第69話 シュヴァリエたち

 八重垣の演説は、名誉を重んじる大多数のフランス国民の自尊心を大いに刺激した。


 とりわけ、善良なるフランス国民の事を「騎士シュヴァリエ」に喩えた彼の言葉は、noblesseノブレス obligeオブリージュというフランス人の矜持の核心を直撃した。

「地位のある者は、持たざる者へその義務を果たさなければならない」という貴族社会の不文律。

 今回の場合「社会的迫害を受けている弱きアラブ人に対し、社会的優越性を持つ一般フランス人がなすべきことは何か」ということだ。

 フランス人たちは、最初「他人事」だと思っていたアラブ人への理不尽な暴力が、フランスという国家の名誉を貶める恥ずべき行動だということに気付いたのである。


 やがて――


 日本大使館の周囲には、多くの人々が集まってきた。

 ただし、彼らは暴徒ではなかった。みな普通の市民で、中には家族連れも多く混じっていた。暴徒たちはそれを黙って見守るしかない。治安部隊もだ。


 集まった市民たちは、手に手に袋や箱を携えていた。それらには、たいていリボンが結び付けられていた。なかには、段ボールに直接リボンの絵が描き込まれている物もあった。


 一人がそれを日本大使館の敷地に放り込む。すると、それにつられたかのように人々が次々にそれらを投げ込み始めた。敷地内に保護されていたアラブ人の子供たちがそれに駆け寄り、恐る恐る開ける。

 中から出てきたのは――。


 缶詰やパン、飲料水と思われるペットボトル、そして衣服……。


 パリからの中継は、今まさに劇的な展開を迎えつつあった。


『――なんということでしょうか! 八重垣大使の呼びかけに応じた多くのフランス国民が、次々に支援物資を大使館の中に投げ込んでくれています!』


 多くの物資に付けられていたリボンは、みな緑色だった。イスラムの世界で「緑色」は高貴な色とされている。アラブ人たちをリスペクトするために付けられたものに違いなかった。

 やがてマスコミはこれを「opērationオペラシオン vertヴェー rubanリュバン」(緑リボン作戦)と呼ぶようになった。

 作戦は、途切れることなく、そして徐々に大きなうねりとなってフランス人たちを突き動かした。


 もちろんこうした動きはすべて中継映像で世界中に発信された。

 そして世界は、彼らの行動に惜しみない称賛を贈った。

 フランス人は「名誉」を取り戻したのである。



 八重垣大使は、もうひとつの問題についても世界に呼びかけていた。


『――フランス国民をはじめとする諸国民の皆さん。いま日本国防軍は、アラブ人難民を移送するための航空機と艦艇をフランス領内に差し向けていますが、現時点で我が軍はフランス政府より着陸許可も領土内通行許可も入港許可もいただけておりません。このままではアラブ難民たちが大使館から出られないのと同時に、我が軍は無意味な足止めを喰らい、彼らを安全な場所に移送するという極めて平和的な行動が水泡に帰する恐れがあります……。国際社会の力強いご支援をお願いする次第です』


 これについては、主にアラブ諸国から次々に支援の申し出があった。

 曰く、自国の滑走路を使ってくれ、自国の港で好きなだけ補給してくれ、自国領内を自由に通行して構わない、など。

 今や欧州でひとりアラブ人のために戦っている日本国を支持しないイスラム国家など、地球上に存在しなかった。


 これに食らいついたのが日本の総理大臣、須賀峰すがみね首相である。


 石油資源からの脱却を十年以内に果たす、と宣言して以来、日本と中東産油国とはぎこちない関係が続いていた。なにせ彼らの「唯一の売り物」である石油を「見限る」と宣言したのだ。下手したら宣戦布告したようなものだ。

 現に同時発表したアメリカは半ば中東各国に喧嘩を売っているのではないかと思われるくらい、強硬手段を取り続けている。それは、欧米で頻発するアラブ人によるテロ事件と無関係ではない。欧米各国とアラブ諸国家は、もう抜き差しならないくらい険悪な関係に陥っているのだ。


 だが日本は違う。

 もともと日本とアラブ諸国の間には、揉め事は何も存在しなかったのだ。今でも出来ることなら友好関係を維持していきたい。その先にあるのは、新たな数億人市場であり、中国を地政学的に挟撃する戦略的パートナーだ。

 だから今回の件は、一気に今のぎこちない関係をリセットして、ふたたびアラブ人たちとよりを戻すビッグチャンスなのだ。今なら中東各国は日本に対し極めて高い好感度を抱いているであろう。

 「機を見るに敏」というのも、政治家には必要な資質なのだ。ここで友好関係を復活させられなければ、おそらく今後百年そのチャンスは来ない。


「官房長官、総理会見を手配してくれ」


 その日の夜。

 首相官邸では総理記者会見が開かれた。事件以来、はじめて日本の首相が公式ステートメントを発表するのだ。世界が注目する。


「――日本国政府は、アラブ諸国の支援の申し出に深い感謝の意を表します。もちろん、フランス国民の皆さんの名誉ある行動にもあらためてお礼を申し上げます。私たちは、なんとか日本大使館に避難しているアラブ難民のみなさんを助けたい。日本政府は、彼ら全員を国内に受け入れる用意があります――」


 潮目が変わった。


 本省に見捨てられた八重垣大使は、今や中東諸国との友好関係を復活させた立役者として、政権から極めて高い評価を受けたのである。


  ***


 中継映像には、日本大使館から出発するアラブ人たちの集団が映し出されていた。

 行き先は、大使館から数キロメートル先のセーヌ川川岸。数万人のパリ市民が手を繋いで人間の壁を築き、セーヌ川までの順路を守っていた。暴徒たちの襲撃から守るためである。その人垣の中を、フランス国旗と日章旗の小旗を振りながら歩むアラブ難民たち。

 川岸には、日本海軍の輸送艦が横付けになっていた。国際社会からの非難に耐えきれず、フランス政府がついに入港を許可したのである。

 難民の列の中に、サイードやサルマ、車椅子のマジッドや父さんの姿もあった。

 ハターミー一家も、一連の騒動のなかで日本への入国を正式に許可されたのである。


 そして列の最後には、八重垣馨大使の姿もあった。沿道の左右に手を振りながら、難民とともに徒歩で川岸に向かう。今や大使は、フランス人の間でも大人気であった。

 大変異例のことではあったが、八重垣は「最後まで責任を取る」といって、難民とともに輸送艦に同乗し帰国するといってきかなかったのである。


 暴動発生から約三週間。

 かつて杉原千畝に憧れた老外交官は、千人近いアラブ難民の命を大見得どおり守り切り、彼を最後まで見捨てなかった日本国は世界中――とりわけアラブ諸国――から最上級の敬意を勝ち取り、そして困難な現場から機転を利かせて中継を続けた石動洋介と彼のテレビ局は、「かつてない歴史の瞬間を報道し続けた」という称賛の言葉とともに、その年のピュリッツァー賞を受賞した。


 そして、そんな彼らを世界は敢えてこう呼んだという。

 騎士シュヴァリエたち、と――。

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