第58話 From People of Japan

「君は……今夜の事件に巻き込まれたのか?」


 東洋人がサイードに訊ねてきた。一通りの応急手当が終わり、一息ついたという風情でサイードが横たわるソファーの傍らに座り込む。


 こいつはどこまで知ってるんだ……。

 サイードはあらためて東洋人の顔を見る。アラブ人やヨーロッパ人に比べると、髭も生やしていないし顔がのっぺりしているから歳がまったく分からない。

 若々しい顔つきは一見してサイードと同じ20代か、あるいはまさか10代……ではないか。意外に目つきが鋭いから、もしかしてずっと年上なのかもしれない……。

 いろいろ考えながら東洋人の顔をじっと見つめていると、急に東洋人が饒舌になった。


「あぁ……君は僕が何者か分からなくて戸惑ってるんだね……でもそれはこっちのセリフだよ。君が今いるのは僕の部屋だ。しかも僕は君のことを知らない。つまり君は不法侵入者だ。今すぐ警察に通報することだってできる」


 サイードは顔色を変えた。

 そうだ――。

 今の俺は逃亡者だ。


 この東洋人の言う通り、今から五時間ほど前、パリ10区のアリベール通りとマリー・エ・ルイーズ通りの交差点近くにあるビストロに爆弾を投げ込んだ張本人だ。

 その前後一時間で、隣の11区、そして20区でも同志が爆弾テロを決行した。

 あわせて四か所、四発の爆弾が相前後して爆発し、今パリ市内は大混乱の真っただ中だ。


 脱出の手筈は周到に準備していたが、手違いがあった。

 組織に裏切り者がいたに違いない。

 今夜の動きはすべて対外治安総局DGSEに筒抜けだったのだ。お陰で迎えのバンが来なかったばかりか、中継点となる隠れ家に辿り着いた時には連絡係の射殺体が転がっているだけだった。

 何者かに突然銃撃されたのもその時だ。

 明らかに待ち伏せだ。

 被弾しながらも慌てて通りに飛び出したら、既に国家警察がそこかしこにウロウロしていた。


 早すぎる。

 どう考えても爆弾テロを起こさせて、その瞬間パリ中を厳戒態勢に置き、俺たちを炙り出そうとしたとしか思えない。

 1ブロックごとに検問が設けられ、歩行者は全員身分証の呈示を求められていた。これでは身動きが取れない。

 他の同志との連絡も、一切取れなくなっていた。

 だからひとまず留守宅を狙って民家に入り込んだのだ。一晩経てば、朝の出勤時間に紛れて市内を脱出できるかもしれないから。

 だがこの男は夜中の三時に帰宅して、俺が潜んでいるのを見つけてしまったのだ。


「……そ、そうなんだ……まったく参ったよ……」


 サイードは平静を装って返事をする。

 脇腹の痛みが増してきて、正直しゃべるのも辛かった。


「だが君はそんな怪我を負ったにも関わらず治安部隊に助けを求めなかった」


 サイードの額に脂汗が流れる。銃創の痛みと、この東洋人の鋭い指摘に恐れを感じたからだ。


「……そうだね……警察は……嫌いなんだ……」

「君がアラブ人だから?」


 東洋人は無表情で話を続ける。この男が俺を疑っているのはもはや間違いなかった。

 サイードはそれ以上言葉を返すことができない。遅かれ早かれ、この男は警察に電話をするだろう。うちに怪しいアラブ人が不法侵入しています、と。

 欧州での爆弾テロはほぼ例外なくアラブ人のジハーディストの仕業だ。連続爆弾テロ事件のあった夜に、銃撃を受けた血塗れの身元不明のアラブ人が部屋に侵入していたら、子供だってそいつが犯人だと分かる。

るしかないのか……


 手傷は負っているが、こっちの方が体格は上だ。

 ここで捕まったら――いや、恐らく警察が踏み込んできた瞬間に射殺されるだろう。生き残るには、今こいつを殺すしかない。


 すると不意に東洋人が言葉を継ぐ。


「――ところで君はどっちから来たんだい? 10区? 11区? それとも20区?」


 どういうことだ。なぜこの男は爆弾テロのあった場所を正確に知っている?

 先ほどこの部屋に逃げ込んできた時に念のためテレビを点けて今夜の成果を確認したが、どこのチャンネルを見ても10区については触れられていなかった。

 明らかに報道管制だ。

 事実と異なる情報を流して、真実を知り得る者のみを炙り出す、いつもの手法だ。


「……10区だ……」


 サイードは答えるしかなかった。もう隠し立てしてもしょうがない。どうせ殺すのだ。

 すると東洋人は「ふぅん」と一言だけ反応した。

 サイードは無言で見つめ返す。

 

 突然玄関の方で大きな音が鳴った。


――ドンドンドンドン!


 東洋人が少しビックリして立ち上がる。


「――こんな時間に誰だろう」


 サイードは溜息をついて目を背けた。わざとらしいじゃないか。

 さっきからアパルトマンの窓ごしに青と赤の光が点滅し続けている。通りには、どこもかしこも警察が溢れているのだ。しらみつぶしに家探ししているに決まっている――。

 終わりだ。早く殺してしまえばよかった……


 東洋人が玄関のドアを開ける音がした。男の声が聞こえてくる。


「国家警察です。この辺りにテロリストが潜伏しているかもしれないので住民のご協力を……」

「――失礼ですがどちらのお国の方ですか?」


 警察官の声が複数聞こえる。東洋人が出てきたからだろう。警察官の声がやや緊張したのが分かった。


「……あぁ、僕は日本人ですよ……」


 東洋人が答えているのが聞こえてきた。


 日本人……西側主要国の中で、唯一我々のターゲットにならない国。

 サイードは、自分たちの粗末な自宅にあった上質な毛布に日本の国旗が縫い付けてあったことを思い出した。両親がシリアを脱出する際に難民キャンプで支給されたものらしかった。

 他の支給品はすぐボロボロになって捨てたらしいが、この毛布だけはどんなに使ってもいつまでも柔らかく、暖かかったそうだ。

 母はこの毛布を決まって子供たちにかけてくれた。国旗のところに書いてあった文字の意味を知りたくて父親に聞いたことがあるが、父は英語が読めなくて結局教えてくれなかった。


 サイードがその文字の意味を知ったのは、中学生になって自分で英語を学んだ時だ。

「From People of Japan」――。

 『日本政府より』でも『日本国より』でもなく、『日本の人々より』――。


 サイードはその言葉の意味を知った時、なんだかとても暖かい気持ちになったことを思い出す。とても小さなことだが、この毛布をくれた日本人たちの、我々に対する「いたわり」を感じたのだ。

 同時に、日本人ってどんな人たちなんだろう、と凄く知りたくなったものだ。


 そして、この部屋の住人である彼を殺さなくてよかった……と心から思った。

 あの暖かい、母親のお気に入りだった毛布のお返しだ……。

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