのか、当時はまったく理解できなかったんだ」


「ヨースケは、私たち家族の身元引受人になってくれたの。もともと日本の難民認定は世界でも一番厳しいからね……でもヨースケのお陰で私たちはすんなり日本に帰化することができた」

「シローはとってもカワイー子だったね! ワタシたちすぐ仲良しになったヨ!」


 サイードがニコニコしながらシローの肩を抱く。


「おまけにシロー君の家族はとっても素敵な人たちだった。お母さんも……妹さんもね……。だからみんなが亡くなってシロー君だけが残された時、僕らは絶対に彼を守り抜く、って決意したんだ」


 マジッドが言葉を継いだ。


「シローはワタシたちの家族ね! ヨースケにも頼まれた絶対の約束ね」


 ハターミー父さんが微笑を浮かべながら士郎を見やった。


「……なんか……素敵な話だと思います」


 蒼流久遠が遠慮がちに声を上げた。他のオメガたちも同意という顔をして頷く。最初「士郎の父親の話」と聞いてなぜかテンションが上がっていたくるみと久遠だったが、今は別の意味で気持ちが昂っているようだった。

 サルマがいたずらっぽい笑顔で皆を見回す。


「……だからね、そんな素敵なヨースケの忘れ形見であるシローに、みんなが夢中になるのも無理はないかな、って!」


 その瞬間、オメガたちが急に赤面する。

 ん? 亜紀乃とかざりまで!?


 各務原かがみはらが慌てて口を挟む。


「え? サルマさんそれどーいう意味?」

「え? だって……見てれば分かるわよ!? みんなヨースケの物語にシローを重ね合わせて聞いてたでしょ!」

「シローならヨースケと同じことしたねきっと!」


 サイードさんの言うとおりだ、と少女たちは思う。


 彼の今までの言動を見ていれば分かる。いつも命懸けで私たちを守ろうとする。弱き人を助けようとする。そして、いつだって「正義」を貫こうとする。

 きっと、お父さんの信念が石動いするぎ士郎には受け継がれているのだ。今はこの場にいないゆずちゃんや未来みくちゃんも、この物語を聞いたら同意するに違いない。


 その横で「やっぱり将校じゃないとモテないのかなー」と各務原がブツブツ呟いているのはご愛敬だ。


「……ま、まぁ俺は……少なくとも親父のことは尊敬してる。ピュリッツァー賞を取るような人と比べられたら困っちゃうけどね」


「お会いしてみたかったのです……」


 久瀬亜紀乃がぼそりと呟いた。

 サルマがじっと亜紀乃を見つめる。


「……そうだな……俺も、久々に会ってみたいよ……」


 士郎が少しだけ、淋しそうな顔を見せた。

 ――たぶん、この瞬間だったのだろう。オメガたちが全員、恋に落ちたのは。


 いや、もしかしたら亜紀乃と文は「恋」という感情に自覚はなかったかもしれない。でも、もしも同じオメガ同士「ずっと一緒にいたい」「もっと相手のことを知りたい」「大切にしたい」という感情を誰かに抱くことが「恋」だというなら、きっとそれはそうなのだ。


 オメガたちは予感する。石動洋介とハターミーファミリーがかつて紡いだ物語のように、もしかしたらこれから私たちオメガと石動士郎の物語が織り上げられていくのかもしれないということを。

 そして、出来ることならその物語の中で、自分こそがヒロインになりたいと願うのだ。


 それは、同世代の女の子たちのように「普通に暮らして」「普通に恋をする」人生を選べなかった彼女たちにとって、とても贅沢な夢だ。

 だからこそ彼女たちは考える。どうやったら、自分のことを士郎にもっと知ってもらえるだろうか。

 士郎は、未来ちゃんの「特別」だ。それは知っている。そして、それゆえに士郎が未来ちゃんをどうしても助け出そうとしていることを知っている。だったら、まずは士郎に協力して、未来ちゃん救出を急ぐべきだ。

 そうやって助け出したら、そこからが第2ラウンドの開始だ。


 くるみだけは、「私が新しい家族になれば……」などと小声で独り言を呟いているようだったが……

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