第59話 誇り

「……失礼ですがお仕事は?」


 国家警察の質問が玄関先で続いていた。

 サイードは覚悟を決める。彼はこのあと奥に不審なアラブ人がいることを警察官に告げるだろう。ほどなくコマンド対策部隊BRI-BACがなだれ込み、自分は逮捕されるか、下手をすれば射殺だ。

 以前同志が追い詰められて降伏した時も、国家警察は問答無用で無抵抗の同志を撃ち殺した。

 これは戦争なのだ。


「――ああそうでしたか。特派員も大変ですねぇ」

「いえいえ、いつもパリ警視庁トラント=シスにはお世話になっております」


 急に警察官たちの雰囲気が和やかになったようだ。特派員?

 彼は日本の記者なのか?

 だったら治安機関とは持ちつ持たれつだ。むしろ身内といっていい。

 やはりこの部屋アパルトマンを選んだのは一生の不覚だったか、とサイードは自嘲する。


「――ところで今夜のテロはまたジハーディストの仕業に間違いないのですが、お宅は特に変わったことはないですよね?」


 警察官が訊ねている声が聞こえる。

 ついにその時が来た――

 彼に迷惑はかけられない。いっそ自分から手を挙げて出ていくか。俺の血で部屋を汚すのも申し訳ない……

 サイードは痛む脇腹を押さえながら、ゆっくりとソファーから身を起こそうとした。


 だが――。


 日本人は予想外の返答をした。


「いえ、特に異常はありません。何かあったらすぐ知らせますので……」


 え?

 サイードは呆気にとられ、動きを止める。

 俺が今夜のテロリストと知っていながら、庇ってくれた……!?


「……はい、ではおやすみなさい……」


 バタン、と玄関が閉まって、日本人が戻ってきた。

 ソファーから起き上がり、中腰のままのサイードは彼を戸惑いながら見つめる。


「……いったい……」

「――おっと待った! まずはお互い自己紹介しようじゃないか」


 日本人はサイードを制し、片目をつぶってみせた。

 一人用椅子に腰掛け、サイードにもソファーに腰を落ち着けるよう促す。

 ふぅーっ、と静かに息を吐き、顔を上げた。


「僕は石動いするぎ洋介。日本のテレビディレクターだよ。――おっと特派員じゃない。記者リポーターではないんだ。……次は君の番だ」

「……俺は……」


 サイードは言い淀む。本名を告げるべきか。それとも最後までしらを切ってテロとはあくまで無関係を装うか……。


「……サイード……サイード・アル・ハターミー」


 なぜ本名を名乗ったのか。自分でもつくづく馬鹿だなと思う。

 だが、この男――ヨースケ・イスルギには嘘をついてはいけないような気がしたのだ。

 何より、自分を庇ってくれたのだ。

 偽りは彼に対する侮辱だ。


「オーケイ、サイード。……さて、これからのことを相談しようじゃないか」

「ちょっと待ってくれ……なぜ君は俺を助けた?」


 サイードは洋介に当然の疑問をぶつける。俺を助けて、この男に何のメリットがあるというのだ。それとも、日本人はみなこの男のようにお人好しなのか。


「あー……。君はさっき10区から来た、と言っただろ」


 サイードが無言で頷く。


「当然ながら僕は今夜のパリ連続爆破テロの取材をしていたんだ――仕事だからね」


 それで警察発表以外の情報も知っていたわけか。だったら今夜俺たちがどれほど酷いことをしたか、むしろその目で見ただろう。恐らく死者は100人ではきかないはずだ。


「……そして10区で起きたテロもこの目で見てきた」

「だったら――」

「君はなぜ閉店した無人のビストロに手榴弾を投げ込んだんだ? 交差点の反対側には大入り満員のクラブが営業していたにも関わらず……」

「それは……」


 それは、俺の心の弱さだ。

 最後の最後でビビってしまったのだ。

 今夜の連続テロは「歴史に残る」と組織の幹部には言われていた。パリ市内のあちこちで、同時多発的にソフトターゲットだけを狙う。どこも数百人の客で賑わう店だ。

 クラブ、劇場、深夜営業のスーパーマーケット……


 これらが狙われることで、パリ市民は今後当たり前の市民生活が送れなくなる。どこがテロの標的になるか分からない以上、人々は恐ろしくて普通に外を出歩くことができなくなるだろう。これこそが恐怖テロルだ。


 だが、俺は最後の最後で躊躇してしまった。地下に続くクラブの階段に、ただ手榴弾を投げ込めばそれで終わりだった。だが、目の前の若者たちは皆、自分と同じくらいの年代だった。三度も四度も店の前をうろついて、最終的に交差点を渡って看板の電気が消えた店に適当に手榴弾を放り込んだのだ。

 だが、それでも辺り一帯を大混乱に陥れることが出来た。目的は人を殺すことじゃない。恐怖テロルを感じさせることなんだ。

 丸腰の相手を殺すのは……卑怯なんじゃないか……

 弟がリンチに遭った時、自分が感じたことだ。

 無抵抗の相手を一方的に攻撃するのは……正義じゃない……


 それは、誇り高きアラブの男として、やってはいけないことだ。


「……君は……テロリストなんかじゃない――」


 洋介がまっすぐサイードを見つめる。


「君の目は、殺人者の目じゃないよ」


 サイードは瞬きもせずに洋介を凝視する。

 心が震えて、鳥肌が立つのが分かった。

 なぜだか、目頭に熱いものが溜まってくる。


「――気が付いたら抜けられなくなってたんだろ!? 良かったら、今まで何があったのか聴かせてくれないか」

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