第7章 叛乱

第71話 ミッドガルド

 サイードたちの店を出てから、一行は渋谷界隈でさらにショッピングを楽しみ、ようやく帰路についたのはそろそろ日も暮れかける頃であった。

 各務原かがみはら伍長はみんなの買い物袋を山のように抱えながら一歩後ろをヨタヨタと歩いている。


「ほんっとうに楽しかったぁ!」


 月見里やまなしかざりが嬉しそうにはしゃぐ。くるみが応じる。


「そうだね! こんな経験……もしかしたら初めてかも」

「うむ!」

「充実した一日になったのです」


 蒼流久遠くおん久瀬くぜ亜紀乃も同意する。夕焼けが、少女たちの髪の輪郭をきらきらと輝かせていた。


「ゆずも早く元気になるといいな」


 石動いするぎ士郎は微笑みながらそんなオメガたちを見やった。


「士郎さん、本当にありがとうございました」


 くるみがはにかみながら士郎を上目遣いで覗き込むと、久遠が慌てて割り込んでくる。


「し……士郎! たたた楽しかったぞっ!」

「あ! 私もだよっ! さーんきゅんっ!」


 かざりの言葉遣いは、これは天然なのであろうか。各務原が列の後方で必死にアピールしている気がするが無視しておくことにする。

 そんな感じでとりとめのない話をしながらそぞろ歩いていると、やがて渋谷駅が見えてきた。


「ほら、もうすぐ電車乗るぞ」


 士郎が一行を促す。

 すると突然――。


 ウゥゥゥゥーーーン――


 街全体を覆うような大音響のサイレンが響き渡った。


「あー……ついに来たか」


 士郎は溜息をつく。

 と同時に、他のメンバーたちも一瞬にして顔つきが変わった。


「――少尉っ!」


 数メートル後方をヨタヨタとついてきていた各務原が急にピリッとして駆け寄ってきた。


「あぁ! とりあえずこの場に待機!」

「「「「了解っ」」」」


 オメガの少女たちも、さっきまでの雰囲気と打って変わって背筋に一本筋が通る。


 この状況こそが、今の日本という国家の置かれた厳しい現実を物語る光景であった。


 現在日本の国土は大きく三つの区域に分けられる。

まず一つ目は、人の住めない立入禁止区域、通称〈PAZ〉と呼ばれている地域だ。東京五輪の後勃発した米中戦争、そしてその後繰り広げられている泥沼の中国内戦の初期において使用された戦術核の影響で「死の灰」が降り注いだ西日本――とりわけ山陰、山陽などの中国地方。および半島の特殊部隊の潜入工作によって引き起こされた原発テロにより完全に破壊された新潟など北陸地方。もともと立入禁止区域だった福島第一原子力発電所を中心とする東北南部などがこれに当たる。


 ついで〈UPZ〉と呼ばれる緩衝地帯。ここはPAZと都市域のちょうど中間地帯に設けられていて、いつなんどき立ち入り制限(避難命令)がかかるか分からない非常に不安定なエリアだ。UPZでは、ときおり高濃度の放射能汚染地帯が出現する。

 PAZエリアにおいて高濃度放射能が滞留している場所のことを〈ホットスポット〉と呼ぶが、このホットスポットは季節や天候によって場所を移動し、時としてUPZに流入する。普段は盆地や谷間など標高が低いところに滞留しがちなのだが、風向きなどによっては数十キロも離れた平地や市街地へ流れ込んでくることもあるのが常なのだ。

 もちろんUPZ自体はあくまで「緩衝地帯」だから、人が住んではいけないわけではないが、いざ避難しなければならなくなった場合に個人の財産は一切保障されないし、そもそも居住していて知らないうちに放射能汚染が進行しているかもしれない。したがってこの地域に住むのは一般的には駐屯地詰めの軍関係者のみ。その他は余程の物好きか、訳あって都市に住めないアウトローしかいない。


 そして最後三つ目のエリアこそが「都市域」、通称〈ミッドガルド〉と呼ばれる安全地帯だ。このエリアは、一応政府が徹底的に調査して放射能などの影響が一切及んでいないとされている。

 政府はこの限られた居住可能地帯――ミッドガルド――の安全を徹底的に確保する政策に出た。都市域全周を巨大な壁で囲い、まるで中世ヨーロッパの城塞都市のようにして、外敵の侵入を一切拒む構造としたのである。


 現在日本には、ここ東京エリアと、大阪、福岡の各エリアに大規模なミッドガルドがあり、そのほか中規模のミッドガルドが札幌、仙台、名古屋に存在する。裏を返すと、それ以外の都市は軒並み壊滅しているか、汚染が深刻、ということだ。

 当然、限られた地域には限られた人口しか収容できない。最盛期に比べ半減したとはいえ、日本の今の総人口はおよそ六千万人。そのうちミッドガルドに定住しているのはおよそ五千五百万人とされている。つまり、五百万人はUPZにあぶれているということだ。

 彼らはいわば「棄民」だ。


 では、政府は何を基準にこの「棄民」たちを決めていったのだろうか。その一端が、士郎たちの目の前で今まさに繰り広げられようとしていた。


 一行が今いるのは渋谷駅の真ん前、俗にスクランブル交差点と呼ばれているところだ。駅の北口を出たところにあるハチ公口交番のやや手前に陣取っていると、北側のいわゆるファイヤー通りと呼ばれる道路の向こう側から、何やらけたたましい爆音が聞こえてくる。


「あーあ……早く大人しくすればいいものを……」


 各務原がやれやれといった口調で呟く。


 周囲には、先ほどのサイレンが相変わらず鳴り響いていた。

 行き交う人々も、徐々に近づいてくる爆音を訝しみ、足を止めつつあった。やがてその音は、複数台のミニバイクらしいことに皆が気付き始める。交差点前に、徐々に人垣が出来あがっていった。皆一様に、今から始まることに興味津々といった様子で身を乗り出して待ち構えている様子であった。


 もともとこのサイレンは〈大気汚染警戒警報〉だ。

 ミッドガルドでは、時折こうした警報が鳴る。偏西風などによって中国大陸や立入禁止区域PAZなどから運ばれてくる放射能汚染大気や、その他有害物質などがミッドガルドに流入する恐れが出ると、城塞都市の外周を囲う巨大な壁は、そのまま〈プラズマ防壁〉の台座となる。

 プラズマ防壁とはその名の通り、アーク放電で空気をプラズマ化することによって生じるプラズマフィールドで、外部からの大気流入や悪天候などの衝撃波等を中和する装置だ。一種の「電磁バリア」と言ってもいい。

 もっとも「バリア」といってもSF映画などでよく見るような「物理攻撃をはじき返す」ようなものではなく、どちらかというと「凹面レンズに入った光が散乱する原理」を用いて「ベクトルを逸らす」といったイメージの方が正しい。


 問題なのは、これらの装置を稼働させるためには、極めて巨大な電力を消費する、ということだ。そもそもそんな巨大電力は限られた都市域でしか運用できないのと同時に、〈プラズマ防壁〉を作動させている間は肝心の都市内でもほぼすべての電力供給をそちらに回す必要があり、したがって信号機など都市インフラへの電力供給は一旦すべて停止される。もちろん電車もだ。


 そうなると、いつの時代でもどんな場所でも現れるのがいわゆる「やんちゃ」な連中だ。


 今まさに、士郎たちの視界には、信号の消えたファイヤー通りをけたたましい騒音を発しながらスクランブル交差点に向かって南下してくる一群のミニバイクが飛び込んでくるところだった。

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